01 「影武者」「和風」「報われない思い」「百合物」
まず、初めまして。
ハーメルンでもこちらでも読み専でいるつもりでしたが、沙由梨様、浮火兎様に背を押していただきました無月と申します。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
では、本文をどうぞ。
「大丈夫?」
見たこともないような美しい着物をまとった少女が薄汚れた私へと近づいてきた。
「・・・・・・・」
もう体のどこにも力が残っていない私にはそれに応えることはできず、倒れたまま動けない。
「近づいてはなりませぬ。姫様。お召し物が汚れます」
「そんなこと、どうだっていいわ」
そう言って少女は私へと近づいて体のあちこちに触れて、怪我をしているかどうかを確かめるとその細い腕で私の肩を支えて立ちあがろうとする。
「姫様!?」
「ばぁや、早く医者を呼んで!」
「わかっておりますよ。姫様・・・・・もうじき着きますから」
苦笑する老女と周りの戸惑いの声が聞こえる。少女は今も私を心配そうにのぞき込み、泥と埃にまみれた私の手を握りしめて離さない。
「もうすぐだから・・・・大丈夫。きっと助かるからね」
その目には涙すら浮かべて、まるで私の命を逃さないようにしっかりと包まれていた。
(・・・・・あたたかい)
初めての人の温もりに安らぎを覚え、瞼がおりてゆく。少女がくれた優しさとぬくもりが、どこかを満たしてゆく。
(ありがとう)
私は生まれて初めて他人に感謝を抱きながら、穏やかな眠りに落ちた。
×
「空?」
私は姫様の言葉に我に返り、辺りを見渡す。
「はい、何でしょうか? 藍様」
「どうかしたの? あなたが寝ているなんて珍しい」
ばれてしまったことに恥ずかしくなり、顔が熱くなるのがわかる。
「申し訳ありません。藍様」
「いいのよ。空はいつも私の代わりをして疲れているだろうし、寝顔も可愛かったらから。それよりも」
姫様によって、私の頬は左右に引っ張られる。
「いひゃいれす。あひひゃま」(痛いです。藍様)
「二人の時は『様』は付けないって約束でしょ? 空」
「ひぇ、ひぇすら」(で、ですが)
「敬語も禁止~~~!!」
さらに頬を引っ張られ、さすがに痛くなってきたので私も反撃を開始する。
「ひゃ、そこは駄目! 弱いから・・・・あはははっはは、きゃははは」
脇の下、首元、腕、足に狙いを定め、的確にくすぐっていく。
「さぁ、降伏してください。藍」
私は意地の悪い笑みを浮かべつつ、くすぐりを続ける。
「ひゃはははは、あははははは。する! するから、やめて! 空」
私は座りなおして、姫様の呼吸が整うのを待つ。
「もう、空は意地悪なんだから・・・・本当に私の影武者?」
まだ服を直しながら、彼女は座りなおして私と向き合う。
「えぇ、藍。あなたにそっくりな、あなたの癖も弱点も知り尽くしている影武者。影縞 空です」
私は目元を覆う眼帯をとり、彼女へとほほ笑む。今は服装と髪型こそ違うが、私たちは鏡合わせにしたかのようにそっくりだった。彼女に拾われたあの日、私は命を助けられ、この顔によって人生を彼女に捧げる幸運を得た。彼女を守り、時に死すらも彼女の代わり、毒をあおる。様々な知識を詰め込み、多くの修行すら受けた。でも、そんな日々も彼女が居てくれた。だから、私は生きていける。
「もう、空ったら」
彼女が笑う。私を救ってくれたあの頃と何一つとして変わらない純真な笑み、国の誰もが愛する姫の笑顔。太陽すら敵わない光のような笑みが、私を照らす。
「それよりも藍。愛しの神谷殿から手紙が来ましたよ」
「えっ! 本当に!?」
笑みに輝きが増し、私の手から手紙を奪っていく。神谷殿はこの国から、国を一つ挟んだ国の後継者である。隣国との関係があまり良くないこの国はもしもの時の備えを政略結婚によって補おうとしている。にも拘わらずに、当人たちはそれを知っていながら本当に愛し合っている。
(何とかできれば、いいのだけれど)
彼女の幸せは神谷殿と共に生き、国も民も平和に暮らす夢物語のようなことだろう。彼女の望みが叶うことはおそらくはない。
