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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十四話 俺と雛子
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14-6 おれとひなことうらとおもて

「待ちくたびれちゃったわ」


指定されたホテルのレストランに遅刻ぎりぎりで辿り着き、佐久間の名を告げて個室へと案内され、ドアが開いたその先にいた人物は俺を見てから笑みを浮かべやんわりと告げる。

静かにおしとやかに響くその声と纏っている気品からしても誰が見ても良い所のお嬢様だと分かるだろう。


「悪いね、ちょっと仕事が立て込んでてさ」


徹と書いて来たのは間違いなくその人で、俺はそれをよく知っているから驚きもせず向かいの席に座る。

俺が座ったのを見て相手は口を開き、支配人とネームプレートにあるここまで案内してくれた男性に告げる。


「鈴村さん、白をデカンタでお願いします。あとは……そうね、何かお勧めの御品をいくつか持ってきて頂ければ嬉しいわ」


ゆっくりとやんわりとそう告げれば鈴村と呼ばれた彼は畏まりましたと頭を下げて個室から出ていく。

ここは俺の行きつけじゃない。

ここは相手の行きつけのホテルだろう。

佐久間の人間はそういう風に、俺を含めて好みのホテルを持っている。

密会やビジネスや、隠れ家に使うのにはもってこいだからだ。

どこかに家を借りるより管理が楽で、それでいて資金は変わらない。

後腐れなく、しかし相手にこちらの素性を必要以上に探らせず、けれど不快な思いをさせないのにホテルというのは適している。

鈴村が居なくなってドアが閉まれば目の前に座っているその人物ははーっと大きく息を吐いた。

それからさっきまでの顔をあっという間に消して俺を睨む。


「礼、なんで正月来なかったんだよ。まったく、一人であいつらの相手すんの疲れたんだからな」


頬杖をつきながら視線をそらさずにそう言われこちらも溜息を吐いてから口を開く。


「いや、悪かったよ。すごく大事な用が急に入ってね。埋め合わせは今度するから」


そう告げればへーっとつまらなそうに言い、それからにやりと笑った。


「で、チョコ食った?結構真剣に、女として選んだんだぜ」


そう言われて苦笑いを浮かべてから口を開く。

どうして三月一日に送ってくるのかは知っているけれど最早挨拶のようになっている会話を始める。


「それならバレンタインに送ってきてくれれば、いいのに」


そう告げればげらげらと下品に笑ってから手を叩いて喜び口を開く。


「んなの、決まってんだろ。俺はどっちでも無いからな、今の所。だから間に送ってんだよ」


そう言われて、知ってるよと短く返す。

この目の前に居る体は女、心は男の人物は名を佐久間雛子と言う。

もっともそれは雛子に与えられただけの名前でしか無く、佐久間の人間以外、それも信頼出来る人には彼女は自分を徹だと名乗っている。

それも俺は知っている。


「で、どうだった?相変わらず老人どもは結婚しろって言ってた?」


出なかった新年会のその様子を彼女に尋ねれば眉を寄せ怒りにも似た表情を浮かべて吐き捨てるように言った。


「あったり前だろ。それしか楽しみねーんだから。特に伯母さまひどかったぜ。ずーっと笑いながらプレッシャー掛けてくんだよ。まるで礼が居ないのが俺のせいだって言うようにさ」


