夫婦の時間
事の始まりは、多江の一言だった。
『デートされてきてはいかがですか?』
気を遣った多江にそう言われ、青紫と帝都に来てみたものの……。
「……」
「……」
屋敷から帝都までの車の道中、会話がない。こんな雰囲気では、とてもじゃないがデートとは言えない。そんな二人の事情を察してか、運転席にいる庵も口を開かず黙っている。
夜会の日から、青紫は三日間寝込んだ。ヒトツメ鬼を祓うのに、かなりの妖力を使ったせいだだろう。優子は看病したかったが、青紫は一人で大丈夫だと言って、優子を部屋に入れてくれなかった。
(私を、遠ざけているんじゃ……)
完全に首を横に向け、窓の外を眺める青紫。優子を避け、そっぽを向いているようにも見える。体は大丈夫ですか? そう言いたいのに、その一言さえも、上手く言える気がしない。
顔を俯かせ、ひっそりと優子が青紫を見ると、タイミングよく青紫が優子の方を見た。バッチリ目が合うも、気まずさから互いに目を逸らしてしまう。
このままじゃダメだって、分かっている。
(言うのよ、優子)
優子は意を決する。
「あの……」
窓の外を見ていた青紫が優子を見る。優子は左右に視線を泳がせながら、一生懸命に言葉を紡ぐ。
「そ、その……か、体は……大丈夫なんですか……」
「……ええ」
「そ、そうですか……」
その言葉に、優子はホッとする。怒っているのかもしれないと思っていが、青紫の口調は穏やかだった。いつも青紫から感じる柔らかさ、今はその中にはどこか素っ気なさも感じるが、それは緊張しているからに思えた。
「……お粥」
「え?」
「美味しかったです。ありがとうございます」
何も出来ないのもむず痒く、多江に教わりながら、卵粥を作った。返却されたお皿は空になっていた。全て食べてくれたのは知っていたが、口にあったのかどうか気になていた。
「いえ……お口に合って、よかったです」
ご飯を美味しいと言ってもらえたことが嬉しくて、優子の口元には笑みが浮かぶ。そんな優子に、青紫の口元にも、ぎこちなくも小さな笑みが浮かんだ。
車を降りると、帝都の街を並んで歩いた。青紫とちゃんと仲直りしたい気持ちはある。だが、自分を危険に晒していたとはいえ、ヒトツメ鬼を無慈悲に祓ったことを許せるわけではない。
複雑な顔して歩く優子の横、二人の男の子が走り抜ける。
「兄ちゃん待って!」
先を走る兄を追いかけ、後ろを走っていた弟が小石に躓きバランスを崩し、前に倒れ込みそうになる。
「危ない……!」
優子がそう叫んだ時、間一髪で青紫が男の子の腕を掴み、転ばずに済んだ。ほっと胸を撫で下ろす優子。青紫は男の子の前にしゃがみ込む。
「危ないので、走らないように」
青紫の言葉に、男の子は静かに頷く。青紫は男の子の頭の上にポンと自分の片手を乗せる。
「良い子です」
青紫の優しい笑みに、男の子は嬉しそうに笑うと、兄と手を繋いで立ち去った。
「子供に優しいですね」
「そうですか?」
庵を傍にいさせるくらいだから、子供は嫌いではないのだろう。
(……って、庵くんは妖怪だから、私よりもうんと年上よね)
幼い見た目をしている庵をついつい自分より年下扱いしてしまう。
ふと横を見ると、そこにはかき氷屋があった。
……懐かしい。
婚約したばかりの頃、誠一郎に誘われ、優子はこのかき氷屋に来た。かき氷を食べようと言ったのは、誠一郎だった。誠一郎は数日前に風邪を引き、治ったばかりだった。身体が冷えるかき氷は病み上がりの体に良くないと優子は言ったが、誠一郎は無邪気な子供のように優子の腕を引き、店内に入った。案の定、体が冷えた誠一郎は寒くて身震いを起こしていた。バカな人だ。優子はそう思ったが、そんなところが、好きだなとも思っていた。
もう過ぎた話……誠一郎のことも、いいかげん忘れないといけないのに、美しい思い出が。そうさせてくれない。
