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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十七話 二兎追う者たちは一兎も……得ず?
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17-1 食いついたのはだあれ?

二兎追う者たちは一兎も……得ず?



手帳を黒井に返してから一週間後。

私はなぜか東北の地に居る。

労務兼総務の私に彼は上司命令だと出張を告げ、住所が書かれたメモを渡した。

それから軍資金と言い五万円。

一週間後にはその近くに居るように言われ新幹線でやってきた。

というか、寒い。

東北舐めてましたとしか言えない。

向こうはもうすっかり春めいたと言うのに風はまだ冷たかった。

日本海側は寒いと言うけれど本当だ。

指定された住所がどこなのかよく分からない。

けれどそのメモを渡されて顔を思わず上げてしまった。

それはあの添付されていた写真の駅と同じ文字が入っていたから。


「……これって……笹川さんの実家の方じゃないですか」


と言えば彼は黙って頷いてから着いたら連絡するようにとだけ言って去って行ってしまった。

社長が突然の長期出張に出たらしく彼はとんでもなく忙しいらしい。

その合間をぬってわざわざ言いに来たのだからよほど重要な仕事なのだろうと思いながら一週間を過ごした。

指示された通りに携帯で彼に電話をする。


『おう、着いたか?』


そう言われて頷きながら、はい、と答えればそれじゃあ笹川に写真を送れと言われた。

それにえ?と返しながら良いからそうしろと言われ電話を切って渋々駅名を映して添付する。

題名も本文も書けなかった。

なんて説明すれば良いのか分からない。

するとすぐに彼女から電話が掛かってくる。


『もしもし?安田さん?あの、一体どういう事なんですか?』


その声がひどく焦っていてえっと……と口ごもる。

それから口を開いて考えながら言葉を選ぶ。


「あの、その、仕事でして。それでここまで来ちゃったんですけど」


そう告げれば彼女は一度へ?と言いながら考え込んでから返事をする。


『……うーんと、いや、良いです。そっちに行きますね。ちょっと時間が掛かるので、駅の東口にあるローズという喫茶店で待っていてください』


それにどう返事をしていいか分からない。

黒井には電話をしろとだけ言われて彼女に会えとは言われていないからだ。

言葉に詰まっていれば彼女はそれでは後でと電話を切ってしまい途方に暮れながら移動する前に彼に掛け直した。


『おう、どうなった?』


そう能天気に言われ殺意さえ湧く。

こんな見知らぬ土地で一人、右も左も何をすれば良いのかも分からないのに。


「どうって、どういう事ですか。笹川さんは電話したら慌ててこっちに来るって言うしっ。どうしたらいいんですか、私は」


早口で捲し立てれば彼は嬉しそうに、そうか、そうか、と言ってからそのまま笹川さんと合流しろ、したらまた連絡くれと言って切れてしまって、もう怒る気力も無くなって東口へと向かった。







あの日雛子がホテルのスイートルームで出した提案は驚くべき物だったけれど実現不可能で無く、しかも、確実性があるように思えた。

というかそんな方法しか二人で頭をいくら捻っても出ないとさえ思えた。

礼はきっと電話には出ないだろう。

下手したらもう捨てているかもしれない。

居所が分かるようなミスはしないだろうからカードも使わないだろう。

あの時は分からなかったが失踪した日の朝に彼の口座からは大金が下されていて、その後は一度も下されていなかった。

それも会社の近くの支店のATMからで足取りはそこで途絶えた。



「祐樹はそのまま会社を上手く運用してくれよ。佐久間に決して気付かれないようにしないといけないからね。礼は長期出張とでも言っておけば……そうだな、二週間くらいは誤魔化せる。それ以上になると綻びが出るかもしれないから、二週間が勝負だと思うよ」


姿勢を動かさないまま雛子はそう言ってから俺を見つめて目を細めた。

二週間じゃ探せねぇじゃねぇか、と思えばそういう顔をしていたらしい。


「そう、二週間じゃね、探偵でも雇わないと無理。でもさ、そんなの雇ったら明るみに出る可能性があるだろ?それはまずい。だからさ、一人信頼出来るというかこっちから指定させて貰うけど、その人物を動かしてよ。適当な理由付けて。『彼女』にまずは片方を迎えに行って貰うから」


その言葉に首を傾げればその顔は楽しそうに悪戯を考えた子供のごとく歪んだ。


「餌を撒くから。その餌にきっと二人とも食いつくと思うよ。『彼女』にはきちんとした居所を知らせた方が良いんだけど、会社に履歴書とかあるでしょ、きっと。それを控えて教えてあげてよ」


何を言われているのか分からず眉を寄せれば彼女は一言言う。


「笹川涼を安田明子に迎えに行かせるから。彼女の実家の住所が必要って事。家も無く大金を持っているわけじゃないだろうから、十中八九実家にでも帰ってるんじゃない?」


そんな絵空事で言われてもと言い返しそうになれば無駄足なら無駄足で構わないと言う。


「餌は二人に撒くって言ったでしょ。礼はどっちにしろ飛びついて連絡してくるよ、きっとね。まだ礼が笹川涼を好きなら尚更」


その後詳細を聞けぬまま田中が起きてきてお開きとなり、雛子は田中にも全部話すと俺を見送った。



机に座ったまま安田の電話を受けてほとほと感心する。

雛子の言った通りになった。

しかし涼も母もそこに涼が居ると告げてこなかった事には腹が立ち、引き出しから板チョコを出して齧りついた。

今はそんな事を言っている場合じゃない。

とにかく二人、いや、礼だけでもとっ捕まえないと駄目なんだ。







安田さんからメールが来る少し前。

だいぶ寝坊してから一階に降りれば母は台所で洗い物をしていた。


「おはよう」


欠伸をしながらそう告げてテーブルに着く。

こっちに来て一週間、寒さにも慣れ、家事をたまに手伝いながら何もしないで愛猫と昼寝なんかをする生活をしている。

結局祐樹さんにも安田さんにも連絡していない。

機会を窺っていたら逸してしまったのだ。


「ご飯食べちゃってちょうだい」


だらだらとおかずが乗ったままのテーブルに両腕をついて顔を横に傾けたままそこに置いて洗い物をする後ろ姿を見ていればぴしゃりと言われのろのろと立ち上がりごはんと温くなった味噌汁を盛って座っていたところに戻る。