溜息混じりに言われて本当にごめんと謝れば彼女は眉を寄せるのを止めてから首を振った。


「しょうがねぇよ。礼の方が言われるからな。今回は貸しにしとく……っと」


トントン、とノックの音がし、がちゃりとドアが開く音がして彼女の顔がしとやかな大和撫子のそれに瞬時に戻り笑みをその顔に湛える。

鈴村がワイングラスを二人の前に置きデカンタから注ぐのをじっと待ってから彼女はにこやかに頭を少し下げた。

彼が居なくなればその顔はまたすぐに戻った。

つまるところ彼女は猫を被っている。

それも化け猫だ。


「あーぶなかった。つい礼と居ると気が緩む。ま、いいや。とりあえず乾杯な」


彼女がグラスを持ち上げそれに倣い、少しだけ薄いガラスを合わせてからごくりと一口飲んだ。

意外と甘口なそれは喉にとろりと溶けて行く。


「美味くね?……で、ま、ワインの味なんてどーでもいいんだけど、さ。わざわざ呼び出したのは正月に会えなかったのってのもあるんだけど、ね」


グラスを置いて彼女がそう言いながらスーツの内ポケットに手を入れる。

女なのに彼女は紳士服をあえて着用している。

ささやかな反抗なのだと以前彼女は教えてくれた。

どうせ金持ちのお嬢様の気まぐれ程度にしか取られないんだからそういう風に見せて、着たい物を着るんだと言っていた。

そのレディース物には無い内ポケットから出てきたのは一枚の写真で、俺の前に置かれて目を丸くした。

本当にいつ撮ったのだという程、自然に手を繋ぎ歩いているのは俺と涼だ。

顔色を変えた俺に雛子はワインを傾けながら言う。


「そいつ誰?」


そう言われ顔を上げた。

その顔には何も浮かんでいない。

社会的立場から見ればそう彼女が聞くのは実は当然だ。

彼女には知る権利があるし俺には話す義務がある。


俺と雛子はきちんと血の繋がった従兄妹だ。

俺より一つ下の彼女は、生まれた時から俺の許嫁になっている。

もちろん、それは確約された物では無く、万が一にもどちらも結婚しないような事があればそうさせるという本家と分家の中では一番大きい雛子の家の間の取り決めでしかない。

けれど両家がそう言えば佐久間の中ではそれが常識として扱われる。

故に、俺と雛子は、事有る毎に責め立てられるのだ。


「誰って……、これどうしたの?」


別に隠す必要性は無いので話すつもりでは居るけれど、その前に出所を知りたくてそう尋ねれば、伯母さま、とだけ言われる。

多分、礼さんに悪い虫が居るから気をつけてとでも言われ見せられたのを面白半分に言葉巧みに泣き真似なんかしつつ貰って来たのだろう。


「あぁ、そう。……知りたい?」


あの人には本当にあきれ果てると溜息すら出なく、飲み干した彼女にワインを注ぎながらそう尋ねれば眉を寄せてから満たされたグラスを手にする。

それからゆっくりと口を開く。


「そりゃあ、ね。俺にだって知る権利くらいあるでしょ?それともそんなに信頼されてないの?それはそれで結構ショックだけどね」


穏やかに笑みを浮かべそう告げるその口調が余りにも自分と似ていて思わず吹き出した。

乱暴な口調をするのは俺の前だけなのも知っている。

あとは最低限佐久間と名乗っているから丁寧に話すんだ。

俺をモデルに、して。


「止めて、それ。馬鹿にされてるみたいじゃない。……彼女はね、笹川涼さん。俺の婚約者だよ、雛子待望の」


雛子と呼んでも彼女は嫌味一つ言わない。

さすがに徹とは呼べないと昔大喧嘩をした末、彼女が折れたからだ。

ごくりと彼女がワインを一口飲んでからにやりと笑った。


「やっとそういう人が現れたか。あの事件があってから礼はずいぶん女に奥手だったからな。心配したんだぜ。……真面目な話、今年辺り、結構やばかったよ。老人どもは本気だった」


