14-4 なぞのにもつのしょうたい
銀行のATMでお金を下しその後買い物をして戻る。
ちょうどインスタントコーヒーが無くなりかけていたのを思い出し遠回りになるが駅の反対側のスーパーへと寄った。
そこでインスタントコーヒーの詰め替えとミルクの詰め替え、スティックシュガーを一袋買い、領収書を貰ってから店を出る。
途中にあるお弁当屋さんでからあげ弁当を買ってからぶらぶら歩いて帰った。
今日は祐樹さんが居るから何かあっても平気だし、と理由をつけたが本当は良い天気だったからのんびりと歩きたかったのだ。
それでも十五分もしない内に社屋が見えてしまいそこからは早足でいかにも急いで来ましたという風を装って自動ドアを抜ける。
すると受付嬢はわたしを見て名前を呼んで来た。
「笹川さんっ」
昨日と同じようにそう言われ首を傾げてから彼女の元に行けばカウンターの下からごそごそと茶色の平べったい荷物を出して差し出す。
ん?と思いそれを見れば宅配便の伝票が貼られていた。
受取人の所には佐久間礼と個人名義で彼女の顔と見比べる。
「さっき届いたんですよ。会社宛てじゃなく個人宛てなので一度社長室に向かったみたいなんですが、誰も居なかったようで、ここで預かりました」
そう言われ受け取れば確かに住所にしっかりと最上階の階数が記入してある。
うーん、と、首を傾げたままそれを受け取りしげしげと見れば差出人の住所はわたし達の家、つまり礼のあのマンションのあの部屋になっている。
ぞくっと背筋が凍り思わず耳にそれを当ててみれば中は静かに音すら鳴らなかった。
改めて差出人の名前、複写してあり薄くなっているそれを見れば一文字、徹と書いてある。
「どなたからか分かります?」
と彼女に聞かれ首を振ってから確かに社長に渡すと約束してそれを社長室まで持って帰った。
礼の机にそれを置いてからメールを一応する。
中身が何だか分からないけれど彼名義で来たのならわたしが勝手に開封する訳にもいかない。
大体の物は個人名の前に会社と部署名が付く。
それは差出人・受取人、どちらにも必ず付いている。
つまりこれは異質な物に当たる。
置いたばかりのそれをじーっと見ながら返事は返ってこないだろうと携帯を鞄にしまってから衝立の奥へと引っ込んだ。
何となく爆弾ではないかという疑問が捨てきれず、遠ざかったというのが真実だ。
机に座り鞄を側に置いてからミニノートを開いてあとはいつもの業務をこなし、お弁当を食べてから部屋の掃除に取りかかった。
社に着くころには十六時を過ぎていて慌ててオフィスへ向かう。
祐樹は確か今日は視察に行くと言っていたから居ないだろうと素通りした。
オフィスのドアを開けると簡単にノブが回り、中では一生懸命に窓を拭く涼が居た。
「ただいま」
そう声を掛ければそこで初めて気付いたらしく振り返ってから頭を下げる。
「おかえりなさい」
いつものように小さく言われ彼女が雑巾を持ったまま俺の机の周りから退いた。
俺からコートを受け取り、雑巾を上げて見せ洗ってきますと告げる彼女についでにコーヒーお願いしますと伝えればはーいと返事がし数分後には湯気の立つコーヒーがやってきた。
「本当は今日、祐樹さんに視察に誘われていたんですが、御断りしました」
そう言い応接セットに座る彼女も手にはマグカップを抱えていた。
カップを持とうとした俺の手が止まり彼女を見つめれば困ったように笑うだけだ。
「ごめんね、行って良かったのに。俺の許可なんて要らないよ?」
彼女が行かなかった理由はひとつだけ、俺に何も言わずに好きな行動をとれないと思ったのだろうとそう伝えれば小さく首を振ってから真剣な顔をする。
「そういう訳には行きません。何かあった時に側に居れなかったら秘書というお仕事をしている意味がありませんから。私は会社について学ぶ前に貴方の側に居るという仕事があります。いつお帰りになるか分からないのに無断で席を離れる訳には行きません」
きっぱりと言ってくるその姿に相変わらず真面目だと苦笑いを浮かべ今後は連絡さえくれればそれで構わないと伝える。
「では、今後はそうさせて頂きます。あ、あと、メールしましたけどそれが例の荷物です」
そう言われ実のところずっと目に入っていたそれを指され曖昧に返事をした。
彼女のメールを見て溜息を吐いた理由がそれだ。
すっかり失念して居たけれど、この時期、三月に入った今日は必ずこれが来る。
「開けてみないんですか?」
とマグカップからカフェオレもどきを飲んでいる彼女が首を傾げて言い溜息をまた吐いた。
彼女からすれば不思議すぎるこの荷物の正体が知りたいのだろう。
そう言われてもまだ手の動かない俺を不思議そうに彼女が見つめて来て、仕方なくそれを開封する。
大きな茶色の封筒の口を開き中に手を入れた。
案の定それは平たい正方形の箱で引っ張り出してからしげしげと見つめた。
高級チョコレートの店名が入ったそれに彼女が小さく声を上げた。
「わっ、チョコレートだ。しかも高いやつ」
その言葉に小さく頷いてからそれを弧を描くように彼女の座るソファへと投げれば彼女の隣にぽとんと落ちる。
