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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十五話 宙に浮くのは二人の気持ち
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15-2 私の決断 二人の罰

二日酔いにも似た症状が結局出てしまいぐったりとテーブルに突っ伏している。

あれからしばらく吐き続け、何も出なくなってからトイレを後にした。

吐いた後は水分を取らないといけないのは分かっていたけれどそんな気にもなれずテーブルに座るや否やずっとそこで突っ伏し目を閉じていた。

頭痛もし寒気までする。

水分を含んだバスローブは体の体温を奪っていくし、口の中は胃液が残っているのか不快な味しかしない。

背後から足音が響き体がそのまま固まる。

涼がどんな風に思っているかを考えれば怖くてたまらない。

彼女は祐樹に似て頭が良い。

だからもうわかっているはずだ。


「礼?寝ちゃってます?」


そう真後ろに立った彼女が声を掛けてから俺の背中越しに顔を覗き込んできて目を閉じる暇もなく彼女の視線を捉えた。


「よかった、起きてて。風邪引きますよ」


そう笑顔を浮かべて言うと体を戻してから和室へと入ってすぐに戻ってきた。

手には一昨日着ていた服が乗っている。

それを突っ伏したままの俺の目の前にそっと置きそれからキッチンへと消える。

つまりは着替えろということなんだろう。

起き上がり立ちあがってバスローブを脱ぎのろのろとそれに着替えれば洗ったばかりの清潔なそれは素肌に気持ちよく、暖かかった。

手にミネラルウォーターを持って戻ってきた彼女はわざわざそれの蓋を開けてから一度閉めてテーブルの俺の席へと置き、床に転がったままのバスローブを手に洗面所へと向かう。

着替え終わり椅子に座り、ペットボトルを手にして口をつけ傾ければ、冷たい水は痛んだ喉を落ち着かせるように冷やしてくれた。

空っぽになった胃袋に水が満ちて頭痛が少し治まったような気がする。

空手になった彼女が戻ってきてから向かいの席に座って俺を見て笑顔を浮かべた。

それからやや間を置いてから口を開き俺に告げる。


「駆け引きとか面倒なので、単刀直入に聞きますね」


そう言いながら洋服のポケットからあれを取り出して俺と彼女の間にそっと置く。

音も無く置かれたそれは暖色の蛍光灯の下でも輝いて見えた。

それに目を取られ睨むように見つめれば向かい側から彼女の声が降ってくる。


「安田さんと寝たんですね?」


そう言われ眉を寄せてしまった。

単刀直入と言ってはいたけれど、それ過ぎるその言葉は俺をぐさりと刺し殺さんばかりに痛めつけた。

顔をゆっくりとあげて彼女を見ればその顔はまだ笑っている。


「寝たんですよね?」


もう一度そう言われて小さく頷けば一言、そうですか、と言うだけだ。

浮気がばれたらこんな感じに責められるのだろうかと思う。

というか、浮気以外の何物でもないのだと再認識する。

理由がどうであれ婚約中に他の女性に手を出したのだから慰謝料物だろう。

俺が眉を寄せたまま黙っていれば彼女は笑顔を絶やさぬまま口を開いた。


「どうしてですか?違うと思いますが、私より安田さんの方が良いのなら身を引きますよ。彼女となら要らぬ心配をせず上手く事が運ぶでしょうから。仕事も辞めて田舎に帰ります」


