表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人形令嬢と半妖のあやかし祓い屋  作者: 黒彩セイナ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/14

旧家の友人

 祓い屋である青紫が仕事に行く時間は様々。早朝に家を出ることも多かったが、どんなに朝が早くとも、家を出る際、優子は青紫を見送った。

 この日も、青紫は早朝から仕事に行く予定だった。優子はまだ眠い目をこすりながら布団から起き上がると、冷水で顔を洗い目を覚まさせる。そして身なりを整えると部屋を出た。

 台所に立ち一番始めにするのは、お米を炊くこと。必要な薪は青紫が手の空いた時に割ってくれている。薪を釜戸に入れると火をつけ、その間に今日の朝ご飯のおかずを作る。氷箱からきゅうりのぬか漬を取り出し、まな板の上に置く。左手は猫の手を意識して、右手で包丁を握る。焦らずゆっくりと包丁を動かすと同時に、左手もスライドするように動かしていく。これがなかなか難しい。前園家にいる時は、怪我をしないようにと家事は一切やらず、この屋敷に来るまで包丁すら握ったことがなかった優子は、何をするにも苦戦した。雑巾を絞る時は、横ではなく縦にする方が水が絞れることや、洗濯物を干すときは皺を伸ばしたり、お米は研がなければ食べられなかったりと、そんな簡単なことすらも、優子は多江に教わらなければ知らなかった。自分の無知さと不器用さに落ち込むこともあったが、多江の励ましもあり、なんとか頑張れていた。

 台所の襖が開かれ、多江が入って来る。

「おはようございます」

「おはようございます」

 多江は優子の手元を見ると、微笑む。

「良くできていますよ」

「ありがとうございます」

 多江は優しい。困っていると手を差し伸べてくれ、頑張っている時は後ろからそっと見守ってくれる。転んだから大丈夫だと手を差し出してくれ、一緒に歩こうと支えてくれる。もしかしたら、母親の愛情というものは、こういうものなのかもしれない。優子はそう思った。優しいのは青紫もだ。味付けを失敗してしまった時でも、おかずの切り方が不恰好でも、美味しいと言って食べてくれる。

 おにぎりを握り終わり時計を見ると、時計の針は青紫が仕事へ行く時間になっていた。優子は作ったおにぎりを風呂敷に入れると、急ぎ玄関へ向かう。

「おはようございます」

 玄関にはすでに青紫の姿があった。

 腰を下ろし、草履を履いていた青紫は、優子の声に振り向く。

「毎回、見送らなくてもいいのに」

 足早に自分の元にやって来た優子に、苦笑いをする青紫。だが、その笑みはどこか嬉しそうだ。

「いえ、これも妻の務めですから」

 言いながら、優子は青紫の側に正座をする。

「もっと肩の力を抜いてくれていいんですよ。祝言の日にもお伝えしましたが、私はあなたに妻として何かを強要することはありません」

 世間体を気にして、良い妻でいようと思う必要はないし、後継ぎを産もうというプレッシャーも背負わなくていい。祝言をあげた日の夜、青紫が優子に言ったことだ。二人に初夜というものはなく、寝室も別々。優子は普通の夫婦のように、同じ部屋で夜を共にすると思っていたが、青紫は裏庭が見える景色の綺麗な部屋を優子に与えたのだ。

 夫婦といえど、青紫が望んでいるのは形だけのもの、これは利害一致で結んだ婚姻。やっと、道具ではなく人になれた。自分はただの優子でいていい。

 それでも……。

「それは分かっていますが、私が黒羽さんを支えたいから、だから見送るではダメですか……?」

「優子さん……」

 優子がそんな風に言うと思っていなかったのか、青紫は驚いて言葉が出なかった。

(あっ……これは少し、ストレートすぎだったかしら……)

 二人の間に気まずい沈黙が流れる。その流れを断ち切るように、黒カラスの鳴き声がする。

「よく鳴くカラスだ」

「ふふっ……」

 呆れ笑いをしそう言う青紫に、優子はつられて笑ってしまう。

 あの黒カラスは、青紫が八咫烏だと分かって親近感が湧いているのか、屋敷があるこの森を住み家として、番犬の様な役割をしているのだとか。

「帰りは夕方頃になるかと」

「はい。あの、これ……」

 優子は持っていた風呂敷を青紫に差し出す。

「これは?」

「おにぎりを作ってみました。朝ごはんを食べていないでしょう? お仕事の合間にでもいいので、食べられたらと思って。迷惑でしたらすいません」

 優子の自信なさげな表情と声に、青紫は微笑むと、風呂敷を受け取る。

「ありがとうござます。仕事の楽しみができました」

 青紫のその言葉に、優子の顔には笑みが浮かぶ。

「いってきます」

「いってらっしゃい」

 そう言い立ち上がった青紫は、側に置いていた白い筒を背負う。

(今日も持っていくのね)