(いっそ、国なんて捨てて・・・・二人を)
頭に浮かんだ考えを否定する。二人を連れて行ったとしても、彼らは必ずここに戻ってくる。国を捨てることなど、優しすぎる二人にはできはしない。殺し合いの最中だったとしても、二人は躊躇うことなく国を救おうとすらするだろう。
「藍、私は一度警護に戻るわ」
「はーい」
そう一声かけて、眼帯を付けて跳躍する。屋根瓦を走って、天守閣へと登る。空気が乾き、風は冷たく強い中で私の思考は二人の行く末の身を案じていた。いや、正しくは違う。彼女の描く幸福の形に彼も存在するから、それを含めて考えるしかないのだ。
大陸のほぼ中央、丘にしか過ぎない程度の山々に囲まれたこの国は四つの国に囲まれるようにある。海の幸こそないが山の幸に恵まれ、気候も、その土地の数もどの国によりも豊かだ。そんな風土は国民性もそうさせていく。戦いを好まず穏やかな、日々の知識だけで十分に生きていけるだけの国、だからこそ国主である存在の政治の手腕で左右される。だが、もうそれだけでは国は守れなくなっているのが現状だ。私の部下を使って調べた範囲では秘密裏に隣国たちが連合軍を作っていることがわかっている。が、一国相手ですら守りきることのできないような国が、四つの国の連合軍に勝てる筈がない。
他国の国主の暗殺も考えてはいた。だが、国主が変われば嬉々として奴らは他国へと報復として多くの兵をまくことが目に見えている。そして、国土を考えれば一番おいしいのはこの国だ。
(どちらにせよ、この国はなくなる運命・・・・・)
脳裏に浮かぶは彼女の笑顔、そして、返し切れぬ恩をいただいた殿と奥方様。無意識に手に力がこもる。
(そうだとしても、あの子を貴様らにはやりはしない。貴様ら如きに、あの方々を触れさせはしない)
私はまっすぐに遠いどこかを睨みつけた。
×
そして、私の考えは的中する。
「お呼びでしょうか? 殿」
「縞、隣国全てが軍事同盟を結び、明日にでもこの国を攻め込んでくるそうだ。いやならば、藍を差し出せとな」
殿は何かを迷うように苦渋の表情をしており、隣に並ぶ奥方様も同様だった。
「私をお使いください。殿」
私は殿の悩みを知っていてなおも、その言葉を口にしていた。
あちらに渡されればどうなるかはわかっていた。処刑されるか、その体を弄ばれるか。物理的な死か、精神的な死か。だが、何があってもそれを藍にはさせない。
「・・・・ここに仕えて何年になる? 縞」
話を逸らした殿の言葉に私は頭を下げたまま、答えた。
「はっ、藍様に拾われ、殿と奥方様に命をいただき、今は亡き榊様に迎えられ早十年になります」
「もう十年、か。早いものだな」
殿は目を閉じ、そこから一筋の涙がこぼれていた。
「十年、娘同然に共にいたお前に『死ね』などと言えるわけがなかろう・・・・! 藍の代わりに毒をあおり続け、命を懸けて我らを守ってきてくれたお前にその心すら殺して人形になど・・・・!! 」
奥方様も傍らで泣きだしているなかで、私は改めてこの方たちに会えたことを幸運に感謝していた。
「私は死ぬはずでした。十年前、あの道端で虫のように朽ちていく、そんなものでしかありませんでした・・・・・・ですが、私は姫様に命を救われ、殿と奥方様の温情により人らしい生活をいただき、榊様に礼儀作法を、義父上と義母上にはあらゆる知識と守れるだけの力を叩き込まれました。私は拾われたこの命を、いただいたあの温もりを忘れたことは一度としてありません」
今もなお娘と呼んでくださり、その上でこの方々は私のために涙を零してくれた。
もう十分、私は幸福だった。
この方々に出会えて、彼女を傍らで想いつづけられ、その上で彼女は幸せになる。何もなかった私の一生にしては、上出来すぎていた後悔のない生。
「だからこそ、私にその任をお与えください。国を愛する姫様の影武者たる私に、あなた方が愛し、守り続けたこの国を守らせてください」
『死ね』と命じてほしい、おかしな願いだとわかっている。
