13-18 わたしとアタルさんと彼
チェーン店の喫茶店は人が多いためあんまり良くないなと選んだ老舗の純喫茶の小さなテーブルで向かいに座る女は一カ月前に小金を得るために探しだした女だ。
あの時の傷や痣はもうすっかり癒え、目の前に座るその女が同一人物とは到底思えなかった。
けれど立ち振る舞いや声音はそのまま同じで、しかし、笑うようになった。
それも自然に楽しそうに。
「わたし……ウィンナーコーヒーにします。アタルさんはお決まりですか?」
ぼんやりと様子を観察していれば三つ折りのメニューを差し出してくれてそれを申し訳程度に受け取りあまり見ないでアメリカンと呟く。
彼女はそれにも微笑み、すぐに店員を呼んで注文をした。
あんな目に遭うような子じゃない、と思ったのが今の正直な感想だ。
彼女は注文し終わるとすこし姿勢を正してこちらを見て頭を深々と下げてくる。
「本当にありがとうございました。あの時アタルさんが来てくれなかったらわたしも佐久間もどうなっていたか分かりません」
そう言い終わりそっと彼女が頭を上げ、上に行くと言ってから持ってきた紙袋をテーブル越しに差し出す。
右手は持ち手を掴み左手は底に添えて出して来たそれを遠慮なく受け取れば貸した品物よりもはるかにずっしりと重い。
手元に寄せながら中を見ればそこには細長い桐箱が入っている。
こちらが尋ねる前に彼女がすこし心配そうに告げてきた。
「何かお礼をと思ったのですが、何が良いか分かりませんので、国の銘酒をご用意させて頂きました。御口に合えば良いんですが……」
袋を膝に置きそれを手に取れば、親父が前に好きだといっていた銘柄の酒の四合瓶が入っていた。
桐箱にもちゃんと焼き付けられたその文字を見てほーっと漏らせば彼女は顔を少し輝かせて言う。
「ご存知ですか?」
その言葉に頷き箱を袋にしまって床にそのまま置いて彼女に向き直った。
「ああ、知り合いが、好きだ。いや、良い物貰って悪かったな」
正直にありがとうとは言いづらくそう言えばいえいえと彼女が手を振りそれからその手を膝に降ろす。
やる気のないウェイトレスがこの奇妙な組み合わせに怪訝な表情を浮かべながら飲み物を持ってきて、配膳をする時にはそれがとびっきりの笑顔に変わっていて相変わらず堅気は現金だと思う。
「そうでしたか。それは良かったです。ぜひその方と飲んで頂ければ……わたしも佐久間も嬉しいです」
佐久間ともう一度言われあれが彼女だけでなく、例の社長の意向でもあると知りなるほどと思った。
きっと現金でも無くそれを選んだのは彼の意向だろう。
後腐れなく無くなる物を選んだんだろう。
つまりはそう言う事だ。
「そうか。じゃあ社長さんにもよろしく言っといてくれ。……さて、こっちの話をしていいか?」
運ばれてきたアメリカンに口を付けてからサングラスを指で押し上げそう尋ねればウィンナーコーヒーに口を付けていた彼女がカップを置いて二度頷いた。
その鼻下にはたっぷりと白い髭が出来ている。
「そっか。じゃ、あんまり長ぇ話じゃねぇからよ。まずな、これから先話す事を聞きたくねぇって思ったらすぐ言ってくれや」
声を少し低くしてそう言えば彼女は少し怪訝な顔をしてけれど思い当たる事があるような顔をして神妙に小さく頷いた。
アタルさんもブラックで飲むんだな、などととってもどうでも良い事を思っていたら、場の空気が変わった。
彼が言いたい事が何なのか何となく予想がつく。
あの時、彼らは明を追っていた。
わたしに話すとしたらそれしかない。
「今日こうして会いに来たのは一応上は知らねぇ事になってんだけどな……って、あぁ、大丈夫、黙認ってやつだよ」
言い出した言葉にえ?と顔を歪めれば彼はその先に苦笑いを浮かべながらそう言う。