 白い筒の中には弓が入っていると、前に言っていた。弓はなんのために使っているのかと聞いたことがあったが、それははぐらかされた。気にならなくもなかったが、これ以上無理に聞くのもと思い、追求することはしなかった。

(何事もなく、無事に帰ってきますように)

 青紫の背中を見つめ、優子は心の中で願った。


 屋敷を出た青紫は、ゆっくりとした足取りで石階段を下っていた。気配を察知し足を止めると、茂みから金色の髪を持つ小柄な少年が姿を現す。

「頼んでいたものは?」

 少年は手に持っていた黒ケースを青紫に渡す。青紫は中を確認すると、ケースを閉じ、少年が用意した車に乗り込んだ。

 車が発車してすぐ、窓の外の景色に視線を向けていた青紫が鼻歌を歌い出す。その様子に、運転席にいた少年は静かに驚いた。

 少年は物珍しそうにミラー越しに青紫を見る。

 少年と青紫は常に行動を共にしてきた。だが、そんな少年でも、鼻歌を歌い、機嫌良さげな青紫を見るのは初めてだった。しかも、本人は鼻歌を歌っている気づいていない。無意識に歌っているのだ。

 これは雪でも降るんじゃないのか。

 少し不気味だったが、少年は理由を問うことはなかった。聞かなくとも、その膝の上に大事そうに乗せられた風呂敷を見れば分かるからだ。鼻歌が聞こえなくなったかと思うと、青紫の視線は、静かに風呂敷に落とされていた。

「……」

 青紫の目が細められる。その瞳の奥には、熱い想いが潜んでいるように、少年には見えた。

「……まさか、私が妻を娶るなんて……」

 青紫は一人そう呟く。

 これも無意識のようだったので、少年は何も聞き返さなかった。

 結婚__。それは、青紫にとって、縁のないものだった。

 青紫の頭には、手当を受け寝る優子が思い出された。

 布団の上に横になっている優子は悪夢でも見ているのか、酷くうなされていた。そんな優子の側には、毎晩のように青紫の姿があった。

 優子の額や首から流れる汗を手拭い拭う青紫。

「ううっ……」

 夢を見るほどに苦しむ優子を見て、あの噂は本当だったのかと思う。優子が青紫の元に来る少し前、青紫は帝都でこんな噂を耳にした。目の前にいるこの子爵令嬢が、養父母から粗末な扱いを受けている__と。事実はまだ闇の中。だがもしそれが本当なのだとしたら、そいつらに強い怒りを感じた。

「誠一郎さん……どうして……」

 優子の口からポツリと呟かれてその名に、青紫はピクリと反応する。美しい両の目から涙が流れる。青紫はその悲しみを取り除きたい一心で、長い指先で、そっとその涙を払う。

(誠一郎……)

 その男が、さらに彼女を傷つけたのか。

 青紫の腹の中にある怒りは膨れ上がっていく一方だった。

 ふと見上げた空には、カラスの群れが飛んでいた。山からでも降りてきたのだろう。青紫が八咫烏の姿になっても、優子は毅然としていた。あの姿を見ても悲鳴ひとつ上げず自分を見据えた優子は、肝が据わっているといえばそうだが、何か、他とは違うものを感じだ。それが何なのか、まだ青紫には分からない。

 青紫は風呂敷の中からおにぎりを取り出す。包を開けば、不恰好な形をしたおにぎりが二つ並んでいる。台所に立ち、一生懸命におにぎりを握る優子の姿が、青紫の頭には浮かんだ。青紫は小さく笑みを浮かべると、おにぎりを食べる。

「美味しい……」

 大袈裟ではない。こんなに美味しいおにぎりは初めて食べた。

「……」

 青紫は決意を固めた瞳で、風呂敷を両手で包み込んだ。


「お久しぶりでございます」

 屈託ない笑みを浮かべた青紫が居間に入ると、新之助と小百合は冷めた目で青紫を見てくる。そんな二人の様子など微塵も気にすることなく、青紫は向かいにあるソファに腰を下ろした。

