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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十三話 わたしと兄
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13-23 俺と俺 わたしと兄と義姉

私の事を抱いていただけませんでしょうか

私と笹川さんは全くフェアじゃありませんよね?


そう言った彼女は笑みを崩さず俺を見ている。

俺はもう一度置かれた紙と彼女の顔を交互に見てから眉を寄せた。

さっきまでどっかの男の話だと思っていたそれは涼の事だったのか、と思う。

フェアじゃないって、俺と涼がまるで体から始まったと言わんばかりの言い方に初めて彼女を睨んで口を開く。


「どういう意味で言ってるの?」


そう尋ねれば彼女は笑顔を崩さずに口を開く。

ロボットとかアンドロイドとかそういうよく出来た人造物を相手にしている気分だ。


「言葉通りです。笹川さんの体を抱いてからお決めになられたんでしたら、私もそうしてから決めて頂きたい。私は貴方が好きです」


目の前の口紅をたっぷりと塗ったベージュの唇がそう告げてきて気持ち悪いと思った。

それは安田明子という人物に対してなのかそうさせている恋心に対してなのか分からなかったが、俺も彼女も最低な奴には違いない。


「安田さんの気持ちは有難いけれど、希望は叶えられないと思うよ。俺は笹川君以外の女を抱くつもりは無いから」


小さく首を振ってそう告げれば彼女が初めて表情を崩し真顔になる。

それから小さくぶつぶつと呟くように声を低くして言う。


「どうして、どうして、あの女だけ、いつも、特別扱いするんですか」


言葉の意味が分からなかった。

特別扱いしているのは認める。

どうしたって恋人、今は婚約者なのだからそうせざるを得ない。

けれど人前で抱きあったりキスしたりした訳じゃない。

他の皆と同じように出来るだけ接してきた。

涼だけが大切なのでは無く皆が大切で涼だけが突出しているだけ。

何も言わない俺に彼女は続ける。


「他の誰だって、さん付けなのに。あの女だけ、君、なんですか。私だって貴方の為にずっと頑張ってきた。認めて貰いたくてずっと泣き言も言わないで頑張ってきました。それなのに、どうして、あの女だけ最初っから特別扱いしたんですか?!」


そんな事を言われるとは少しも思わず寄せていた眉を戻す。

見たく無いその紙を裏返すがそれは折り目のせいで頂点を軸にテントを張ったような形にしかならない。

隙間からそれが漏れ出てしまうような気がした。


「それはね、違うよ。彼女の事をずっとそう呼んでいたからそう呼んだだけで、職場で名前を呼ぶ訳にも行かないだろう。今更さん付けが出来るような間柄でも無かったしね。それに君がそう言うなら祐樹だって同じだろう」


納得して帰ってくれればそれでもう何も言わないと言わんばかりにそう告げれば彼女は首を何度も振ってから顔を上げる。

付け過ぎている香水の臭いがこっちまで飛んでくる。


「違うっ!!黒井さんは貴方の親友だから、良いんです。ずっと前からそうだったし。でも、あの女は、あの女は違うじゃないですか。知らない内に貴方の側に居て、私がずっと欲しかった貴方の心をいとも簡単に手に入れて、どうしてそれが私じゃないんですかっ!!!!」


滅多に出さない彼女の大声が俺に対する真剣度を表していてもう何も言えなかった。

言い切りはぁはぁと肩で息をする彼女の顔は赤くなっていて潤んだ目で俺を睨むように縋るように見てくる。


「抱いてくれないんですか?それでしたら私も考えがあります」


そう言い彼女は自分の携帯、スマホを操作して俺に見せてくる。

その画面は俺がやっていないSNSで、本名で登録し日記や画像がアップロード出来、世界中誰だって見れる、申請出来る、それ。

まさか、と思った。

いくら彼女が涼をよく思っていなかったってそんな事までするはずが無いと信じたかった。


「……安田さん」


そう呼べば俺を睨む目がきつくなり眉がさらに深く寄って行く。

彼女は左指で自分で出した辞表を弾いて俺の方に寄せた。


「覚悟して来てるんですよ、社長。どうせ貴方が私を抱いた所で貴方が私を見てくれないのは承知の上です。それでも私は構わない。どっちにしてももう辞めます。貴方とあの女が一緒に居る所はもう見たくない。……それでも今日何も無かったら私だけ傷を受ける事になる。それならあの女も道連れにします」


言い切りにやにやと笑うその顔に吐き気を催した。

それでも最後の最後のポーカーフェイスは辛うじて崩さずに済んだ。

この画像が無かったら、俺はきっと土下座してでも謝って帰って貰っていた。

俺のプライドなんか涼に対する気持ちに比べたらちっぽけな物でそんな物はいつだって捨てられる。

けれど、違う。

俺がここでイエスと言わなければ、涼が傷つく結果になるんだ。

ひとつ大きくため息を吐いてから頬杖を吐くように両肘を着き両手で顔を覆った。

もう彼女の顔も裏返ったあの画像も辞表も見たくない。


「分かった」


小さくそう返せば彼女がため息に似た吐息を吐く音が聞こえる。

それを聞いてから両手を外して彼女を見る。

もう動揺したような顔は浮かべない。

今の今で、俺は涼が愛してくれている礼を眠らせた。

ここに残っているのは外面ばっかり良くて相手に気を使うだけの佐久間礼だけだ。


「その代わり、終わったらすぐに帰ってくれ。これを他の人に見せないと約束してくれ。それから、これは受けとれない。辞めたいなら君の後釜をきちんと作ってからにしてくれないと困るんだよ。誰を採用するかとかいつ面接するかとかは君に任せるから、そうしてからまた出しに来て。……いいね?」


