14-12 たのしいたのしいばすたいむ?
かくれんぼをしていて見つかった時に似ていると思った。
数少ない経験のそれは子供心にすごく刺激的な遊びだった。
こっちを振り返った涼の横顔に戸惑いが生じて俺は彼女の体を自由にしてやればすぐに体ごとこっちに向けてくる。
いずれは話さないといけないとは思っていたのだからと、笑みを深めて濡れた手でその小さな頭をそっと撫でる。
「そんな顔しなくても、大丈夫。言ったでしょう、同性愛者だって。雛子は俺に結婚して貰いたいって思ってるから、ね。いつだって味方になってくれるんだよ」
彼女は怪訝な顔をして首を傾げ俺がそれ以上何も言わないのを見てから小さく頷いた。
よく分からないけれど分かりましたとでも、言うように。
撫でる度に濡れていく艶やかな髪がしっとりと彼女の地肌に張り付いていく。
「いつか雛子に会いに行こうね。向こうも会いたいって言っていたし、出来れば仲良くなって欲しいと思ってるんだよ。雛子はね、とっても優しくて良い子だから」
口が多少悪いけれどまだ会っていない涼の為に雛子は画像の出所を探るとまで言ってくれたそれを思い出しそう言えば涼は小さく口を開いた。
遠慮がちにけれど怪訝な顔をしたまま俺に尋ねてくる。
「どうして……今頃チョコレートを送ってらっしゃったんですか?」
その言葉に酷く驚き苦笑いを浮かべる。
女ってそういう所を気にするのかと彼女の頭から手を離して口を開く。
「雛子が男でも女でも無いから。高級なチョコレートだったのはそれだけ俺を親戚として友達として従兄妹として好きだっていうだけの意味。本当に雛子とは何も無いよ。抱き締めたりはするけどね、それは……兄妹みたいな感覚だから」
そう告げれば彼女の顔には疑惑と疑問が入り混じっていて決して笑顔は浮かばなかった。
同意を得られないのに少しだけ息を吐きまた口を開く。
「佐久間の家はね、涼が思っているよりずっとドロドロしているんだよ。血筋を絶やしてはいけないなんて今どき化石みたいな考えを持つ人が多いんだ。だから俺と雛子は小さい頃に許嫁にさせられてね、そうするんだと思っていたんだけど、雛子は自分が女しか好きにならないのに気付いて俺にそれを告白してきたんだよ。それからはずっと雛子を女として見た事は無いよ、本当に。だけどその佐久間の面倒な家の中で雛子は唯一の味方だと思ってる。それはあっちも一緒だから、だから、抱き締めあったりするんだよ。しょっちゅう会えるわけじゃないから」
俺の言葉の間中涼は小さく頷いて聞いていて、それ以上は何も聞かなかった。
分かってくれていたのだろうかと思いながら頭がぼんやりしてきたのを感じる。
結構大きめのデカンタだったそれをあれからまたお代わりしたのだからワインボトルに換算したら二本半くらい飲んでいるのかもしれない。
二人で最初から最後まで変わらぬペースで飲み続け、つまみになるのはサラダと赤ワイン煮とチーズの盛り合わせだけだった。
そんな状態で湯船に浸かっていればアルコールは俺を確実に蝕んでいく。
天井を仰ぎ見て溜息を吐けば涼は対面したまま俺の体にくっついて背中に腕を回してくる。
ぴとっと頬を俺の胸にくっつけているのが見なくても分かってその体に腕を回した。
そうすればするほど俺は彼女を裏切ったんだという思いが強くなる。
こんな風に甘えて来てくれる程信頼してくれている彼女を裏切った事実は何をどう言おうと変わらないのだと思えば思うほど心の底からヘドロが渦を巻いてまた巻きあがり、気分を悪くさせた。
息を吐く度に腐った匂いがしているんじゃないかと思う程、気持ち悪くなり眉を顰めたまま小さく口を開く。
「涼」
そう呼べば彼女は俺にしがみついたまま顔を上げ俺はそれを見ないまま口を開く。
アルコールのせいだったんだ。
嫌な事があったからだったんだ。
涼を守りたかったんだ。
そうするしかなかったんだ。
俺が佐久間礼だから仕方なかったんだ。
佐久間礼に生まれてしまったから。
佐久間の名前に生まれてしまったから。
母さんが一人しか生まなかったから。
この家はもう聖域じゃ無くなってしまったから。
もうどこに居ても疲れてしまうだけだから。
そのどれも言い訳にしか過ぎずそれを言っても何も分かって貰えないと勝手に判断してしまった。
涼はそんな子じゃないと分かっていたはずなのに、本当に何も無い雛子との仲を疑われたからかもしれない。
ワインを飲みすぎていて正常な判断が出来なかったからかもしれない。
それとももうこうして居るのが心底嫌だったのかもしれない。
「俺と一緒に死んでくれる?」
顔を下げ彼女の顔をまっすぐに見つめてそう尋ねればその顔は目を大きく開いて固まり、額から汗が頬へと流れていった。
俺の顔はもう笑っていない。
笑顔を浮かべる余裕はそこに無かった。
礼の言葉と無表情な顔に言葉を失い動けずに居た。
その言葉の後すぐに彼は笑って嘘だと告げてくれると思っていたのに、それも来ない。
そんな事を言う人じゃないはずなのに、どうしてだろうとただ呆然と思う。
彼の手は私の体から離れて自分の顔を両手で覆ってしまった。
それから大きな溜息をひとつ吐いた。
「死にたいの?」
ようやく出た言葉は彼の気持ちを助長させるような物で、けれど彼はそれに何の反応もしなかった。
それから両手をゆっくり降ろしたその先の顔は笑っていた。
その笑顔にびくりとする。