「お二人ともお元気でしたか?」

 その問いかけに、新之助は苛ついた様子で青紫を見据える。

「御託はいい」

「冷たいですね、これでも一応、義理の息子なのですが」

 肩をすくめ傷ついた演技をしながら、青紫はため息混じりにそう言う。小百合は気が立っているのか、青紫からプイッと顔を背けている。そんな小百合を見て、青紫は密かに笑う。

(いい気味だ……)

「お前から連絡が来た時は驚いたものだ。まさか、祓い屋なんてものがこの世に存在しているとはな」

「目に見えているものが全てとは限らない……ということです」

「はっ……」

 新之助は馬鹿にしたように青紫を笑う。

 住む家がなくなっていた二人を、青紫は別邸に住まわせていた。もちろん、優子には内緒で。多額の借金を背負ったあげく屋敷が全焼。事実上、前園家は没落したも同然。なんとか体勢を立て直そうとしているようだが、それは無理だろう。爵位を返上するのも時間の問題。今の前園家は、青紫のバックアップなしには生きていけない。

 いいざまだ。

 青紫は唇に嘲笑うような笑みを浮かべた。

「そう苛立たないで下さい。あなた方にお会いするのも、これが最後ですから」

 青紫は地面に置いていた黒いケースをテーブルの上に置くと、ケースを開ける。中に入っている札束の山に、新之助と小百合の目は釘付けになる。

「あなた方がこれまで彼女にしてきたこと……許すつもりは毛頭ない。ですが、私は寛大です。この金で、一からやり直すチャンスを与えましょう」

 口元には笑みが浮かび、口調も穏やかだが、青紫のその目はずっと笑っていない。ケースから顔を上げた新之助は、真意を探るかのように目を細め、青紫を見る。

「何が望みだ」

 新之助の問に、青紫は待ってましたと不敵に微笑む。

「私が望むことは二つ。何、簡単なことですよ」

 警戒する新之助に、青紫は片手の人差し指を立てる。

「一つ、戸籍上、あなた方は彼女の養父母ではなく他人になる」

 続けて中指も立てる。

「二つ、今後一切、彼女との関わりを断ち切っていただきます」

「そんな一方的な要求を、こちらが呑むとでも?」

 青紫は優雅な動作で片手を膝の上に戻す。

「何か勘違いしているようなので言いますが、これはお願いではなく、命令です」

 主導権は常にこちらにある。それを忘れてもらっては困る。

「お前のことを調べさせてもらったが、黒羽とは祓い屋の中では名の知れた家らしいな。しかも、お前はそこの頭首の孫だとか……それなのに、次期頭首は弟だそうだな」

 新之助のその言葉に、青紫の顔からスッと笑みが消え、冷めた顔になる。

「なぜなんだ? 次期頭主は嫡男であるお前だろう」

 新之助はしてやっとと言わんばかりに、傲慢な笑みを見せる。しかし、青紫は目を伏せると、すぐに屈託のない笑みを浮かべた。

「簡単なことです。私より弟の方が祓い屋として才能がある。他の何かを期待しましたか? 残念でしたね」

 新之助の悪意をさらりとかわす青紫に、新之助は気に食わなそうに顔を歪める。

「まあ所詮、祓い屋など相手を騙して金を儲けているだけのペテン師だろうが」

 鼻で笑い、嘲笑う新之助だが、青紫は少しも動揺することはない。

「そのお金で、あなた方は救われたわけですが」

 新之助の嫌味にも、にっこりとした笑みを浮かべそう返す青紫。

 新之助は悔しそうに歯を食いしばった。

 言うつもりはなかったことだが、先に口を出した新之助が悪いのだ。仕返し、というわけでもないが、これ以上舐めた真似をされないように、一つ爆弾を落とすことにした。

「私も、あなたのことを調べさせていただきましたが、随分と賭け事がお好きなようだ」

「なんだと……」

 なぜ知っているんだというような顔をする新之助。その顔が、自分の秘密を明らかにしてしまっている。

「私が肩代わりした借金も、そのせいだったり……」

 言いながら、青紫は隣に座る小百合に意味深な視線を流す。

「あなた……」

 一瞬だけ青紫と目を合わせた小百合が、驚いたように目を見開き、隣の新之助を見る。

「今の話、本当なのですか」

 緊張感のある面持ちで、新之助の肩に縋り付くと、片手で揺する小百合。

 やはり、小百合の方は知らなかったようだ。

 前園新之助は統率力とカリスマ性はあるが、野心が強いあまり、知能性に欠けてしまうところがある。それに良くも悪くも自信家で、自分の行いを改める謙虚さがない。気晴らしの賭け事だったみたいだったが、思わぬ負債に繋がったようだ。

