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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十四話 俺と雛子
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14-7 おれとれいのしゅくめいとはんこう

「で、本当に今度こそ結婚出来そうなわけ?」


運ばれてきた生ハムのサラダに直にフォークを差しながらそう聞けば礼は嬉しそうに笑っただけだった。

その反応に、へぇっと思う。

礼は人よりずっとモテる。

けれど彼は大学卒業と共に女を絶った。

それまではちょくちょく恋人が出来たと別れたのメールが送られてきていた。

それは俺が彼にお願いした事のひとつだ。

本当に結婚する事にならないように、彼には早く結婚するように、その昔、伝えた。

それは高校時代を半分過ぎたころだったと思う。


そのずっと前から俺達はそういう風に周囲に言われて育って、けれど、お互い子供だったからよく分かっていなかった。

だから俺が男を好きにならないのは、そのせいだと思っていた。

礼という結婚相手が決まっているから自然と男を好きにならないのだ、と。


けれど女子校に進学した俺に初恋が訪れた。

それは教師でも他校の生徒でも無く、ひとつ上の先輩だった。

文芸部という何をしているのか分からないそこで、地味な活動を図書館でしているその女性に恋をした。

当時はまだこんな風じゃなかったから酷く戸惑い、誰にも打ち明けられずに居た。

その翌年の正月に、老人どもの策略で礼の部屋に二人っきりにされて、こいつと結婚するのかと思えば涙が溢れた。

当時、礼が女中を孕ませた噂は耳に入っていたし、その結果も知っていた。

けれど原因はそれじゃ、ない。

まったく好きになれない、ただの親戚の一つ上の男と結婚するのが悔しくて悔しくて堪らなかった。

初恋の相手に想いを告げる事も出来ず、自分が可笑しいのだと自己嫌悪に日々苛まれていたからそのふとした考えで爆発したんだろう。


慌てて慰めてくる礼に一言、普段の口調では無く乱暴に告げた。


「お前とは結婚したくないっ!!」


彼はひどく驚いて目を丸くしてから俺の体をそっと抱き締めた。

不思議とそれは嫌じゃ無くて自分よりがっしりとしている胸で泣いた。

泣きやむころに彼がぽつりと小さく呟いた。


「それなら俺が結婚するから、雛子とは何も無いようにしてあげるよ。だから、大丈夫」


そう言われ顔を上げれば穏やかに、今と変わらないような笑みを湛えていた。

けれどそれはどこか寂しそうで辛そうでそっとその顔に手を伸ばせば彼は涙を静かに流した。

それがどういう意味を持っているのか未だによく分かっていない。


けれど、礼は女性に対して奥手という一言で済ませない何かを抱えているような気がしていた。

大体別れたとか振られたとか、あり得ないと思う。

彼は正直完璧だ。

スマートに何でもこなし、女性に対し酷い事をしているのは見た事も聞いた事も無い。

件の女中だって彼から迫ったわけでなく、女中から迫り、ずいぶん狡猾なやり方をし、勝手に伯母さまの逆鱗に触れただけだ。

けれど、その辺りを境に礼がすこし変わったのは確かだと思う。


そんな風に俺にすら自分の内面をあの時しか見せなかった礼に婚約者が出来たと言う。

それは正直初耳だった。

素性の知らない女が礼に付き纏っているというのは伯母さまが涙ながらに語りとりあえず調子を合わせていたけれど、そこまで礼とその子の間で話が進んでいるとは思わなかった。


「どんな子なわけ?」


むしゃりとサラダを食べながら聞けば同じようにフォークを伸ばして生ハムとレタスとラディッシュを取って口に入れながら礼が言う。


「可愛いよ」


食べながらそう言われて思わず吹き出してから返事をする。


「そりゃ見りゃ分かるって。……どんな子なの?」


それに彼は笑みを消して俺を見つめた。

手に持ったフォークは皿の上の生ハムを刺したままだ。

その表情と変わった空気に笑みを消し、彼の目を見つめた。


「どんなっていうのは、どういう事?何か聞いてるの?」


そう言う声は少し低く緊張感を帯びている。

それに何も答えずただ見つめれば礼は眉を寄せて口をまた開いた。


「母さんが何か言ったの?」


その言葉に満ちるのは嫌悪だ。

駆け引きをするつもりは毛頭ないのだろう、今までのやり取りでさっき見せた写真に映る、小さな少女に何かあるのは分かってしまって、小さく首を振って見せた。


「何も。そりゃ礼にマイナスなイメージを与えるような事、言う訳無いだろ。父さんには話してるかも知れないけど、俺には来ないよ。無理矢理くっつけたがってるとしたって、少しでも気持ちよく結婚して欲しいってのは親心なんじゃね?」


