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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十五話 宙に浮くのは二人の気持ち
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15-5 それぞれの疑惑

二人がそれからどうでも良いような事を話し始め、会話に入りずらかったあたしはトイレに立って鞄から携帯を取り出した。

事態はもんのすごく悪い方へと転がっている。

昨日のカラオケでイヤリングなんてしていったのかと聞けば明子はへらへら笑いながらしてったーと明るく言い、その時点で嫌な予感はしてたんだ。


便器に下着を下さないまま座り電話を掛ける。

本当はこんな話したくないけれど、もう、仕方ない。

頼れるのはあいつしか居ない。

携帯を持つ手が震えた。

いつか撮ったプリクラの二人で仲良くキスをしてる待ち受けが目に入って涙が浮かぶ。

それでもロック画面を解除し、履歴に一番多く残るその人に電話を掛けた。

コール音が鳴り響き出ないかと思えばその人は電話口でやんわりとした口調で話しかけてくる。


『あら、美沙ちゃん。どうしたの?』


その口調をあたしは知っている。

あたしの前では使わないそれは彼の本来の姿だ。

ぐすっと鼻を啜り何も言えないあたしに彼は間を置いてから告げる。


『ちょっと待ってらしてね?』


それから電話を離して誰かに同じ口調で席を外すことを伝えしばらくすればまた声が響く。

さっきとは打って変わった落ち着いた声音。


『で、どうしたの?こんな時間に美沙が電話してくるなんて珍しいけど』


すっかり徹モードになったその声についにしゃくりあげて泣き出してしまう。

あたしと徹の間では佐久間の事は暗黙の了解のようにタブーになっている。

一度もその話をしたこともなければ尋ねた事もない。

その話をこんな場所でしないといけない状況を作ったのはあたしだ。


「あのっ、ねっ。会社っ……の、子っがっ、しゃっちょのこいっび、とでぇ」


途切れ途切れに言えば彼は溜息を吐いてから優しい声音で告げる。


『あぁ、笹川涼さんの事?聞いたよ、礼から』


それはひどく冷たい吐き捨てるような言い方で思わず嗚咽が止まった。

どうして知っているのだろうと思う。

それから彼は社長の事を礼と呼んだ事に驚いた。


『美沙?聞いてた?』


そう言われて慌てて、うん、と返事をすれば彼は声を潜めて囁くように早口で告げる。


『誰かに見つかるとまずいから、夕方空けといて。調整して会いに行くよ。また連絡するね』


そう矢継ぎ早に言われそれっきり電話が切れた。

振り絞った勇気は中途半端なまま宙ぶらりんになった。






田中さんがトイレから出てくるのを待って三人で別々にお会計を済ませて会社まで歩く。

その道中、思い出したように笑顔のまま安田さんに声を掛けた。


「そういえば、今はお互いに干渉し合わない事になってますから。いくらでも誘っていただいて構いませんよ。後からごちゃごちゃ言ったりしませんから」


そう告げれば彼女は怒ったような顔をして真っ赤になって声を低くして言い返してくる。


「しませんっ!!そんな言い方するなんてひどいっ」


そう言われてにやりと顔を歪めてから鼻で笑う。

それを見て彼女はまた不安そうな顔に戻る。


「喧嘩を売ったのは貴方ですよ。最も、前にも言った通り、貴方じゃ彼の隣りはきっと務まりません。私だから一緒に居れるんです」


そう言い切り笑って見せれば彼女は悔しそうにけれどどこか安心したように頷いてから笑って二人で歩調を合わせた。

ところが田中さんは一歩遅れて着いてきていてちらりと振り返って見れば私の視線にも気付かないほど肩を落として歩いていた。

普段ならあんな風に言えば笑いそうな私の言葉も彼女の耳には届いていないようでさっき少しだけ浮かんだ疑惑を裏付けているようだった。






笹川さんとエレベーターの中で別れて美沙と二人で部屋に戻れば、トイレから戻ってから一言も発していない彼女がへろへろと自分の机に戻ってキーボードを奥に押しやって突っ伏す。

