13-12 わたしと彼女と諍い
一度静まったはずの怒りを彼女のその言葉はまた沸騰させてくれた。
思い切り睨みつけて威嚇する。
わたしの事をどんな風に思おうが言おうが構わない。
見下し蔑み悪口を言われても仕方ないと思う。
どんな事情がそこにあるにせよ事実は事実だ。
けれど、礼に関して言えば違う。
彼はそんな人じゃない。
女を金で買って体目的で側に置くような、人に顔を背けてしまうような事をする人じゃない。
むしろ逆だ。
彼は女という生き物対しトラウマがありそれを必死に隠して一切匂わせずに生きてきた。
親友にすら言えず一人で苦しんで、それでも佐久間礼という分厚い仮面を被ってそれを守り抜いてきた。
「違います」
何も言わなかったわたしが突然そう一言だけきっぱりと告げれば彼女は眉を寄せた。
眼鏡の奥にある目が細くなる。
わたしは彼女を綺麗な人だと思っていた。
顔やパーツはそこまで綺麗な形をしていないけれど彼女の持つ独特の聡明で真面目なオーラは顔やパーツを超える何かを彼女に持たせている。
けれどその綺麗な人が今は物凄く醜く見えた。
纏うそれがわたしにだけ変わってしまったからだろう。
「何がですか。まさか社長と体の関係が無いとでも仰るんですか」
鼻で笑いながら彼女が吐き捨てるように言いわたしをもっと深く睨んでくる。
いつもなら泣いていたと思う。
こんな状況に立たされたら間違いなく泣いていた。
今だって本当は逃げ出したいくらい辛いし体だって震えそうなのを必死に抑えているだけだ。
でも、もう守れないかもしれないけれど、それでも礼を守りたい。
彼がわたしのせいで傷つくのはもう見たくない。
小さく首を横に振ってから口を開く。
「有ります。でも貴方が思ってらっしゃるような事ではありません。彼はそんな風にわたしを抱いた事は無い」
わたしがはっきりとしかし声を潜めて言えば彼女は鼻に皺を寄せた。
犬が威嚇をし唸るそれに似た表情に背筋がぞわぞわする。
けれど言わないといけないと口を開く。
唇が小刻みに震えはじめ鼓動が速くなる。
同性の嫉妬は本当に厄介だ。
「お金で買われた覚えもありません。彼とはそんな関係じゃ無いです。わたしは……わたしは事実があるから何と言われようがどう思われようが構わない。けれど彼をそういう風に言うのは許せません」
視線を外さずにそう告げれば彼女は皺を寄せたまま体を少し動かす。
次の瞬間、テーブルの下にあるわたしの足は彼女によって踏みつけられた。
無遠慮な力加減に思わず視線を外し目を閉じる。
「それは社長に確認した訳じゃないんですよね。それとも確認されたんですか。どちらにせよ普通じゃない。狂ってるわ、貴方。よくおめおめと秘書なんか出来ますね。さすが普通じゃない人は違うわ」
怒らせようとしているんだと思う。
わたしが怒鳴り喚き泣けばいいと思っている。
狭い店内、ランチで混み合う中、彼女はあえてこの場所を選びそうさせようとしている。
理由なんて要らない、ただ、そうやって復讐したいだけだ。
足を動かそうとしても彼女は体重を掛け踏みつけているため少しでも動かせば痛みがまた生まれる。
いつまでも痛がっていても仕方無いとまた目を開け彼女を睨む。
「何が仰りたいんですか。はっきり仰って頂いて構いません。そんな回りくどい言い方をして自分の想う人まで貶めて、安田さんはわたしに何をして欲しいんですか」
もうたくさんだ。
彼女の罵詈雑言に付き合うのも足を踏まれるのも睨まれるのもたくさんだ。
どうせ次に言う言葉は分かっている。
けれどどうせなら本人の口から聞きたかった。
聞いて事実を作ってからでないと真向に喧嘩なんて出来やしない。
彼女はわたしを睨みつけたまま鼻に掛かる皺だけ解いて声を潜めた。
「貴方と社長は似合わない。不釣り合いです。別れて下さい。貴方が会社に居ることすら虫唾が走るっ」
その言葉を聞きたかったんだと思った。
誰かにそう言われるのは覚悟していた。
それがわたしを歓迎すると言っていたこの人だとは思わなかったけれど、そう言われてむしろ気分がすっきりする。
さっきまでのように有る事無い事予想されて言われるよりずっとマシだ。
睨んでいた表情を解き穏やかに笑って見せる。
足を踏みつける力が増して、正直、かなり痛い。
それでも売られた喧嘩は買う。
買わないで他に売りつけられたらたまったもんじゃない。
「別れる事も退職する事もわたしは構いません。けれど貴方じゃ彼の隣は務まらないでしょうね。彼は女なら誰でも良いわけじゃない。……聡明な安田さんならこの意味がお分かりになられますよね?」
何も嘘は言っていない。
彼は過去を隠し続けたからこそ受け入れたわたし笹川涼を愛してる。
だからこそどんな目に遭っても結婚を申し込んで来たんだ。
正体知れないわたしと私と『私』にそうして来た。
あえて彼が笹川涼を愛しているのだと伝えなかったのは彼女自身でその答えを理解させる苦しみを与えたかったからだ。
彼女は静かに表情を戻し笑ってから一度足を上げ思い切りまた踏みつけるとそのまま足を自分の方に戻して立ち上がる。
「申し訳ありませんが、仕事がありますので先に失礼します。どうぞ笹川さんはゆっくりしていって下さいね」
立ち上がり会釈をし笑みを浮かべてから彼女はテーブルに代金を置いて去って行った。
その後ろ姿を見ながら涙目になったのは悔しさと痛みだった。
昼休憩はとっくに終わってる。
貴方は会社に不要だから戻ってこなくても構わないと遠まわしに言われたのだと気付いたのは彼女の姿が完全に消えてからだった。
ひとつため息を吐き温くなった水を飲み干してから携帯を取り出し確認すれば不在着信と新着メールの文字。
着信履歴を確認すればそれはやはり由香里さんでメールも彼女からだった。
あの場で無視してしまった事に少しだけ罪悪感を感じ、けれどこの場で彼女からのメールを開く事は幸せそうな二人に対し汚いわたしの過去が水を差してしまうような気がして立ち上がり足を引きずりながらレジへと向かった。