買い物
「あー、街に来るのなんて久しぶりだなぁ」
私は師匠に命じられた通り、家の食料を確保するために街へと来ていた。
場所は日本のとある市場。
ここは邪神の眷属どもの進行は遅れていて、他と比べると比較的安全なのだ。だから、そのこともあって、毎日人で賑わっている。
時代が時代だが、人々の表所はまだまだ明るく、誰も絶望にはまだ屈してはいない。困難ながら一日、一日を懸命に生きている。
「何を買おうかな~、色々とあって迷っちゃう」
何件もの出店が連なり、どこも冷やかしの客や真面目に今日のおかずを考えている客がいたりと人それぞれだ。
大いなるクトゥルーの影響で魚は貴重なり、島国である日本も深刻な事態に陥った。だが、日本はまだマシな方だ。
なにせ、アメリカなどの大国は土地が広い分、各地で眠っていた邪神やその眷属たちの対応に追われて、日本の以上の被害を受けた。どの国も機能を停止まで追い込まれてしまったのだ。
特に食料に関する被害は大きく、どの国も自国の食料確保で手一杯だった。どんなに食糧を確保しても、全く足りず飢餓で亡くなる人も多かった。私は師匠に助けられたからまだ良かったが、普通の人々はそれは厳しいものだったらしい。
皮肉にも邪神との戦いが長引き人類の総数が減ったことで食糧問題はある程度解決を見たが、それでも油断ならないのだ。
「安いよ! 安いよ! 今日は新鮮な魚があるよー!」
出店のおじさんが大声でアピールしている。
遠くから眺めてみると、確かに新鮮な魚がそこにあった。しかも、健全な姿をしている。色艶も良く、これほど異形化していない魚を見たのはもしかすると初めてかもしれない。
「おっ! そこのお嬢さん! 今日は活きの良い魚があるよ。どうだい? 買っていかないかい?」
私に気がついたおじさんが魚を勧めてくる。
「んー? どうしようかなー?」
師匠から渡された財布をおじさんに見られないように覗いてみる。財布の中身は十分ある。
「お? もしかしてお金がないのか? それなら、交換でもいいぞ!」
買うかどうか悩んでいる私の姿がお金が無いと思ったおじさんからの提案だ。国の機能が停止した現代ではお金なんて何の価値も無いと思われていたが、実際はそうでもなかった。人類がいつか邪神を倒したときに、また元の生活が戻ってきたときのためにお金は少しでも多い方がいいという風潮がいつの頃からか広まったのだ。だから、今でもお金の価値は邪神復活前からそこまで変化していない。
だが、私は不安の裏返しでもあると思う。平和だった頃を真似て現状の不安から目を背けて、自分たちを騙している。私にはそう思えてしまう。師匠に助けられて不自由なく、生きてきたからこそ、そう思えてしまうのだろうか……
「あー、大丈夫です。お金はあるので交換はけっこうです」
「そうかい、それじゃあこれ」
おじさんが魚を渡してくれる。私は受け取ると、支払いを済ませて出店から離れた。
「また来てくれよな!」
そう言って、手を振るおじさんに私も手を振りかえす。
ここのところ師匠以外は怪物しか見ていなかったから、こんなやりとりは本当に久しぶりである。
さて、次は何を買おうか?
まだまだ、食糧は足りない。
お金についての心配は全くないが、なるべくたくさん買わないとならない。
「次は何を買おうかな。――んっ?」
次なる食料を求めて歩いていると、この市場に似つかわしくない人を発見する。
手には大きめの銃を持ち、頭にはバンダナ、顔にはペイントをしている。やはりというか当たり前と言うか、その人の周りだけ人気がない。他の人々はなるべく顔を合わせないようにしている。
この場に似つかわしくないこの人は所謂レジスタンスまたは反乱軍と言われるグループの人だ。
自衛隊が壊滅した現在は元自衛隊の人や戦う決意をした人が集まって各地で小規模ながらのグループを形成している。
装備も人数もまだまだ少なく、常に劣勢になりながらも戦う姿は勇ましく人類の希望と捉えられる反面、人々を守っていると考えから高圧的な態度の人も多く、疎まれてもいる。周りの人が顔を合わせないようにしているのもそのためだ。
私も顔を伏せて隣りを足早に通り過ぎる。
本来は私も彼らも目的は邪神打倒だが、師匠はつるむなと言っていた。師匠曰く、人が多くなるほど個人の自由がなくなり、動きが取れなくなる。何をするにしても規律などの一定の制限が課せられ常に後手に回ってしまう。これが人類が劣勢になっている理由の一つだと師匠は言っていた。
常に自由人な師匠のことだ、集団や規律が嫌いだからそんなことを言ったと思うが、確かにそれも劣勢の理由だろう。
