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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十四話 俺と雛子
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14-9 わたしと ふたりと おれと かのじょ の それぞれへのおもい

終業をすっかり過ぎるくらい美沙と話しこんでいれば彼女は飲みに行こうと言い出し、それに甘える事にした。

落ち込んでいる私を思って言ってくれているのは分かっていて支度をしてエレベーターを呼べばそこの彼女、笹川涼が数人の社員と共に居た。

私を見て目を伏せた彼女に合わせたように俯いても何も美沙以外思わないのはお互いの性格故だろう。

普段から感情を表さない私と大人しいと評判の彼女だからこそそうしていても不自然じゃなかった。

美沙を除いては。


結局無理矢理仲直りをさせられ遅れてその居酒屋に着けば、席は埋まっていて三人で固まって座るしかなかった。

最初はビールだろうと息巻く黒井さんの言うとおりそれが運ばれて来て彼の音頭で乾杯を済ませた所だ。


二つのテーブルに別れてしまってこちらは女子会のような雰囲気を楽しそうにしているのは美沙だけで、彼女は率先して食べ物をオーダーしている。

向かいに一人で座る笹川さんをじっと見つめれば彼女はふと顔を上げて首を傾げた。

その仕草は同性から見ても可愛いと思った。

そんな風に見れるのはあの画像を見てから初めてで、最初は確かに彼女を歓迎していたのだと思い出す。

何も言わない私に彼女が口をそっと開き美沙に聞こえないように声を潜めて聞いてくる。


「田中さんもあれはご存知なんですよね?」


その顔はすごく穏やかでこちらが変に緊張するほどだった。

あれは彼女にとって隠したい事実では無いのかと疑うほどのそれに小さく頷いて返せば、そうですか、と一言だけ返してから乗り出していた体を元に戻してからおしぼりで手を拭いている。

オーダーを終えた美沙がお通しで運ばれてきた小さな冷ややっこに醤油を掛け笹川さんのにも掛けて、私のにも掛ける。

楽しそうな美沙が少し羨ましくて思わず言ってしまった。


「笹川さんに聞かれたから美沙も知っているって答えたわよ」


いつも通り冷静を装ったその言葉に豆腐を掴もうとしていた美沙の箸が止まった。

それから私と笹川さんを見比べてから少し傾けていた体を起こす。


「ふーん、あ、そう。それはちょっと困ったな」


それでも笑って言う美沙に笹川さんはただ笑って見つめるだけで、言った私の方が何だか悪者になったような気がした。

気を取り直し美沙が豆腐をぺろりと食べれば笹川さんもそれに続き、何となく流れで同じようにする。

早くも二杯目のビールが三人の前に置かれ、美沙が頼んだつまみが並び、何も話さずただ三人で食べて飲んでを繰り返す。

まるで蛇と蛙となめくじだ。

誰が最初に口を開くか互いの様子を密かに窺っている。


「知りたいですか?」


二杯目の彼女が持つと大きく見えるジョッキを空けてからそれを置いてゆっくりと笹川さんが口を開いた。

その言葉に思わず私と美沙が顔を見合わせた。

その様子にくすくすと笑いながらまた彼女が同じ事を聞く。


「知りたいんですよね?だからあんな小賢しい事をされたんじゃないんですか?」


喧嘩を売っているようなその言い回しに一瞬だけ苛立ったが怒鳴る事すら出来ない。

彼女は被害者だ。

私と美沙によって被害を受けた張本人だ。

美沙もそれは同じだったようで恐る恐る口を開く。


「えっと、でも、言いたくないでしょ?というか、聞いて良いの?」


そう聞けば笹川さんは一度目を閉じてから細くそれを開いてから声を潜めて呟いた。

そこには穏やかな笑みも優しげな雰囲気も無い。

ただ彼女らしからぬ冷たい表情だけがあった。


「同じような事がまたあると困るんですよ、私も、礼も。どっちが最初に画像を見つけたかとか、どこからとか、もうどうでも良い。だけど、ネットの世界にはどうやら無いみたいなんです。ちょっとした知り合いがそう言っていたから多分そうでしょう。と、なれば、今後私の周りで同じような事があれば間違いなく確実に御二人を疑います。その上で私は自分と礼を守るために彼に相談してどうにか対策を練ります。今回ばかりは……安田さんが見せていないと信じて私から話をしようかと思ったんですけど、聞きたくないなら結構ですよ」


