15-9 それぞれの真実
アンティークと表の看板に書かれた喫茶店は古い純喫茶だった。
お客さんはまばらにしか居なくて案内されるまえに徹さんは一番奥の広い席に向かっていった。
それに素直についていってから彼女が一番奥に座ったので手前に座ろうとすれば手招きをされる。
六人掛けのその奥に行けば彼女は私を真ん中に置き、それから安田さんを呼んだ。
「この子、俺と挟んでくれる?」
そう言われて安田さんが戸惑いながらそれに従いちょっと膨れたままの田中さんは徹さんの前に座った。
その膨れた顔を徹さんは穏やかに笑って見つめながらけれどきっぱりと田中さんに告げる。
「どうしてか、分かるよね?」
その言葉に田中さんは俯いて小さく頷いた。
というか何の集まりなんだろう。
安田さんは居心地悪そうにメニューを開いていてそれを覗き込んで二人から視線を外した。
こそこそと二人で何にしようかと相談すれば後ろから俺はブレンドでと言われて思わず振り返ってしまった。
穏やかに柔らかく微笑んだそれを私は似ていると思った。
その笑い方も話し方もすごく似ている。
「どうしたの?」
そう言われて思わず首を振ってからメニューに戻る。
安田さんは黒糖カフェオレにするらしく同じ物にした。
二人で田中さんを見れば彼女も俯いたまま同じのとだけ言う。
代表して安田さんが纏めて注文してくれて私達の逃げ場はなくなりそのまま所在なさげにテーブルを見つめた。
白い化粧板で出来たそれは所々タバコの焦げ跡があり、真ん中には今時珍しい透明なガラスに切り込みの模様が入った少し大きい灰皿が置いてあった。
「さて、と。自己紹介して良いかな?」
と同じようにテーブルを見つめていたらしい安田さんと私に声を掛けたのは徹さんで、彼女は顔を上げた私達ににっこりとほほ笑んで見せた。
その作り笑いだと分かるような笑い方も似てる。
「俺は美沙の恋人の、一応彼氏の徹です。戸籍上の名前は雛子。佐久間雛子って言います。涼さんはもうご存じかな?」
雛子と聞いた瞬間に目を開いてしまった。
けれど彼女の言葉はそれだけじゃない事を示していてうんうんと頷けば、そう、と呟く。
安田さんがそれに戸惑ったようにえ?え?と声を漏らし、徹さんはそれにまた笑って口を開く。
「佐久間礼は俺の従兄弟だよ。ひとつ上の、ね」
彼女はそうあっさりと告げ、それにえ?と反応したのは安田さんだけじゃなかった。
田中さんも弾かれたように顔を上げている。
知らなかったんですか、と思わず私は田中さんを見つめてしまう。
「美沙はそういう煩わしい事を聞いて来ない子だからね、初めて言ったんだよ。さて、そっちの子は?」
彼女は前に下がってきた長い髪を後ろにふわりとごく自然に払いながら聞いてきてその仕草だけ取れば女っぽくて頭が混乱した。
昨日礼はこの人と会っていたのだと思えば、どうしても関係ないと言われているのに少し嫉妬する。
そっちの子といわれた安田さんが慌てて頭を下げてから名前を告げる。
「あ、安田明子です。あの美沙とはいつも一緒で」
その言葉を受けて徹さんは口元をそっと隠してから目をもっと細めた。
その仕草も私は知っている。
何もかも礼にそっくりなその人を不思議な思いで見つめていた。
しばらくそうしてから手を離し彼女はすっと笑みを消した。
「さて、それじゃあ、あんまり時間も無いし今回の話のあらすじを簡単に聞こうかな」
その言葉でどきりとしたのは私ではなく安田さんで、私と彼女と田中さんの三人が顔を見合わせて結局順番に話す事になった。