そもそも邪神の眷属たちには作戦などなく、数で人類を圧倒する。速さも強さも数もどれを取っても奴らの方が有利で、武器があって初めて対等と言ったところだ。
例えば、私が戦った深きものどもは鉄パイプ程度の武器があれば、大人でもある程度戦うことができる。私のときは挑発で怒り狂って強さが上がっていたが、普段の奴らは鈍いので脅威は低い。バイアクヘーも速さこそ脅威だが、障害物があれば脅威ではないことを師匠はいつか言っていた。どんなに速さがあっても障害物に隠れれば向こうは原則を余儀なくされる。そこを殴ったり、銃で撃ったりするのが堅実な戦い方だ。
適当に出店を回ること一時間。
私が持ってきた籠の中身はもうこれ以上入れる場所がないほどになっていた。無理やり詰め込んでいるので最初に買った新鮮な魚が潰れていないか心配である。
「ふう、もう入らないし一度家に戻るべきかな」
我が家の食料保存庫は大きいので何度かに分けて買い出しをしなければならない。いちいち戻らないとならないのが激しく面倒。師匠に頼んで市場の近くに境界を開けてもらうことを頼んだことがあるが、それも断られてしまった。理由はこれもまた面倒とのことだ。家への境界は市場からは離れたところに開かれている。これは滅多にないが人が迷い込んでくるのを防ぐ為だ。ただの迷い人ならまだいいが、師匠の魔力に惹かれて邪神の眷属がやってくることもあるのだ。
「いちいち戻るのも面倒だよねぇ。移動用の自転車なんかあれば楽なんだけど……」
邪神復活後の人類の移動手段は激減している。
前は車が主な移動手段だったが、現在は燃料などが全て戦いに使われているために車を使える人は限られている。一般人の移動手段は専ら徒歩と自転車だ。師匠は家から出ることはまずありえないので自転車なんて便利なものはないから、今度、どこかで手に入れた方がいいかも。
「ん? あれは?」
自転車がその辺に落ちていないかなんて考えていたら、知った顔があることに気がついた。
アメリカ人のお爺さんだ。
恐ろしい顔をしたお爺さんが地面にドカッと腰を下ろして、なにやら怪しそうな商品を売っている。その表情たるやまるで人を食べてしまいそうなほどに恐ろしい。ああ、恐ろしい。
「やっほー、お爺さん」
私が呼びかけると、
「うん……? ああ、あの女狐のところのバカ弟子か」
ギロリと視線が流暢な日本語が私に突き刺さる。今でこそ慣れたが、最初の頃は本当に怖かった。
「酷―い! バカ弟子はないでしょうー!」
「フンっ…… なら少しは女狐の技は覚えられたのか?」
「うーん…… まだかなぁ……」
お爺さんは鼻で笑った。
「それにしてもずいぶんと久しぶりだな。前にはあったのは二ヶ月ぐらい前だったか?」
「だいたいそれぐらいかな。ほら、師匠は外に出ないからね」
「それなら女狐に言っておけ、少しは運動しないと太るぞとな。それで今日
はなにか用か?」
「ううん、今日は食糧の買い出し。もう、食糧が無くなっちゃってね。ここに来たのも偶然。一度帰ろうと思っていたら、お爺さんを見つけたの」
「客じゃないなら、早く帰んな」
しっしと手で私を払う。
「冷たいなぁ。じゃあ、何か買っていこうかな?」
私が財布を出すとお爺さんが小さな小瓶を出す。
「最近は姿の視えない怪物が現れてるってことで、こいつが売れてるぞ」
「これは?」
なにやら不気味な色合いの粉が小瓶一杯に入っている。
「これはイブン・ガズイの粉薬だ。不可視の存在を視認できるようになる。
特にレジスタンス連中に人気でな。大量に作ったからまだ余っている。安くしてやるぞ」
「不可視の存在? そんな怪物もいるの?」
恐ろしい表情が怪訝な表情へと変わる。
「なんじゃ、そんなことも知らんのか?」
「うん……」
「まったく……、あの女狐は何を教えているんだか」
さっきからお爺さんが女狐と言う相手はもちろん私の師匠のことだ。どうやら、昔からの顔なじみで腐れ縁となっているらしい。
「あ、そうだ!」
「なんだ?」
私の言葉に表情がまた恐ろしいものへと変わる。勘違いされやすいが、この恐ろしい表情がお爺さんの普段の顔である。
「最近の出来事を教えてほしいの。ほら、師匠も私もあまり外へとは行かないじゃない? だから、外の情報には疎いのよ」
これまでは家に籠っての魔術と体術の修業。最近じゃ、打倒邪神のために修行の真っ最中。一方、師匠は外の出来事に関心を持たない。世界がどうなろうが知ったことではないのだ。
「…………何を教えてほしいんだ」
お?
今日のお爺さんはなんだか機嫌が良さそうだ。いつもなら、客以外はすぐに追い返すが、さっき何か買うって言ったのが効果あったのかな?
「それじゃあね、聞きたいことは――」