13-9 俺と社長と仕事
前菜は豆腐の田楽、蕗の炊き合わせ、土筆のお浸しだった。
それを一つずつ食べてはまた御猪口を傾ける。
手が止まったままの俺をちらりと見るが何も言わなかった。
前菜を食べ終え皿を避けてから箸置きに箸を戻す。
「まぁ、それだけではないがね、私が君を懇意になれればと思っているのは」
その言葉に箸を取ろうとしていた手が止まる。
彼が食べながらで構わんよと言うのでそのまま箸を取って田楽を箸で半分に切り口に運ぶ。
味噌には柑橘系の物が練りこまれているらしく爽やかな風味が広がる。
「ほら、あのクリスマスのあの時に、な。君が途中で帰っただろう」
その言葉にごふっと飲み込もうとしていた豆腐が引っかかり口の中でむせる。
何とか吹き出しはしなかったが慌てて御猪口を傾け喉の奥へと流す。
それから一息ついてから口を開く。
「あれは……申し訳ありませんでした。本当に悪かったと反省しております」
あの後すぐに謝罪の連絡はしたもののきちんとこうして対面した形で謝ってはいなかったのでそう告げ深く頭を下げれば彼はいやいやと笑いながら言う。
顔を上げれば手首を曲げて何度も振りながら首を振っている。
「気にしておらんよ。挨拶はきちんとしてくれたしな。それに」
また彼が箸を取り今度は天麩羅へと手を伸ばした。
さっくり揚がっているのが分かるほど衣が立っているそれをひとつ取り添えられた抹茶塩を付けて齧っている。
それに、の言葉の続きを促すわけにいかず彼が飲み込むのをただじっと待つ。
「聞けば君が連れていたあの可愛らしいお嬢さんが相当酔っぱらってたそうじゃないか。ああいう場で連れ合いを心配して帰る奴は中々居らんよ。大体は放っておくか叱りつけるもんだ。何度もそういうのを見た事がある」
彼は箸で挟んだままの海老を見つめながら後半は顔を顰めた。
海老がまずかったというわけでは無く、そういうのが嫌なんだろう。
それから海老をまた齧り尻尾まで口に入れてから咀嚼をし飲み込む。
「私はそういうのは好まないんだよ。大体、主催側に対したって失礼だろう。せっかくの場が壊れるしなぁ。その点君は実にスマートだったと思うよ」
うんうんと頷く彼の褒める言葉に崩れたままのポーカーフェイスは対応出来ず顔が赤くなってしまい俯く。
そんな俺を尻目に彼は続ける。
「彼女は君にとって大事なお嬢さんなんだろう?彼女は控え目だったが堂々とされていてまた好感が持てたよ。ああいう場に不慣れだろうとは思っていたんだがねぇ、きょろきょろする訳で無く、邪魔をする訳で無く、君を独占しようと嫉妬心を剥き出しにする訳で無く」
自分だけでなく涼まで褒められてますます嬉しくなり赤くなる。
彼はまたうんうんと頷きそれから箸を置いた。
顔を上げて頭を下げながら彼に謝辞を述べる。
「ありがとうございます。彼女も社長よりそんな御言葉を頂けたと分かればさぞ喜ぶ事でしょう」
「そうかね、こんな爺の言葉なんて喜びゃしないだろう。さて、それより、こんな場で申し訳ないんだが仕事の話をして構わないかね」
空気が一変して穏やかな物から緊張した物にその一言で変わる。
何かあるだろうとは思っていたから心構えはしてきた。
ポーカーフェイスが崩れたのは計算外だったが。
俺の表情は一瞬にして元に戻り彼を姿勢を正して見つめる。
契約の続行かそれとも不備があり破棄になるのか。
彼はゆっくりと背広の内ポケットに手を伸ばし封筒を一つ取り出す。
徳本株式会社と書かれたそれを差し出してきて両手でしっかりと受け取った。
「まぁとりあえずは中を見てくれ」
彼はまた手酌しようとするがすでに御銚子は空だったようでひっくり返し振っている。
封筒を開ける前に彼の前に自分のまだかなり残っているそれを置けば、声を弾ませ、いやぁ悪いねと言った。
その声を聞きながらひとつ呼吸をして封はされていないそれを開き中の紙を取り出した。
三つ折りのそれを開いて見れば何かの資料のようでデータがリストタイプの表と折れ線グラフ化されている。
「それはね、君の所から入れている物を使った商品の売り上げ数とそれに対するクレームの件数なんだがね。二週間ごとのデータを分かりやすくまとめたものだ」
題目も何も書かれていないそれは社外秘なのだろう。
彼はそれをわざわざ持ってきて社外の人間である俺に見せている。
表を見ればその数値が徐々に増えている事が分かる。
同じように折れ線グラフも上下に振れ幅はあるものの開始地点に比べればそれは確実に伸びていた。
見入る俺に彼がまた口を開く。
「二枚目はご意見だ」
そう短く告げられ重ねられた紙を入れ替えれば小さな文字で文章が並ぶ。
それを見て、あっ、と小さく呟いた。
チーズが美味しかったです。
トマトの酸味が今までに無いくらいで美味しい。
トマトはどこから仕入れているんですか?
などと言った肯定的な意見が並ぶ。
それに思わず顔を上げれば彼はただ笑って見ている。
彼の会社に卸しているそれは我が社が唯一輸入している物だ。
それも徳本に卸すためだけに交渉を重ね、ようやく輸入する事が出来たもの。
イタリアの限られた地域でしか生産されていないらしいトマトは酸味が強く味が濃い。
冷凍食品という風味が損なわれやすい物にもそれならば良いだろうと、自ら先頭に立ち交渉を続けた。
「書いてある通りだよ、佐久間君。生産量を増やしたいんだが、何とかなるかね」
御猪口を傾けてからそう言われ、一瞬悩んだ。
この場での即答は出来れば避けたい。
そう思い何も言えずにただじっと考えてしまった。