3-1 俺と彼女と着物
私と彼と初詣
大晦日の昼間、自室のクローゼットを見て頷く。
大丈夫、久しぶりだけど、全部荷物は送ってもらった。
ひとつひとつ指差して確認しまた扉を閉める。
コンコンとノックされどうぞと答えると彼が入ってくる。
「明日から混んじゃうから買い出し行かない?」
すっかりコートを着込んだ姿にもちろんと答えてクローゼットの中を彼に見られないように開いてコートだけ取り出した。
それに素早く腕を通して彼の元へと急ぐ。
差し出された手を握り返し一緒に玄関を出た。
車を運転する彼の横顔をそっと見る。
実の所、私は彼に小さな嘘を吐いている。
それは胸のつかえとなってずっと留まっていた。
まだ付き合う前に初めてご飯を一緒に食べた朝。
彼は言った。
「君は……その所謂、普通のお家の子だよね?」
普通だと答えた私に疑問も無くただ顔を曇らせた事はよく覚えている。
その時はこんな関係になるなんて思っていなくて咄嗟に普通だと答えた。
でもそれは謙遜だと思う。
見つめていた私の視線に気づき信号で止まると彼はこっちを向いた。
「どうしたの?酔った?」
ううんっと首を振る。
今更事実を告げた所で関係は変わらないだろう。
けれどやはり怖い。
嘘を吐きたくて吐いたわけではないけれど、結果として彼を騙している事には変わりないのだから。
年が変わる前の日のデパートは本当に混んでいた。
明日は初売りだからか買い物をする人自体は少ないように見えたけれども。
何とか必要な物を買ってレジに並んでいると不意に携帯が音を立てる。
彼を見れば、小さく頷かれその列を離れた。
「もしもし」
『あ、涼?お母さんだけど、荷物ちゃんと届いたかしら』
「うん、ありがとう」
『いえいえ、どういたしまして。同居してる方には迷惑とか掛けてない?』
「多分大丈夫。それより帰れなくてごめんね」
『良いわよ、お父さん、タマと遊んですっかり機嫌も良くなったから』
太い柱に背を預けて母と話をする。
同居してる方の事は友達だと説明している。
『それより、さぁ』
「うん?」
『涼が教えてくれた住所調べたけど、ずいぶん高いマンションみたいだけど、大丈夫?』
母の行動力に脱帽しそうになる。
いやいや、調べなくても良いじゃない。
「うーん、大丈夫。あのね」
もはや隠し通すのは難しいだろうと真実を告げる覚悟を決めた。
『だってお家賃だけでもずいぶんって、何?』
「あの、ね。いずれちゃんと話そうと思ってたんだけど」
『んん?ちょっと待ってお父さんに替わる?』
いえいえ、それは止めてくださいと電話口から離れる母を必死で呼びとめた。
「お母さんの方が良いと思う。……本当はね、友達じゃないの。あの、恋人なんだ」
『えーってやっぱりねぇ、可笑しいと思ったのよ』
がたがたと音がする所を聞けば多分子機を持ったまま何処かへ移動してくれたのだろう。
父に聞かれたくなくてほっとする。
同性の母と異性の父では話し易さは天と地ほど違う。
『で、どんな人なのよ』
「う、うーん。あのねえっと……若いけど社長の方で、よくしてくださるの」
ウキウキした口調の母にそう告げると一瞬沈黙が流れた。
えぇ、そうですとも。
そういう反応だと思ってましたよ。
「……ごめんね」
『別に母さんは構わないわよ、それでも。ただ、うん、まぁ大変かも知れないわね』
口調がさっきとは打って変わって沈む。
「その内紹介するから今日の所はこのくらいにしていいかな」
『んー、そうね。今日は忙しいし、またにしましょう。あ、そうそう、何が欲しい?』
不意にそう尋ねられてへ?となる。
それから大晦日だと思い出してあぁっと頷いた。
忙しくてすっかり忘れていた。
「うーん、お母さんに任せる」