「私は国にも、民にも、ましてこの世界にも何の愛着もなければ、心残りもありません。ですが」
国という囲いも、見知らぬ他人も、広い世界という存在もどうなってもかまわない。全てが明日終わるのならば、終わってしまえばいい。
「あなた方が死ぬよりも、ずっといい」
「だが!!」
「私の命如きで! 国を滅ぼすおつもりですか!!」
声を荒げる殿の言葉に割り込むように、私は怒鳴り返す。
「何を迷うことがありますか? あなたは国主です! ことが収まれば『藍姫』の生存すらいくらでもやりようがあります」
「だが! お前が死んでしまったら・・・・」
「あなたが死ねば・・・・・・藍は悲しみます」
私はその言葉を聞こえぬかのように立ちあがり、奥へと目を向けた。
「風香! 火燕!」
二人が畳につくと同時に私は殿と奥方様へと距離を詰め、首元と腹へと手刀と拳を当てる。
「・・・・縞、お前は」
「・・・・・・・・しま」
「・・・・申し訳ございません。ですが、私がこうすることで救える命があるのです」
(大切なあなた方の命が守れる。多くの名も知らぬ者よりもずっと尊い、あなた方が生きていてくださる)
倒れる二人をそっと横たわらせ、私はふすまの向こうを睨みつけた。
「よくやってくれたな。縞」
「私たちの言葉にも耳を貸してくださらなかったので、困っていたのですよ」
奥から出てきたのは私の養父母であり、殿と奥方様の影武者である義両親だった。
「義父上、義母上。本来この役目は御二人の領分のはずですが?」
「すまんとは思っているが、俺たちにも他の仕事があてがわれていてなぁ」
頭をかく義父は珍しく目を逸らしながら、答えた。
(はい、嘘決定。殿に手をあげられなかったんでしょう。大方)
内心、悪態も付きたくなるが兄弟、姉妹、親友同然の存在を自分の手で気絶などさせたくない気持ちもわからなくはない。
「義母上、睡眠薬の調合をお願いします。全てが終わるまで殿たちには寝ていていただかなければなりませんからね」
「えぇ、そうね。それはこちらに任せなさい」
「で、縞。お前はどうするんだ?」
「話の通りです。私は姫様の代わりに『藍姫』としてあちらに渡ります」
私は淡々と、いつものように話す。
「生存の確率は低いぞ。生きていたとしても犯されて、弄ばれて、遊び道具にされることは目に見えている。まして、国を考えれば早々に影武者であることもばれてはまずい。耐えられるのか?」
「同じ状況下で同じことを言われて、あなた方はそれを放棄しますか? そして、影武者である自分を後悔などするのですか?」
私の問いに二人が同時に、口元に笑みを作る。
「ないな・・・・・後悔なんてある筈がない。俺の生き様だ、こいつの代わりは」
「そうね、本当に私たちはどうしようもない道化よね」
「そう、ですね」
影武者であることを知っているのは当人たちだけであり、民を化かし、他国を欺くための存在。そして、他のどんな存在よりも彼らを守り、生きることを望む者――――たとえ、その引換えが己の命だろうと躊躇なく捧げる。観客の誰もが私たちの名を知らず、笑顔だけを貼り付けて騙しつづける。
「では、私はもう参りますので・・・・・義父上は神谷殿への一筆をお願いいたします。義母上は御二人をお願いします」
私は風香と火燕を連れだって、去ろうとする。
「おい! 空」
「まだ、何か? 義父上」
私は振り返り、風香と火燕に先に行くように指示を出す。
「まぁ、その・・・・なんだ」
「空、また会うこと信じているけど・・・・・言っておくわ。私たちはお互いに愛し合うことも、思いあうこともなかったけれど」
「楽しかったぞ。いろいろと、な」
二人は任務としてでも、修行中の組手でもなく初めてお互いを支え合い、私の肩と頭に手を触れた。思い出すのは厳しい修行、多くの知識を叩き込まれた日々。そして、殿と奥方様、姫様によって開かれた影武者である私たちを労うささやかな宴。日々のささやかな出来事の多くが、十年前の私にはまるで予想できなかったこと。
「私もです・・・・・・できることならば、生きてお会いしましょう」