私の過去を少しだけ含む最近の一連の流れをそうやって話していれば徹さんは目をそっと閉じて聞き入っている。
飲み物が運ばれてくる頃やっとそれが終わりじっと黙って聞いていた徹さんはそっと目を開けて穏やかに微笑んだ。
「そう、やっとわかった。なるほど、それはあの礼も判断力が鈍るね。ちょっと状況が悪すぎたかもしれない……ま、その辺は本人から聞こうか」
と顔を上げて入り口の方を見たその目線を追って逃げ出したくなった。
そんな風に思うのを分かっていて彼女はわざわざ私をここに置いたんだ。
一番の当事者なのだから逃がすものか、と。
一瞬目を細めてから作り笑いを浮かべて、けれど大股で歩いてくるのは佐久間礼だった。
アンティークという店を見つけてそこに入って目を疑った。
見間違う訳ない。
安田や田中はともかく雛子と涼は別だ。
一瞬にして怒りがこみ上げけれどそれを隠したまま笑顔を浮かべて近寄る。
彼女らのテーブルの前に立ってから口を開く。
出来るだけ穏やかにそっと雛子を見て告げる。
「これはどういうサプライズなの?あんまり嬉しくないんだけど」
そう言えば彼女は俺を真似した笑みを浮かべて田中の横を指して言う。
「とりあえず座ったら?そんな怖い顔しても仕方ないでしょ?それとも尻尾まいて逃げだす?」
挑発するようなその言い方に、まさか、とだけ呟いて椅子を引き腰掛ける。
俺を除く全員の前に飲み物がありお冷とおしぼりを持ってきた店員にブレンドと告げれば田中と安田は驚いたように目を丸くした。
「さて、と。本当は礼と俺と美沙だけだったんだけど、ね。予想外に多くなっちゃったけど、答え合わせに行こうか」
そう雛子がにっこりと微笑んで足を組みその膝に片肘を着いて顎を乗せた。
それを見ながら、そうだね、とだけ答えれば他の三人がそれぞれに不安げな顔をした。
本当にこの面子が揃うなんて予想外だった。
本当は礼にだけ話す予定だったんだけどと心の中で思って小さく息を吐く。
そうだね、と答えた礼は相変わらず頭が良いらしく察しがついているのかも知れない。
というか消去法で行けばこの場でその可能性があるのは一人だけだ。
俺は美沙をじっと見つめてその時を待った。
けれど彼女より先に口を開いたのは俺の横に座る礼の婚約者だった。
「答え……合わせ?」
というその言葉に、俺と礼が同時に同じ口調で、そうだよ、と答えて思わず目を見開いた。
俺を目を細めて睨む礼に肩を竦めて見せれば彼が口を開く。
「涼には居て欲しくなかったんだけど、ね。俺は雛子に誰が画像を安田に見せたのかを調べて欲しいとお願いしたんだ、昨日」
彼の言葉に涼さんは目を見開いてから小さく息を飲んだ。
昨日の礼の話によれば彼女は彼が敵わないと思うほど頭の回転が速いらしい。
だから今ので誰だか確信したように彼女は美沙を見つめた。
もしかしたらどこかで疑問を感じていたのかも知れない。
美沙の口からよく話を聞いていた明子さんはもちろん答えを知っているのだからただ俯くだけだ。
礼も美沙の方に顔を向けて見つけていて、もう言い逃れは出来ない状況になったわけだ。
俺の予想が外れていて欲しいと本当は願っている。
無邪気だからという言い訳では済ませないような事を美沙はした。
俺と礼と涼さんに見れても美沙はただ俯いて唇を噛みしめるだけで、一向に話さず、苛立ったように視線を外し俺を見たのは礼だった。
その視線に眉を寄せてから小さく頷いてから息を吐く。
お前の恋人なんだからどうにかしろ、という事だろう。
「美沙」
そう出来るだけ穏やかに声を掛ければ潤んだ瞳で美沙は顔を上げて俺を見た。