ほんの小さな変化しかないそれを言葉で言い表すのは難しい。
私に向ける礼としてのそれと外へ向ける佐久間礼としてのそれはほんの些細な変化しかない。
言うなれば纏う雰囲気が違うと言った所だろう。
彼をよく知らない人なら見分けは付かないと思う。
祐樹さんやその雛子さんくらいしか分からないかも知れないそれは私にも分かるようになっていた。
いつから、そうだったのか分からなかった。
彼がいつからその笑顔を消しこの笑顔を、この家で私に向けていたのか、自分の変化にいっぱいいっぱいだった私は気付いていなかった。
彼の顔にそっと右手を伸ばして顎から頬に掛けて触ろうとすれば彼は少し後ろに顔を退いてそれを避けた。
それから小さく首を振る。
それは物凄くショックだった。
そんな風に拒絶されるとは思っていなかった。
「礼……?どうしたの?」
彼は私の言葉に小さくまた首を振ってから顔を上に向けて天井を仰いだ。
そのまま瞬きを一度してから動かなくなる。
怖いと思った。
そこに私を愛してくれているはずの礼が居ないように思えた。
「何かあったんですか?」
少しだけ離れたその距離のままそう尋ねてから何かあったからこうなったのに愚かな質問をしたと思い俯く。
彼は何か思いつめるような事があって、それはこの家に居ても彼の心を休めてはくれなかったんだろう。
家というのはそういう類の物だと思う。
どこよりも安全でどこよりも安らげる場所が家だろう。
だから遠出をしたりして家に帰ると安心するのだ。
そこまで考えてようやく昨夜の事を思い出した。
小さく息を吐きごくりと喉を鳴らす。
この家に昨日はあの人が来たんだ。
何かあるだろうとは思っていたけれど、彼はここでそれをしたのではないだろうか。
場所を変える手間を省いてそうまでしたのはそうしないといけない理由があったからだ。
両手で思わず口を覆った。
ちゃんと考えが纏まらない内にそれを彼に告げてしまいそうだった。
何か足りない。
決定的な何かが足りない。
まだ、そう、確信を得るには何か足りない。
涼は一人で何かを考え込んでいて、俺はただ天井を見たまま瞬きひとつしなかった。
言った直後に本当は意識が覚醒した。
何て事を口走ったんだろうと後悔し、否定しようと思ったのに出来なかった。
それをさせなかったのは礼だろう。
佐久間礼としてではなく、ただ、涼に愛されていると感じている俺はそれを本音として捉え、偽物の俺の介入を許さなかった。
隠したいと思うのも話してしまいたいと思うのもどちらも本音しか言わない俺なのだが、それでも、どちらも彼女を愛している。
だからこそ目を合わせたくなくてこうして上を向いている。
一言名前を呼んでくれれば俺はそれに応じて彼女を見てしまうだろう。
礼、と一言ただ名前を呼んで欲しいだけなんだ。
黙ったままの二人の耳に入ったのはクラシック音楽だった。
電子音のそれにぴくっと反応したのは彼女はざばっと湯船の中で立ち上がり何も言わずに風呂場を出て行った。
いつも鞄に入れているはずの携帯をどうやら服のポケットに入れていたらしい。
彼女が居なくなり顔を正面に戻してから溜息を吐き、揺れている水面のお湯を救い顔を何度か洗った。
「もしもし」
濡れたままの体で携帯を探り当て耳に当てる。
いつの間にマナーモードを解除したのか覚えていない。
きっと何かと当たってそうなってしまったのか、無意識にそうしていたのだろう。
あの時はひどく酔っぱらっていたし、今もそれは大して変わらない。
『あ、もぉしもしぃ』
電話に出た相手はこちらもひどく酔っぱらっている。
けれどその声は女性でと言う事はあの二人のうちどちらかだ。
「笹川です。えっと……」
そうきちんと名乗り名前を聞き出そうとすればしゃっくりの音の後に返事がくる。
『安田ですぅ。すいません、電話ぁしちゃって』
田中さんかと思っていたので驚いて何度か瞬きをすれば返事を待たずに彼女は口を開く。
『実はぁ昨日、社長のとこいってぇ、あの、イヤリングぅ……置いてきちゃったみたいで!!』
何だか無駄に楽しそうな声にどれだけ飲んだのか少し心配になりながら隣の浴室に居る礼に聞かれたくなくて小さくそうですかとだけ返事をする。
イヤリングを置いてきた?
忘れてきたのか落としたのかどちらかだろう。
『たぶんー……リビングじゃぁないとぉ……思いますぅ……ふぇっ……」
明るかった雰囲気は一変しどうしてだか知らないけれど泣き出し、田中さんの声がそれに混じって聞こえてくる。
「あ、あの?私が見てみますから」
そう呼びかければ安田さんでは無く田中さんが電話口に出る。
『あ、笹川さんっ?ごめんね、明子すっごいあれから飲んじゃって。気にしないでー。酔っぱらいの戯言。それじゃあそれだけなので、おやすみなさーい』
ぶつっと切れたそれを見つめたまま携帯を握りしめた。
さっきまで考えていた何か足りないそれのヒントをわざわざ教えてくれたのだ。
けれどそれはあまり嬉しいヒントではない。
そのまま洗面所を出て濡れたまま彼の部屋に向かった。
リビングじゃなくてトイレでも無ければ、彼の様子があんなに可笑しくて、安田さんが泣き出したのなら、もう、それはそこしか可能性は無いだろう。
部屋のドアの前に立てば開けっぱなしにした洗面所の奥から水音が聞こえる。
礼が戻って来ない私を心配して浴室から出るつもりだと、意を決する暇も無くその部屋に入った。
第十四話 俺と雛子 終