敵は邪神だけじゃない
「それじゃあ、あなたはまだその力を手に入れてから、そんなに日にちは経っていない、と言うわけね?」
「うん、たぶん十日ぐらいかな? でも、その十日間は色々なことがあったよ。死にかけたのも二度ほど……」
私はこれまでの経緯をアリスに話した。
これから共に戦う仲間となるのだから、なるべく私自身のことを知っていて欲しかったのだ。
「やはりそう言うことなのね……」
「何がそう言うことなの?」
何かを真剣に考えているアリス。眉間にしわを寄せて、ちょっと怖い。
「さっき、私たちが戦った相手をあなたは見ることができなかったのよね?」
「う、うん。私のトラペゾヘドロンの力は視ることに特化したはずの力なのに、さっきの怪物は全く視えなかった。アリスが切り落とした腕の断面や血は視ることができたんだけどね」
アリスが現れなかったらどうなっていたのか。苦戦は間違いなく必至。いや、死んでいた可能性の方が高いか。
「黒樹、あなたはまだトラペゾヘドロンの力を十分には使いこなせていないってことのようね」
「うッ、……うん」
「いえ……、ちょっと違うわね。使いこなせていないと言うよりも引き出しきれてないって言ったほうがいいのかも。確かに力はあなたが望めばトラペゾヘドロンが与えてくれる。でも、それじゃあまだ足りない」
どういうこと?
足りない?
「足りないって……何のこと?」
「あなたはトラペゾヘドロンに戦うための姿を望んだのよね?」
「うん? そうだけど……」
「それが、アルクナイアーシュラ。あなたが望んだ剽窃の力。対象の力を自分の物として使えるようになる力」
バイアクヘーたちとの戦いで私が身に着けた。戦闘形態。
「でも、それはあなたが相手の力を使えるように望んだだけ。まだ、完全に戦うための姿ではない」
「えっ? いや、でも、ちゃんと私は戦えているよ? ほら、変身したときだって、バイアクヘーの翼や爪だってくっついてるし」
それに私の最大最強必殺技――絶技、カイムだって使える。
それなのに戦うための姿ではないって……?
「違うわ、あなたは勘違いしている。翼も爪もあなたのものではない、それはバイアクヘーの姿を写し取っただけにすぎない」
「ッ!」
そうか、アリスが言いたいことって――
「私のアルクナイアーシュラは別の姿があるってこと?」
絶技、カイムも元はバイアクヘーが宇宙空間を光速で移動するために生み
出す時空パターンのこと。どんなにすごい威力を誇っていてもそれはバイアクヘーの力。私が地上で扱えるのもトラペゾヘドロンのバックアップがあるからこそ。それほどの力を持つトラペゾヘドロンが相手の力を写し取るだけなんてことはないってことか。
「確証はないけどね。でも、私はそう思う。それに私が戦ってきた相手はもっと強力な力を持っていた」
何かを思い出すようにアリスは言った。それも最後の『相手』という言葉には暗い響きがあった。
「戦ってきた……相手?」
「ねえ、黒樹? トラペゾヘドロンは一つだけじゃないのは知っているわね?」
「確か師匠もそんなことを言っていたような…… でも、それが一体……?」
「考えたことはない? そのいくつかをあなたと同じように自らの力としている者の存在を」
いやな汗が頬を伝う。それは戦いの疲れからなのか、それとも恐るべき事実からなのか。
「じ、じゃあ、アリスが戦ってきた相手って…… まさか!?」
「そうよ、あなたの想像通り。私が戦ってきた相手――――それはクトゥルフやハスターといった邪神につくことなく暗躍する、トラペゾヘドロンの力を持つ者たちよ」
ここまで説明された嫌でもわかってしまう。
私と同じようにトラペゾヘドロンの力を持つ者たちがアリスと戦っていた事実。
「そ、……それってどんな相手だったの?」
「者たちとは言ったけど、私が戦った相手は二人。一人は通称、暗きもの
《ダークワン》と呼ばれていて一部の魔女からは王とも言われて崇拝されてるわ。もう一人は浸食森林アフトゥ。全てを取り込む森林でいずれは世界そのものを呑みこむことだってできると言っていたわ。どちらも人間離れ――いえ、人間の姿は既に失っているわ」
暗きものに浸食森林…… 名前からして嫌なイメージしか伝わってこない。アリスはそんな怪物たちと戦いを繰り広げてきたと言うの……?