そう言えば礼は小さく息を吐いてフォークを皿に残したまま体を椅子の背もたれに預けた。

遠慮なく彼のフォークを取り上げ刺さっているサラダを口に入れる。

二人きりになれば外面を気にするようなマナーはその場には無くなる。

個室でなければ最低限はするが、こうして区切られ守られたそこにはそんな物は存在しない。

礼にとっても俺にとっても、お互いは佐久間の中で唯一味方である存在だから何も気を遣わない。


「そう言われればそうかも、ね。……どんな子っていうのはさ、内面的な問題という事でしょ?」


彼が眉を寄せたまま目を閉じそう告げて来て返事代わりにフォークを皿にわざと音を立てて立てかけた。

その音に彼が目を開けまだ彼を見たままの俺の顔を見てから体をテーブルの方に倒して両手で頬杖を付きその上に顎を乗せる。


「問題が無いって言ったら、嘘になるかな。俺は気にしない……というか、何て言うのかな、気にしないようにしないといけないけれど、佐久間は気にするだろうね。すごく」


そう言われふーんと相槌を打ちワインを飲み干す。

けれど今度ばかりは礼はグラスを満たすために動かなく、仕方なく自分でデカンタに手を伸ばした。


「雛子だから話すけどね、彼女はちょっと特殊な過去を持ってるんだよ。人に言えないような事なんだけど。佐久間で無くても、それこそ親心っていうので誰しも反対すると思う」


目線を下げそう言う彼の顔は今まで見た事の無い位、辛そうに歪んでいて満たしたばかりのグラスを持ったまま思わず固まった。

というか、何だかさっぱり分からず首を少し傾げてしまった。


「本当に……誰にも、知られていたとしても知らない振りをしてね?それから彼女に会ってもそういう態度は絶対取らないでね?」


彼は視線を俺に向けてそう告げ、その意味を理解しないまま頷いた。

それからすこし間を置いてから礼がゆっくりと口を開く。

誰にも話してはいけない秘め事を話すように声を潜めて告げる。


「彼女は昔凌辱され、輪姦されたんだ。その上、つい最近も同じような目に遭ってる。証拠が無ければ良いんだけどね、あるんだよ、それが」


眉を寄せ苦々しくそう言われて思わずグラスを静かにテーブルに置いた。

それから同じように両手で頬杖を付き顎を乗せて目を細める。


「……レイプって事か?」


とだけ尋ねれば彼は小さく首を振った。

それに驚いて細めた目を今度は見開いてしまう。


「最近のはそうだけど、過去の事は合意と認識されても仕方ない、ね。正直話を聞いて俺もそう思ったくらいだから。前の恋人に強要されて彼女はそれに素直に従ったんだって」


溜息と共に言われたその言葉に正直礼がその子のどこをそんなに好きになって結婚までしようと言い出したのか分からなかった。

けれどせっかくそう思っている気持ちに水を差したくないし、伯母さまのように佐久間の名前に傷がつくなんて馬鹿みたいな思考も持っていないから何も言わずに居る。


「だから、さ。結婚はすると思うけど一筋縄ではいかなそう。まぁ、最後まで抵抗するつもりではあるけど、ね。雛子にもそうなったら皮を脱いで貰うかもしれないね」


そう顎を外し手を解いてから彼が困ったように笑って言いそれに俺は小さく頷いた。

それから彼に話して居なかった事を話す。


「俺もさ、今、付き合ってる子が居るんだ。出来ればそいつとずっと一緒に居たい。でも、俺は、ほら、佐久間の子供だろ?家を繋いで行かないといけない義務があるんだよ。だから……その子に適当な男の子供を産ませるつもりで居た。偽装結婚でもして、俺じゃなく、その子に産ませるつもりなんだ。それをその子は了承してくれてるんだよ」


そう言えばグラスを手にした礼の目が細くなった。

それから逃れるように視線を落としてそのまま続ける。


「だから、俺は礼の彼女の事、何にも言えねぇよ。やろうとしている事は多分同じくらい最低だ。彼女がどんな子なのか分からねぇし、正直今の段階では疑問しか無いけど、そうだな。礼が本当に彼女と結婚したくなってよ、佐久間の名を捨てるっていう位なら、俺はいつでも、事実を話すよ。お前は佐久間にとって必要だからな、俺よりずっと」


誰にも言わずに居ようと思ったそれを告げれば彼は小さく、そう、と返事をするだけだった。


俺と礼にしか今流れている微妙な空気は分からない。

どんなに二人が愛した人間でも、きっと理解して貰えない。

俺も礼も、お互いを愛している。

恋愛関係ではなく、互いを思えばこそ愛している。

それでいてとても面倒な相手だ。

切っても切れない縁があり、けれど、それから逃れられない事を分かっている。


「それでも俺と結婚するより雛子は幸せになれるんでしょ?俺もね、他の誰より彼女を幸せにしたいから結婚したいと思っているんだよ。彼女と一緒に幸せになりたいんだ、本当に。雛子が同じように思うならそれで構わないんじゃない?俺達より雛子達の方がよっぽど大変な立場に居るのは分かるし、かといって子供を作らない訳には行かないし。雛子の事を思って相手がそこまで言ってくれるなら、その子は本当に雛子を愛しているんだろうね」


世界中の誰に反対されても礼にはそう言って欲しかった。

そう簡単にするりと笑みを浮かべながら穏やかに言ってしまう礼はやっぱりカッコいいと思う。

だからグラスを持って掲げれば彼はそれが当然だと言うように同じようにしてくれて小さくまたグラスを合わせてから、同じように笑みを浮かべて同時に呟く。


「乾杯」


ごくりとワインを飲みながら願わずには居られない。

すべてを受け入れてくれている礼と彼の彼女がどんな反対に遭っても結婚してくれる事を。

そうでなければ俺はずっと自由になれない水槽の中の金魚のような物なのだから。

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