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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十六話 行方知らずの恋人達
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16-2 告白

母がその喫茶店に来たのはきっちり一時間後で寒い場所に住みなれたらしい身軽な格好に吹き出す。

もう十一時を過ぎていてそのままそこでお昼を食べないか提案すればいいわねと顔を輝かせて私の前に座った。

メニューを取り何にしようか話し合い、私がナポリタンで母がサンドウィッチにする。

それと母の紅茶と私のお代わりのカフェオレを頼んでから二人で顔を見合わせて笑い合う。

何年ぶりにあったんだろうというその姿はあまり変化無く、白髪が増えたかなという程度で安心した。


「で、どうしたの?」


そう言われ困ったように笑ってから小さく口を開く。

こうやって喫茶店に一緒に居るのだって久しぶりなのにそれを懐かしむ時間すら与えてくれないらしい。


「佐久間さんと別れたの。それで……帰ってきちゃった」


そう出来るだけ何でもない風に言えば彼女は少しも驚いた様子も見せず、そう、とだけ言う。

飲み物が先に来て彼女がポットからカップに注ぎ、湯気立つそれらに二人でふーふー息を吹きかけてから一口ずつ飲んだ。


「それで?」


カップを置いた彼女が顔を上げてからにこにこと笑いながら言われ困ってしまう。

それでと言われてもまだ話す気にはなれない。


「それで……しばらく実家に居ようかと思って。家も無いし」


言い訳のように言えば料理が運ばれてきてそこで一度話は中断になる。

そういう話を食べながらするのは母も私もあまり好きではない。

サンドウィッチを一切れとナポリタン少しを交換しながら美味しいだの言いゆっくりとそれを味わった。

半分くらいになった飲み頃のそれをまた一口飲んでからふぅっと息を吐く。


「美味しかったわね。久しぶりだわ」


と嬉しそうにポットからまた紅茶を注ぎ二杯目にはミルクと砂糖をたっぷりと入れ銀の小さなスプーンでかき混ぜながら彼女が言い、そうなの?と聞けば駅まで出てくるのも久しぶりだと言う。


「お父さんと来れば良いのに」


そう言えばスプーンを置いてから首を振って笑う。


「来るわけないじゃない、あの人が」


出不精な父は確かに来ないかもしれないと思い、そうね、と言えば彼女はカップを持ち上げて、そうよ、と答える。

それっきり会話が途切れて掌に汗がじんわりと浮かんだ。

それからゆっくりと俯いてしまう。


「話したくないなら、良いのよ、話さなくても。無理には聞かないわ」


そうカップに顔半分隠れたまま彼女が言い小さく首を振ってから深呼吸をした。

私の話を最後まできちんと彼女はいつものように聞いてくれるだろうかと思う。

それからどこまで佐久間礼の事を話していいのだろうか、とも。

私の話はどこまでだってする自由があるが、彼のそれは違う。

たっぷりとそう考えてから口をそっと開いた。

顔を上げ彼女の首元を見つめるようにして話始める。


「話すわ。ちゃんと。でも……多分ひどくショックを受けると思う。聞きたくない話だと思う。……それでも良い?」


そう言えば彼女はカップを置いてから店員を呼び二人分のお代わりをした。

それはちゃんと聞くわという合図で、店員が去ってからまた口を開いた。


「あのね……短大の時に付き合っていた人が居たの。その人とはもう別れてるんだけど、ね」


大丈夫。

ちゃんと聞いてくれるんだから、ちゃんと話して、それから。


それから?

母が私をもう要らないと言ったら、それから、どうしようか。






娘が不安そうに口を開きその初めて聞く話に耳を傾けた。

途中で茶々を入れるのはよくないと昔から思っている。

話したい事を忘れてしまったりするし、こちらの意見で話す内容を変えたりするからだ。

それなら全部話させてから私の思った事を言えば良い。

彼女もそれは熟知しているはずだからこちらが相槌を打たなくとも話を続けてくれる。

新しい飲み物が来てそれぞれに配られそれが終わってから彼女の話がまた始まる。

昔の恋人の事を好きだった、最初は幸せだったのだという所で終わっていたそれの続きだ。


「その人はすごく変わっていたの。何て言うか普通と違う価値観を持っていて、それを受け入れられないと思ったんだけど、私が兄が居ると少し漏らしたのを覚えていたみたいで自分がそうだと言ってきたんだ。最初は信じられなかったけど本当にそうだったら……って思って拒否出来なかった。だってお母さんを取っちゃったって思ってるから」


