14-3 わたしのしごと かれのしごと
あの箱に気付いたのはデパートでお会計をする時だった。
開いたその先にそれがあって固まってから店員の呼びかけで慌てて財布を取り出しお金を支払う。
紙袋を受け取りお土産に買った佃煮と落雁を一緒の袋に入れてからその場を逃げるように立ち去り電車に乗った。
すっかりこの話をするのも忘れていたと肩を落とし朝とは違い空いている車内の入り口に寄りかかる。
目的の駅に着いてから腕時計を確認すれば十一時になる所で急いで会社へと向かった。
もう少し早く出社出来ると思っていたのにそう出来なかったのはホワイトデーを控え、売り場が混雑していたからだ。
世の中の男性はこういう、例えば外回りをしているタイミングでお返しを買うのだと初めて知って驚いた。
自動ドアを抜け受付嬢に挨拶をしてからエレベーターまで小走りで移動する。
携帯を取り出し礼に電話を掛ければすぐに出た。
「お疲れ様です。今、下のエレベーターに居ます。もう出ちゃいましたか?」
そう息を切らしたまま尋ねれば今から降りる所だと言う。
ここから東京駅までは二十分くらいだから間に合ったのだろう。
では下で落ち合おうという彼にの言葉に従って待っていれば最上階まで行ったそれがまた下に降りてきた。
出てくる彼に頭を下げてからそれを差し出せば中をちらりと見てからにこにこと笑う。
「良いチョイスだね。お土産なんて思いつきもしなかった」
決して安いお店でないのに包装紙だけで当てるなんてと思いながらいえいえと手を振ってから自動ドアまで見送ってからエレベーターへ戻る。
さっきは居なかった酒井さんの車があってそれも少し驚いた。
社長室のひとつ下のフロアに行き、タイムカードを押せば祐樹さんが近づいてきた。
「おはよ。重役出勤だな」
にやにや笑うその顔に唇を尖らせてみせればぽんっと頭を軽く撫でられて嘘だよと言われる。
それから午後視察に行くけれど一緒に来るかと言われ思わず返事をしそうになって首を振った。
その様子に彼がん?と首を傾げる。
「社長に聞いてみないと。わたしの一存では決めかねますので、お返事を保留させて頂けませんか?」
彼はわたしの言葉にげらげらと笑ってから聞いたら社内メールくれと机に戻って行った。
去りゆくその後ろ姿にはーいと返事をしてから階段に向かいそのまま上に上がる。
誰も居ない社長室の鍵を開け中に入ってから真っ先に本棚へと向かった。
昨日し忘れた仕事をするために下の観音開きになっているそこを開く。
中には小型の金庫が入っており、鞄からキーケースを取り出して小さな丸みを帯びたそれで鍵を開けた。
その後ダイヤルを押せばカチャと音がしてノブが動く。
ここは佐久間礼の金庫で、中には彼の通帳と会社の重要な書類が入っている。
登記やら印鑑証明やら触らぬ神に祟りなしの上段は放っておいて下段にある通帳とキャッシュカードを取ってからその下段の空いているスペースに鞄の中から箱を取り出してこっそりしまった。
礼が帰ってきたらきちんと話せば物が物だけに何も言われないだろうとそこを閉めて鍵を掛けてから立ち上がる。
「……いくら要るかな」
そう言えば財布の中身について聞かなかったと思い出し歩きながらそれを鞄にしっかりとしまってからドアを出た。
とりあえず五万位下しておけば大丈夫だろうと社長室の鍵を掛けてからエレベーターを呼んだ。
接待は嫌いなのだがそれが海外の御客様となれば話は別だ。
彼らは日本人とは違い何でもはっきりと言う。
嫌な事も嬉しい事も包み隠さず相手にきちんと伝えてくる。
だから日本人とは違い駆け引きや顔色を窺う必要性は無い。
あとはどれだけこちらが日本人らしく対応出来るかだけだ。
マリオ氏はぽってりとした腹が特徴にイタリア人で御歳六十というのに若い愛人がいるらしい。
彼女がとてもキュートで可愛いのだ、置いてきたから心配だと流暢な英語で話している。
場所は例の料亭があった地域にあるそことは違う俺の行きつけの所だ。
日本庭園が素晴らしく綺麗なそこでは松の茂みに添うように沈丁花と見守るように寒緋桜が咲いている。
大きな溜池に泳ぐ錦鯉が室内からもはっきりと見える。
「そのキュートな可愛らしい方を是非見たかったですね」
