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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十二話 彼と私と日曜日
134/418

12-22 娘と私と息子

緊張して喉が動いた。

静止したテレビの画面にはちょうど謎解きをする探偵役の俳優が映っている。

東北の二月の終わりはまだ寒い。

古い灯油ストーブの上では薬缶の口から湯気が出ている。

昔、まだ娘が高校生だった頃に一度だけ自分の過去を話した事がある。

それを話した時、娘は何も聞かなかった。

ただ、そうなんだ、とだけ頷いてそれから私を産んでくれてありがとうと照れくさそうに言った。

その話の事をいつかまた聞かれるとは思っていた。

けれどそれが今だなんて思わなかった。

それきり黙った娘に大丈夫だと言う意味も込めてこちらから話しかける。


「お母さんの前の旦那がどうしたの?」


出来るだけ優しく言ったつもりだけれどそれは上手く伝わっただろうか。

娘の吐息が電話を通じて聞こえる。


『……黒井さんって言うんだよね?』


確認するように聞かれそれは前に話した事がある。

黒井はすごく優しい人だったのよ、子供を置いていく事にも何も言わず送りだしてくれた、と。


「そうよ、黒井祐太さん。とっても優しい人だったわ」


黒井とだけしか教えていなかった元夫のフルネームを言えば、カタンと襖の開く音がし夫が入ってくる。

風呂上がりの濡れた髪に厚手のネル生地のパジャマ。

それに藍色の絣の半纏。

電話中の私の右手のこたつに入って寒そうにその手を中に入れた。

夫はすべてを知った上で結婚して貰ったから娘と話していても特別気を使う必要はない。


『黒井ゆうたさん。ゆうはカタカナのネに右?』


その言葉に思わず眉を寄せた。

確かに一般的な文字ではあるけれどそんなすぐに浮かぶはずないだろう。

では娘はどうしてそれをすぐに当てる事が出来たのか。

私がそれを尋ねる前に娘がまた言葉を送ってくる。

その声が酷く震えていて不安げで側に居たらすぐに話すのを止めなさい、お母さん、聞きたくないわと言ってしまうほど、辛そうだった。

娘はいつからか物凄く遠慮がちになり、それまでも大人しい子ではあったがそれに輪を掛けた。


『お母さん、私、お母さんが大好き。ちゃんと向き合って私に色々教えてくれて子供の頃から飴と鞭を使い分けてくれて、今になって思えば一人でこっちで暮らせるのもお母さんがちゃんとしてくれたからだと思う』


突然の感謝の言葉に戸惑う。

まるでこれから自殺でもしようと言うようだ。

眉を寄せたままの私に夫が気づき心配そうにこっちを見てくる。

すこし禿げかかった頭、白髪が増えて黒髪は少なくなった。

年相応に肉が付き加齢臭だってする。

それでもこの人は私を一番に考えてくれる。

彼に首を振り口を開く。


「ありがとう。お母さんも涼が大好きよ。でも、どうしたの?まるで結婚式の両親の手紙だわ」


くすくすっと笑ったのは演技だ。

夫が結婚式という言葉にえらく鋭く反応して眉をしかめた。

彼にはまだ娘が適齢期を迎えている自覚が無い。


『ちゃんと言っておこうと思って。お母さんに今から聞かれたくないだろう事を聞くから。だから……ちゃんとその前に言っておきたかったの』


酷く沈んだ今にも泣きそうに告げるその声に何も言えなかった。

娘が何を聞こうとしているのかその時点でもう予想がついた。

けれどそれを聞きたくないとは言えない。

家族だから、家族だからこそそういう隠し事はしたくない。


『お母さん、お兄ちゃんの事心配?』


ああ、やっぱり、その話かと目を閉じる。

娘が置いてきた小さかった息子をそう呼ぶのも初めてだ。


「そうね。心配だわ。本当の事を言えばずっと心配してる。元気にやってるかしらって母親失格なのにそう気にしてるのは事実よ」


夫がやっと話の内容を掴み私のこたつの中の足にそっと手を乗せた。

それに目を開けて微笑みで返す。


『お兄ちゃんの事、好き?』


電話の向こうの娘の声が上擦り吐息が荒くなる。

泣いていると確信する。

娘は誰に似たのか泣き虫だ。

すぐに泣き、けれど、それは耐え忍ぶようにじっと押し殺して泣く。

子供の頃からずっとそうだった。


「好きよ」


嗚咽を上げるわけでもなくただ声を殺し、息だけがしゃくり上げるように途切れ途切れになった。

一人で電話しているのだろうか。

それとも大晦日に話していた彼と一緒なのか。


『お兄ちゃんに、会いたい?』


その問いではっとする。

会いたいと聞くのならその対象を娘が知っている事になる。

鼓動が早鐘を打ち手に汗を掻いた。

冷静なふりをしなくてはいけないのにとても冷静でなんて居られない。


「あ、会いたいわ。会ってくれるなら。でも、無理よ。きっと許してなんかくれない」


そう言いまた目を閉じ遠い記憶に残してきた息子の笑い顔を想い浮かべた。

にやっと楽しそうに笑うその顔を忘れた日なんて一日も無い。

夫と結婚した日も、お腹を痛めて娘を産んだ日も、一日だって無事を祈らない日はなかった。

黒井が死んだと連絡があった日、散々迷って、息子ではなく家族を家庭を選んだ。

一人になった息子を引き取るなんて今更言えなかった。

どんなに罵られても、それでも、涼と夫の方を選んだそれに後悔はしていない。

それ以来、佐久間の家に連絡から連絡が来る事も無く、息子が今どこで何をしているのか本当に分からない。

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