「食べたいのですか」
優子が顔を上げると、隣に立っていた青紫が店を見て言う。
「……いえ」
店から目を逸らし優子はそう言うが、青紫は優子を置いて店へ入っていく。
「えっ……」
ポツーンと置いてきぼりになった優子が、戸惑いながらも店に入ると、青紫はすでに店員に窓側の席に案内されていた。優子は後を追い、青紫の正面の椅子に腰を下ろした。
「煎茶をお願いします」
メニューも見ず、店員にそう言う青紫。
「かき氷、食べないんですか?」
「甘いものは、あまり得意ではないので。気にしないで食べてください」
優子は不思議に思った。甘いものが好きではないなら、どうしてこの店に入ったのか。
「いちごのかき氷は、まだありますか?」
「ございますよ」
「ではそれをお願いします」
「かしこまりました」
店員は一礼すると、席を離れる。優子は店の中を見回した。
ここはあの時のままだ。
入り口近くにはカウンターキッチン、奥には優子たちが座っている窓側の席を合わせて、十席ほどのテーブル席がある。歴史を感じる大きな古時計に、グランドピアノ。白い壁にはいくつかの風景画が飾られている。今は使われていないが、暖炉も装備されていて、店内はいつも人で賑わっているが、クラシカルな雰囲気が居心地の良さを感じさせる店だ。
「この店には来たことが? さっき、店員にメニューの確認をしていたので」
「はい、一度だけ。……以前、婚約してた方と来たことが」
青紫には、誠一郎の話をしたことはこれまで一度もない。子爵令嬢と言う立場だったことから、優子に婚約者がいたことにはさして驚くことはないだろうが、ここで存在を伏せるのも違う気がした。
「聞いてもいいですか」
「はい」
「なぜ、婚約破棄を?」
優子は視線を俯けると答える。
「……お相手の方に、他に好きな方がいたからです」
「今でも、彼が好きですか」
真っ直ぐに優子を見て問う青紫と目を合わせると、優子は僅かに笑みを浮かべ、小さく首を横に振る。
「もう、気持ちはありません」
あの日、誠一郎に裏切られたと知った日から、優子の中で、誠一郎に対する愛情というものは無くなってしまった。
「ただ……」
「ただ?」
「悲しさは、今でもあります。彼と一緒に過ごした、幸せだった思い出は消えることはないと思います。この先も、ずっと」
どんな結末を迎えたとしても、一度、誠一郎を愛してしまった以上、優子の中で、誠一郎という人物が消えることはない。
運ばれてきたかき氷を一口食べた優子は、幸せそうに頬を緩ませた。
「美味しい……」
「それはよかった」
優子のその表情に、青紫も笑みを浮かべ煎茶を飲む。窓の外には、多くの人が行き交っている。人混みが得ではないだろうに、一緒に帝都に来てくれた。甘いものが得意ではないのに、かき氷屋には入った。自分の幸せそうにする姿を見て、嬉しそうにする青紫に優子は気づいた。青紫は、優子の幸せを自分の幸せだと思っているのだと。
あんな残酷なことをするのに、憎めない、嫌いになれない。
優子は持っていたスプーンをテーブルに置く。
「あの、私にも、何か術を教えていただけませんか」
優子の問いに、青紫はテーブルに湯呑みを置く。
「急にどうしたんですか」
「あなたに守られてばかりの、か弱い女でいたくないんです」
ヒトツメノ鬼のこともそうだ。自分のせいで青紫に負担をかけている。少しでも青紫の役立てるようになれば、青紫は危険なことをせずに済む。
優子の真っ直ぐな瞳を見つめる青紫。青紫は確かめるような視線を優子に向けると、目を伏せる。
「あなたがどう思っても、私はあなたを守らねばなりません」
守らなければならない……。
「契約、だからですか」
「え?」
問いかける優子に、青紫の伏せられていた目が不思議そうに優子を見る。
「それが契約だから、言っているんですか」
