12-17 俺と夜中の訪問者
廊下の向こうから俺の姿を見た二人が早足で歩いてくる。
人差し指を口に当てて見せてから口を開く。
声を潜めながらそのままドアを開ける。
「涼はもう寝ちゃってるから静かにしてくれる?」
その言葉に二人が頷きそのままリビングへと通した。
大事な話、ね。
高松さんと仲の良い涼が何か言ったのかも知れないのはすぐに予想がついた。
テーブルに二人を座らせキッチンへ向かう。
生活感の無かったそこは涼によって息を吹き返した。
急須にいくつかある茶筒からほうじ茶を出して入れお湯を注ぐ。
香ばしい香りが漂いそれが逃げないようにすぐに蓋をした。
湯呑みをふたつ用意してお盆に乗せて戻り二人の前でそれを注ぐ。
ひとつずつ二人の前に置いてから向かいの席に座りお盆を端に寄せた。
香りを嗅いだ高松さんがほうじ茶ですねと呟き両手でぽってりとした湯呑みを持って一口飲む。
それから美味しいですと微笑んだ。
「涼が緑茶をフライパンで焙じてるからね。で、どうしたの?」
どっちを見れば良いか迷って結局彼女を見た。
祐樹は何も言わずずっと俯いている。
俺の言葉に彼女は湯呑みを茶托に戻してから顔を上げた。
「それはこちらの台詞です。どうしたんですか」
その言葉にやっぱり知られているのだと確信し笑顔を消す。
どこまで知っているんだろう。
「あぁ、その話ね。涼は、何て?」
とぼけても無駄だからとそう訪ねれば彼女は眉を寄せる。
「別れたから結婚式には行けないと。どうしてそうなってるんですか?」
睨むように見ている視線の先、穏やかな笑みは消え目を細めた佐久間礼が口を開く。
「そうなってる、ね。涼がそう言うならその言葉通りでしょ。別れたというのは少し語弊があるかも知れないけれど」
煮え切らないその答えに皺が深くなる。
俺はとても話せないと祐樹は車の中で言いそれでも構わないと伝えた。
彼の短気な性格を考えればその方が良い。
「語弊?どういう事ですか?別れたんでしょ?」
「そうだね、別れてる状態ではあると思うよ」
煮え切らない言葉に苛立つ。
ここに涼ちゃんが居なかったら何か適当な物を持ってお暇しようと思っていたのに、彼はもう寝てると告げた。
「そんなに他人の事情に口を挟みたい?涼は二人が来る事を知らないんだよね?」
返さないうちに彼がそう言い祐樹が隣で頷いた。
それから俯いていた顔を上げる。
「知らねぇ。勝手に来た。……悪りぃとは思うけど、俺も知りてぇ。どうしてそうなったんだよ。お前、笹川じゃないとダメだろ?」
佐久間礼が少し困ったような顔をしてそれから祐樹の言葉に頷いた。
深く一度だけ首を縦に振る。
「じゃあ、どうして、どうして、別れるなんて。そんなの、ひどい」
彼は少し振り返り廊下の向こうを気にしてから口を開く。
「俺がひどい事をして彼女がそれに耐えられなくなって別れを切り出された。それを正確に言えばまだ受け入れてないけれど、今の状態をあえて言葉で示すなら、別れているのは的確だと思うよ」
ひどい事という単語が血液を沸騰させた。
誰よりも目の前の木偶の坊は知っているはずなんだ、涼ちゃんがどんなに苦しいか。
「何したんですか、ほんと。何してんだよっ!!」
バンとテーブルを思い切り叩いてしまい湯呑みが倒れた。
彼がそれを動揺する訳でもなくただ布巾を持ってきて拭く。
空になった湯呑みを茶托に戻しそれからまた座り直した。
「何、ね。じゃあ聞くけど祐樹が隣で寝てるのに抱かれなかったらどう?祐樹は高松さんが隣に寝てて手が出せなかったどう?それを例え自分がそうすると決めたとしてもいつか欲望は顔を出すでしょ?綺麗事じゃなくてさ、それは俺だけじゃないと思うよ」
頭に昇った血は私を勝手に動かした。
彼の言う理性とは別のそれが祐樹の湯呑みを掴んで思い切り佐久間礼の顔めがけて中身をかける。
彼が目を閉じ、けれどそれをそのまま受けた。
ぼたぼたと顔からお茶が滴る。
「最っ低よっ!!」
湯呑みを投げつけようとした手を押さえたのは祐樹だった。
振り返れば首を振っているものの顔は怒りに満ちている。
佐久間礼がため息を吐いて両手で顎から額に掛けてお茶を拭うように動かし髪へとそれを流す。
「綺麗事じゃないって言ったでしょう」
それから手を下し酷く冷たい目で私を見る。
初めて見るそれに背筋が凍る。
「そうしたくてそうしたんじゃないんだよ。俺だってそんな事したくなかった。でも、そうしたいくらい俺は涼を愛しているんだ。だから、そうした。結果、彼女から別れを告げられた」
なんでそんなに冷静でいるんだよ、お茶掛けられてまで口調を乱さないその姿すら腹立たしい。
凍った背筋なんてすぐに溶けてまた血が沸いた。
歯を噛み締め祐樹の手を振り払おうと動けば湯呑みが滑って床に落ちて割れた。
その音に一瞬体が固まる。
願いは聞き届けられなかったようで明はまた夢の中に出てきた。
けれどいつもとは違う夢。
純白の白無垢と打ち掛けを着たわたしに彼が圧し掛かり着物を脱がせていく。
抵抗すれば何度も何度も拳で殴られ腹を踏まれた。
その度に胃液が上がるけれど汚したら怒られると我慢する。
彼が怒鳴る。
そんなもん着てんじゃねぇよ!!
はやく脱げよっ!!
お前は俺のものだろうがぁっっ!!
違う違うと『私』が首を振っても私はどこか嬉しそうにそれに笑って応えてそれをみた明がにやりと笑ってから準備も無く私の体に杭を打つ。
ひりつく痛みに顔を歪めれば彼はその顔を見てわたしの上で動きながら叫ぶ。
もっと!
もっと!!
もっと!!!
もっと苦しめっ!!!
その言葉から逃れたくて嫌だと叫ぼうとした所で聞き慣れない音で現実に呼び戻された。
天板に付けていた頬を上げる。
何かが壊れた音。
それが小さく聞こえた気がした。
けれど部屋の中にはそんな物無い。
礼が?
礼が……壊したの?
そんな事を怒りにまみれてするような人じゃ無いから体が震えた。
涙は乾いているようでそのままこたつから出てデッキシューズを履いてドアへ向かう。
怖い。
正直に言えばそれしか無かった。
いつも穏やかな彼が物に当たるほど怒る相手はわたししか居ない。
ドアのノブをそっと握り音を立てないように開く。
その瞬間怒鳴り声が響いた。
「そうしたってお前、マジ、ふざけんなよっ!!!」
その声を知っている。
目を見開いてドアを開けたまま廊下を歩き出しそのまま小走りでリビングへ向かった。
何がどうしてこうなったんだろう。
礼はテーブルのいつもの席に座ってダイニングの方を向いて目の前に立つ祐樹さんに胸倉を掴まれている。
由香里さんは向いの席で立ち上がり礼を睨んでいた。
彼女の横の床にはばらばらになった湯呑みが存在感を主張していた。