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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十三話 わたしと兄
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13-14 彼とわたしと雛鳥

泣いて泣いて涙がようやく尽きて下半身に違和感を感じる。

なんだかじんわり冷たくて気持ち悪いそれに覚えがある。

いつもならどんよりした気分になるのに今回ばかりは久しぶりにそれが来た事が嬉しい。

鞄から専用のポーチを取り出し普段わたししか使わないこのフロアのトイレに駆け込む。

下着を降ろせばそれがくっきりと付いていた。


「はぁ……」


思わず安堵からため息を漏らしストッキングを脱ぎ下着ごと交換してごわごわするナプキンを当てる。

妊娠していなかったという喜びでいつもなら面倒なその動作さえ嬉しく感じる。


ちょうど排卵日あたりだった。

明に誘拐され軟禁され、彼の仲間に輪姦されたのは。

妊娠の心配しかしていなかったのは彼の狡賢い部分をそれでも信頼していたからだ。

感染症を彼は持ち込まない。

私と付き合う前から彼はそういった類には敏感だった。

そういう関係になる前に頼み込まれて婦人科で検査を受け、結果が出てから当時はまだ普通のお付き合いだった彼と体を重ねた。


その後、異常な性癖を見せられても、なお、その部分だけは彼は異常なほど執着を見せた。

私とは気兼ねなく避妊具無しで行うそれを他の女の子とは避妊具を必ず用いると知ったのはだいぶ後になってからだった。

遊びは遊び、本命は本命と彼は区別していた。

本命の恋人であった私を友達に易々と提供する歪んだ価値観の癖に、彼はその友達に条件を付けて居た。


避妊をしていない奴は涼とは遊ばせない

検査を受けない奴は涼とは遊ばせない


彼は性格からして仲間のリーダー的存在であったし、私と避妊具無しで出来る快感、それこそ他人では出来ないようなプレイをやらせてくれる私の体を彼らは惜しみ検査を受け、彼の言うとおりにしていた。