私は顔をあげ、それ以上は何も言わずにただ一礼した。
×
普段とは違い、何も言わずに彼女の寝室へと侵入する。
「空、何かあったの?」
音を立てずに入ったつもりだったが、気づかれてしまった。本当は眠ったまま連れて行くことが最善だったのだが、私は彼女の傍に寄り添うように跪いた。
「国の周りを他国の連合軍が囲んでおります。相手の要求はあなたの身柄」
「私が行けば、戦いはなくなるのね?」
瞬時に変わった彼女の目は決意がこもっているが、だからこそ私は彼女を守る。誰にも傷つけさせはしない。
「言うと思っていました。ですが、そんなことは私がさせません。藍、あなたにはしばらく身を隠していただく必要があります。風香と火燕があなたを神谷殿の元に連れて行きます」
「今日はどうして私の目を見ようとしないの? 空」
薄い寝巻きのまま彼女は私の頬に触れ、私の目を覗き込む。白菊のような美しさ、それでいて椿のような上品な強さ、その上で彼女はけして愚かではない。
「まさか、あなたが私の代わりに行くというの?! また、あなたが傷ついてしまうの?」
か細い指が震えながら私に伸ばされ、私はその手を優しくつかみ、そっと包み込む。
こんな細く白い手が、あの日私に生きる希望とこれまでの温もりをくれた。
「それが私の生きる理由」
「私はこんなことのためにあなたを助けたわけじゃないわ!」
声を荒げ手が遠ざかり、悲しげに目を伏せる。
「私は・・・・あなたにも傍にいてほしいのよ。空」
涙を零して、私の服の裾を掴む。幼い子どものようなそのしぐさすら、愛しい。
私にはない全てを持つ、大切な彼女。
何もなかった私は彼女に惹かれ、幸運にも傍にいる権利を得た。
「知っていますよ、藍様。あなたがそんなことのために私に手を伸ばしたなんて思っていません。でも、私は嬉しかった。あなたの代わりとなれることが、あなたの傍にずっと居ていいと言われたことが、あなたが傷つくことなく生きてくれることが私の幸せです」
彼女が心配して涙を零してくれたことも、誰よりも近くで彼女の笑みを見ることができた。
その全てが私に生の喜びを感じさせ、些細な言葉すらも幸福だった。
「それに私は死ぬつもりはないんです。処刑される確率も実に低く、人質を乱暴に扱うこともないでしょう。殿の手腕があれば、またすぐに会えます」
彼女の笑みを見るためならば、私は何だってする。
たとえ、それが口からのでまかせであっても、彼女がくれたこの心だけは誰にも犯されはしない。
泥をすすっても、何をされようとはいつくばってでも生きて、彼女の笑みを見るために死なない。
「・・・・ホントに?」
私は彼女の頬にこぼれた涙をそっと指で拭いながら、笑みを作る。
「えぇ、本当ですとも。私はあなたに決して嘘はつきません」
頭を撫でながら、抱きしめる。
「あなたと長く離れるなど初めてかもしれませんね。藍様」
手に籠ろうとする力を押しとどめるように、私は触れる程度にする。
「どうして? どうして、あなたはそこまで私に尽くしてくれるの?」
愛しさが溢れる。だが、この思いは在ってはいけない。
「あなたのことを、誰よりも愛しているからですよ。藍」
私は彼女の耳元でそっと囁く。彼女の頬が朱に染まり、目を見開く。私はその反応に対して、誤魔化すようにクスクスと笑いだす。
「なぁんて、冗談ですよ。藍」
『もう、空ったら!』といつもの返事が返ってこず、私が彼女の顔を覗き込むと私の胸元でまた彼女は泣いていた。私は腰の袋から一本のかんざしを取り出し、おろされたままの彼女の髪を結いあげてかんざしを挿す。紺一色が覆ったトンボ玉の中に金に光る月が一つぽっかりと浮かんだ模様、銀一色の髪留め部分。
「空? これは・・・・?」
「次のあなたの誕生日に渡そうと思っていたのですが、それにはさすがに間に合わないでしょうから・・・・・今、差し上げます。銀には魔よけの力もありますので、お守りとしても優秀でしょう」