淡々とした口調は恐怖さえ感じた。

浮気がばれて責め立てられるのとはまた違う。

ただ彼女は俺を責めている訳じゃ無いのだとその口調で思い首を小さく振った。

笑顔を浮かべたまま言われるとは思っていなかった。

涼なら口調を荒くして怒鳴るよりはただ泣くと思っていた。


「そうですか。ではもう一度聞きますね?どうしてそうされたんですか?」


そう静かに言われて俯いてしまった。

正直に理由を話せばそれは彼女が心を痛めるだけだろう。

安田が画像を持っていて見せられたなんて事は出来れば隠し通したい。

今の段階でそれが存在しているのは俺の両親が持っているだろうと予測しているそれと明という男が持っている分しか存在していないと思っているのだ。

それをわざわざありますよなんて教える訳にはいかない。

答えない俺に彼女はまた口を開きその一言に顔を思わず上げる事になる。


「見せられたんではありませんか?私の写真を」


弾かれた様に顔を上げた俺をまだ笑ったまま見つめている彼女は本当に俺の知っている笹川涼なのだろうかとすら思った。

こんな風に強い子じゃなかったはずだ。

心も感情も体も物凄く脆く弱く、すぐに落ち込んで、殻に閉じこもるタイプだったはず。

どうしてそれを知っているのだろうとさえ思う。

安田明子がそう彼女に言ったのだとしたら俺は彼女を許せない。


「私もだいぶ前にそれを見せられましたよ、安田さんに」


そう言ったその顔から笑顔が消え彼女は目を伏せた。

その言葉に愕然とし思わず口を開いてしまう。


「だいぶ……前?」


そう呟くように言えば彼女が小さく頷いてから顔を上げ今度は笑みではなく申し訳ないという表情すら浮かべている。


「入社したその日に。黙っていてごめんなさい。話していれば少なくとも礼を傷つけるような事にはならなかったのに」


頭をそう言って下げた彼女に何も言えなかった。

というか頭が混乱した。


知っていたという事実が信じられなく、そんな素振りすら見せなかった彼女はどんな思いで半月過ごしていたのかと考えれば悔しくてたまらなかった。






「言ってくれればよかったのに」


ぽつんと礼が呟き下げたままの頭をそっと上げてから首を振った。

そうすれば彼は眉を寄せ怒ったような顔すら浮かべる。


「ごめんなさい」


もう一度謝れば彼はテーブルの上に置いていた両手を握りしめてそれに頭を乗せた。

自分がした事がまったくの無意味だったと思っているのだろうと思い口を開く。


「礼が安田さんを抱いてくれたおかげで、彼女は後悔したみたいですよ。今日の態度はそれまでとは全く違っていましたから。だから」


そこまで言ってから彼の頭が乗っている両手の握り拳にそっと身を乗り出すように倒して両手を添える。

彼はそのまま動かず吐息だけが聞こえた。


「ありがとう」


そう小さく言えば彼はそっと頭を上げその顔には涙があった。

そう伝えようと思ったのは着替えてる時だった。

世間一般的に言えばどんな理由があれ彼がやった事は道徳に反する。

誰だって彼を咎めるだろう。

けれど、私達だけの今までを振り返れば少なくとも私は彼を責められない。

どうしてそうしたのかだって分かってしまう。

私が知っていた事に驚いた彼を見てそれは確信に変わった。

彼は顔を上げてから首を左右に何度も振って口を開く。


「お礼言われるような事、してないから。本当にごめん」


その謝罪を受けて私も首を振った。

謝られて当然だけれどそうさせたのは私の責任に他ならない。

瞬きをする度に涙を流す姿を見れば心が痛んで私まで泣きそうになる。


「良いんです、とは言えません。やっぱりショックでした」


だけどやっぱり嘘を吐きたくなくてそう告げ触れていたその手を離して座りなおす。

問題はここからだ。

ここから先は私一人では決められない。

彼がそれに倣うように椅子に座り手の甲で涙を拭うのを待ってから口を開いた。

笑わないといけないと思って笑顔を作る。


「何もなかった事には出来ませんよね」


そう言えば彼は傷ついた顔をしてから小さく頷いて口を開いた。


「別れようって言われても仕方ないと思ってるよ。涼の判断に任せるよ、俺にはそれを決める資格すら無いから」


そう諦めに似た感情を秘めて言われて、ぐさりとそれは心に突き刺さった。