だから彼女にしか見せない笑顔をいつも通り向けてやってまた口を開く。
「悪い事をしたらごめんなさいしないと駄目でしょ?それは分かるよね?」
その言葉に美沙が小さく頷いてまた俯いた。
「悪い事をしたらごめんなさいしないと駄目でしょ?それは分かるよね?」
という徹さんの言葉に心臓がどんどん速まった。
聞きたくない、と思った。
チョコレートをくれて抱きしめてくれた田中さんがそうだと本人の口から聞きたくなかった。
膝の上に置いた手が小さく震え始めそれに気付いたのは安田さんで私の手に手を重ねてくれた。
今は礼より彼女の方が良かった。
また俯いた田中さんに徹さんが口を開く。
顔は見えないけど口調はやっぱり礼にそっくりで本人が側に居るのにどっちがどっちだか分からなくなりそうだ。
「当事者を連れてきたのは美沙だよ。俺に話があったんでしょ?話してごらん。ちゃんと最後まできちんと聞くから、ね?」
その言葉のすぐ後に田中さんの嗚咽が聞こえた。
じっと見つめたまま居れば顔を上げた彼女と目が合った。
逸らしてしまいたくなるのを我慢して見続ければそのぱっちりとした瞳から涙がぼろぼろ零れ落ちる。
礼は何も言わずひどく冷たい目で彼女を見ていた。
「ごめっ……なさっい、あたっしが、明子にっ」
その言葉がショックで眩暈がしそうだった。
だって理由が分からない。
これが安田さんだったらまだ分かる。
安田さんが持っていて私が入社して恋焦がれる相手だったらそうしても仕方ない。
でも、どうして、田中さんが。
彼女にはちゃんと恋人が居るのに。
礼そっくりな優しい人が側に居てくれているのに。
「明子さんに?」
そうやんわりと尋ねるやり方も礼そっくりだった。
佐久間の家で育つとこうなるんだろうかと思う。
礼が大きく溜息を吐いてからこめかみを押さえる。
頭が痛いんだ。
「明子にっ写真っ見せてぇ……うぇっ……ごめんなさいっ」
がばっと頭を下げた田中さんに私は何も言えなかった。
何を言えばいいのか分からなく、けれど、ここから帰りたいとだけ思った。
きっとひどく青い顔をしていたんだと思う。
安田さんだけが私を心配そうに見ている。
「見せて?どうして見せたの?」
徹さんがまたそう尋ねるのに小さく首を振ってしまった。
目を閉じてこめかみを押さえてる礼にはそれは見えていなくて代わりに徹さんが私の背中に手を当ててくれる。
「……ちょっ……としたっ、いたっずらのっ……つもりでっ」
そう突っ伏したまま答えるその言葉に耳を疑った。
いたずら?
そんな軽い気持ちで人の過去を暴くような真似をしたのかと思う。
どうしてそんな事をしたのか理解できなかった。
だから弾かれた様に顔を上げて安田さんの手を払い除けてテーブルを思いっきり叩き付けた。
ばんっと音が立って飲み物が揺れて零れた。
はぁはぁはぁと肩で息をしながら立ち上がり浮かんでくる涙を袖で拭う。
礼が顔を上げ私をただ見つめていてその視線すら面倒で安田さんに言う。
「退いてください」
恐ろしいほど冷たい声で言ってしまって彼女がびくりと体を震わせてから横の席にずれて空いた隙間をすり抜けて早足で見せを抜ける。
鞄も脱いだコートも置いたまま店のドアを抜けてそこから走って逃げた。
一秒だってそこにはもう居たくなかった。
やっぱり由香里さんの所に行けばよかった。
そうしたらこんな話聞かないで済んだのに。
礼も徹さんも田中さんも、黙っていた安田さんも無神経すぎる。
走りながら何度も涙を拭って転びかけて立ち止まったのは会社の前だった。