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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十五話 宙に浮くのは二人の気持ち
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15-1 疑惑と確信と推測

宙に浮くのは二人の気持ち



涼が出て行く足音を聞いて浴槽から出る。

そのまま洗面所を見ればやっぱり彼女は居なくて代わりにどこかの部屋のドアが閉まる音が聞こえた。

その行動に疑問を抱きながら風呂場を出れば水が床に落ちていてバスタオルで軽く体を拭いてからバスローブを羽織りそのタオルを持って水滴を追う。

その先はどういう訳だか俺の部屋で、首を傾げながらドアを開けようとすればそこは鍵が掛かっていた。

がちゃがちゃと何度かノブを回しても開かず、ドアをノックする。


「涼?」


中からは物音ひとつ聞こえずもう一度ノックをしたがそれは一緒だった。

鍵は内側からしか掛けれず、外側からは平べったい何か、例えば十円玉なんかで開けられるような簡単な物で、財布を取りに行くか悩む。


「涼?どうしたの?開けて」


軽く叩いていたノックはどんどんとその音を大きくしていて、それでも彼女は中から返事をしなかった。







ノックの音に最初びくっと体を揺らした物の簡単な鍵はいつ開けられるか分からないから返事もしないで床に這いつくばって探す。

ここじゃないなら、それでいい。

ベッドの上を探さなかったのは礼が寝具のカバーを全部変えてしまったからだ。

もしベッドの上に落ちていたとしてもそれは既に床に落とされているだろう。

あれだけ温まっていた体がどんどん冷えて冷たくなるのに、ちっとも寒いなんて思わなかった。

ベッドの下の隙間を覗いていたその時、端の方が光った気がした。

細く小さい腕と手が活躍しそれに限界まで手を伸ばして近付ければ指先が触れる。

押し込んでしまわないように気をつけながら手繰り寄せきちんと掴んでから手を引き抜けば、埃だらけになったさの先の掌には金色のメッキがされている小さなイヤリングが片方だけ乗っていた。


