13-16 あたしと先輩と彼
所謂辞表というやつを書き上げ大切そうに鞄にしまってから仕事をいつも通り始めてしまったひとつ上の先輩を見る。
さすがにちょっと煽りすぎたかなぁと思う。
この会社は温室みたいに緩い。
温い空間でダラダラ仕事をしている感覚。
学生の頃にやっていた居酒屋とは大違いで六年やってきたつまらなくなった。
かと言って辞める勇気を先輩のように持てない宙ぶらりん。
だから緩やかな川に一石投げるくらいのつもりで彼女にあれを見せた。
あたしは笹川涼を知っていた。
それもずいぶん昔から知っている。
てゆうか、本人に会ったのは初めてだけれど知っていたというのが正しい。
笹川涼はあたしを知らない。
あたしと彼女を繋ぐ唯一の点は明だ。
明はあたしのセフレだった男だ。
セフレと言っても大して体の関係は結んでない。
出会いは物凄く単純で働いていた居酒屋でナンパされた。
で、ひょいひょい着いてってなし崩し的にホテル直行。
妙に彼と馬が合いその後はやったりやらなかったり。
ただ飲みに行く日もあればそうじゃない日もあった。
あたしはヤリマンだ。
経験人数なら笹川涼に負けて居ないと思う。
けれど決定的に違うのはあたしは自ら望んで男と寝たのとそうでないのとの違いだけ。
明とあたしはすごく似ている。
歪んだ価値観の元、生きてきた。
あの時も、明といつものように馬鹿みたいに酒を飲んでホテルに行った日。
普段から低用量ピルを飲んでいたあたしは彼に避妊しないでやろうと提案し、断られ初めて笹川涼の存在を知った。
その話にドキドキしたのを覚えている。
明を心底愛している彼女が居て、その子は何でもやるんだと言う。
そんな話を信じなかったあたしに簡単に見せてくれたその写真に目が釘付けになった。
というか、すごく興奮した。
それがどうしてかは後々分かるんだけど、とにかくその写真が欲しいと言えば彼はすぐに赤外線であたしに送ってくれた。
以降、ずーっと彼はあたしに笹川涼の写真を定期的に何枚か送り続け、機種変をしてもそれを所持していた。
だからちょっとした悪戯のつもりでHPを作った。
明はインターネットにばらまくような馬鹿な真似はしない。
あれは明子のケツを叩くためのダミーサイト。
他リンクを貼っているように見せかけ文字の下に線を引いただけ。
写真が何枚かあるだけ。
RYOの部屋と書かれたピンクの文字に黒い背景で写真が映るだけ、のサイト。
どことも繋がらない検索エンジンからも除外するようにコードを打ったあたしと明子しか知らないダミーサイト。
それを今仕事をしている振りをして消している。
明子はあたしが仕事をしている振りをしていたって仕事をしていると思い込んでくれる。
でも、ほんと、まずった。
こんなつもりじゃ無かったのに。
ばれたらめちゃくちゃ怒られちゃう。
もしかしたらクビかも。
はーっとため息を吐けば彼女は顔を上げて微笑んだ。
微笑みをあたしに浮かべるなんて珍しい。
やっぱり末期だわ、と思う。
どうしようか考えあぐねて居れば携帯の着うたが鳴る。
慌ててバッグに手を突っ込んでそれを止めてから彼女を見ればいつものように怒鳴り声は無かった。
うー、やばい、絶対絶命大ピンチ。
泣きそうになりながら来たメールを開けばそんな事どーでも良くなった。
大好きなカレシ、徹からのそれに顔がにやける。
予定がついたから久しぶりに会おうって文書の後にハートがついている。
すっごい嬉しくて速攻返してからバッグにしまえば、時間なんてあっという間に過ぎた。
ダミーサイトも消したし、たぶん大丈夫だろう。