『そう?じゃあ年明けになっちゃうと思うけどおくるわね』
母はそう言って良いお年をと電話を切る。
そうか今日は大晦日だった。
一年に一度しかない日だ。
「終わった?」
と声を掛けられて振り向けばすっかり袋詰めも終わった彼が立っていた。
意外と袋が膨らんでいるのは正月くらい休みなよと御節に入れるレトルトの品々を買ってくれたからだ。
重箱は納戸にあるらしい。
「ごめんなさい、お待たせして」
そう返してひとつ持とうと手を伸ばせば彼は大丈夫と歩き出した。
いや、違うんです。
手が繋げないじゃないですかとは言えずその後を追った。
家に帰り重箱を出して貰って御節を詰めて、生蕎麦を茹でてシンプルにかけ蕎麦で食べてしまえば後はやる事も無い。
二人で持ってきたこたつに入ってぼんやりとカレンダーを見つめる。
あぁ、また一つ年をくってしまう。
「はい」
と目の前にみかんが置かれていそいそと手を伸ばす。
やっぱりこたつとみかんはセットだよなぁ。
もうすっかり日も暮れてテレビでは紅白が始まる所だ。
お菓子も買ってくればよかったかなぁとそっと思う。
その後は彼の思い出話を聞いて涙を流したりしながら、あっという間に新年を迎えた。
真夜中の0時。
こたつから出て正座をして指を床につき、頭を下げる。
「あけましておめでとうございます」
彼もこたつから出て同じように頭を下げる。
「あけましておめでとうございます」
その所作も美しく見惚れてからテレビを消した。
新年早々朝寝坊も何だかねと言い合い一度自室へと入る。
パジャマに着替えてから靴を引っ掛けて彼の部屋へと向かう。
コンコンとノックし返事を待ってから開けるともう彼はベッドに入っていた。
「いらっしゃい」
ふわりと布団をまくってくれてそこへ駆け寄り潜り込む。
たった数日なのに習慣化してしまったいつもの景色。
冷え切っている布団の中で彼にぎゅっとしがみつけば横向きに寝た彼は私を片腕でぎゅっと抱きしめた。
結局、胸のつかえは新年に持ち越してしまったなぁと思う。
それに、もうひとつ秘密が増えてしまったような気がする。
朝起きると彼女はもう居なくて蛻の殻となったベッドを見つめる。
いやいや、同じ家に住んでいるのだからいつでも会えると起き上がり着替える。
新年だからと何を着ようか迷って結局、下ろしたばかりのストライプのシャツにグレーのカシミアのニットを羽織った。
ちゃんと皮靴を履いて廊下へと出てとりあえずトイレへと向かう。
用を足し、リビングへと迎えば、もう重箱はテーブルに出ていた。
「おはよう」
そう言いながらキッチンの扉を開けて思わず閉めた。
目の前の彼女に目を疑ったからだ。
もう一度そっと開けると魚焼きのグリルを開けながら身を屈めて菜箸で餅を返している。
いや、それはいい。
いつも通りの料理をしている姿だ。
問題は格好だ。
「おはようございます」
彼女が体を起してこちらを向く。
魚焼きグリルを奥へと引っ込めて菜箸を置いた。
袂を押さえながら。
そう、袂だ。
「驚いた、本当に何でも出来るね」
見慣れぬ姿に口元を押さえる。
何でも器用にこなすとは思っていたがここまでとは。
俺の言葉にくるりと回って見せる彼女は晴れ着を着ていた。
晴れ着と言っても振り袖ではない。
薄い桃色の地に紅白の梅の大輪が描かれている。
小紋の部類に入るのだろう。
帯は紺地に宝づくしの蒔絵風の刺繍がされている。
帯留めと帯揚げは揃いのようで刺繍と同じ金色。
しかし派手じゃないそれはきちんと帯と着物の間で色を中和させている。
「母に送ってもらったんですけど、割烹着だけ入れて貰うの忘れちゃって」
それで袂を押さえてたのかと納得しもう殆ど出来ている雑煮の調理を交替した。