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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十一話 彼と私と就職
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11-10 俺と彼女と安田明子

彼女の前に座りしばらくそのまま待てばトントンとノックの音が響き返事をすると一人の女性が入ってくる。

手には何枚かの書類を持ち背はあまり高くない。

中肉中背、化粧も薄く髪は真っ黒でひとつに後で黒いゴムでまとめているだけ。


「や、悪いね、忙しい時に」


そう声を掛ければ仏頂面がますます無表情になる。


「社長が突拍子もない事を仰るのはいつもの事ですから」


女性としては低めの声がそれを淡々と告げそれから失礼しますと一言言い俺の隣に座る。

俺以外の人間が来た事できゅっと顔を引き締めた涼が深く頭を彼女に下げた。


「笹川涼と申します。よろしくお願いします」


それに仏頂面のまま黒髪の女性が頭を軽く下げた。


「労務担当の安田です。もっとも労務とは名ばかりで総務も人事もやっておりますので、何かありましたら内線でいつでも声を掛けてください」


その言葉に涼がいたく驚いたらしく分かりましたと小さく呟く。


安田は安田明子と言う今時珍しくなった古風な名前を持つ秀才だ。

彼女を採用した時はまだ古株が何人かいて事務方の一人として迎えたのだが、その後パラパラと寿退社をしていく先輩を見送った。

仕事量が決して少なくない彼女に人員を増やすと言えば首を振るような人だった。

仕事ぶりは涼を上回るような真面目さで、俺の二つ下のフロアの倉庫の隣の大きい部屋でもう一人の事務方とたくさんの書類に囲まれ堅実に仕事をこなしている。

社員は無遠慮に我儘に似た要望を内線でし、彼女はそれを主な仕事とし淡々とこなしてくれている。


「では早速始めてよろしいですね?」


書類をとんとんと一度テーブルで綺麗に重ねてから涼に見えるようひっくり返して置き俺に顔を向ける。

それに頷けば彼女は一番上の白紙を横にずらした。


「社長に代わり私から説明させていただきます。ご質問はその都度して頂いて構いません。まず、雇用形態についてですが」


話し始めると涼は脇に置いたバッグから手帳を取り出しメモを始める。

それをちらりと安田は見てから口元が少し歪んだ。

おや、とそれを見ながら驚く。

安田が笑うなんて珍しいから。


「今回は非正規雇用、つまりアルバイトとしての採用とさせていただきます。その点については事前に了承済みと伺っておりますので確認は省かせてもらいます。勤務時間及び日数についてですが、基本的には希望シフトと固定シフトどちらでも構いません。日数に関しても社長と話しあってその都度決めていただければそれで大丈夫です。ただし、経理の関係がありますのでシフトを必ず20日までに翌月分をお出しください。専用のフォーマットを用意しておりますので、社内メールで添付していただければこちらで確認後メールにてお返事させていただきます。給与に関しましては時給九百円とし、休憩時間は無給とさせていただきます。出社、退社、休憩開始、休憩終了とタイムカードを打刻していただき、月末には回収しこちらで確認させていただいてからの振り込みとさせていただくので給与支払日は月末締め翌月十日払いとなります」


早口ではなく淡々とそこまで一気に説明し、項目ごとに紙をボールペンで示していく。

涼の為に昨日のうちにその簡単に書かれた紙を用意してくれたんだろう。

うんうんと頷きながら涼もそれを見つつメモを取っていく。

安田が一度顔を上げて涼を見た。


「少し早いでしょうか」


その言葉に首を横に振って大丈夫ですと答えると安田がまた顔を落とした。


「それでは次の説明へと参ります。残業は法定労働時間の八時間を超えましたら一時間につき時給の二割五分を上乗せいたいします。休日は月間四日以上は取って下さい。社内規定はこちらになりますので後で目を通していただければ助かります。一般企業とあまり変わりませんが横領、無断欠勤及び複数回に渡る連続しての遅刻、インターネット等への情報漏洩などは解雇の対象となりますのでお気をつけください。次に備品の支給についてです。会社から貸出品はこちらになります。社員証、個人使用の机、パソコン、椅子、ファイル、プリンタ用紙などです。いずれも持って帰り個人の所有物とされますと横領になります。支給品は名刺、年五本までのボールペン、飲料……インスタントコーヒーの粉末やミルクと砂糖、紙製のファイルなどがあります。支給ですからとお持ち帰りにならないようになさってください。貸出品、支給品共に専用のフォーマットがありますのでそちらで申請していただければご用意いたします。飲料のみ上長だけの申請となります。社内の簡単な配置図はこちらになります。ご利用されないと思いますが一応ここが更衣室です。こちらとこちらにトイレがあります。倉庫の鍵は社長及び副社長、総務と三本がありますので何かあれば手続きを取り借りるようにしてください。最も社長はその手続きすらせずにぽいっと貸すような方ですが」


紙を横にずらしながら話す安田にはい、はい、と頷きメモを取り返事を涼がし最後の一文で俺を安田が睨むように見る。

その視線を斜め上に顔を上げてそらし、ため息とともに安田が最後の紙をずらした。


「ご説明は以上となります。ご不明点が無ければ契約に移りますがいかがですか」

「丁寧な説明をありがとうございます。今の所大丈夫です。契約をお願いいたします」


手帳を開いたまま顔を上げて涼が言い安田が頷いて三枚綴りになっている契約書を出す。


「では、本日の日付より入れていただきます。次に名前と住所、生年月日、性別。本籍地もお願いします。次に変形労働にレ点、次は契約上基本シフトを記入しなければならないので正社員と同じように記入していただきます。始業が八時三十分、終業が十七時三十分、休憩時間の記入は空欄のまま括弧の中に六十分、時間外労働の有りにレ点、休日労働の有りにレ点、年次有給が六カ月後7日、その他の休暇の横の括弧には年末年始、夏季休暇、祝日と記載を。基本給は時給にレ点、括弧の中に九百、諸手当が一つめにレ点で交通、上限が五千円になりますのでそちらは調べて記入します」


そこで涼の手が止まり手帳をめくっていく。

それから書いてあるページを安田に見えるよう逆さまにして見せる。

安田の口元がまた少し歪んだ。


「ではその金額を記入してください。社長が急に秘書を置くと仰ったのでどんな方かと心配しましたが、杞憂だったようですね」


その言葉に涼が書き終えてから顔を上げて俺と安田を見比べた。

苦笑いを浮かべそっと肩をすくめれば涼がくすくすと笑う。

安田の口元から笑みが消え続きを始めた。

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