え?え?と驚く姿に一言だけ告げる。
「あげる」
そう言えば嬉しそうな顔をしながらも迷っている様子を見せ、俺はノートパソコンを机の真ん中に持ってきて蓋を開けた。
電源を入れてからまた顔を上げ彼女を見る。
「全部食べていいよ。ただしなるべく早く、ここで食べちゃってね。要らなかったら下に行って誰かに上げてきて」
そう言えば彼女は不思議そうな顔をしながら分かりましたと頷きいそいそと開封に取りかかった。
どうして今の時期にそれが届くのか分かっている。
けれど、その冗談めいたそれを開けて食べるのは面倒だし、出来れば関わりたくない。
面倒なのだ、送り主が。
溜息と一緒に項垂れ、今年はまだ一度も会っていない事に気付き、仕事が終わったら一応連絡をしようとマウスに手を乗せた。
公明正大に仕事をサボって庶民は中々手が出ない高級チョコレートを食べて良いと言われてウキウキしない女の子は居ないと思う。
よほどのチョコレート嫌いか真面目じゃない限りは幸せになるだろう。
わたしもその幸せになる方の一人だ。
祐樹さんと同じくらい、今になって思えば兄妹だからかもしれないが甘い物が好きだ。
特にチョコレートなんて目が無い。
祐樹さんには申し訳ないけれど居ないのだから仕方が無いと納得して包装紙を丁寧にはがせば中からは意外な物が出てきた。
小さな封筒が表を向いて入っていてそれには綺麗な字で「礼へ」と書かれている。
それだけなら良い、けれど、わたしの目を奪ったのはその文字に添えるように付いている口紅。
それもきちんと唇を押しあてたそれに手と目が止まった。
ちらっと礼を見れば彼はパソコンの画面を片手で頬杖を付いて見ていてこっちは全く見ていなかった。
それをとりあえず外してから箱を開ければ中は何て事ない普通のそのブランドのチョコレート。
九個入っているそれは全部味が違うようで一番スタンダードな物を口に入れる。
ふわーっと溶けていくチョコレートは甘くもなく苦くもなくそれでいて奥深いカカオの香りがしている。
「うぁぁぁっ……」
思わずあまりの美味しさに声を漏らせば彼はちらりとこっちを見た。
二個目のチョコレートを口に入れてからその小さな封筒を手に立ちあがり彼にそっと差し出す。
「入ってました」
彼は顔をあげ酷く嫌な顔をして指先だけでそれを受け取り溜息をまた吐いた。
わたしは彼から重大なそして迅速に行わないといけない命令が下っていたのを思い出し、そのままソファへと戻る。
あと残り七個もあるので、まだ残っているコーヒーと共に味わう事にする。
正直、謎の荷物がチョコレートだった事も、徹と書かれていて男の人だと思っていたのに封筒にはキスマークがあった事も、礼があんなに溜息ばかり吐いている事もよく分からないけれど、きっとそれでも構わないと思えたのは滅多に食べられないチョコレートを一人占めしているからだ。
三個目を食べ終わりコーヒーを一口飲んで口直しをしてから四個目をどれにしようか迷っていれば礼がまた溜息を吐いた。
さすがに心配になりそっちを向けば彼は何でもないというように首を振った。
嫌な予感はずっとしていた。
チョコレートが来た時も、差出人が『徹』だった時も。
涼が持って来た封筒でそれは確実に形を成し、開けば小さなカードが一枚入っていた。
内容だけ書かれたそれを見て目が止まる。
咄嗟に腕時計を見て、それから溜息を吐いた。
カードには今日の日付と場所と時刻だけが書かれている。
つまり今日の指定した時刻に指定した場所に来いというのだろう。
指定された場所は都内のホテルのレストランで、時刻は十七時だった。
つまりもうここを出なければ間に合わず、怒らせたらもっと面倒な事になる。
「笹川君」
そうチョコレートをつまんだ彼女を呼べばそれを持ったままこっちを見る。
普段なら返事をしてすぐに来そうなものなのに動かない姿にまた溜息を吐いた。
それに気付いたのかきちんとチョコレートを口に放り込んでからこっちへと来る。
いや、それも、社会人としてどうかと思うと、思いながら口には出さずに用件だけを告げた。
「俺、早退するから、申し訳無いんだけど祐樹が戻ってくるまで社に居てくれる?晩御飯は多分要らないと思うからゆっくりどこかで済ませて帰ってきて」
そう言えばごくんと飲み込んでから分かりましたと返事をする。
その顔がどこか不満そうなのに小さくまた溜息を吐いてから口を開く。
「ちゃんと家で説明するから、ね。今は何も言わないで。説明する時間を与えてくれなかったからさ」
そう言い立ち上がりカードと封筒を胸ポケットに入れた。
彼女が衝立の向こうに消え帰ってきた時に渡したコートを持ってくる。
それを渡してから銀行の封筒も一緒に渡してきてくれて週の初めにしなかった仕事をしてくれたのだと感謝を述べた。
「じゃあお疲れ様。戸締りだけよろしくね」
彼女の口の端についたチョコレートをそっと拭ってやってから額に口付けすればどっちが恥ずかしいのか顔を真っ赤にして俯いた。
抱きしめてこのまま一緒に帰りたいと心底思いながら部屋を出て酒井に電話をした。