人が恐れる夜闇の中、その光で世界を煌々と照らし出す金の月。この月は彼女そのものであり、私はそれを包む夜闇でしかない。彼女の傍に居るようで遠く、いなければ存在できない私。夜闇は月があるからこそ、その存在を認識できる。
「縞様、そろそろ・・・」
風香の申し訳なさそうな声に私は目で頷き、そっと彼女を遠ざけた。
「さ、しばしのお別れです。藍」
「空、絶対また会いましょうね? 約束よ?」
「えぇ・・・・・・風香、火燕。道中、藍様を頼んだわよ」
「「はっ」」
二人が返事と共に藍を担ぎながら、去ろうとしていく。
「きっとよ! 空」
声が遠ざかりながらも、私との再会を願ってくれる優しい彼女。
だから、守りたいと思った。愛しいと思った。
「土熊、水恋。あなたたちは明日、私がここを去った後の警護をお願い」
「「はいっ!」」
四人の直弟子たちは立派に育ってくれた。ここはもう安泰だろう。忍びの物から真っ白い着物へと服を換えながら、私は眼帯とともに衣服をその場で焼き払う。髪を整えたのち、頬におしろいを塗り、唇に紅をさす。
(これでいい)
懐には殿が私に授けてくれた世に二本しかない(公には一本しかないとされているが)家紋入りの短刀を忍ばせた。
×
――――まだ死ねない。
どこかの和室の一室で私は裸のまま、鎖に繋がれていた。鎖は繋がれた先に制御する何かがあるらしく、相手によっては吊るされるように犯される。窓のないこの部屋で微々たる食事を這いながらとり、時間も何も関係なく男がやってくる。性欲発散、暴力によって発散していく者、ただ罵倒を繰り返す者、相手の数もまちまちで、意識を失うと様々な方法で起こされる。時間の経過もひと月たった時点でわからなくなってしまった。
「まだ、生きているか? あの女?」
「わからん・・・・・だが、良い発散にはなっているからな。せいぜい、壊れない程度にしてりゃいいんじゃねぇか」
性欲だけでなく、暴力を振るって快感を覚える類連中も多くいた。そのおかげなのか、幸い子どもを身ごもることはなく、私は畳に倒れるように眠りにつこうとする。
「っ!!」
その瞬間、鎖が引っ張られ柱へと貼り付けられる。
「丈夫だなぁ」
私はせき込みながらも、何も見ないように下を向くが大きな手によって顎が掴まれ、無理やり顔を向けられる。通常の二倍はあるような巨体の大男、鎧を纏っているところを見るとこの男は暴力で発散するのだろう。
「殺すなって、言われてもなぁ。無理だ、ろ!」
重い拳が腹と打ち付ける。鎖が緩くされ、体を持ち上げられて床へと放り捨てられる。人形のように体が舞う。
(泥をすすっても、生きると・・・・決めた)
―――彼女と再び出会うために
拳が胸に落ちて、畳の上で体が跳ね上がる。
(また、会うと・・・・言ってしまった)
―――それが彼女の笑顔を一瞬でも見るための偽りだったとしても
右足が踏み砕かれ、激痛が体を襲う。
(まだ、生きている・・・・・・死ねない)
―――彼女に一目会うまでは、死ねない。死ぬことは許されない。
腹に重たい足から生み出される蹴りが叩き込まれ、私の口元から血が溢れる。体中の痛みから、意識が飛びそうになる。だが、今意識を失ったらもう目覚めることはない気がした。
「無事か! 藍!!」
聞き覚えのある、誰かの声が聞こえる。そう、私は『藍姫』としてここに居る。ならば
「・・・・・・神谷・・・・さ・・ま?」
彼女ならこういうだろう。
異国の灰色の髪、この国にはない赤い瞳。彼女が愛してやまないたった一人の存在。
「貴様らあぁ! 許さん!! 風香、火燕、土熊、水恋。藍を頼む!」
聞き覚えのある名と黒い四つの影が走ってくる。私を囲うように集った。
「国・・・・は?」
「大丈夫です。全て、終わったのです・・・・・お疲れ様でした、縞様」
風香の報告を受けながら、水恋によって衣服をかけられる。その間に火燕、土熊によって鎖から解放される。
「もう・・・・私は長くない。だから・・・・・お願い」
――――私をあの子の元に、あの方々の元に連れて行ってほしいの
言葉にできずに私の意識は薄れかける。
「気つけにもならないかもしれませんが、これをお飲みください。縞様」