「何を馬鹿なことを」

 新之助は焦った様子で小百合から目を逸らす。

 その様子を見て、青紫はニヤリと笑う。

「祓い屋風情が、華族である我らに楯突くのも今のうちだ。優子はいずれこちらに返してもらう。多少は役に立ったが、祓い屋如きに嫁いだくらいではこれ以上の金にはならない」

「返してもらうなんて、彼女はあなたの所有物ではありません。言うならば、私の妻です」

「はっ、物好きもいるものだな。あんな奴と結婚したいなんて。あいつは見た目しか取り柄のない女だ。愛想笑いの一つもできないつまらない女」

(こいつは……思った以上に浅はかな男だ)

「クククッ……」

 俯きながら腹に両手を当て、噛み殺すように笑う青紫。その不気味な姿に、新之助と小百合は訝し気にする。

「ああ、すいません。あなた方があまりにも滑稽な方たちでしたので、つい……ククッ」

 優子は笑う。怒りもする。落ち込むこともある。二人が知らないだけで、優子にはちゃんと、喜怒哀楽がある。

(まあ……知る必要もないか)

 青紫の頭には、微笑む優子の姿が思い浮かぶ。

 それは__天使のような笑みだ。

 優しい笑みを見せたかと思うと、次の瞬間には青紫の闇を映すかのような黒い右目が、ギラリと恐ろしく光る。立ち上がり、二人を見下ろす青紫に、新之助と小百合は恐れ慄き、無意識に後ずさる。

「借金の返済はすでに済んでいます。この金で、どこへでも好きなところへ行くといい。ああ、この帝都からは出て行って下さいね。彼女の視界に数秒でも害虫が入るのは虫唾が走る……」

 そう言い、青紫は居間を後にしようとする。

「っ……私たちはあの子の親よ! あの子をどうするかは、私たちに権利があるわ……!!」

 小百合の言葉に、青紫はぴたりと足を止める。

「……親? ……権利?」

 ぶつぶつと呟いた青紫、振り向いたとき、その顔からは屈託ない笑みをする男だと思えぬほど、冷徹な顔をしていた。

「何十年という長い年月、彼女の体の自由を奪い、自分たちの利益のためだけに傍若無人な男の元に嫁がせようとした挙句、真っ暗な蔵に閉じ込め、火事の中、屋敷に置き去りにして、親としての権利がある……? 笑わせるな」

 吐き捨てるようにそう言った青紫の体から、黒い妖気がではじめる。

(彼女がどれだけの間、胸を引き裂かれるような苦痛に耐え続けてきたか……)

 黒い妖気は波紋のように広がる。

「私はずっとお前達を見ている……どこへ行っても、ずっと……」

 わずかに垣間見えた青紫の血のように赤い左目に恐れ慄き、新之助と小百合は無様にガタガタと体を震わせる。

「お前……その目……」

 恐怖から、新之助の言葉はそこで途切れた。黒かった妖気は漆黒へと変わり、長く細い指の爪は鋭く伸びる。

「バ、化け物……あんたも優子も化け物よっ……!!」

 声を絞り出し叫んだ小百合に、青紫は赤い瞳で冷徹に見下ろす。

「なんとでもいえばいい」

 青紫は淡々と言うと、今度こそ居間を出た。

 玄関を出ると、車の前で少年が待機していた。怒りに満ち、黒い妖気を纏った青紫に、少年はことの事情を察した。

「仕事に向かわれますか」

「……ええ」

 青紫から妖気が消える。そこに、赤い瞳を持つ黒カラスが飛んでくる。青紫が片腕を出すと、黒カラスは腕の上に止まる。カラスは何かを知らせるように、青紫に向かって鳴いた。

「依頼は先延ばしにしてください」

「分かりました」

 青紫の手を見て、少年はハッとする。

「若、手が……」

 青紫は今気づいたかのように、両手を見る。両手には、爪が食い込んだ跡がはっきりとある。

(ああ……強く握りすぎていたんだな……)

 爪が肉に突き刺さるほど、両手の拳を握りしめたことに気づきもしなかった。

 誰かを想って、あんなに苛立ったことがあっただろうか。

 人らしくしないといけないと言うのに、感情が昂って、妖気まで出してしまった。怯える小百合と新之助が、青紫の頭に浮かぶ。

(……どうでもいいか)