駄目なら彼に相談してお知恵拝借しちゃえばいいや、と、終業のベルと共に立ち上がる。
「お疲れ様」
明子がそう呟いてきてそれに同じように返しドアまで行く。
本当に明日から居なくなっちゃうのかなと振りかえれば彼女もまた見て居た。
ずっと二人だけでここで過ごして来たんだ。
居なくなったらさみしいじゃん。
「勝負に負けたら戻っておいでよ。勝っても戻ってくればいいじゃん。明子居ないと一人きりで仕事捗らないよ」
恥ずかしいからドアに向き直してからそう言い捨てて廊下に出た。
めっちゃ顔赤くなってマジ心臓ドッキドキだけどその足は軽くエレベーターで乗り合わせた上のフロアの人のご飯の誘いもぜーんぶ断って一目散に外に出る。
彼はいつも会社の前ではなくてひとつ離れた通りで待っていてくれる。
そこまで行けば彼はあたしに気付いて腰かけていたガードレールから立ち上がり歩いてくる。
背はあたしより少し高いくらいなんだけど、足の長さが全然違っていて顔も小さい。
若干カールが掛かった長い焦げ茶色の髪を風に揺らしグレーのスーツに黒のコート。
その上顔もすごく綺麗。
どことなくあの人を彷彿とさせるその姿に見惚れる。
マジ、カッコいいっ!!て顔が赤くなれば彼はあたしの額にキスをした。
優しくそうしてから穏やかに笑う様子はあの人に似てる。
あたしの会社のトップで明子の片思いの相手だったあの人。
「行こうか」
彼が穏やかにそう言い、うんっと返事をして差し出された手を握り返した。
彼はあたしには本当に優しくて服や靴、鞄も化粧品も買ってくれる。
それもただお金を出すだけでなく一緒に選んでくれるんだ。
あの人に負けないくらい彼は実はお金持ちで、働いていないけれど収入があるんだって。
つまり不労収入ってやつだ。
そのお金はぜーんぶ彼の物だから彼のご両親も何に使っても、何も言わないって。
彼と付き合ってからあたしはラブホなんていう安っちい所には泊まった事無い。
いっつも高級なホテルのダブルの部屋ばっかり。
「今日はどこに行く?」
と斜め下から見上げれば彼はうーんとひとつ唸ってからイタリアンにしようかと言う。
それに思わず吹き出して笑い彼が拗ねたような顔をした。
「良いけどさ、雛子、ニンニク嫌いじゃん」
そう呼ばれた彼はうるさいなと顔を赤くした。
それからそっとあたしの手を引き寄せて抱きしめてから耳元に唇を寄せる。
吐息が掛かる度ぞくぞくっとした感覚が背中に生まれそれだけで目がとろんとする。
「徹って呼んでよ」
そう言い彼が離れてまたあたしの手を引っ張って歩き始めた。
「ごめんね、徹」
小さく謝れば彼はそっとあたしを見てまた穏やかな笑みを浮かべた。
それに嬉しくなって同じように笑えば握っている手の指がどんどん絡まる。
もう一度斜め下から見上げてやっぱりあの人に似てるなぁって思う。
佐久間礼に似ている雰囲気を持つあたしだけの大事なカレシ。
彼とはどうしても結婚できない。
だからこそあの時、佐久間礼と笹川涼が付き合ってると聞いて嫉妬したんだと思う。
それであんな風に明子を焚きつけた。
あたしたちは結婚出来ないのに彼らが出来る可能性があるだけで悔しかったんだと思う。
もちろんこんな事彼には言えない。
歩きながら彼の体を見る。
彼が着ている黒いコートの下にあるグレーのスーツはレディース物。
胸は大きくはないけれどきちんと膨らみがある。
下半身には男性器は無い。
あたしのカレシという名の恋人の戸籍上の名前は佐久間雛子と言う。
つまりこれがあたしが笹川涼の写真を欲しがった最大の理由だ。