強気な姿勢で、真面目な顔をして問う優子に、青紫は少し狼狽えた。
「い、いえ、私は」
「もし、黒羽さんが契約で私を守っているのなら、それは無効にしてください。私は、そんなものであなたを縛りたくないんです」
青紫から自由を奪うことはしたくない。足枷になるにも嫌だ。だが、一番は、契約などで青紫を縛るような、虚しい思いをするのが嫌だった。
「契約は、あくまで建前です」
「……え?」
闇を映すように黒い瞳が、真っ直ぐに優子を見る。
「私が、あなたを守りたいと思ったから」
青紫のその言葉に、優子の胸は大きく波打った。優子の凛とした瞳が、大きく揺れ動く。
(目が、逸らせない……)
じっと見つめられることなんて、今まで何度もあった。でも、この時の青紫の瞳には、その揺るぎない決意の眼差しの奥には、深い愛情を感じた。
「……黒羽さんは、ストレートにものを言う方ですよね」
頬を赤く染めた優子が、恥ずかしそうに青紫から顔を背け言う。
「そうですか? すいません、私にとっては、普通のことなのですが」
笑みを浮かべ首を傾げる青紫は、少しだけ優子をからかっているように思えた。
「でも、そうですね……あなたが相手だと、素直に、伝えたくなる」
温かい眼差しと小さな笑みを優子に向ける青紫。
(ほんとこの人は……)
すいませんと言いつつ、楽しそうにニコニコと笑う青紫。そんな青紫を見て、つい優子の顔にも笑みが浮かんだ。
「この後はどうしますか?」
「特に行きたいお店とかありませんが、少し帝都の街を歩きたいです。青紫さんが、よければ、ですけど……」
いつも仕事で忙しいのは分かってる。だが、せっかく青紫と来たのだ。
もう少しだけでいい。あと少しだけ、一緒にいたい。
まだ二人だけの時間がほしい。そう思う自分は、欲張りなのだろうか。
「そうですね」
立ち上がった青紫は優子に片手を差し出す。
「デート、ですから」
青紫のその言葉に、優子の表情は一段と明るくなる。差し出された青紫の片手を取ると、優子は笑顔で頷いた。店を出た二人は、手を繋ぎ帝都を歩き出す。青紫に手を引かれ歩く優子は、胸に溢れる幸せを噛み締めていた。
歩いて少しして、優子は染め物屋の前で足を止めた。
(このスカーフ、すごく綺麗)
優子が見ていたのは、気品ある紫色のスカーフ。小さな花柄が描かれていて、可憐さと神秘さを感じる。
「綺麗なスカーフですね」
魅入っていると、隣にいた青紫もスカーフに視線を落とす。
「ええ、とても美しいです」
優子は少しばかりのそのスカーフに視線を落とし続けると、顔を上げた。
「いきましょう」
そう言い、青紫の手を引き歩き出そうとする優子だったが、青紫は優子から手を離した。
「黒羽さん?」
「すいません、さっきの店に忘れ物をしました。先に車に戻っていてもらえますか?」
「忘れ物……ですか?」
「ええ」
「……分かりました」
優子は青紫の背を向け、一人、歩き出す。優子の姿が見えなくなると、青紫は染物屋の店主に声をかけた。
優子が車に戻った数分後、青紫が戻っていた。
「忘れ物はありましたか?」
「ええ」
青紫が後部座席に、座ると、車が発進する。
「今から森に行きましょう」
「……森に?」
「あなたに会わせたい者がいます」
笑みを浮かべそう言った青紫を、優子は不思議そうにして見ていた。
車は神社の前に止まる。石階段を上がると、青紫は木々が立ち並ぶ森の奥へどんどん突き進む。その後ろを優子は付いて行った。
「黒羽さん、一体、誰に会わせようとして、もう教えてくれてもいいんじゃないですか?」
「もうすぐですから」
木々を抜けると、広い空間が広がっていた。真ん中には、人ひとりが隠れられそうなほどの大きな岩がある。
こんなところに、一体誰が待っていると言うのか。
すると、岩の後ろから、ちょこんと、小さな妖怪が顔を出した。その妖怪に、優子は大きく目を見開いた。
