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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十二話 彼と私と日曜日
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12-24 俺と母親

礼の家のルーフバルコニーは喫煙所としてしか利用した事がなかった。

その時はいつも彼が灰皿を用意してくれていて、今はそれも無い。

笹川の電話を耳に当てたまま何も話せずに夜景を見つめていた。

電話の向こうのもう二十年以上会っていない母親も何も言わない。

由香里は俺の横に立って俺の手を握っていてくれた。


『……祐樹なの?』


思いつめたようにそう声が聞こえて初めて目頭が熱くなった。

記憶のずっと底の方にあった母親の記憶が浮上して心を埋め尽くしている。

何か答えないとと口を開けば涙が決壊した。


「おう、母さんか?」


意外にも自分から出た言葉は普通で、ずっと一緒に暮らしていた母親に電話をしているように答えてしまった。

母親がぐすっと鼻を啜る音がする。


『ごめんなさい、貴方に酷い事をして、ごめんなさい』


その言葉を聞いて由香里の手をそこで初めて握り返した。

彼女の顔が跳ね上がり俺を見る。

その目もまた潤んでいた。


「しょうがねぇよ。……元気か?」


許せない気持ちが全くないわけじゃない。

けれど自分が結婚できる年になりその相手も見つかり、子供が居ると知った今母を責める事が出来ない。

現実問題、母一人では俺を育てられなかったのかも知れない。

置いて行った事も母の愛情のひとつだったんだろう。


『元気よ。新しい夫にも娘にも恵まれて。……お父さんが死んだ時に行けなかったこともごめんなさい』


相手に見えないのに首を振る。

長く離れていた溝が埋まらない。

言いたい事も聞きたい事もたくさんあるはずなのにどれひとつ出てこなかった。

返事の出来ない俺に母が涙にまみれた声で聞く。


『祐樹は?元気にしてるの?ちゃんとご飯食べてる?何か困った事はない?』


こんな時に食事の心配をされると思っていなくて口元がにやりと歪んだ。

それから首を傾けて空を仰ぐ。

ロマンチストじゃないがこの空の先に母が居る。

死んだのかもしれないと思っていた母が居る。

その母に伝えたい。

大事な人が出来たと。


「結婚するんだぜ、俺。すげー美人で器量良くて明るくて良い奴なんだ。ちゃんと幸せになってるよ、俺。佐久間の家に大学に行かせてもらって、佐久間の会社で働かせてもらって。母さん嫌がるかもしれないけど、親父と同じような仕事してんだ」


母が息を飲んでからそれから笑っている気がした。

記憶に残る母は親父が忙しく帰ってこなくても俺に笑ってくれていた。

どうして忘れていたんだろう。


『そう。よかった。お相手の方を大事にしてね。母さんみたいに辛い思いさせないでね。おめでとう、祐樹。幸せになりなさい』


嬉しいと母が思ってくれる事が嬉しくて由香里を見て頷いた。

彼女に代わろうとすれば彼女はそれを首を振って断ってきた。


「それからさ、俺、親父になるんだ。母さんは孫だぜ。涼はまだ子供産んでねぇから初孫だろ?」






隣で小さい頃に別れた母親と電話をする彼を見てその顔があまりにも幸せそうで本当に嬉しい。

彼が涼ちゃんを涼と呼び捨てに初めてした事に気付いて、彼が彼女を妹だと認識したのだと思う。

出てきた窓ガラスを見れば、その妹は元恋人に抱きついて泣いていた。

大口を開け首を振り子供のように泣いていた。

それを見てここは外で寒いのに暖かく、中は室内で暖かいのに寒そうだとふたつの温度差に胸が痛む。


母親は絶対的な物だ。

無条件に自分を受け入れて愛して大事にしてくれる。

そうでない母親が居る事も知っている。

けれど少なくとも私と涼ちゃんの母親はそうだ。

彼女は母を尊敬し料理を教わったと、私に教えてくれる時に言っていた。


その母親が二十四年も彼女に告げていない事を彼女は祐樹のために聞いた。

その絶対的な物が揺らぐかもしれないと分かっているはずだ。

彼女は誰よりも人が自分の元を去っていく事を恐れている。


小さな命が宿ったお腹にそっと手を当てる。

ここに私が絶対的に無条件に愛して受け入れる子供が居る。

彼がその様子に気付き、電話の向こうの母親に挨拶をして電話を切った。

私が慌ててよかったのにと言えば、もうこれからはいつでも話せるから良いんだと笑う。

それから私を柔らかく抱きしめた。


「俺は母さんよりお前とお腹ん中の子供の方がずっと大事だ。だからお前と子供が危なくなんなら、寒いとこなんか居たくねぇ」


うん、と私が小さく頷けば彼は私を解放して手を繋ぎ室内を見てから顔をこわばらせた。


「涼には悪りぃ事したな。けどあの様子じゃ下手に言葉かけらんねぇし。礼との事もケリついてねぇし、とりあえず今日は帰るか」


その言葉に思わずえ?と言ってしまった。


「それはあんまりにも無責任じゃない?」


そう不満げに告げれば彼は私を見て困った顔をした。


「でも、お前、あれどうにか出来っか?俺、無理だ」


あれは涼ちゃんを指して居るんだろう。

確かに、私にもあれは無理だ。

だから彼の意見に同意せざるを得ない。

私たちでは涼ちゃんを泣きやませる事は出来ない。

火に油を注ぐようなものだ。


気に食わないけれどここは佐久間礼に任せるしか、ない。


窓に向かい歩き出す彼がぽつりと小さく呟いた。


「なぁ、席、一人分増やしていいか?」


そこに座るのが誰か聞かなくても分かる。

そこに座って欲しいという気持ちも分かる。

だから笑って彼に告げる。


「Of course!!」


私と彼は顔を見合わせてそれから中の二人に分からないように一瞬だけ笑いあった。

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