その筋の人たちの上下関係、序列は厳しいのだから大丈夫だろうかと思ったけれど要らぬ心配だったらしい。
その言葉に小さく頷けば彼が先を続ける。
「あの男、な。名前なんざ聞きたくねぇだろうから伏せるが、あいつはな、ちぃっとばかしお痛が過ぎててなぁ。あの後銀行で揉めてるとこ捕まえて、ま、後は分かるか。今は……そうだな、とりあえず生きてるだろうってとこだな」
詳しくは聞くなという言い回しに眉を寄せれば彼はそれを顔を上げて見てからまた続ける。
「あいつはホストしてたんだけどよ、店の金パクっててな、ついでに御贔屓さんを孕ませてたんだと」
その言葉にえ?とまた目を見開けばそれには彼は怪訝な顔をした。
その後話さなくなった彼に恐る恐る口を開き明がどれほどその手の問題に対して気を使っていたかを説明した。
「そうか。店の客が本命って事もあるまいなぁ。どうせ嵌められたんだろ、その御贔屓に」
彼は説明すればそう呟き驚くほど冷たい笑みを浮かべた。
正直サングラスをしていてくれてよかったと思う。
それからまた笑みを消し話を続ける。
「それからこれは御姫様もご覧になっただろうけどよ、あれ、やってただろう。あれもこっちを通さないであいつが売りさばいてたもんでな、こっちとしても主犯を捕まえられたってわけだ」
あれ、の部分で腕に注射器を射す動作をされ、うんうんと頷く。
彼はスーツの内ポケットからタバコを取り出し、こっちを見てきて、またひとつ頷いてみせれば一本取り出して口に咥え火を付けた。
「何が言いたいか分かるか?」
煙を吐き出しながら言われ正直に首を小さく振れば彼はまたそれを咥え吸い込み先端が赤く灯る。
「つまりな、こういう事だ。お前さんはただタイミング悪く被害に遭っただけなんだが、お前さんの御蔭でこっちと割とでけぇホストクラブは助かったって事だ」
そう言われ、ううん?と小さく呟いてしまう。
話を整理すれば明は割と大きなホストクラブに属していたけれどお店の顧客、御贔屓さんを妊娠させた上にお金を横領していた。
その上、その筋の人を無視して麻薬を密輸入して勝手に売りさばいていた。
その二者が抱えた問題の解決の糸口になったのがわたしの誘拐事件で、彼は知らなかったとは言え、偶然にも明、つまり主犯を捕まえる事に成功したんだろう。
「……ええっとつまり、わたしが皆さんの救世主だったという事ですか?」
救世主とはちょっと違うような気がしたが良い言い回しも浮かばずそう告げる。
頭の中にはいつか呼んだジャンヌダルクが出てきてそれとは違うと思う。
「おう、そう言う事だな。飲み込みが早くて嬉しいよ。……で、だ」
と彼は持っていた小さなアタッシュケースを膝に置いて番号を合わせる動作をしてからそれを開ける。
ちょっと映画みたいでドキドキしながら見つめるとそこから出て来たのは札束では無く一枚の紙。
それがそっとわたしの前に置かれた。
A4サイズのそれの中央に七桁の英数字が並ぶ。
「……七百?」
一十百千と順番に数えてから小さく呟き顔を上げれば彼は頷いた。
紙をそのままにして咥えていたタバコを手に持ち灰皿に押し付ける。
「ん、どっちがどれくらいってのは言えねぇけどな。特にこっちは黙認の上寄付って事になってるからよ。……御姫様の慰謝料代わりが五百、ユウキへの謝礼が二百ってとこだな」
その言葉に予想していたとは言え驚き両手を振った。
とてもじゃないけどこれは受け取れない。
祐樹さんはともかくわたしの分は不要だ。
「受けとれません、そんなの。だって、助けて頂いただけでもありがたいですし、佐久間は懐を痛めてはおりませんし」
そう言えば彼はにやりとまた笑ってからトントンとその紙を指で叩いた。