「……ウサギ……?」
ウサギは後ろめたさそうに岩から姿を見せる。
「おいらは会わない方がいいって言ったんだけど、その八咫烏がおいらを探しに来て、優子に会えって……」
ウサギは優子を一瞥すると、気まずそうにまた顔を俯かせた。
ウサギだ。ウサギがそこにいる。
優子は一歩二歩と足を前に出すと、両の目に涙を浮かべながら、ウサギの元へ一直線に走り出す。そして、膝をつき、小さなウサギを掬い取るように両手に乗せると、頬に寄せ涙を流した。
「ウサギ……ウサギ……ウサギ……っ! ずっと……会いたかった……っ」
何度も自分の名を呼び涙を流す優子に、ウサギの目にも涙が浮かび、溢れ出た。
「ごめんっ……!! あの時、お前を置き去りにして……!!」
ウサギは大粒の涙を流しながら、優子の頬に両手を添え、擦り寄り謝る。
「いいの……もう、いいのよ……あなたが無事で、よかった……」
涙でいっぱいになった優子の顔に、笑みが浮かぶ。
「優子……」
「会いに来てくれて、ありがとう……」
うさぎは鼻水を流しながら、大声を上げ、子供のように泣いた。
「まったく……」
そんなウサギを見て、呆れた様子の青紫は、優子の隣にしゃがみ込むと、懐からハンカチを取り出し、ウサギに差し出す。ウサギは大きなハンカチを手に取ると、グシュンっと音を立て、盛大に鼻をかむ。
「あなたも妖怪なら、少しは威厳というものを保つべきかと。こんな子供のように泣きじゃくって……」
「ええいうるさいっ! これが泣かずにいられるか!」
言いながら、ウサギは青紫を睨む。ウサギと青紫のやりとりに笑う優子。そして、何かを思い出したかのように、優子はあっとした顔をする。
「そうだ、名前……名前を教えてほしいの」
「名前って、おいらのか……?」
優子は頷く。
「私たち、友達でしょ?」
「友達……」
優子の言葉に、ウサギは目を輝かせる。
「おいらは、ヨモギ」
「ヨモギ……素敵な名だわ」
笑顔でそう言った優子に、ウサギは嬉しそうにすると、また大粒の涙を流す。あの時、流した涙は大きな悲しみの涙だったが、今は大きな喜びの涙と変わった。
「改めて、これからよろしくね、ヨモギ」
「おう! よろしく、優子!」
微笑む優子に、ヨモギも微笑んだ。
青紫とデートをして、うさぎと再会できた日の夜、お風呂に入り、化粧台で髪をとかしていた優子の元に、青紫がやって来た。
「私です。入ってもよろしいですか」
優子は鏡を見ながら手早く髪を整えると、姿勢を正した。
「ど、どうぞ!」
襖が開かれ、青紫が入ってくる。青紫は椅子に座る優子の目の前に正座をした。
「これを」
差し出されたのは、薄く細長い箱。
「……これは?」
「開けてみてください」
膝の上に箱を置いた優子は、慎重な手つきで箱の蓋を開ける。
「これって……」
箱の中に入っていたのは、昼間、優子が帝都で見ていた、紫色の花柄が描かれた、気品あるスカーフだった。
「お母様のスカーフの代わりには、ならないかもしれませんが、私からの気持ちです」
優子は感動した様子でスカーフを見つめると、青紫を見る。
「手に取ってみても?」
頷く青紫。優子は箱からスカーフを取り出す。昼間は気づかなかったが、スカーフはグラデーションになっていた。透明感があることで、紫という気品ある色がより美しく目に映る。
「すごく綺麗……」
「気に入っていただけましたか?」
「もちろんです。とっても嬉しい……。ありがとうございます」
嬉しそうに微笑む優子に、青紫は安堵した表情を浮かべた。
「私も、悪いと思っているのですよ。この間のこと」
青紫が言うこの間のこととは、ヒトツメ鬼を祓った時のことだろう。
真っ直ぐに向き合おうとしてくれている青紫に、優子も正直に自分の気持ちを伝えるべきだと思った。