その冷静に淡々と言う言葉に心臓が早鐘を打った。

もう佐久間礼に写真を見せてしまったとは言えない。

それから彼は何も彼女に話していないのだと確信する。


「どうします?止めておきますか?どちらでも構いませんが、こういう席だから言い出しただけで明日、やっぱりと言われても私は口を開きませんよ。田中さんが仰ったように話したくない過去には違いありませんから」


そう言い彼女は枝豆をつまんで鞘を押して豆を口にいれ酷くつまらなそうに言い、美沙と共に顔を見合わせて頷いた。


「私達にはそれを知る義務があるわね、そうじゃないと貴方に対して上辺だけの謝罪になってしまう。貴方が話してくれると言うなら聞かせて頂くわ。口外したりはしないから、今更だけれど、そこだけは信用して貰えると有難いわ」


そう私が言えば美沙も隣でうんうんと頷き、空になった枝豆のそれを器にぽいっと飛ばしながら笹川さんは目を開いてそれからいつものように笑った。

隣のテーブルは大いに盛り上がっていて私達の会話なんて聞いていなかった。

彼女がそれでは、と前置きをして口を開いた。






「じゃあ、またな。礼の予定を調整して今度は彼女も連れてきてくれよ」


レストランを出て外に出るためにエレベーターを降りてロビーを抜けながら雛子は小さくそう言った。

彼女の徹としての顔は今日はここまで。

またしばらくは雛子として過ごさないといけない。


「そうだね、そっちも田中連れてきてよ。二人が驚くのを俺達だけにやにやしながら見るのも良いでしょう」


と返せばくすくすと笑いそこにはもう徹は居なかった。

出口のすぐ側で雛子は俺の腕を取りそっと引き寄せてきてそれに素直に応える。

男には敵わない細い体を抱きしめ背中に手を回した。


「礼、大好きよ」


そう呟く彼女の頭に手を持っていきそっと撫でてやりながらそれに返事をする。


「俺も雛子の事が好きだよ」


そう言えば彼女はまたくすくす笑って俺の腕から抜けて行き、それから手を振ってしとやかに出口から出て行った。

そのガラスの向こうで彼女の運転手が俺に頭を下げ、俺の運転手が彼女に頭を下げているのを見守る。

一緒に出て行っては別れがたくなるから、と、誘った方が先に出るのも俺達だけのルールだ。

彼女の車が見えなくなってから外へ出て酒井が開けてくれたドアから中に入った。

はぁっと溜息を吐けばすこし頭がふらつく。

ちょっと雛子と一緒という事で気を緩め飲みすぎたかも知れない。

そんな俺に酒井は助手席からミネラルウォーターのペットボトルを差し出してくれた。

短く御礼を言ってそれを受け取れば彼は静かに車を出して、面倒だけれど安心出来るそれでいて楽しい一時が景色と共に過ぎ去っていくのを横目に見ながら水を飲んでそのまま目を閉じた。

帰ったら涼に話さないといけないのだと思い出し、何から話せば良いだろうと思案に耽る。







「ですから、その男をすごく愛していたんですって」


げふっとげっぷをしながら五杯目のビールを飲みながら言えば目の前の二人はおいおい泣きながら首を振っている。

だいぶ掻い摘んだけれど事実をきちんと話せば後半になればなるほど二人は泣き始めた。

もちろんそこに礼の話は入れていない。

明との出会いから沙織の家にお世話になり立ち直った所までを話しただけだ。

礼の事を話せばもっと泣いてしまうかもしれないけれど、そこまで話す義理は無い。


「だから、その時は大丈夫だったんですよ。今は後悔してますけれど」


そう言えば二人はわーわー泣きながらそれでも酷いと口々に言った。

それからビールを煽り、つまみを口に入れて泣く。

泣くか飲むか食べるかどれかひとつにして欲しいと思いながら一口ずつしか残っていないそれのおかわりを勝手に頼む。


「今はそれなりに幸せですよ、何も無ければ」


そうゆっくりと告げれば二人はぴたりと泣き止み頭をテーブルにこすりつけて詫びてきてそれには特に何も言わなかった。

途中隣の祐樹さん達が心配してこっちをちらちら見ていたけれどわたしが笑って大丈夫ですと言えばそれ以上何も聞いて来なかった。


「もう、良いですって。わたしは礼にも言わないですし、御二人も礼には何も言わないで下さい。ただ、どういう経緯であれが存在するのか分かって頂きたかったんです。きちんと御理解いただければ御二人がそれを二度と人目に出さないと信じていますから」


