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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十二話 彼と私と日曜日
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12-9 わたしと彼と私と私

「礼」


小さなけれど穏やかな声で呼ばれて丸めていた体から顔を出す。

吐き過ぎたせいで喉はひりつくように痛み口の中はざらざらとささくれ立ったように感じられる。

ペットボトルを彼女が開けキャップをしないまま俺に差し出して来て手を伸ばしそれを受け取りごくりと飲めば胃液と臭いが胃の中に戻っていく。


「大丈夫ですか?」


頷きそれを彼女に返せばごくりと彼女もそれを飲みはあっと息を吐いた。

まさか自分の恋人に喉に手を突っ込まれ吐かされるとは思っていなかった。

だからそのいつもと変わらぬ様子に眉を寄せれば彼女が心配そうにこっちを見た。


「まだ気持ち悪いですか?もう少し吐きます?」


それに首を振りただでさえ消費した体力に輪を掛けて使い果たした体を起こす。

それから小さく首を振れば彼女は俺の後に身を乗り出して枕の上にあるパネルをいじる。

薄暗かった部屋が明るくなり体を戻した彼女の姿に息を飲んだ。

白い肌に散る痣は散って根元に広がる紅梅の花弁のようだ。

腹も腕も胸も首も、明が付けた痣は消えているのに、小さく残ったように見える。


「……そんな顔しないでください。礼がしたんですから」


そう彼女が膨れ俯いて首を振れば彼女が顔を上げて、まぁ、良いですと言う。

その顔が穏やかで穏やかで穏やか過ぎて違和感を感じた。


「お風呂沸かしますから、入って、帰りましょう」


そうにこやかに笑顔を作り彼女は背を向けてその場を去っていき、その後ろ姿にも紅梅の花弁が散っていて俺はうなだれるしかなかった。


何をしたんだろう。

あんなに痕が付くまで彼女の体を抱いた記憶は無い。

けれど事実その痕があるならそういう事だ。


浴室から水の流れる音が響き彼女が戻ってきてから嬉しそうに言う。

手を胸の前に組んでただくすくす笑う。


「泡風呂にしちゃいました。泡風呂、泡風呂」」


どんな顔をしていればいいのか分からなくて愛想笑いをすれば彼女はそれを見て少し困った顔をしてそれでも行きましょうと手を伸ばしてきた。

それを迷うことなく取って立ち上がり浴室へ向かった。





いつもと違う事を隠しているわたしと隠さない礼が二人でいつものようにお風呂に入ったとしても、いつも通りにはいかない。

なんとなくギクシャクしたまま順番に体を洗い髪を洗い湯船に沈む。

さっきまでわくわくしていた泡風呂もそんな気分だと大して楽しくなくてただ黙って入った。


これは『私』だろう。


彼が後から入ってきて反対側に沈み、豪華に立派に大きい浴槽で二人の距離はすごく遠い。


もっと違う機会に来たかった。

こんな風に中途半端な感じじゃなく徹底的にそれこそ浴室でだって体を弄んでくれればもっと安心出来るのに。

そんな風に遠くに行かれたら捨てられるんじゃないかってただただ不安になる。


これは私だ。


相反する考えを次から次へと浮かべるわたしの眉は自然と寄ってしまい彼はそれを心配そうに見つめてくる。

水も飲みだいぶ落ち着いたのか真っ青だった顔色は良くなった。


「どうしたの」


呟いた低くそれでいて伸びのある声は広い浴室の壁に反響して二人居るように聞こえた。

それにはっとして瞬きをし寄せていた眉をほどく。


「何でもありません。ちょっと考え事していて」


そう答えたのは『私』。

彼がその答えに満足しないのを知っているのは私。

私が思った通り彼は眉を寄せた。


「その考え事が知りたいんだけど、ね。……怒ってる?」


そう最後は眉をほどき代わりに下げて聞く彼に首を振った。

どちらのわたしも怒ってはいない。

けれど彼は納得していない様子でまた口を開く。


「本当?どうして怒らない?怒って良いんだよ」


その言葉に思わず首を傾げた。

どうしてと言われても怒る要素が何一つ無いのだから怒れない。

答えに詰まり口を閉ざすわたしに彼がまた口を開く。


「酷い事を俺がしたのは分かってる?最終的には涼が自分から誘ったと思っているかもしれないけど、それは違うでしょ?」


その言葉にも頷けずちいさくうーんと唸る。

どうして彼はそんな事を言い出すんだろう。

あんなに気持ちよさそうにしていたのに、その後吐いたからかな。

わたしには彼の言葉の意味がよく分からない。

彼は顔を少し悲しそうに歪めてまた口を開く。


「俺が涼を抱きたいって意思を示したから涼はそれに応えただけだよね?涼は俺がそうしなかったら俺を誘う事なんてしなかったでしょ。だから俺が悪いんだよ、分かる?」


そう言われてもよく分からない。

彼と離れたくない私が彼を誘惑して半ば無理矢理抱かせたのが事実のはずだ。

そこに『私』の意思があったかどうかは覚えていないけど彼が言うように彼だけが悪いとは思えない。

それ以上に彼も私も悪く無いと思う。

だから首を横に小さく振る。

それに彼は絶望的に顔を歪めて口元を手で押さえた。


「本当にそう思ってるの?本当に俺が悪くないと思ってる?」


手の向こうから唸るように低く言われ、どう答えたら彼が私の側に居てくれるのかだけ考えて、それの答えは出なかった。

彼が何も言わない私に手を外して目を細めて言う。


「君は誰?涼の姿をした、誰、なの?」


声は震えていて彼は瞬きもせず私と『私』とわたしを見ていた。

その言葉にぎゅっと心が締めつけられた。


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