その姿を見ながら私も同じように机に座って声を掛けた。


「どうしたの?」


彼女は私の問いかけに首を小さく横に振るだけで顔は上げてくれなかった。

あけれ果てるくらい呑気でいつも明るい元気だけが取り柄のような彼女のその姿に驚き、キーボードに置いた手を動かさずにまた声をかける。


「おなかでも痛いの?」


そう聞けばまた首を小さく振るだけだ。

埒が明かないと小さく息を吐き、とりあえず優しい言葉を掛けておくことにする。


「巻き込んで悪かったわね、仕事しろなんて言わないからせめて顔は上げてくれない?」


懇願にも似たそれにようやく彼女は顔を上げ、私の顔を見れば顔をくしゃくしゃにして涙を目に湛え始めた。

余りのことに驚き声も出せず瞬きもせずに彼女を見つめればボロボロと涙を流しながら告げてくる。


「あたしこそっ、ごめんなさいっ。明子も笹川さんも巻き込んで!!」


泣きながら頭を何度も下げるのを見守ればまた彼女が頭を起こしたまま口を開く。


「あたし、もう、ダメかも。多分、ダメ」


そう言ってからまた突っ伏しておいおい泣き始めようやく固まっていた体が動き始める。

何て声を掛けようかと考えてから口を開く。


「大丈夫よ、誰にも美沙が見せてくれたなんて言わないから」


そう慰めるように言えば強い口調で違うの!!と言われ閉口した。

泣いている理由すら分からないのに違うとまで言われたら打つ手がない。

困り果てる私に彼女は顔を上げ涙に塗れた目で縋るように見つめながら口を開いた。


「明子ー……」


そう呼ばれ何?と返事をすればべしょべしよと泣きながら訴えかけてくる。


「あたしが落ち込んだら、慰めてくれるよね?絶対慰めてくれるよね?」


そう意味も分からず聞かれけれど彼女は私に同じ事をしてくれたのだから、と頷けばまた彼女が口を開く。


「ほんと?ほんと?」


それにまた頷けば彼女は泣き止んでやや迷ってからまた口を開いた。


「今日の夕方予定ある?あたし、カレシに会うんだけど一緒にきて欲しいの。理由は行けば分かるから」


そんなこと言われても、と思う。

失恋したばかりの私に幸せそうな姿は正直堪えるだろう。

それでも、縋るようなその馬鹿で駄目で仕事をしない、けれどいつも優しい後輩にノーは言えなかった。

行くと伝えれば彼女は泣きながらようやく笑みを浮かべた。

彼女は自分の恋人に私を会わせてどうしようって言うんだろう。







溜め息を吐きながら手帳を開いてるここは俺のオフィスだ。

礼ほど広くはないけれど、他の社員より一回り大きい机と不相応な立派な椅子がある。

美沙には教えて居ないけれど不労収入だけでなくきちんと働いている。

礼ほどの立場では無いが父が代表のここ佐久間運輸株式会社に就職して二年、専務という肩書きが付いて二年になる。

大学を卒業してからの最初の二年は所謂花嫁修業をさせられた。

華道に茶道に日舞に社交ダンス、その上和洋折衷の料理まで二年間休みなく彼の妻となるべく勉強をし、その後はやることの無くなった俺に男の仕事の辛さを学べと半ば強制的に就職させられた。

