11-4 俺と彼女と秘書
俺の財布の中にはいつも現金が多めに入ってる。
とはいえきっとそれは他人から見れば多めの域を超えているだろう。
それとカードが何枚か。
ポイントカードは面倒なので全部断っている。
車まで抱っこして運び助手席に入れてから乗り込みエンジンを掛けた。
それからシートベルトを締めて彼女のそれが終わるまで待ってからゆっくりと車を出す。
「まずはバッグと携帯を探しに行こうか。携帯は所在が分かってるんだよね」
そう聞けば小さく頷き今や観光名所にもなっている巨大なビルの名を上げた。
わかったと答え頭に地図を描いてあの辺かと公道へと出る。
ハンドルを握りながら今日の予定を頭の中で確認する。
携帯はマナーになってるしよほどの事が無い限り祐樹は連絡してこないだろう。
「ちょっと話をしてもいいかな?」
平日とは言え混みあう道路で信号待ちをしている間にそう聞けば頷いては見えないだろうと、はい、と小さな返事。
赤になったばかりの信号はまだ変わる様子すらなく片手をハンドルから離して膝に置く。
「俺がさ、秘書を置かなかった理由があるんだけど、ね」
そう言葉を出せば彼女が俺をしっかり見ている視線だけ感じる。
「昔俺の祖父の代にね、秘書が裏切ったんだよ。金を持って逃げたんだ。それが一つ目。二つ目は前も話したけど祐樹の父親がね、死んでるんだ。だからさ、秘書を置くと不幸になる気がするんだ」
何も言わずただ聞いている彼女の顔を見ることは出来なかった。
信号が青に変わり前の車が走り出す。
それを追うようにゆっくりと車を出す。
「だからね、正直あんまり気が進まないんだよ。ちょっとねって思ったらすぐに解雇するけどそれは涼が悪いわけじゃないかもしれないって覚えておいて。涼が駄目な所はちゃんと言うし、それを直してくれると思ってるから、涼が悪くて解雇っていうのはまずあり得ないと思う」
彼女の視線が前を向いた。
もう分かったという合図だろう。
「細かい事は明日会社で決めるけど不当解雇って訴えたりしないでね。あと……佐久間の名前になるかもしれないってことも忘れないで」
その言葉に彼女がぴくりと頭だけ少し動かしてから大きく頷いた。
佐久間の名前になるかもしれないと言われて動揺した。
彼が私を結婚相手として選ぶのは予想の範囲内だ。
あのプレゼントの中にも佐久間礼と結婚できる券があったのだから分かってはいる。
けれど実際に本人からはっきりとそう告げられれば心に重くそれがのしかかる。
大体私は人に言えないような過去があるんだ。
隠しても隠しきれないかもしれない。
ネットに写真が流れているかもしれない。
明ならお金目当てにそうするかもしれない。
けれどそれは彼と付き合う時に覚悟したはずの事。
今になって後悔しても遅いんだ。
「涼?」
彼に呼ばれはっとしてそっちを見ればもうあの大きなビルが目の前で地下駐車場に入る所だった。
何でもないですと答えて外に出る支度をし、彼が車を入れドアを開けてくれるのを待った。
抱っこするというその申し出を断りすぅっと息を吸って吐く。
昔だって同じように痛めつけられてけれどそのまま仕事をしたり授業を受けたりしていたんだ。
「大丈夫、です。その代わり手は繋いでいてください。転ぶかもしれないら」
歩きだせばやはり痛い。
無理に開かされた股関節もその先にある裂けて爛れた箇所も。
殴られた足も、床に叩きつけられた時に打った膝も、ずっと縛られていた足首も。
それでも歩きだせば足は自然に次へ次へと進んだ。
「ありがとうございました」
そう彼女が頭を下げているのを少し離れた所で見る。
警備室で書類を書き受け取ってそうしている。
さっき車内で結婚という言葉を出せば彼女の様子は少し変わった。
無理もない。
佐久間という名の嫁になるのにはっきり言えばふさわしくないからだ。
きちんとした会社に就職したわけでもなく、家柄が優れているわけでもない。
その上、あの過去。
その気になればどこからだって埃は出るだろう。
俺は覚悟した。
涼の過去を知った時にそれを受け入れ守る覚悟をした。
けれど、彼女を守りきれなくて危険に曝したのも事実だ。
今度は守れるだろうか。
あの根性がねじ曲がった母親から、中傷を好む分家から、見下す事を生きがいとする親戚から。
「お待たせしました。無事に帰ってきましたよ」
ほらっとピンクの二つ折りのそれを見せる彼女によかったねと言い手を伸ばせばそれをきちんと握り返してきた。
従業員用のドアを抜けエスカレーターで下に降りる。
バレンタインが終わった店内はすっかり日常に溢れ、それもすぐにホワイトデーに変わるだろう。
「次は警察署だね」
エレベーター乗り場までゆっくり歩いて言えば、はい、と返事。
ひょこひょこと足を引きずりながら歩く彼女をいつものように抱き上げてしまいたいともう何度も思った。
こうやって歩かせているのは自分のせいなのだから。
秘書になんてしたら必ず後悔する日が来る。
それは俺じゃなく彼女が、だ。
小さな手を少し強く握れば彼女の足が一瞬止まりそれからしっかりと握り返してきた。