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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十二話 彼と私と日曜日
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12-7 彼と私と誘惑と

涼は俺をただ見つめて目を見開いていてその顔を見てやっと戻ったと安堵してしまった。

彼女が言った言葉の重みもよく分かっている。

けれど緩んだ、気持ちが。

だからほんの少しだけ笑みを浮かべてしまった。

それを見た彼女が安心したように笑うその顔がいつもと違っていて息を飲む。

彼女の開いてた目がゆっくり瞼を落とし半分程閉じた状態で少し首を横にずらした。

何が起きているのか分からないまま見つめれば小さな唇から出た薄い舌が唇をゆっくりと舐めてそれから少しだけ唇を開ける。

口元を歪め笑みを浮かべたまま唇が勿体つけて動く。


『し』

『よ』

『う』


それはそう確かに動いて俺はただ見つめるだけしか出来なかった。

彼女の手が俺の背に指を立ててその指先で撫でながら下に動いて服を捲っていく。


「涼っ」


呼べばまたくすくすと声を上げて笑った。

これは涼じゃない。

俺の知っている俺の涼じゃない。

これは明が洗脳して作った涼だ。

彼女の腰がゆっくりと左右に動き足が俺のそれから抜けて腰にまとわりつく。


「涼、だめ、止めて、お願い」


背中を這う手の平と指先に生まれたのは嫌悪感と快感で背を反らし避けようともがけば逆に腰が密着する。

目を閉じてそのまま口を開く。

吐息がその瞬間に漏れてしまってそれすら嫌悪感を生んでいく。


「涼、お願い、止まって、こんなの間違っているからっ」


留まっていたもう一方の手が俺のジーパンに掛かりボタンをゆっくり外していく。

ベッドを下りてしまえばいいだけの話なのにそうしなかったのは仕留められる事に抵抗を示した欲望の生き残りがまだ居るからだ。

この状況を喜びと感じるその俺も嫌だった。


「涼、お願い、もう、しないから。もう、絶対に、俺からこんな事しないかから!」


その言葉に彼女の手が止まってそれから瞬きを何度かして次の瞬間両手を引き抜いて彼女の口元を覆った。

見る見る間にそのくりっとした大きな瞳の縁に水が溜まっていき顔の横を通って耳の上へと流れた。


「涼、ごめん。もう、本当に、しないから」


一番嫌いな言葉を一番大事な人をただ守るだけの為に、俺は言った。






もう、しないから。

もう、絶対、しないから。


その言葉だけは駄目だった。

歪んだ私の曲がった誘惑もそれに勝てない。

理性がどんどんその汚らしい最低のやり方を消していって何をしたのか思い出し口元を両手で覆う。

涙が溢れて顔を流れそれすら気持ち悪い。


「涼。落ち着いて、大丈夫」


がくがくと震え始めた私に礼はそれでも優しく言ってそっと頭を撫でた。

彼の涙はもう止まっていてけれどそこにはまだ悲痛な気持ちが残っている。

首を小さく振ってその手を払おうとしてもそれは止まずそれがますます私を苦しめた。


「涼、良い?離れるよ。次に起こすから、ね」


そう言い彼が自分の体を起して私の体の下に手を入れてそっと抱きかかえるように起こす。

シーツが剥き出しの下半身に当たってぞわぞわしてぶるっと震える。

そのまましっかり支えて、けれど体は当たらないようにしている彼に距離を感じて手を覆っていたそれを伸ばし彼の服を掴む。

ひどく驚いたように体を揺らしそれでもそのまま彼はじっとしていてくれた。


「……礼」


そう小さくゆっくり呼べば彼は少し笑ってそれに応えてくれてただそれだけの事なのに涙がまたボロボロ溢れた。

それでも彼は手を伸ばし拭ってくれる事は無い。

抱きしめてくれる事も無い。


「涼、大丈夫だよ。ごめんね、本当に、もうしないよ」


そうまた彼が嫌うその言葉を聞いて首を何度も横に振る。

それから顔を上げ彼の服を引っ張って自分に寄せてその胸に顔を埋めた。

しゃくりあげる事も嗚咽を上げることも出来ずただその中で泣く。


「何とも思って無いから、大丈夫、だから泣かないで」






涼は正気に戻った後ただずっと泣いている。

でもそれを抱きしめる事がどうしても出来ない。

彼女が泣いているのは自責の念だ。

俺が自分で嫌う言葉を何度も自ら言った事に気づいている。

もう、という言葉を使う度彼女は動揺している。

胸の辺りが暖かくなってくる。

嗚咽を上げないその姿がしゃくり上げないその体が心配だった。


だから今だけだと自分に言い聞かせてそっと小さな体に手を回して抱きしめる。

もう二度とそうする事は許されない。

けれど今だけせめて彼女が泣きやむのなら。


腕の中で彼女の顔が上を向いた。

その上がった顔の耳元まで首を目一杯下げて口を寄せる。

こんなやり方は卑怯だ。

こんな時に言うのは卑怯だ。

そもそも彼女の奥にあるパンドラの箱を開け放ったのは俺だ。

少しだけ開いてまた閉じようとしていたそれを無遠慮に手を突っ込み無理矢理開けたのは俺でそれなのに逃げていく欠片に手を伸ばす。


「愛してるよ、涼。本当に心の底から愛してる。涼がどんな姿でもどんな態度を取ってもどんな事を俺にしても変わらず、ずっと愛してる。どんな涼でも、それが俺の望まない姿でも、それでも愛してる。だからもう何もしないよ、大丈夫、ただ側に居るから」





それは死刑宣告だった。

彼が囁く甘い言葉は私の首を真綿で締めるようだった。

私があんな事をしたのを彼は嫌だと言いながらそれでもそんな私を愛してるなんてそんなの矛盾してる。

彼はもう私に欲望をぶつけてくる事も望む事もしなくなる。

私を彼自身から守るために抱きしめる事も口づけする事もきっとしない。


そんなの嫌だ。

もっと彼に抱きしめて貰いたい。

口づけて頭を撫でて貰いたい。


それなら私に出来る事はひとつしかない。

そのやり方しか分からない。


唇が震えて震えてそれでも彼の寄ったままの唇からずれるようにそれを探す。

頬に当たる感触で探り当て唇を同じように寄せた。


彼がずるいなら私はもっとずるい。

卑怯で汚くて世界で一番相応しくない女だろう。


彼は自分の耳に私の唇が寄った事に驚いて離れようと動き私はその頭を手で押さえた。

そのままゆっくりと口を開く。


「抱いて」


小さくけれど明に教えられたようにとろけるような口調で吐息を漏らすように告げれば彼は小さく震えてから私を離して見た。

そういう視線を何度も明じゃない人で見た。

そしてそれはその先を予見している。

礼もきっと動く。

私を見つめるその目が想像以上に蔑んで哀れんで私を見ていたからそれに口元を歪めて舌舐めずりをしてもう一度呟いた。


「礼、私を抱いて。好きなだけ私の体を抱いて」


それは彼の知っている私じゃない。

これは明に作られた私。

それでも彼はゆっくりと瞬きをし開いた彼の目の色はもう変わっていてそれをすぅっと細めそのまま私を押し倒した。


大丈夫、怖くない。

ただ、少し、心が壊れるだけだから。

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