お金を稼ぐ事は悪くないと思っている

両方の収入を合わせれば、美沙と逃避行したとしてもしばらくは暮らしていける。


俺は適当な男を見つけてヒモにするつもりでいる。

もちろん父は夫となった男を俺のようにそれなりの役職に置きたがるだろう。

そうなった時に糸を操れるようになっておくのも悪くないと思っている。

そのためにも礼には家柄なんて関係無く結婚して貰いたい。

そういう前例を彼が作ってくれれば俺もやりやすくなるからだ。


美沙の突然の電話には正直驚いた。

あまりにタイムリー過ぎるだろう。

その上彼女から礼の恋人という言葉まで飛び出せばただ事でないのはすぐに分かる。


まさか、ね。と思う。

美沙もまた笹川涼に似通った過去を持っている。

彼女の場合は自ら進んでそういう方へと進んだのだから笹川涼とは違うのかもしれない。

だから、無邪気過ぎる節がある。

俺はそういう美沙を可愛いと思い、心から愛している。


けれど、今になって思えば美沙なら笹川涼の昔の男と顔見知りで合っても可笑しくないとまで思う。

そう思ったきっかけはやはりあの電話で、長く一緒に居て一度も話題にすら出さなかった礼の事を告げた。

それも号泣しながら伝えてきたんだ。


それでも何もないと思うほど俺は馬鹿じゃない。

幸い予定はどうにかなりそうだし、と携帯を出して彼女メールをすればすぐに分かったとだけ素っ気なく返ってきた。


「さてと」


と呟いてから携帯をしまい今度は外線で電話を掛ける。

その先の人物は俺が電話を掛けたことにひどく驚いたようだが、すぐにいつもの穏やかな調子に戻ってから、どうしたの?と告げてきて溜め息混じりに口を開いた。







直通の電話が鳴ったのは昼休憩が終わってから大分過ぎた頃だった。

終業まで折り返しといったその時間は割合とお互い暇があるのを分かって掛けてきているのだろう。


「どうしたの?」


そう告げれば大きすぎる溜息を吐いてから雛子が口を開く。


『ちょっとな、問題があってさ。今日夕方空いてねぇ?』


昨日会ったばかりだと言うのにそう言われて思わずえ?と返せば彼女はひどく言いづらそうに告げてくる。


『犯人に会いたいだろ?』


その言葉にごくりと喉を鳴らした。

涼は衝立の向こうに居てこちらは見えて居ない。

彼女に聞こえないように声を潜めて雛子に答える。


「相変わらず仕事早いね。もう見つかったの?」


好奇心に似たそれを隠すことなく笑みを浮かべて言えば彼女は小さく、ああ、と同意した。

それからまたあっちから口を開く。


『礼の彼女も来れねぇか?』


そう言われてうーんと唸り電話の送話口を掌で隠して衝立の向こうに声を掛ける。


「笹川君」


そう言えば衝立の向こうでガタガタと音がして椅子をずらしたらしく顔だけがそこから飛び出した。

電話中と分かっているらしく、声は出しては来ない。


「今日夕方空いてる?」


まあ昨日の今日で予定なんて無いだろと思い聞けば意外にも彼女はうーんと顔を顰めた。

それから口を開き小さな声で聞いてくる。


「業務ですか?」


つまりそれは残業かという質問で正直に首を横に振れば彼女は両手の人差し指でばってんを作って見せそのまま奥へと引っ込んだ。

それに驚きながら送話口から手を外して雛子に彼女の答えを告げる。


「無理……みたい」


そう言えば彼女は、あ、そう。と返事をしそっちに行くから十八時に最寄り駅でとだけ告げて電話は切れた。

受話器を置いてから涼の居る衝立の向こうを見つめるも、キーボードを叩く音だけしか聞こえなかった。

昨日の今日で一体何の用事があるんだろうとたんぽぽの綿毛が飛ぶくらいにささやかに不安を覚えた。







キーボードを叩く手を止めて電話が終わったらしい礼の方をちらりと見る。

距離を置いたはずの私を誘うのだから大事な用だったのだろうと思い、けれどしつこく誘うわけではなかった態度にそうでもないのかと思い直す。

結局、どっちだろうかと一人首を傾げてから、本当に別れたらこんな風に思うのかと認識した。

今は口に出していない物の元の鞘に収まるつもりでいるからこそ、呑気に考えているけれど、そうじゃなかったらやっぱりとてもじゃないけど働けないと思う。


そうなったら田舎に帰ると口から出任せのように告げたけれど本当にそうしないと、こっちでは暮らせない。

会おうと思えば会える距離に居れば絶対に連絡してしまう。

彼は優しいし自分のせいで別れたと言う負い目があるのだから、きっと会ってくれるだろう。

その上私が我が儘を言えばそれを聞いてくれる。


それはいけないこと、だ。

私が汚かったように、礼が汚れてしまう。

私と共に汚く薄汚れてしまうのはかれのためにならない。


そんな風に考えて自分がまるで別れる事を前提にして考えている事に気づきはっとする。

そんなつもりは無かったのにもしかしたら心のどこかでそれを望んでいるのかも知れない。


彼を愛すると言う事を諦めて身を引き田舎に帰れば私達はまた違う人を見つけてそれぞれに幸せを追い求めるだろう。

そっちの方がずっと、まとも、だと思っているのかもしれない。


小さく息を吐いてから椅子を引き立ち上がりミニノートを閉じた。

それから衝立の向こうに出て上司に一声掛ける。


「ホッチキスの針が無くなったので安田さんの所へ行ってきます」


その言葉に顔を上げた礼の顔は不安そうだった。

多分安田さんに会いに行かせたくないんだろう。

そう言えばきちんと話をしていなかった事を思い出し笑みを浮かべて口を開く。


「もう安田さんにはお話したんですよ、昔の事を」


そう言えば彼は目を見開いて固まりそれに頭を下げてからそっと部屋を出た。

あんまり顔を見ていたく無かった。

そのまま別れても良いと告げてしまいそうだった。

俯いたままドアを閉め足早に逃げるように階段へ向かった。

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