それを見た瞬間に涙が溢れた。

無ければよかったと思う。

無ければ私の疑惑だけで彼が肯定しなければそれで終わりだった。

安田さんからの電話でも、ここを探す事は無かったかもしれない。

電話の内容を礼に伝え、一緒に探して、彼がどうにかしていたかもしれない。


ノックの音が止んでいた事に気付いたのは彼がドアを開けてバスローブ姿で入ってきた時だった。

咄嗟に握りしめていた右腕を背中に回して俯く。

泣いているのも今は見られたくなかった。







結局財布を取りに行き、十円玉で開けてから財布を持ったまま中へ入る。

涼はベッドの脇に立ったまま俯いていて戸棚に財布を置いてから近寄る。

ぽたぽたとまだ髪からは水が滴り落ちていて持って来たバスタオルで体から拭いてやる。


「風邪ひいちゃうでしょ」


少し怒ったように言っても彼女は何も言わず不自然に右腕だけを背中に回したまま固く銅像のように動かなかった。

抱き締めるように背中とそれを拭いてやり頭を拭こうと態勢を戻して、バスタオルが酷く汚れた事に気付く。

埃が水分を吸って黒くなった小さな塊がいくつもそれに付いていた。

思わず手を止め彼女を見れば相変わらず俯いたままで動かない。


この部屋は彼女がきちんと掃除をしてくれているから埃なんて落ちていない。

たった一日二日で埃が生まれる程ここに居るわけじゃないからこんな物が大量にあるわけがないと思って、掃除機が入らない狭い隙間がひとつだけある事に気付いた。

目線を落としそこを見れば水がうっすらとついていた。


ベッドの下、そこは俺はもちろん涼も断念した場所だろう。

床に五センチ程しか隙間が無く、どうしたって掃除しにくい所だ。

けれど例えそこだとして彼女はどうしてそこに手を入れる必要があったんだろうか。

何かあったって言うのかと考えれば鼓動が速くなった。

手が止まった俺をようやく見上げた彼女は涙を流していた。






礼はいつもの礼に戻っているように見えた。

浴室で死のうと誘ってきた姿はどこにもなく、けれど、それがどの礼なのか分からない。

彼は体を拭いてくれて、けれど、バスタオルを見て固まった。

埃がそれについたのだろう。

人より頭の良い彼ならすぐにどこからそれを持って来たのか分かってしまう。

だからそっと顔を上げて彼を見た。

充分に考える時間は与えたのだから、もう良いだろう。


「涼」


小さくそしてひどく絶望的に彼が私を呼んで返事の代わりに小さく頷いてみせた。

口を開いたら今は何を言うか自分でも分からない。

どうして彼がそうしたのかは考えれば分かる。


安田明子に脅迫されたんだろう。

そうせざるを得ない状況に、きっと、あの画像だけでなくもっと何か大変な事態になる事を提示されて。


彼がタオルを落として数歩私から下がった。

顔が酷く歪んで泣きそうな顔をしている。

いつもなら呼びとめていたそれをあえてそうせず右腕を前に出して開いて見せた。

それを彼が覚えているのか、それとも私の勘違いなのか、昔の女の物なのか、これでようやく分かる。


彼が安田明子を抱いたかどうか、も。


彼の視線は私の掌を確実に捉え、それから、右手を口にあてた。

眉を寄せ小さく呻いたそれが、彼がどういう状態なのかよく分かった。

けれどそうするならここで無く、トイレでして欲しいと単純に思う。

この時間から酔っぱらったまま掃除をするのは正直面倒だ。

だから思わず口を開いた。


「吐くならトイレにしてください。それかタオルの上で」


冷たく言い放ったその声に自分でも驚き、もしかしたら私は怒っているのかもしれないと思う。

彼はその言葉に何度か頷いてから部屋を出てトイレに向かった。

彼がこれを見て吐く理由はひとつだと掌のそれを見直す。

これが彼が誰かとセックスした証拠だからだろう。

そういう事をしなければ彼が吐く理由にならない。

ひとつ息を吐いてからそれを握りしめそのままトイレに向かった。

廊下に出れば薄く開いたままのドアから嘔吐する音が聞こえている。






雛子と飲んだワインも一緒に食べた料理も全部吐き出してそれでもまだ吐き足りないらしく胃液を吐いていればドアの向こうから涼の声が響く。


「大丈夫ですか?」


遠慮がちにさっきとは変わっていつも通りの優しい響きに吐き戻すのを止めればそれを待ってからまた彼女の言葉が耳に届く。


「落ち着いたらリビングで待っていてください。私はお風呂に入り直してから行きますから」


ドアは開けてあるのだから入ってきて背中をさすってくれるのかと思った。

けれど女物の貴金属を俺の部屋から探し出した為か彼女はそうしてくれず足音が去っていく。

何て事になったんだと思う。

何も無く突然ベッドの下を探すなんて暴挙に出るはずも無く、掛かってきた電話からすれば誰かに言われたのだろう。

彼女にそれを告げる可能性があるのはたった一人しかいない。

昔付き合っていた女が彼女の電話番号を知るわけないんだから。


つまり、それは、安田明子を明確に示している。


そう名前だけでも思い出せばまた吐き気が襲ってきて便器を抱えて口から大量の胃液を吐きだすしか出来なかった。






すっかり冷めてしまったし右腕は汚くなったしでもう一度湯船に沈む。

持ってきてしまった金色のイヤリングは相変わらず右手の中にあって水中で揺れてきらめいて見えた。

実の所を言えば動揺はしたけれど、怒っては居ない。

予想出来ていたというのもあるし、何より礼からそれを提示して居ないのは明確だからだ。

けれどやっぱりショックはショックだった。

怒りをもしぶつけるとすればそれは私に対してだろう。

そうせざるを得ない状況に陥らせたのは多分私の過去の事だ。

もっと早く過去を彼女にしておけばよかったのかも知れない。

そう例えばあのランチの席で。

そうすれば同情を誘い、少なくともこういう事態は回避できたのかもしれない。


何にせよ、行動が遅すぎた。

彼に知られないようにと黙っていたのが裏目に出ただけだ。

だから怒りが沸く訳は無い。


それでも起きてしまった事は事実で覆水は盆に返らない。

流れ出したそれは染みを作るだけだ。

そうなれば考えないといけないのは過去を振り返り後悔する事では無く、今後の事になる。

想像以上に私はわたしや『私』や明によって作られた私よりずっと前向きでポジティブなようだ。


礼はどうするだろう、と思う。

単純に謝るのか言い訳をするのか、それとも何も言わないのか。

何も言わないくらいなら何か言われた方が気が楽になる。

彼は自分を責め後悔しているからこそ一緒に死のうかとまで言ったんだろう。

私が彼が脅迫されていた事を知らないように、彼もまた私が彼女の脅迫されている事を知らない。

だから彼はきっと、安田明子が画像を持っている事すら話さないだろう。

私にその事を告げるのは酷だと思うはずだ。

そう考えればまず最初に話すべき事は大まかに決まってくる。

ふやけてきた指を見つめながら右手を水面から出して指先でそれを摘まんだ。


これが偶然落ちた物なのか彼女がそうしたのか分からないけれど、指先で摘まめる程小さな物なのに、存在だけは無駄に大きく見えた。

湯船からそれを棚に置いて頭と体を洗う。

たっぷり時間を掛けたのはあのホテルでも礼はすぐに動けなかったからだ。

多分今回も、いや今回の方が時間が掛かるだろう。

内臓まで吐きだしだった音を思い出しながら頭を下げたまま泡を洗い流しコンディショナーをたっぷり付けてからまた洗い流した。

よくそれを落としてから体をシャワーで流し、もう多分入らないだろうと浴槽の栓を抜いてイヤリングと彼の携帯を持って浴室を出る。

着替えは当然無いからバスタオルで頭と体を拭ってからそれを巻きつけて自分の携帯も持って廊下に出た。

トイレのドアはもうきちんとしまっていて、そこに彼が居ない事を示していて、けれど、急ぐ気にはなれなくて自室へと戻りのろのろと着替えてから自分の携帯だけを置いてそこを出た。

濡れたままの髪はそのまま肩にバスタオルを掛けて垂らしてある。

さすがにドライヤーまで掛けるのは待たせているから気が引けてリビングへと向かった。

竹野のipod nanoさんがどっか消えてしまいました。

家の中で迷子ってどんだけだよ。

家事も小説もまったく捗らない。

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