パジャマのままの私に母が振り返って眉を寄せてから息を吐きそれからまた洗い物に取りかかる。

煮物やおひたし、漬物が並ぶ質素なけれど美味しいそれを食べながらふと父の席にある新聞に手を伸ばし自分の横にそれを縦に折ったまま置いてめくりながら目を通していく。

礼の家にあった物と違い色々な話題が載っているそれをふんふんと頷きながらめくっていれば紙面の最後のページで目が止まった。

思わず箸を落として茶碗を置いてからそれを持ち上げ目を凝らしてよく見る。

紙面の下の方、広告の部分にそれはあった。

黒い背景に白い文字で短く一言だけ小さな広告が載っている。

正確に言えば広告では無い。

というかこんなものでもお金を払えば載るのかと思う。


涼は預かった H


これだけの一言なのに分かってしまう。

分かってしまうのはそのどちらの名前も見覚えがあったからだ。

いや正確には片方は確実に私だろう。

そしてもう片方は……多分、予想が外れていなければ雛子のHだ。


「……何で?」


預かられておらず呑気に朝ごはんを食べているというのに、何なんだと振り返った母の視線にも気付かずに新聞を持ったまま固まって居れば携帯が鳴っていると教えたのも母だった。

慌てて見ればこれまた予想外の人物からだった。


「安田さんっ?!」


そう叫びながら電話に出て問い詰めれば彼女は何も知らないようでとにかく会う約束だけ取り付けて携帯を置き母に声を掛けた。


「お母さんっ、ごめん、駅まで連れてって!」


ご飯を途中にした私を静観していた母は何か起きたのだろうと予想したらしく私の手にある新聞を取り上げて見てから一言ふーんと呟いて顔を上げいいわよと返してきた。

ありがとうと返事をして箸を拾いパジャマで軽く拭いてから掻きこむようにご飯を食べた。


何で?

何で今更私なの?

何で安田さんが居るの?

雛子さんは何を企んでいるの?


立ち上がりどたどたと二階に上がって出かける準備をした。







娘が怒涛の勢いで朝食を済ませて居なくなったのを見届けてから携帯を取り出し電話を掛ける。

もちろん息子だ。

Hとは誰なのか分からないが一枚噛んでいると思った。

そうでなければ新聞を読んでいるはずの彼が電話をして来ないのはおかしい。

家が取っているのは地方紙だけれどそれだけにこんなダイレクトなメッセージは載せないだろう。

意味がまったくないからだ。

だとすれば金に物を言わせ様々な新聞にそれを載せているかもしれない。

そんな事が出来るのは金持ちだけだ。

懐がそんな事で全く痛くない金持ちだけ。


『おう、どうした?』


息子はやや驚いたように電話に出て思わず怒鳴りつけそうになった。

けれどゆっくりと口を開いて告げる。


「Hって誰なの?」


あまり時間は無いのだから簡潔にそう問えば彼はすぐに分かったらしく、あー、とか、うー、とか言いながら最終的に口を割る。


『礼のいとこだ。ってか、何で涼がそっちに居るって教えてくれなかったんだよ』


その言葉に今度は私が同じように口ごもり最終的に答える事になった。


「涼がね、自分の昔の事話してくれて。正直言えばショックだったわ。それで涼に判断を委ねたのよ、貴方の結婚式の事も含めてね。だって、言えないわ、何にも。私の価値観じゃ図りきれないの」


そう言えばまた彼はあー、うー、と言ってから一言、そうか、とだけ言う。

それから悪いけど涼は一度こっちに返して貰う事になるから、とも


「……そこに涼の意思は反映されないの?それなら連れて行かないわよ、安田さんて人の所に」


返して貰うって物じゃないわ、と思いながら声を低くすれば息子は少し迷ってから答えをくれた。


『いや、来たくないってんなら、良い。ちょっと不利になるかも知れねぇが、どうにかなるだろう』


その言葉に何の話だか聞こうとすればどたばたと足音が響きそれに何も言わずに一方的に電話を切った。

ポケットにさりげなく携帯をしまってから支度を終えた涼を見てから声を掛ける。


「いきましょうか」


その言葉にうんうんと頷いてから私の上着を持ってきて、早く早くとねだる姿をまるで子供のようだった。

竹野劇場みかん座

舞台裏第五幕


礼「……」

涼「え、えっと……」

安「あ、あの。すみません、本当に」

礼「(遠い目をしたまま立ち上がり隅へ)」

涼「え、ちょ、ちょっと、礼!何荷造りなんかしてるんですかっ。竹野さんっ、どうにかしてくださいってっ!!」


……てへ。


涼「てへ、じゃないですって。いや、本当に。れ、礼っ!!待って、待ってぇー」

安「……あの、行っちゃいましたよ」


大丈夫じゃない?


安「そんな適当な事言って。次は佐久間さん出るんですよね?」


……。


安「えっ?!」

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