対戦相手
「な、なんなんですか、これは! 師匠! 教えてください!」
私が師匠に説明を求めるは当然だ。
なにしろ左目とその周辺が石の仮面をつけたように変化しているのだから。
「その変化はトラペゾヘドロンの効果じゃ。本来そのように使うものではないのだが、お主のような貧弱者には鍛えても限度があるから、それを使って一時的なブーストをするのじゃ」
「それじゃあ、私は今強くなっているのですか?」
「否!」
楽観的な私を師匠は否定する。
「さきも言った通り、その状態ではなんの力も発揮していない」
それじゃあ、ダメじゃん!
なんの力もないなら私は変質者じゃん!
「師匠~、これはどうやったら効果出るんですか!」
「だから言ったじゃろう。お主がある一定の領域へと達しないと効果は発揮しないと」
そのある一定の領域に達する方法って……
「やっぱ鍛えないといけないんですか~」
「うむ」
やっぱり、そうなるのか……
「そう落ち込むな。それにそのトラペゾヘドロンが効果を発揮してくれれば、きっと邪神たちとも戦えるじゃろう。だから、今はお主が鍛えて強くなることが重要じゃ」
そんな簡単に強くなれと言われても…… でも、この世界を救くおうって思ってたんだから、鍛えておいて損はないはず。
しかし、どうやって鍛えるかな?
「師匠、オススメの鍛え方はあるんですか?」
「そうじゃのう……」
少しの間、手で顎を撫でながら考える師匠。ますます、老人みたいだ。
「お主に合ったちょうどいい鍛え方か……」
師匠の様子からして、いくつか考えがあるみたいである。そして、私に二つの提案を出してきた。
「お主はゆっくり強くなるのと、早く強くなるの、どちらがいい?」
ゆっくりと早く? それはならもちろん早くではあるが…… だが、師匠のことだ。早く強くなるにはそれ相応の危険があるのは間違いない。だから、いきなり答えるのは愚策であるのは明白である。
「とりあえず、方法を教えてくださいよ。修行中に死んだら邪神に挑むも何もありませんから」
「修行にしても実戦にしても死ぬときは死ぬんだから、そんな細かいことなぞ、どうでもいいと思うがのう」
そんなことを言って内容をはぐらかそうとする師匠だが、そうはいかない。聞くときは聞く。そうじゃないとどんなことになることやら。
「それで、ゆっくり強くなる方法は?」
「毎日、鍛錬、鍛錬、また鍛錬」
要するにこれまでと同じじゃないですか。それじゃ、いつの日になったら
邪神に挑めるようになるかわからない。もしかすると、世界が邪神たちに完全に乗っ取られた後かもしれない。それじゃあ、遅いんだけどなぁ……
「もう一つの早く強くなる方法は?」
「毎日、実戦、実戦、また実戦」
なるほど、まさに実戦に勝るものなしということか。これなら私のレベルアップも確かに早くなりそうかも。
「でも、実戦っていいますが、相手はどうするんですか? いきなり、邪神相手だと既に最終決戦だと思うんですが」
私の言葉に師匠が笑った。
「バカモノ、いきなり、邪神相手だったらお主なぞ一秒といられんぞ」
むー、そんなこと言わなくても…… 自信なくしちゃいますよ。
「じゃあ、何と戦うんですか?」
「決まっておろう、お主が苦戦する程度の相手じゃ」
「私が苦戦する程度の敵って?」
そもそも私は師匠意外とは戦ったことがないから、自分の強さがどのぐら
いなのかはっきりとわからない。一応、魔術以外にも習ったことあるけど、師匠がそっち方面はいい加減だから実際のところはあやふやと言ったところだ。
「まずは手ごろな夜鬼や深きものども程度がいいかもな」
「めちゃくちゃ弱そうな相手ですね。そんなの私の敵ではないですよ。ちょちょいのちょいで倒せちゃいそうですよ」
師匠が私の対戦相手に選んだのもどれも強くない相手ばかりである。実際には戦ったことなど皆無だが、本などの説明によれば強い印象など受けなかった。
だが、師匠は真面目に、
「お主は邪神の眷属たちを甘くみてはいないか?」
声に少し苛立ちが含まれているように感じた。
「言ったであろう、実戦だと。実戦とはつまり命の取り合いじゃ。少しの油断が即、死につながるんじゃぞ?」
あー、言われてみれば師匠の言う通りだ。
言われて私は邪神の眷属たちを侮っていたことに気がついた。相手は弱いと言っても人智を超えた存在。油断=死なのは確実だ。
「師匠、私は相手を舐めきっていたようです。師匠の言葉で眼が覚めました」
師匠はフンっと鼻を鳴らすと、
「今の言葉をよく胸に刻みつけておくんじゃぞ?」
「はい!」
さて、最初の相手はどれにするかだが――
「まずは陸上じゃそれほど動きが早くない深きものどもなんてどうじゃ?」
「でも、相手が弱かったら実戦の意味がないですよ?」
私の疑問は最もだと思う。いくら命の取り合いとはいえ、陸地じゃ深きも
のどもの動きは鈍い、いくら私と言えども後れを取ることはないはずだ。危険なのは水中で戦う場合だが、自ら敵のホームグランドに飛び込むマネなんてしない。
「今回はお主に集団相手の戦いを経験してもらおうと思う」
集団相手?
「師匠、集団相手って?」
「読んで字の如く、集団が相手じゃ」
集団が相手? でも、それって……
「集団が相手なのはわかりました。でも、最終目標の邪神とはどうせ一対一で戦うと思うですが?」
ドンっ――
師匠の鉄拳が私の脳天を直撃した。
「痛いっ――」
「甘い! その決めつけもまた死につながるぞ。それに何事も経験! 千里の道も一歩から! 今回の戦いの経験もいつかきっとお主の助けになるじゃろう」
私は痛みでじんじんする頭を擦りながら、
「はい……」
と、答えた。
「善は急げといきたいところじゃが、今から行動しても夜だからお主には荷が重い、だから修業は明日からにするかのお」
私の決意表明から色々とあったが、既に時刻は五時を過ぎていた。時間が経つのが早いと感じたのは久しぶりだったように思える。
太陽はもうすぐ沈もうとしているのが見え、代わりに夜の闇が街を覆おうとしていた。
私は明日に控えた修行に馳せながら、自らの左眼と一体化したトラペゾヘドロンを手でなぞった。