そう言えば彼女は両方を素早く片付けポケットにしまってから頷いた。






「涼ちゃーんっ!!」


驚くなよ、古くて狭めぇからな。と前置きをされたそこは本当に祐樹さんの貰っているお給料から考えると思っていたよりずっと古いアパートだった。

そこを開けた瞬間、エプロンをしている由香里さんがわたしに向かって抱き着いて来た。

その熱い抱擁を受けながら頬を彼女のそれにくっつける。


「すいません、突然御邪魔して」


そう告げればばっとわたしを離し彼女は少し怒ったような顔をする。

それからわたしの額をぺちりと叩いた。


「何言ってるの、他でもない涼ちゃんよ。しかも旦那の妹だってのに、嫌がる訳無いじゃない。そういう遠慮はしないのっ!」


信号待ちの後、また少し気まずいというか緊張した雰囲気を持ったままここにきたわたし達に彼女はあっさりとそう告げ二人で思わず吹き出す。

それからとりあえず上がれよと祐樹さんに言われ靴を脱いでそこに入る。

なんだか家で靴を脱ぐなんて久しぶりすぎてフローリングがひんやりとストッキングという薄い布だけしか着けていない足で感じ、すこし嬉しかった。

すかさず由香里さんがスリッパをどこからか出してくれありがたくそれに足を入れる。


奥の部屋からは良い匂いがしていてくんくんと鼻を動かした。


「お腹すいてる?」


どうぞ、と先頭に立ちながら歩く彼女に言われてうんうんと頷く。

わたしの後には祐樹さんが続いていて、行きついた先はダイニングと呼ぶには少し狭いキッチンだった。

背の低いテーブルを挟んでキッチンとソファがある。

その脇の壁には冷蔵庫と食器棚。

反対側にはテレビがあった。


「なんか、すごい。ちょっと羨ましいです」


包み隠さずそう二人に告げれば二人は嬉しそうに笑った。

そもそも二人共高給取りなのにどうしてここに住んでいるんだろう、と疑問が浮かべばそれを読み取ったように祐樹さんが口を開いた。


「お前が思ってるより貧乏なんだよ、家はな。俺は会社のやつら奢ってばっかだし、あいつは働いてる時にエステだなんだって行きまくってたからな。ちょっとでもスタイル崩れたりするとさ、国内線になっちゃうんだと」


そうなんだー、と頷くと由香里さんが器を両手にひとつずつ持って振り返り背の低いテーブルに置く。

それから腰に手をやって祐樹さんを睨んだ。


「ほんっと、気が利かないんだからっ。いつまでお客さま立たせておくのよっ」


そう言いそのままわたしを見てにっこり笑いソファを指差す。


「涼ちゃんはあそこ座ってて。私がその隣ね」


えぇっ?!と驚き慌てて首を振るが二人は良いから良いからと半ば無理矢理座らされてしまった。

でも、それじゃあ、祐樹さんが座れないとおろおろしていれば奥の部屋から彼はきのこの形をした丸い椅子のような物を持ち食器棚の前に当たり前のように座る。


「わ、わたし、そっちで良いです」


立ち上がれば大丈夫大丈夫と笑ってテーブルの上にあったリモコンを手にしてチャンネルを変え始めた。

仕方なくまた座りコートを脱いで丸めて背中に当て、由香里さんがご飯を三杯とみそ汁を御椀二つ、マグカップ一つをテーブルに置くのを見ていた。

テーブルの上には楕円の同じ形の鉢に入った肉じゃがとほうれん草の御浸しが入り、みそ汁の具はわかめと豆腐だった。


「わぁ、なんか、美味しそう」


びっくりするぐらい家庭的なそれに感動して両手を合わせて口の前に持ってくればエプロンを外した由香里さんがわたしの隣に座り、三人でいただきますを言い合う。

二人分だったそれを急遽増やしたらしく味が染みているジャガイモとそうでないジャガイモが混じり合い、三人でやいのやいの言いながらあっという間に食べ終わった。

食器を下げ洗い物をしている由香里さんを手伝い、彼女が御茶を淹れて三人でまたテーブルについた。

置かれた湯呑み持ち上げて鼻先まで持ってくるとそれからは似合わないオレンジの香りがしていて思わず隣に座る彼女を見る。


「オレンジルイボスティーよ。涼ちゃんはハーブティー嫌い?」


その言葉に首を振りそれを一口頂けばお砂糖が入っているらしくほんのり甘酸っぱくて美味しかった。

祐樹さんもごくりと飲んでいるところを見ればこちらの御宅ではきっとこうなのだろう、と納得する。

彼女はそれを飲んでから床に置いたわたしの鞄を見て困ったような顔を浮かべて呟いた。


「連絡来ないね」


そう言われ同じように見てから首を振る。

マナーモードは解除してあるから電話なりメールなりがあれば必ず分かるだろう。

祐樹さんが携帯をポケットから取り出すのを見てもう一度首を振る。

それからもう一口頂いてから湯呑みをテーブルに戻した。


「大丈夫です。それよりわたしも御二人にお話しがありますから」


そう告げて鞄を手繰り寄せ、その中で一際存在感を示す『お菓子』を取り出した。

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