話の雰囲気が変わってきたように思えて笑顔で聞いていた顔を正す。

真剣な話ならそれなりの態度で聞かないと娘と言えど失礼だと思う。

彼女はちらりと私を見てからまた目を伏せて口を開く。


「私、ね。…………私、私……、お母さん、私、ね。私……」


私としか言わない彼女の言葉をじっと待つ。

また彼女が顔を上げてみてきて小さく頷いて見せれば一度唇を噛みしめてからまたそっと口を開いた。

その唇も体もすこし震えていて、それが少し怖い。

何の話をするというのだろうか。


「……その彼氏の言葉に従って……たくさんの……人と……かん、けい……持った……の」


一気に言えずに途切れ途切れに小さくなっていくその言葉は残念ながら私の耳に届いてしまった。

そしてそれが信じられず疑ってしまう。

顔に出たそれを彼女はちらりと見てから震えたまま下を向いた。


「ごめんなさい。本当に、こんな娘で、ごめんなさい」


そう泣きそうに言う彼女に何も反応出来ずに居る。

遠い東京で暮らす娘がそんな事をしていたと知ってすぐに反応出来る人なんていないだろう。

泣くか怒るか喚くか、どれかだと思う。

けれどそれも出来ない。

彼女は兄だと嘘を吐かれたと言った。

それはひどく残酷だ。


「その彼氏とはそういう事があってからすぐに捨てられて、お友達のお家で御厄介になって、それから就職しないでバイトしてたの。……帰ってこれなかったのは後ろめたくて仕方なかったから」


私の返事を待たずに彼女はそう続けた。

疑問が一つ浮かぶ。

佐久間様のお坊ちゃまは娘のそれを知って別れたのだろうか、と。

それなら仕方ないと思う。

けれどもし遊びで付き合っていて気まぐれに別れたのだとしたらとても許せたものではない。

自分のポリシーに反するけれど、と口を開く。


「佐久間さんとはそれが原因で別れたの?」


静かに聞けば彼女は少し迷ってから口を開いた。


「難しい所かなぁ……。そうだとも言えるしそうじゃないとも思えるし。佐久間さんには付き合ってすぐにそれが知られていて、彼はそれでも良いって言ってくれていたんだけど。周囲に知っている人が居て……彼を脅したの。私の秘密を話されたくなかったら、自分と関係を持てって」


その言葉に少し安心した。

まさかとは思っていたけれどお金持ちの御曹司なら遊びでという可能性だって捨てきれない。

けれど坊ちゃまは違っていたらしい。

小さい頃から聡明で優しくて穏やかだったそのまま成長して下さったのなら嬉しい限りだ。


「あんまり深くは話せないんだけど、彼も……その異性に対してあまり好ましくない経験をしていて。だから、自分を責めて、しかも彼の部下がそうした事を許せなかったんだと思う。私が誰がそうしたのか分かった席を逃げ出して、何があったのか分からないけれど、別れを告げる決心をしたみたい。玉の輿に乗り損ねたわ」