望んで彼がそうした訳ではないのに、その事実は確実に二人を苦しめている。

笑って私が許してしまえば良いのだと、思う。

笑って私が我慢して水に流してしまえば無かった事に出来るのかもしれない。

けれど、人並みの嫉妬心と独占欲はそれを許さないだろう。

表面上はそう繕えても心の中にそれはきちんと残り、次に何かあった時にそれを引き合いに出さずにはいられないと思う。

どんなに私が彼を愛していたとしても、彼が私を思ってしてくれた事だとしても、超えちゃいけない一線を彼は越えてしまったのだから。


「私一人で決めて良いですか?」


そう言われるだろうとは思っていたが念のためにそう確認すれば彼は小さく頷いてからため息を吐いた。

顔がやつれて見えるのは吐いたからだけじゃないだろう。

けれど、正直この先の話は考えていなかった。

どう彼が出てくるか予想しかねていたし、概ね予想通りではあったけれど、それを考えるのは苦痛だった。

別れたい訳じゃない。

どっちかと言えば水に流し、今まで通りで居たいとさえ思ってしまう。

けれど今まで通りにはいかないだろう。

彼はやっぱり遠慮をするし、私もそうしてしまう。

そうやって出来た溝は人間関係にとっては致命的だ。


「それじゃあ、言いますね」


頭の中はまだ暴風が吹いているように落ち着いていないけれど明日まで考えさせてくださいとは言えない。

そんなに長く彼を苦しめるのは嫌だった。

もう充分過ぎるほど苦しんでいるのを見たから。

だから今から言うのは私と彼への罰だ。

お互いが身勝手に相手を想ったからこそ起きた不測の事態に対する、それを半分こする。

浮かんだそれはお互いがお互いを愛して大事にしている気持ちを利用する物だった。

彼が私の言葉に身構えて顔を上げけれどまっすぐに見つめてきた。

私もそれに応え彼をまっすぐ見つめる。


「まず、しばらくは一緒に寝るのは控えます。お風呂も一緒に入りません。家でも佐久間さんとお呼びします。手を握るのも抱きしめて貰うのもご遠慮いたします。もちろんキスもしません。普通に会話をしますが好意を伝える事は私もしないので、佐久間さんもしないでください」


そう言えば目を丸くしてから困った顔をした。

けれどそれはどこか安心したようにも見える。

だからにっこりと笑ってから続きを言う。


「私はここ以外に行く家もありませんので、ここに置いて貰うより他ありません。ですからひとつ屋根の下は変わらないけれど、事実上、一度別れましょう。距離を置くという事に近いかもしれません。その間、お互いの生活に干渉せず、私は佐久間さんを許せるのか、佐久間さんも何も言わなかった私を許せるのかちゃんと考えて、それから、またこうやって話し合いましょう。許せないと思うのならそこで別れるのか続けるのか考えた方が良いと思います」


私の言葉を受けて緊張の糸が切れたように息を吐き彼が口を開いた。


「つまり同棲じゃなく同居をするっていう事だよね?付き合う前の状態に戻すっていう認識で合ってる?」


そう言われて何度かうんうんと頷けば彼は目を一度閉じてからわかったと返事をした。

それから私は立ち上がり彼に頭を下げて告げる。


「それではもう寝ます。おやすみなさい」


彼はちいさくおやすみと返したまま動かず私はそのまま自室へと向かった。


別れるのは嫌だった。

けれどあのままも嫌だった。

だから一番簡単に、けれど、お互いが寂しい方法を選んだつもりだ。

今はどちらも実感が湧いていないけれど、明日になればそれを痛感するだろう。

家でも職場でも顔を合わせる大事な人に何も言えず何も出来ないのは相当堪えるはずだ。


もう、付き合う前になんて戻れない。

別れても友達になんてとても出来ない。

だから選ぶとしたら本当にどちらかしか無い。

別れて金輪際会わないか、続けて結婚するか、どちらかしか有り得ない。


自室のドアを開け入ってからそれを閉めてその場に立ち尽くす。

去り際に持ってきた金色のイヤリングを強く握りしめたまま俯いてそこで初めて静かに泣いた。

誰を憎むでもなく、怒りを向けるでもなく、ただ、自分のせいだと自分を責めながらその場で涙を流した。

半分こした罰は決して軽くならない。

むしろそうした事でただ重くなる一方だった。

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