「た、倒したの?」
私は恐る恐る尋ねる。
だが、アリスは首を横に振った。
「いいえ、倒しきれなかったわ。暗きものは手下の強力な魔女たちに阻まれて、アフトゥの方はヴォルヴァドスの力でも全てを焼きつくすことのできないほどの再生力に阻まれて。どちらもどうにか撤退させることには成功したけど、まだ奴らはどこかに潜んでいる」
アリスの表情が苦々しくなる。取り逃がしてしまったことに怒りと後悔を感じているようだ。
「でも待って。そもそもトラペゾヘドロンの力を持つ者たちの存在って何なの!?」
大いなるクトゥルフやハスターに属しているわけではないのなら、その存在って……?
「トラペゾヘドロンの力を持つ者たちの存在意義、それは――世界を、宇宙全てを破滅させる力を持つ邪神アザトースの復活よ!」
アリスの口からとんでもない存在の名前が出てきた。
「ア、アザトースって、あのアザトース!?」
「そうよ、魔王アザトース。奴らの狙いはその復活」
「もし、もしもの話だけど、アザトースが復活したら、世界はどうなるの?」
自分でも言葉が震えているのがわかる。
「……さっきも言ったけど、破滅…… それも破壊や支配などの破滅じゃない。文字通り、全てが消えてなくなるの。それを防ぐことは誰にもできない」
「そ、そんな……」
圧倒的絶望感が私を縛った。それは拭いきれない不安、恐怖、全ての負の感情が心の底から湧きあがってくるようだ。
「痛っ……」
急に左目に痛みが走った。
本来、トラペゾヘドロンと一体化した左目に痛みなんて走らないはずなのに。
「黒樹、落ち着いて。あなたの不安がトラペゾヘドロンに悪い影響を与えているみたいね。大丈夫、まだアザトースが復活すると決まったわけじゃないわ」
「う、うん」
「そんなことは絶対にさせない。私が――いえ、私たちが復活を食い止めればいいんだもの」
「そ、そうだね!」
そうだ、戦う力を持つ私たちがやらなければ誰がやるんだ。それに邪神だって倒さなきゃ、いつまで経っても世界に平和は訪れることはない。
「邪神もトラペゾヘドロンの力を持つ者たちも全て倒す。それが私たちにしかできないこと……」
「ええ、その気持ちを忘れないで、黒樹」
痛みが、痛みがいつの間にか消えていた。さっきまでの不安が消えている。
アリスに励まされたおかげだ。さっそく助けられてしまった。
「――さて、私はもう行くわ」
「えっ! アリス、行っちゃうの!?」
この流れ的にこれから一緒に戦っていくと思っていたのに。
「ごめんなさい、黒樹。でも、許して。こうしている間にも世界は完全な破滅へと進んでいる。各地ではあなたのように戦う術を持つ人々がレジスタンスを結成したり、孤独にも一人で戦っている人がいるの。私はその人たちの助けをしていきたいの。それが、ヴォルヴァドスの力を持つ私の役目の一つ」
ヴォルヴァドスの力を持つ者の役目。たった一人で世界を回り、戦っていく。
「で、でも、それだったら戦う人たちに声を掛けてレジスタンスよりも大きい組織を作れば――」
組織を作ればいいと言いかけたが、そこで気がついた。戦う人にだって理由がある。中には禁忌の力で戦っている人だっている。――私もその一人。だからこそ、レジスタンスの人たちにすぐに加勢できなかったはずだ。
「わかってくれて、嬉しいわ。きっとまたこうして出会えることができる時が来るはずだから、その時まで少しのお別れ」
アリスが小指を出す。
「指切りよ。嘘ついたら針千本呑ます……ね!」
「針千本呑ます」
ただの約束ではない、生きてまた会うという――誓いだ。
「アリス! 私、強くなるよ! 今度また会う時はアリスと同じぐらい、ううん、それ以上に!」
「その時を楽しみに待っているわ!」
指を離すと、アリスは走りだした。
「ヴォルヴァドス!」
自らに宿りし神の名を叫ぶ。途端にアリスの身体は神々しい炎が包む。
「さようなら、黒樹!」
炎に包まれたアリスは重力から解放されたように宙に浮き、そして、凄まじい速さで飛んで行った。あまりの速さに空に浮かぶ雲が四散する。
「さようなら、アリス」
私の初めての友達。
アリスが去った後の空から、暖かな日差しが私を照らした。まるで、私を勇気づけるように。