彼女が言うのは縁談が進みそうだったという事だろう。

お互い適齢期をすっかり過ぎて行き遅れたと思われているのは重々承知だった。

それは参るな、と返しワインを飲み干せば、阿吽の呼吸のように彼女が俺のグラスを満たす。

彼女がデカンタを置いたその瞬間にノックがされまたドアが開く。

素早く可憐な表情を浮かべる彼女と、写真をひっくり返す俺は互いに仲睦まじいように笑みを交わし鈴村を迎えた。

彼が料理をテーブルに置き説明してくれている間、笑顔を浮かべ続け、彼が出て行こうとすれば雛子が口をそっと開く。


「礼さんがとってもワインを気に入ってくださったみたいですわ。良かったわね、鈴村さん」


生意気な口な事を言っているのに彼が嬉しそうなのは佐久間の名と雛子の持つその独特な気品が許しているのだろう。

そして彼はきっと俺が本家の御曹司だと知っている。


「ありがとうございます。ごゆっくりなされてください」


そう頭を下げ特に俺に意見を求めず彼が去っていきドアが閉まりまた雛子と二人きりになった。






礼が出て行ってしまってから残ったチョコレートを食べ終わりそれをゴミ箱に捨てれば何となくやる事が無くなった。

いつ帰るか分からない祐樹さんを待たないといけないのに掃除をする気にもなれずソファにだらしなく座ってぼんやりと天井を見上げる。

こんな風に一人になるのは初めてだ。

それも二日続けてそうなのは仕事を初めてからは無かった。

多分礼は礼なりに気を使ってくれていたんだろう。


「……晩御飯、どうしようかな」


一人でのそれは酷くつまらなく、けれど、食べないといけないのは分かっていて小さく溜息を吐く。

あんまり一人で居るのは好きじゃない。

前はそんな暇が無いくらい、アルバイトを詰め込んでいた。

そうしないと生きていけなかったのもある。

礼と暮らし始めてからはそういった時間も確かにあったけれど、あの家で待つのは苦痛じゃなかった。

そこかしこに礼の匂いや存在を感じる物があったし、大事な思い出もあったから。


けれど、ここはまだ違う。

どこか無機質な感じがするんだ。

だから妙に寂しくなる。

ふぅっと息を吐き鞄を取りに衝立の向こうに行く。

携帯も入れっぱなしだし、明日からの予定でも確認しようとそれを持ってソファに行けばちょうどのタイミングで携帯が唸った。

取り出しディスプレイを見て顔が綻ぶ。

ボタンを押して耳に当ててから一呼吸置いて口を開く。


「もしもし」


喜びを隠せずに弾んだ声で告げれば電話の向こうの相手も嬉しそうにそれに返してくれた。


『おう、元気か?昨日は遅くまで悪かったな。礼に怒られなかったか?』


彼がただ普通に気遣ってくれているだけなのに、どうしてもわたしが妹だからでは無いかと嬉しくなり、その気分のままそれに返す。


「大丈夫です。礼はすぐに寝ちゃいました。それより今どちらですか?まだ帰って来ません?」


そう告げれば彼の後からは電車の発進を告げるどこかの駅のチャイムが聞こえ眉を寄せて小さく息を吐く。


『今?んーっとな、もう少しで帰れるってとこだな。で、礼は?』


わたしの小さな溜息を聞いたのか聞いていないのか知らないけれど彼は悪そうに呟きそれから本題を告げてくる。


「礼はー……えーっと徹さん?とか言う方からお荷物が届いて、それはチョコレートだったんですけど、中に入ってたキスマーク入りの封筒の中身を見て早退しました」


何と言えばいいのか迷いありのままを告げれば電話の向こうでうあっと小さく嫌がるような声を出した。

それに彼がその徹という人を知っているのだと確信し尋ねてみる。


「徹さん、ご存知なんですか?」


そう言えばすっかり調子の戻った様子で返事が返ってきた。


『まーな、佐久間とは古い付き合いだしな。それなり、に。ま、心配いらねーよ。少なくともオカマじゃねーし』


茶化して言われてくすくすと笑いながら、そうか、佐久間に関係のある人だったんだと思う。

礼が何も告げなかったのはきっとそれだからだろう。

祐樹さんがぽろっと漏らしたのはつい油断したという所で、あえてそれは突っ込まないでおく。


「礼に祐樹さんが帰ってくるまで残ってて欲しいって言われてて。ご飯作ったりはしなくて良いんですけど……。でもちょっとつまらないんです」


そう正直に伝えれば、兄である祐樹さんは、兄らしく言う。


『しょーがねぇな、甘えん坊が。今からそっち戻るからちょっと待ってろ』


それがどことなく嬉しそうで、妹としてはその反応にこちらまで嬉しくなり元気よく、はい、と返事をして電話を切った。

こうやって兄と会話出来てこっそり甘える事が出来るなんて思いもしなくて、時計を見てから携帯をいじって電話を掛けた。

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