12-2 プライベートと仕事の狭間
車に乗り込みシートベルトを締める。
涼が終わるのを待ってエンジンを掛けアクセルを踏む。
「どこ行く?」
地下駐車場のシャッターを開けながら聞けば彼女は少し悩んでから春物を見に行きたいと言う。
そんな時期だなと思いながらじゃああのアウトレットでも行こうかと言えば嬉しそうに頷く。
火事で何もかも失った彼女には季節を追う服が一枚も無い。
季節関係なさそうな仕事着はあれからネット通販で増やしたらしく気回せば一週間くらいはなんとかなりそうな分があると言っていた。
「お腹すいた?着くまで待てる?」
公道へ出てそう尋ねれば大丈夫ですとの答え。
それなら急ごうと裏道を使って都内を抜けた。
また大通りへ出て高速に乗ろうと車道を変更すればポケットの中の携帯が唸り始める。
ため息をつきながら少し腕を上げてポケットに手が伸ばせるようにしてから彼女にそれを告げる。
「笹川君、電話」
そう呼べばその呼び方が合図になりぼんやりと外を眺めていた彼女がこくこくっと二度頷いてから俺の上着のそこへ手を伸ばす。
笹川君と懐かしい呼び方を復活させたのは彼女との約束があったからだ。
仕事上でし最早呼ばないその呼び方は良い合図になってくれている。
ごそごそとポケットの中で彼女の指が動き平たい大きな携帯が彼女の手に渡り画面に表示されている名前を確認してから指で操作してから耳に当てた。
佐久間の家の人間なら彼女は出ないで首を振ってくる。
と言う事は仕事関連なのだろう。
姿勢を戻しながら聞き耳を立てる。
「お待たせいたしました、佐久間商事の笹川でございます。……はい、はい。佐久間はただ今取り込み中でございまして。……はい。承知いたしました。はい、失礼いたします」
彼女が電話を切りその携帯を戻さずに持ったまま顔を上げる。
それから真剣な目をして口を開く。
仕事モードの涼のその顔はあまり日曜日に見たくない。
「徳本社長からお電話でした。用事を終えたら折り返して欲しいとの事です」
でもそうさせているのは自分だ。
彼女が秘書になってから手が離せない時にこうやって代わりに出て貰うようにしている。
それも彼女の仕事だからというのは言い訳かもしれない。
「あ、そう。じゃあ早めに電話しないとね」
既に高速に乗っていて端に寄せてというわけにも行かず頷いて少しスピードを上げた。
休日とあり車の量は多いが順調に行けば十分くらいは早めに着くだろう。
「今のうちにスケジュールをお伝えした方がいいですか?」
携帯を俺のポケットに捻じ込む彼女がそう言いその顔をちらりと見て首を振る。
戻っていくその顔はもう和らいだだろうか。
「後で構わないよ。それよりさ、何食べる?」
そう笑みを含んだ声で聞けば少し高く仕事モードを抜けた彼女の声が耳に優しく届く。
「うーん、パニーニかな。今度は違う味が食べたいです」
それにいいねと短く答え高速を降りればもうアウトレットは視界に入っていた。
俺のパートナーは公私ともによく俺を理解してくれている。
車から降りて歩きながら礼は電話をし始めた。
なんとなく外してしまったその手を彼は横目で見ながらまた取って握ってくる。
こういう時、前は何も思わなかったのに、すごく気まずい。
仕事とプライベートが入り混じって複雑な気分。
「先ほどは申し訳ありません。えぇ、そうです。最近雇いまして。ははっ、そうですね。そのうち、いずれ。……え?あ、はい。いえ、それは是非お伺いしたいですが……少々お待ちください」
彼が電話を下ろし片手だけで送話口を塞ぎ足を止める。
それから物凄く申し訳ない顔をして私に小声で告げる。
「明日どうなってたっけ?」
そう言われ頭の中でスケジュールを思い浮かべる。
仕事と隣り合わせの彼の側で秘書をやっている限りそれは私にとっても隣合わせなのだ。
だから休日出かけても大丈夫なよう二日か三日くらいは頭に入れている。
「ええっと……明日は午前中は会議で午後は空いてます。一応視察を入れてますがそれは先に延ばすか代理を立てても問題ないかと。祐樹さんに確認します?」
そう告げればお願いと言われまた彼は徳本社長との会話に戻りそれを見届けてからバッグから携帯を出した。
彼と違い未だに二つ折りのそれを開きポチポチやって黒井祐樹を探し耳に当てる。
数コールで彼は電話に出てくれた。
「あ、笹川です。お疲れ様です。お休みの所申し訳ありません」
『おう、どうした?礼に何かあったか?』
私と祐樹さんの関係もすっかり変わってしまった。
兄だとばれるとかそんな呑気な事はもう言ってられない。
ただの上司と部下のそれに収まっている。
「いえ、明日の視察の件なんですが。代理で祐樹さん行けませんよね?」
そう声を小さくして尋ねれば彼はうーんと唸ってからがさごそと音がする。
多分自分の手帳を見ているんだろう。
礼ほどでは無くても彼も立場があるのでそれなりに忙しい。
『何とか……なると思うぜ。どーした、礼はまたごねてんのか』
悩んだ末にそう苦し紛れに答えた後私に気遣ってそう言ってくれる彼を未だに祐樹さんと呼ぶのは彼自身が黒井さんと呼ぶのを嫌がった。
今さら恥ずかしいのだそうだ。
「いえ、ちょっと。それは明日改めて話しますから。ではそれでお願いいたします。佐久間には私から伝えますので」
事務的になってしまうその言葉を彼はただ受け止めていつも通り明るい声でわかったとだけ答え電話が切れた。
バッグにしまうと礼もちょうど終わったらしくこっちを見てくる。
「で、どうなった?」
その顔はすっかり社長になっていて、私も秘書になっているだろうからお互い様だと思う。
祐樹さんが代わりに行ってくれそうですと答えれば頷いた。
「徳本氏がね明日昼食を一緒にどうですかってさ。断れないから空けておいてね、一応時間は遅くしてもらってるから」
そう予定を変更する旨を伝えられしっかりと頷いてから頭の中のスケジュールを変更する。
徳本社長だけが彼に電話を掛けてくるわけじゃない。
「何時のお約束ですか?」
また歩きだしながらそう尋ねれば十三時半と言う。
その後会合場所を聞き出し頭で計算しながら進めばあっという間にアウトレットのがやがやと言う音が聞こえてきた。
彼が入る前に止まり首を上げれば彼に端正な顔は苦痛そうに歪み深いため息を吐いた。
「ほら、もう、おしまい。ご飯食べにいくよ、涼」
その呼び方と表情にはっとして頷きそこで考えるのを無理矢理止める。
とりあえず家路に着く時だって構わないのだから。
そう思えばお腹がぐぅと小さく鳴ってそれに自分で笑ってから彼に早く行きましょうと告げた。