「……あなたの妖怪に対する扱いは、賛同できません。ですが、私を守るためにしてくださってことだと、理解してます。ウサギのことも、スカーフも、ほんと、なんとお礼を言ったらいいのか……」
自分はいつも、青紫にもらってばかりだ。
「礼には及びません。いつも側で支えてくださっているのですから。それに……私がしたくて、したことですから」
あの日の青紫は、冷酷無慈悲という言葉そのものだった。だが、優子にとって青紫と言う人物は、とても優しく、自分を理解してくれる唯一無二の存在。青紫を嫌いになることなど、できるはずがない。
「……もう、喧嘩するのは嫌です」
そう言い、優子は表情を暗くし俯く。そんな優子の片手に、青紫の冷たい片手が重なる。
「そうですね、私も喧嘩は嫌です。できればこれっきりにしたい。ですが、そうもいかないのが、夫婦というものでしょう」
優子はもう片方の手を、青紫の手の上に重ねる。
「もし……この先も、今回のように意見が食い違うようなことが起きても、互いを理解しようと、寄り添い合っていきましょう。顔を合わせたくない日があっても、いってきます、お帰りなさいは、言い合いましょう」
「ええ……そうですね」
青紫の真摯な眼差しが優子を見つめる。
「改めて。優子さん、私と夫婦になってくれて、ありがとうございます」
「本当に改まってですね」
そう、クスりと笑みをこぼす優子。
「伝えたい時に伝えないと。ほら、人生はいつどうなるか分からないでしょ?」
「黒羽さんは、よくおかしなこと言いますよね」
優子が笑みをこぼしながらそう言うと、青紫はどこか不満そうな顔をする。
「黒羽さん、いつまでそう呼ぶつもりですか」
「え?」
「あなただって、黒羽でしょ? 黒羽さんではなく、青紫__と呼んでください」
言われてみれば、結婚してからも、優子は青紫を苗字で読んでいる。夫婦なのに夫を苗字で呼ぶのも変な話だ。元に、青紫は優子のことを名前で呼んでくれている。だが、急に呼ぶのも抵抗があると言うものだ。
優子が青紫を一瞥すると、青紫は優子に名を呼ばれるのを待っている様子だ。
優子は覚悟を決めるかのように小さく深呼吸をした。そして、恥ずかしそうに顔を俯けると、少しの間を空け言う。
「……青紫さん」
優子がゆっくりと青紫に目を向けると、青紫は見たことないくらいに、幸せそうに笑った。
「はい、優子さん」
名前を呼ばれ、優子の胸は大きく高鳴る。幸せというものは、溢れんばかりにある。満月が空に浮かんでいたこの日、優子はそう思った。
ある日の天気の良い午後、優子は多江と裏庭の縁側に並んで腰を下ろし、お茶をしていた。
「まあ、綺麗なスカーフ。もしかして、若様が?」
優子の肩にかけられた紫色のスカーフを見て、多江は言う。
「はい」
「仲直りできたんですね」
片手でそっとスカーフに触れる幸せそうな優子を見て、多江はにっこりと笑う。
「ここだけの話、若様が私をここへ呼んだのは、優子さんのためなんですよ」
「え?」
「元は一人でこのお屋敷に暮らされていたそうで。若様、基本的にはなんでもできますから。私がいなくともよかったはずなんです」
(……一人で)
こんな広い屋敷に一人でいたなんて。それは随分と寂しい気がした。
「若様に屋敷に来てほしいと言われた時、優子さんのことを支えてあげてほしいと頼まれたんです。自分のような者と二人では、窮屈かもしれないからって」
多江がここに来たのは、青紫が多江の家に住み着く妖怪を祓ったことがきっかけでということは知っていたが、青紫がそんな風に思っていたとは知らなかった。
窮屈だなんて、そんなこと、一度も思ったことはないのに。
「あら、よく見るとこのお花、エキザカムですね」
「エキザカム?」
首を傾げる優子。
「花言葉をご存知ですか?」
「いえ」
多江はにっこりと笑うと、微笑んで言う。
「エキザカムの花言葉は__」