それは本心でそう素直に告げた。

人というのは異質な物を見れば好奇の目を向けずには居られない。

一度向けられたそれから事実を隠すよりは話してしまった方が良いだろうと思った。

礼や祐樹さんには怒られるかもしれないけれど、わたしの過去は他の誰でもない、わたしの物なのだからとそう決めた。

話してそれでもなおそれを盾に使ってくるのならそれはもう仕方がない。

礼に素直に相談し、彼に後は任せるだけだ。

そこには祐樹さんも混じってくるだろう。


つまり、目の前の二人より、わたしはずっと強い立場に居る。

礼だけならばそうではない。

けれど兄だと分かってしまった以上、祐樹さんも確実にわたしの味方になってくれるだろう。

特に今回はわたしは何も悪い事をしていないのだから。


「御二人とずっと一緒に働いていきたいので、水に一度流しましょう。それからまた仲良くなってご飯に行ったり、わたしはしたいです」


そうにこやかに告げれば二人はまた泣きながら頷いた。

お酒に強いのも頭の回転が人より早いのも、確実に母の遺伝で、それに感謝するよりほかないと、昼間少しだけ話したその人を思い浮かべ笑みを漏らす。

告げた言葉に嘘は無い。

けれど他意はある、ただ単に野放しにしたくない、監視したいだけだ。

それなら仲良くなってしまうのが一番手っ取り早いだけの話だ。

別に上辺だけのお付き合いなら、礼と会う前に散々やってきたのだからいくらでもこなせる。

六杯目のビールが来て改めて三人だけで乾杯をし口を付けた所でテーブルに置いていた携帯が唸った。


「ごめんなさい」


そう断ってから開けばそれは待ち焦がれていた礼で作り笑いを止め本心から笑ってそれに出た。


「もしもし」


そう伝えれば彼は少し間を置いてから返事をしてくれる。


『飲んでるの?会社の近く?』


そう言われ何か言いたそうな二人にしーっと人差し指を当てて見せてから口を開く。


「はい、祐樹さんお勧めのお店で。安田さんと田中さんと同じテーブルに居ます」


そう言えば彼がえ?と小さく呟いて、その反応で、やっぱりそうかと昨日から考えていた事に確信に近い物を抱いた。

けれど礼の様子が変だったのはその一瞬ですぐに彼はいつもの彼に戻り穏やかに告げる。


『俺も帰りなんだけど、一緒に帰る?拾って行くよ』


そう言われて、おや、と思った。

そうされればされるほど疑惑は確信に近づき思わず苦笑いを浮かべてジョッキを取る。

ごくごくと喉を鳴らしてから二人の顔を見ながら口を開く。


「そうですね。そうして頂けるとありがたいです。結構飲んじゃったので電車で寝ちゃいそうですし」


二人はわたしの言葉にようやく相手が誰なのか気付いたらしく無駄に感動し目を潤ませて両手を繋ぎ合った。


『じゃあ近くになったら連絡するよ』


そう言い電話が切れてから二人に告げる。

笑みを消してただ二人を見つめて。


「わたしには親身になってくれるちょっとしたその筋の知り合いが居るんです。ですから今日話した事や、あれの事を少しでも漏らしたら、迷わずその方に処分をお願いしますから。そのおつもりでいらしてくださいね」


その言葉に二人の顔色がさっと変わりそれを見下ろすように立ち上がってコートを羽織った。

それから鞄を持ちジョッキを傾けて最後の一口まで飲み干してからわざとテーブルに叩きつけた。

これくらいじゃ壊れない事はよく知っている。

それから声を潜めて二人に告げる。


「わたしを散々凌辱して輪姦の手はずを整えた昔の恋人は、もう、死んだみたいですよ。その人の手によって」


にやりと笑えば二人は小さく首を横に振り続けるだけになり、体を起して一歩そのテーブルから離れて、ふたつのテーブルに聞こえるように告げる。


「笹川は……上司が迎えに来ますので、御先に失礼致します。また機会がありましたら是非お声を御掛けください」


頭を下げれば隣のテーブルから口笛と野次が飛び、それに照れた振りをしてから祐樹さんにだけきちんと頭を下げてその店を出た。

地下にあるそこから地上に上がる階段を上る途中で笑みを消し何もない視線の先を睨みつけて一言呟く。


「ばーか」


それは彼女たちに言ったのか自分に言ったのか、それとも礼に対してなのか分からないけれど、自分でも驚くほど憎しみが込められていた。

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