母と話して居てそう冷静に分析して初めて佐久間礼がどう思っていたのか考える事が出来た。

最後に冗談を言えるくらいの余裕はまだあるみたいだ。

けれどそれは母の返答次第ですぐに消えてしまうだろう。

私の話はこれで終わりだ。

写真がある事や私自身が脅されていた事、アタルさんの事も話さなかった。

関係が無いとは思えないけれど、そこまで話したくないし、余計に心配を掛けるのも嫌だった。

話し終えた合図にすっかり温くなった新しく来たカフェオレに口を付ければ彼女は大きな溜息をして額を片手で押さえた。


「事情は分かったわ。けれど、もしかして仕事を放り投げて来たんじゃないわよね?それに祐樹の結婚式はどうするの?呼ばれてるんでしょう?」


その言葉に眉を寄せカップを置いて唇を尖らせてしまう。

責められるとは思っていたけれど、そこなのか、と返答に困る。

全部投げ捨ててきたのだからそう言えば良いのだけれど、彼女はそういう中途半端な事を許してはくれない。


「……だって、東京にはもう居られない。会社も結婚式も俺の前から居なくなれって言われてどうして行けるって言うのよ」


言い訳のように言えば母は額から手を下して私をまっすぐ見つめた。


「涼の気持ちも分かるわ。でも、祐樹は?由香里さんは?二人ともすごく楽しみにしてたわよ、涼にも来てもらうって嬉しそうに言ってたわ。母さんは行けないからせめて涼だけでも見てきて欲しいと思った、母さんの気持ちはどうしたらいいの?涼がやろうとしている事は、涼と佐久間さんだけ関係している事じゃないでしょ?仕事だって、同じよ。二人だけでやってる事じゃないのに、本当にそれで良いと思ってる?」


母はいつも正しい事しか言わない。

けれどそれを怒鳴りつけたりするんじゃなくて淡々と諭すように言うんだ。

そんな風に言われたら何も言えない。

俯いたままじっと小さな突風が過ぎるのを待つ。


「涼の過去はもう過ぎた事なのだから、どうでもいいわ。ショックだったけれど、涼は涼で変わらないもの。けれど過去は過去でしょう?私達はどこに向かっているの?過去じゃないわ、未来よ。……貴方のせいで大変になる人が居るのにその未来を選んで良いの?悲しむ人が居るのにその未来で良いの?」


そう言われてから首を小さく振って顔を上げた。

涙が浮かんでしまった。

そんな事言われなくても分かってる。

私が一人居なくなれば迷惑を掛ける人が居るのだって分かっている。


「だって、だって、好きだったから。愛していたから。今も変わらないから、だから、嫌なのっ!向こうに居たくないのっ!会いに行きたいって思うのが、嫌なのっ!!」


誰にも言わないで言おうって思っていた事を涙を流しながら喚くように言えば母は小さく息を吐いてから口を開く。


「……そう。じゃあ良いわ。その代わりきちんと祐樹には連絡なさいね。会社を辞める事も結婚式に行けない事も、ちゃんと話すのよ。それなら家に帰ってきても良いわ。ただし父さんには言わないでね、その話。ショックで心臓止まるかもしれないわ」


その彼女の冷たい言葉に涙を流したまま小さく頷けば彼女は立ち上がり素っ気無くもう行きましょうと私に告げ涙を拭ってから荷物を持って立ち上がった。



帰りの車内では何も話さず駅から離れる程、まだ量が多くなる硬く凍った雪を見ながら帰って来たのだと実感した。

数年ぶりの実家は何も変わっていなくて母に二階の部屋に行くと告げて上がればきちんと灯油が入ったストーブがあってまた涙が出た。

鞄を床に落とし懐かしいベッドに飛び込んでそのまま仰向けになって腕で目元を覆って声を出さずに泣いた。


礼に会いたい。

礼に抱きしめて貰いたい。

礼と手を繋ぎたい。

お風呂に入ってご飯を一緒に食べて一緒に眠って。


ずっと一緒に居られると思った。

ずっと愛してくれると思った。

ずっと。

ずっと。

ずっと死ぬまで一緒に居たかった。



帰ってきた父は私の姿に喜び抱きしめられ、相変わらず素っ気無い愛猫と黙ったままの母と、私はしばらく一緒に暮らすこととなった。


兄の結婚式はもう一カ月を切っている。

早く電話しないととは思っている。

メールが来ているのも不在着信があったのも改札を出てから気付いた。

また電源を落とした携帯は二階に置いたまま。


その後、私は連絡出来ないまま時を過ごす事となった。

母は何も言ってこなかった。

竹野劇場みかん座

舞台裏三幕目


礼「涼いっぱい出てるじゃない?!」

涼「かくかくしかじか作戦で行こうかと思ったらしいんですが、結局書いたみたいですね」

礼「十六話始まってもう二部分書いてるけど本当に俺出ないの?」

涼「さぁ……」

礼「……」


出ますよ、そのうちには。


礼「……本当に?」


……多分?


礼「多分っ?!」

涼「ちょ、礼、駄目ですって、そんなに竹野さん揺すったら、本当に二度と出れなくなっちゃいますよっ!!」

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