だからこそ避妊具無しで妊娠という恐怖だけに怯える事が出来た。

彼と別れ沙織の家を出てから真っ先に一通りの検査を受けたがそれはいずれも陰性だった。

今回もきっとそうだろうと思う。

本命では無くなったとしても彼がそこの所を重視しないはずがない。


あわよくばもう一度、私を使って礼からお金をむしり取ろうとするはずだ。

その時に私の価値が下がっていればその目論見が外れる事になる。

それよりもまず自分の体が危険に冒されるという事を彼は一番に避ける。

自分が一番大事でその他は二の次だ。

自分に害が及ぶ事を彼は一番恐れている。

初めて彼が彼以外の男を連れてきて事に及んだ後、子供が出来れば誰の子であろうとも産ませるつもりだと彼は言った。

どういう心理で言ったのかは分からないけれど、きっとそこも歪んだ価値観だったんだろう。

狂った価値観を押し付けられ洗脳されたわたしにもそこは未だに理解出来ない。

誰の子かわからない子供を彼は本当に愛する事が出来たのだろうか。


気を取り直しストッキングを履き水を流して外に出る。

洗面台で必要以上に手を洗いついでに目元だけ軽く洗った。

マスカラはウォータープルーフだし他はやり直せばいい。

涙で腫れた瞼に水は冷たく心地よかった。


とりあえず妊娠していないならそれで良い。

病気はまずあり得ないだろうからそれも心配要らない。

となれば当面の問題はやっぱり安田明子だ。

彼女がどう動くかこれから毎日びくびくするのだろう。


手を拭きトイレを出ればちょうど礼が帰ってきた所だった。

持っていた紙袋を軽く上げて立ち止まる。


「おかりなさい」


言い早足で近付き笑顔を向ければ彼は安心したように微笑んで社長室のドアを開けた。

先にそこに入り彼が入ってきてから紙袋を受け取る。


「何ですか?」


中を見れば折詰に割り箸が一膳入っていた。

どうでしたかより先に聞いてしまったのは良い匂いがしていたからだ。

くんくんと鼻を動かすわたしを見て彼がくすくすと笑いながら机に向かい座ってから口を開く。


「お弁当。一流料亭の味をご家庭に」


CMのような言い回しにぷっと吹き出せば彼はネクタイを緩めながら背もたれに寄りかかった。

応接テーブルに紙袋を一度置き、コーヒーを淹れようと衝立に入れば後から彼の声。


「お茶にしてくれる?何でもいいから」


はーいと返事をしてからポットのスイッチを入れる。

さっき飲んだまま水は残っているが保温機能が無いそれはまた小さく振動を始めた。

マグカップでは無く他の社長さんからの貰い物だという益子焼の丸みを帯びた湯呑みを取り出しさっと洗う。

別に汚い訳じゃないが彼はあまり職場では日本茶を飲まない。

気分的な問題だけれどいくら伏せてあったとしても一度水を通さないと気持ち悪い。

その後揃いの急須を出し蓋を開けた。

いくつかある茶筒の中から玄米茶を選択し軽く何度か振ってから蓋を開ける。

そんな事は無いのだがあられが万遍無く混ざっていないと最後はただの緑茶になってしまう気がする。

母の癖だったのだがわたしにも継承されてしまった。

缶の中を覗きたぶん混ざっているそれを茶さじで救って三杯入れる。

緑茶は二杯で良いけれどほうじ茶と玄米茶は少し多めに入れた方が美味しいと言ったのも母だ。

沸いたお湯を湯呑みと急須に入れ湯呑みのお湯はすぐに捨ててお盆にそれと急須を乗せて衝立を出れば彼は立ち上がり応接テーブルへ向かった。


「そっちで飲むよ」


そっちと言われたそこに湯呑みを置きお茶を注ぐ頃には彼はその前にどっかりと座った。

顔には疲労の色が出ていて嫌いな接待をこなした後はいつもそうなのであえて何も言わない。

向かいの席に座り紙袋から折詰を取り出せばまだほのかに温かい。


「開けて良いですか?」


駄目とは言われないと分かっているけれどそれを開ければ中からは何とも美味しそうな上品な品々が顔を出す。

思わず顔が綻び食べたはずなのにお腹が空いた気分になる。


「そんなに喜んでもらってなんだけど、食べ残した分を持たせてくれただけなんだけどね。それでも良かったら食べて良いよ」


そう言われぶんぶんと首を振って割り箸を割った。

彼はきっと食べれないのだろう。

お酒を飲んだのかもしれないし、これ以上に食べたのかもしれない。

もともと男性としては小食の部類に入るのは知っていたので、いただきますと伝え天ぷらを箸で取った。

海老は衣をしっかりと纏い金色に輝いて見えた。

さすがに揚げ立てではないのでさくりとは言わなかったがそれでも一口齧れば臭みのない甘い身が衣とよく合っている。


「ごま油で揚げてある」


ごくりと飲み込んでからそう言えば彼は少し驚いた顔をして手に持っていた湯呑みを置いた。

それから口を開いて餌をねだる雛鳥のようにこちらへ向ける。


「……何ですか、それ。やりませんよ」


と、断れば、そのまま非難めいた視線を送られ仕方なくとその口に半分食べた海老を入れてあげる。

もぐもぐと彼が咀嚼しごくりと飲み込んでから確かにごま油かもと呟いた。


「あーん、て言ってくれるかと思ったよ」


残念そうに言う彼にやりませんって言いましたと言いながら筍の天ぷらを箸に取りそれからにっこり笑ってそれを彼に向けた。

意図が分かったのか彼が目元を緩ませ口を開ける。


「でも、今日はご接待でしたから、特別に。……はい、あーん」


もう口は開いているのにそう言うのはそれが礼儀と言う物だと思ったから。

何も告げずに入れればさっきと何も変わらない。

ぱくりと穂先の方だったそれを彼が食べ、残りのお弁当をわたしが平らげ、炊き込みご飯の最後の一口をまたそうやって彼に食べさせながら、さっきまでのあれが嘘のようだと思った。

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