水恋によって口元へと、飲み薬を注がれる。私が教えた気つけ薬、それを改良したものだろう。医術にたけた水恋、情報に特化した風香、速さを重視した火燕、力を尊ぶ土熊、どの子もかつての私と同じだった。私が育て上げた後継者たち、本当に立派になった。
「わかっています・・・・こちらに皆様、揃っておいでです」
四人が私の教えを破って、一筋の涙を零しているように見えるがそれはきっと私の目がおかしくなったのだろう。
「空! 遅くなってごめんね!!」
風香と水恋に抱えられた私を見た瞬間に彼女が抱きしめてくる。
(あぁ、会えた)
「藍、手を・・・・・つないで、くれる?」
「うん・・・うん・・! いくらでもするから、死なないでよぉ! 空」
私はそれに応える力すら残っていない。出会えたあの日のように私は彼女の手に触れた。伸ばされた手がどんなに嬉しかったか、忘れない。
「神谷殿、手を」
「あぁ」
彼はもう私が助からないことをわかっている。でも、目は逸らさない。だから、私も彼を藍の伴侶として認めざるを得ない。殿と奥方様はただ黙って、私がすることを理解したかのように頷いてくださった。私の左右の手に乗った二人の手を重ね合わせる。
「互いに思いあい、愛し合う、生涯を助け合って生きるこの愛しき者たちを、あらゆるものを代行して・・・・・今ここに、二人を夫婦とする」
「っ! こんなときに何を言ってるの?! 空」
「私に・・・・・仲人をされるのは嫌? 藍」
言葉と同時に血を吐いて、足元から崩れ落ちる。
「・・・・・もう、私は助からない。あなたたちの先を見たいけれど、見届けることは叶わない」
風香と水恋によって体を横たわらせられながら、火燕と土熊が守るように前後を確保していた。
「あなたたちを守ることは立派になってくれたこの子たちが、してくれる。本当に誇らしい・・・・・死してなおも、私の名残があなたを守ることができるのだもの」
結ばれたままの二人の手を、羨ましくも愛しく思う。この手を繋げる者でなく、彼女と手を繋ぎたかった。でも、私にはできない。何もかもが違いすぎる。影武者として生きることができた、誰よりも傍で彼女の支えとなれた、それが私の誉れ。
「あぁ・・・・・・かんざし、着けていてくれるのね? ありがとう」
「当たり前だよ! 空がくれた大切な贈り物だもの・・・・だから、だから死なないでぇ! 傍に居て、見守っていてよぉ」
かつて、泣き崩れた彼女を支えるのは私の役目だった。でも今、彼女の肩に手を置いて支える者がいた。彼は他人でありながら、初めて私と藍を見分けた。しぐさも、口調も、むろん容姿すら寸分も違わぬ私たちを別人と称した。
「・・・・・・・神谷殿、誓ってください」
「・・・・・・」
無言で私を見つめ、先を促す彼に私は血にぬれた口元に弧を描く。
「彼女を守る、と。決して悲しませぬ、と」
「幸福にしろ、とは言わないのだな?」
「えぇ、あなたとともに居れば、藍は幸福ですからね・・・・・・私もそこに居たかった。でも、もう無理ですから」
苦笑にも似た笑いがこぼれ、血も溢れていく。想いもまた、最期に溢れていく。
「忍びに涙は不要といったのに・・・・・困った弟子たち」
私の体を支える弟子たちの頬からは涙が零れだしていた。殿と奥方様がその目に光る物を揺らしながら誇らしそうに私を見てくれる。私の最期だとわかってしまうのか、彼の元を離れて藍が駆けてくる。
(あぁ、幸せだなぁ)
彼女がくれた私の人生、彼女が居なければなかった全て。
全部、あの手の温もりから始まった。
(あたたかい。とても、とても)
「ありがとう・・・・藍」
いかがでしたでしょうか?
初回にしては話が重たい気もしますが・・・・・申し訳ありません。
ちなみに名前の読みは火燕、水恋、風香、土熊となります。
神谷殿の名前は・・・・・設定上ですら存在していません(笑)
同様に藍姫の名字も考えられていません(笑)
この話でまともにフルに名前があるのは主人公である彼女だけです。
感想、誤字脱字報告、お待ちしております。