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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十三話 わたしと兄
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13-10 俺と社長と彼女

迷い何も言えずに居る俺に彼がそのまま続ける。


「もちろん、ここで答えて貰わなくて構わんよ。私はデータを見せたが君の懐事情までは分からないしな。あと、出来れば新商品を開発したいからそれも君の所でお願いしようかと思っているんだよ」

「それは、もう、大変ありがたいお言葉です。即答出来かねるのは本当に申し訳ない。生産者が少ないのでご期待に添えるか、どうか分かりかねます。けれど、どうにかご要望にお応えできるよう尽力を尽くします」


そう返答すれば彼はまた内ポケットに手を入れて四つ折りにした紙を見せる。

御猪口を置きそれを嬉しそうに広げた。


「君の事は気に入っていて仕事を任せるのは申し分ないんだが今回はこれをね頂いたから、会おうと思って来てもらったんだよ」


広げられ二人の間に置かれた紙を体を伸ばし見て固まった。

メールを印刷したそれを彼は大事に持っていてくれていたのだろう。

内ポケットに長く入れられていた証のように紙がよれている。


『梅のつぼみも綻び始め日ごと春の訪れを嬉しく感じます。

 如何お過ごしでしょうか。

 突然のご連絡を差し上げる無礼をお許し下さい。

 この度株式会社佐久間商事の社長、佐久間礼付きとなりました秘書の笹川 涼と申します。

 徳本様とは以前ご招待頂いたパーティで一度お会いさせて頂きました。

 あの場では途中で失礼するという失礼を致しまして重ねてお詫び申し上げ ます。

 右も左も分かりませんので、何かとご迷惑を御掛けしてしまうかも知れま せんが佐久間共々これからもどうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申 し上げます。  笹川涼』


固まったままの俺に彼の言葉がゆっくりと耳に届く。

彼の指が紙の上部を指示しそこに視線が行く。


「あの時はまだ秘書じゃなかった彼女がそれをくれたのはまだ半月前くらいだ。会社のサイトに記載された私個人ではないアドレスで来てそれが私の所にすぐに来てね。秘書としてすぐにこれを私に送ってきたのだとしたら、ずいぶん逸材を探しだしたんだと感心したよ」


顔を上げれば俺のそれを見て彼は目を少し開いてから笑いながら続ける。


「あっはっは、そんな顔をする君を見れるとは思わなかった。いや、大切にしたまえ。君の秘書が嫌になったらぜひ私の所に来たまえと伝えてくれ」


その言葉にきちんと顔を上げ崩れっぱなしのポーカーフェイスをやり直してから首を横に一度振った。

それから視線だけ下げ口を開く。


「申し訳ありませんが、社長と言えど彼女だけは譲れません」


そう告げれば彼の笑い声が止まる。

しばらくそのまま間が流れまた口を開いた。

目線を戻し彼を見て穏やかに笑ってみせて。


「彼女は私の婚約者なので」


その言葉を彼は予想していたように頷きそれから座卓の脇に置かれた内線の子機を取り女将へと連絡する。

一言二言交わす様子を見ながらまた間に置かれた紙を見た。

こんなメール送っていた事すら知らずに居た。

すべての取引先に送っているとは思えない。

徳本氏とは一度会っているからと、気を使ったのだろう。


「さて、そろそろお開きにしよう。もっと話していたいのだが社に戻らないといけないしな。君をいつまでも拘束するのも悪いからね」


彼が立ち上がれば襖がタイミングを見計らったように開き廊下へと向かう。

部屋を出る前に彼が振り返り笑顔で告げた。


「食欲が無かったようだからお土産にして持って帰ってくれ。私のポリシーでな、食事を残す者とは仕事をしたくないんだ」


俺の残った皿を見てそう言い彼はそれではまたと去っていきその背に向かって頭を下げた。

女将がそれに付き添い消えていき、一緒に控えていた仲居が入ってきて新しい箸で使い捨ての木で出来た薄い折詰にそれを詰めていく。

冷え切った白米では無く湯気が出る炊き込みご飯が入っていたのが徳本氏の彼らしい心遣いだと嬉しくなった。

包んでもらったそれを受け取り靴を出して貰って外へと出る。

さっきは暖かい風が吹いていたのに、もう午後三時を過ぎているせいかやはり風が冷たかった。


コートのポケットに入れっぱなしだった携帯を取り出し酒井に電話を掛け、それからメールを開く。

そこには涼からのメールが来ていてそれを開いてその場で目を通した。







いつまでもミニノートとにらめっこをしている訳にもいかずすぐに頭を切り替える。

携帯を鞄から取り出し開いて見るが着信は無かった。

昨日の今日で兄である黒井祐樹が来ないのは妹という立場抜きにしても心配だ。

もう一度掛けようとボタンを押して耳に当てるがコール音が鳴り響くだけで一向に出る気配が無い。

彼は婚約者の由香里さんと暮らしているのだから死んだという事は無いだろう。

だからそこまで絶望的に心配している訳ではない。


けれど、彼は彼なりにショックだっただろう。

ずる休みという訳では無く単にわたしと会いたくないのかも知れない。

それならば、と由香里さんにメールを送る事にして画面を開く。

内容はごくごく簡潔に昨日取り乱した事に対しての謝罪と祐樹さんが来ていない事を書いた。


仕事を辞めて結婚式の準備に忙しい彼女がいつこれを読んでくれるかは分からないけれどそのうち連絡をくれるだろう。

それはメールかも知れないし携帯か会社宛てに電話が来るかもしれない。

どちらでも連絡さえ取れればそれで構わない。

送り終わり携帯を鞄にしまえば、もう、昼過ぎでさすがにお腹が空いてきた。


一人ならば出前を取るのもなんだかお店に申し訳ないとコンビニでも行こうか考えていれば内線が突然鳴り出しびくっと体を揺らしてから礼の机へと走り寄り受話器を取った。


「お待たせしました、笹川です」


そう告げれば低い女性の声。

少し間を置いてから彼女がわたしに告げる。


『メール見て頂けましたか』


その言葉にぞくりと背筋が凍り目を見開いた。

やっぱり、と思うと同時に逃げ出したくなる自分が居る。

答えないわたしに彼女が言葉を声を低くしたまま続けた。


『お昼ご一緒して頂けますよね』


それは確認じゃない、脅迫だ。

一緒に来なければ周囲に漏らすという意思が隠れている。

本来ならこうして直接行動に出た時点で上司である礼に相談をしないといけないだろう。

けれど彼は今頃徳本社長のお相手をしている。

個人的な事情でそれに水を差すわけにいかない。

早鐘を打つ鼓動を少しでも落ち着けるように胸に手を当てて頷きながら一言、はい、と返事をした。

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