と英語で話せば彼はケタケタと笑ってから肩を竦めてから口を開く。
「そんな事したら君に惚れてしまうかも知れないからね、連れて来なかったよ」
と言われいやいやと手を振ってみせれば何がおかしいのか同じように振り返してくる。
懐石料理ももう終盤に差し掛かっていて、彼の前の皿は空いている。
箸を上手く使えない彼の為に店が用意してくれたのは漆の朱赤のフォークとナイフだった。
日本料理はステーキほど固くないので、それでも充分切り分ける事が出来たらしくいたく感激していた。
「ところで、バレンタインの売り上げはずいぶんと良かったね。御蔭で助かるよ」
と彼が日本酒を煽りながら満足そうに言う。
満足なのは料理と酒と売り上げだろう。
彼の会社で作るチョコレートを輸入し今回のバレンタインで目玉商品として売り出した。
「それはマリオ氏の会社のチョコレートが美味しいからですよ。私達はその魅力を顧客に伝えただけです」
頭を下げて言えば彼も同じように頭を下げる。
彼に何度もお願いをしにイタリアに行った事が蘇り、この場に祐樹が居ない事を残念に思った。
「君が企画したあのチョコレートをイタリアでも売りたいんだけれど、良いかな。もちろんそれ相応にお金は払うさ」
彼の言葉に頷いて小さく肯定の返事をする。
日本のバレンタインという物を理解していない彼に小さな箱に四つだけ詰めて売りたいと示しても最初は首を振られた。
いわくそんなみみっちい売り方ではなくもっと大きな箱にするべきだと言う。
それもそうなんですが、と何度も説明し、大きな箱と小さな箱、両方を用意する事で合意した。
大きな箱はまだ会社に若干眠っているのは伝えていない。
「しかし本当にいつ食べても美味しいチョコレートですね。女性客は自分用にも買って行ったそうですよ」
と、日本酒をごくりと飲みながら言えば彼はひどく驚いた。
彼の会社のチョコレートは少しビターな風味をしている。
その上、少々高い。
輸入したコストを含めればイタリアで売っているよりも、一割増しの価格になる。
それをまさか二つも三つも買うと思っていなかったらしい。
「日本の女性には自分へのプレゼントという考え方があるんですよ。販売した店舗もそういった女性がよく来るデパートを主体としましたので、人気があったんです」
そう説明すれば彼はうーんと一度唸ってから考えそれから変わった文化だと言う。
その後どうしても彼が食べたいと言っていたわらび餅を出してもらいそれを食べ終われば解散となった。
外に出て庭の写真を一生懸命撮っている彼に植物の名前なんかを伝える。
いい加減飽きたのか別れの挨拶を交わし彼が車に乗り込むのを笑顔で見る。
「明日は日本に店を出そうと思っているから見に行くつもりだよ」
乗り込む前に彼はそう言い、それに、ライバルが増えますねと冗談を言えば君には到底敵わないと、これまた冗談で返され二人で大笑いした。
車に乗り込んだ彼が窓ガラスを開けさせ俺を呼び、近づいて体を屈めれば、会ってから初めてのイタリア語で何か言われる。
同乗していた通訳の顔を見れば彼女はにこにこ笑いながら彼の言葉を訳してくれた。
「礼がとても楽しそうな顔をしている。前に会った時より幸せそうだ。時間を作るから是非君の大事な人に会わせてくれよ。お土産をくれたのもその子だろう?と仰ってます」
それに苦笑いを浮かべながら、スケジュールを調整しますねと約束をすれば彼は満足そうに頷きながら去って行った。
どうして分かったのかなんて事は聞かなくても分かる。
お土産を持って来たのも初めてだしそんな事をする者が俺の周りに居ないのは承知のはずだ。
彼はそういう細かい事を気にする性質では無いので今まで失念していた。
となれば日本を愛して止まない彼にはすぐにそれが女性の仕業だと分かったのだろう。
さすがにイタリアの男だけあって他国の女性すら、興味の対象として研究していると言ったところか。
さて、と大きく伸びをしてから荷物を料亭に取りに戻り会計を済ませて酒井を呼んだ。
たっぷり三時間も話したおかげでもう十五時を過ぎている。
彼の車に乗り込み携帯を取り出せば涼からの連絡が来ていて、メールを読んでからため息を吐いた。