12-3 私と彼の財布事情
前回と同じ店に入り俺がレジを済ませ彼女はテラス席で待っている。
やっぱり捨てきれないと生ハムのパニーニと今回はサーモンの筒状のサンドウィッチにした。
飲み物は前回と同じで良いと彼女は言いそれからチーズケーキはまだ良いですと断られた。
あの日この場所で彼女が言う通り佐久間の家には二人の関係が知られている。
それはほぼ毎日掛かってくる母親からの電話、それによって吹き込まれた留守番電話でもよく分かっている。
半狂乱な様子でキンキンと電話を寄越せというその言葉を俺は守っていない。
自動ドアを抜けテラス席に行けばそこは明るく二月も終わりとあって暖かく小さな子が走りまわっていた。
トレーを置けば海とヨットを眺めていた彼女が俺の方を向く。
「おまたせ」
そう言って飲み物を彼女の前に置いてやり二人でいただきますを言い合う。
それからパニーニを二人で手に取った。
そのタイミングがあまりにも一緒で吹き出す。
「何だか行動が似てきましたね」
彼女がぱくりと口に入れながら言い頷いて同じように一口食べる。
相変わらず程良い熱さのそれはふっくらとした生地と生ハムの塩気がちょうどよかった。
飲みこんでブレンドを啜れば彼女も同じようにショコララテを一口飲んだ。
「真似しないでよ」
そう告げればしてないですよとカップを置いて手を振る。
そんな事分かっている。
前よりずっと一緒に居る時間が長くなったためにお互いの行動が近くなっただけだ。
それは良い事なのだろう。
パニーニを食べながら海を見る彼女の横顔を見ながら俺もそれを食べる。
仕事を一緒にするようになってから確かに一緒に居る時間は増えた。
けれどそれは別に恋人として仲良くする時間ではない。
隣に側に同じ部屋に居るのに何も出来なければ不満もたまる、お互いに。
佐久間の家にばれているからと先週はどこも出掛けずにいたが今週は外に出たかった。
それはどうやら彼女も一緒だったようで、昨日ベッドの中でぽつりとどっかいきたいなぁと呟いた。
寝言かと思ったそれは起きていたようで、え?と聞けば真っ赤になって何でもないと否定した。
俺以上に佐久間の目を彼女は恐れている。
だから今日出掛けるよと告げた時に断られても仕方ないと思っていた。
「どうして今日は一緒に出掛けようと思ったの?」
パニーニを食べ終わり小麦粉の平たい生地にサーモンとレタスとスライスした玉ねぎが巻いてあるそれを手にしながら聞けば彼女はもうそれを食べていた。
ごくんと飲んでからうーんと小さく唸る。
「別に特別意味は無いんですけど、ここ二週間、何も無かったから大丈夫かなと思って。逆にこれからなら少しでもデートしたかったっていうのもあります」
最後は少し照れて言うその顔に笑って返せば満足したようにまた食べ始める。
サーモンのそれはとても美味しかったけれど心のどこかで彼女の言葉が引っかかった。
これからって何も無いって。
それは確約出来る話ではないけれど彼女が俺の会社に居る限りは母親は手が出せない事だろうと予想していた。
彼女がそれを分かっていないのかそれとも別の理由があるのかはまだ分からない。
「ごちそうさまでした」
先に食べ終わった彼女が両手を合わせて言い残っていたショコララテを飲み干す。
それに少しスピードを上げて食事を済ませて二人で立ち上がった。
トレーを店内に戻し塀の縁につかまって海を見下ろすその小さな姿、手を伸ばしそこから伸びる手を取れば彼女が嬉しそうに笑って握り返し二人で歩きだした。
「これ、これ、可愛いですよねっ」
セールと書かれたそこから服を一枚取って礼に見せればうんうんと頷く。
それは少し大柄の花模様の七分袖のワンピース。
体に当ててみればちょうど良さそうだ。
「良いんじゃない。それならこれからちょうど良いかな。でも袖が意外と長いからあんまり長くは着れないかもね」
「まだ二月終わったばかりですよ、二か月着れれば充分です。上着変えれば秋も着れますし」
お買い上げ決定で彼が持ってくれている籠に入れる。
それからロングTシャツを二枚、サブリナパンツを一枚。
薄手のウールの白いカーディガンと、綿の少し薄手のパーカーを入れる。
ここはかつて大好きだったブランドのお店だった。
「涼は意外とカジュアルだよね。いつも俺に合わせて少し大人しい格好しているけど」
その言葉に新たに掘り出したカーディガンを見ながら頷く。
胸の所にフェルトのワッペンが付いていてとってもかわいい。
「管理が楽ですから、綿は。アイロンも必要ないですし」
それも買おうと籠に入れれば結構満杯だった。
どうせ仕事に行くんだからこれくらいでいいかなと言えば彼はじゃあ払ってくるよとレジに並ぶ。
その後ろ姿を見ながらはっきり言ってアウトレットだとしても結構な額買ったのにと思う。
他の商品をしつこく見ながら彼の資産を思い出し一人それに笑ってしまった。
彼はこんな所で売っている物なんて駄菓子のようにしか思わないだろう。
「お待たせ。次どこ行く?」
肩掛けのショップバッグを掛けた彼が戻ってきてそう告げ店を出る。
次は何にしようかななんて言いながら歩き始める。
秘書として働いてからお礼を言うのを止めた。
もちろん感謝していないわけじゃない。
でもこういう時は言わない事にした。
彼の会社で働く上で多分時給九百円は物凄く安い方だ。
それを実感したのは彼の財布の管理を任された時。
渡された通帳とキャッシュカードで銀行のATMに表示された画面に驚いて手が止まった。
無機質に表示されたそれは九桁だった。
九桁の残高なんて見たことがない。
震える手で指定された金額を下ろしバッグにそれを大事にしまって足早に戻り会議が終わった彼に聞けばそれでもいくつかの銀行に振り分けていると言う。
つまり、物凄いお金持ちだった。
その上業績が伸びる佐久間商事では給与は物凄く高い。
自分の給与に不貞腐れるわけではないが首を傾げた私に彼は言った。
俺が払う給料を家に入れて欲しいとは思ってないからね、と。
つまり私は自分のお小遣いを稼ぐために働いているようなものなのだ。
それは違うと反論すれば彼は首を振って言う。
そもそもこの生活に引きこんだのは俺なのだからそこは甘えて欲しい。
だから衣食住は自分が出す、その代わりそれ以外は今度からは給料で賄ってね、と。
それから少し残酷な事を言えば、涼のお給料じゃ足しにならないからね、と。
確かにそう言われればそうでそれ以来考えを改めた。
どっちにしても彼の側を離れられない。
要因として佐久間の家に目をつけられていることが大きい。
ただそれに関しては確認してはいないが彼の会社の従業員で居る以上は多分大丈夫だろう。
彼が会社を辞めるような事があれば困るのは彼の両親だから。
それならばお礼を言えばその分彼は負い目に感じるのではないだろうか。
そう思ってそれ以来必要最低限しか伝えていない。
彼はその方が良いらしく何も言わない。
次に入ったお店は物凄くフリルが多用されていた。
はっきり言って趣味じゃないそこで礼は楽しそうに私にフリフリのワンピースを当てている。