「心配ありません。傷口もすぐに塞がります」

 半妖である青紫は人間と違い、傷の治りは早い。爪が肉に食い込んだことくらいどうってことない。

 青紫は止めてあった車の前を通り過ぎると、翼を羽ばたかせ、そのまま空に姿を消した。


 太陽の光が本格的に降り注いできた正午、優子は裏庭で洗濯物を干していた。籠からシーツを取り出すと、物干しスタンドに広げて干す。ふと手を止め、洗濯物の間から差し込む光に目を細める。光に導かれるように、物干しスタンドから離れると、両手を広げ、太陽の光を全身で浴びる。光を浴びた優子の白い肌は、発光するかのように輝く。少し前までは、こうして太陽の光を浴びることもなかった。今、生きていることを強く実感できる。これも全て、青紫のおかげだ。

 玄関の方から足音が聞こえる。

「黒羽さん……?」

 そう思ったが、聞かされていた帰宅時間はまだ随分先だ。多江は夕飯の買い出しに行っていて、屋敷には優子ひとりで誰もいない。来客の予定も聞かされていない。もしかしたら、青紫の仕事が早く終わったのかもしれない。そう思い、玄関へ続く小道を抜けると、玄関前に人が立っていた。

「黒羽さ……」

 声をかけようとして止める。

「あんたが優子さん?」

 そこにいたのは、青紫ではなく、スーツ姿の体格の良い男だった。男は右頬にある大きな傷をボリボリと掻きながら、優子に近づいてくる。目の前まで来た男は、優子を上から下までじっと見ると、眉を上げ、ニヤリと笑う。

「ふーん……なるほどな」

 その意味深な発言と見定めるような視線に、優子は警戒心を強める。

「失礼ですが、どちら様ですか」

 優子は毅然とした態度で男に問う。

 そんな優子に、男は「ふんっ」と嘲笑うかのような笑みを浮かべる。

「俺は薊。お前の旦那の青紫とは、古い友人でな」

 友人……?

「青紫はいるかー?」

 考える優子をよそに、薊は勝手に玄関の扉を開ける。

「ちょっと……!」」

 優子が止めるも、薊はずかずかと中に入っていく。

「相変わらずしけた屋敷だなここは」

 家の中を見回すと、薊は仏頂面でそう言う。

「黒羽さんなら仕事に行っています

「なんだ、タイミングが悪いな」

 そう言い、薊は片手で乱雑に自分の頭を掻く。

 この男はなんなんだ。いきなり現れたかと思いきや、勝手に人の家に上がり込んで馬鹿にする。失礼極まりない薊に、優子の不信感は増すばかり。

「なあ、あんた。ちょっと面かせよ」

 そう言うと、薊は優子に向かって片手を伸ばしてくる。嫌がった優子が咄嗟に、薊の手を払い除けようとした、その時だった__。

 後ろからスラリとした片腕が伸びてきて、優子のお腹に片手が回される。体が引き寄せられ、驚いた優子が後ろを見ると、そこには青紫がいた。

「黒羽さん……!」

「ただいま帰りました」

 至近距離に迫った青紫の顔に、優子の頬はうっすらと赤く染まる。

「お、おかえりなさい……!」

 体を包み込むように両手をお腹に回され、優子の心臓は鼓動を速める。

「フッ…よぉ、青紫。早かったじゃねーの」

「カラスが教えてくれたのですよ。横暴そうな奴が屋敷に接近していると」

「類は友を呼ぶってか? さすがは八咫烏の血を引くお前だ。カラスの言葉が分かるんだな」

 この男、青紫が半妖だと知っている。

(というか、黒羽さん……ち、近い……)

 耳のすぐ近くで青紫の気高い声が響き、優子の鼓動は自分の耳に聞こえるくらいに高鳴ってしまう。

「突然押しかけるなんて非常識ですよ。薊」

「そうかりかりするなよ。ちょっと挨拶しようとしただけじゃねーか」

 薊はからかった笑みを浮かべそう言うと、優子を一瞥する。その視線気に食わなかったのか、じっと薊を見る青紫。わずかにだが、お腹に回された青紫の抱擁がきつくなったのを優子は感じた。

「九条家当主であるあなたが、私たちに何の用ですか」

 一門? 当主? この横暴そうな男は、そんなにすごい人なのか。

「まあ、こんなところで立ち話もなんだし、茶でも飲みながらにしようぜ」

 言いながら、薊はさも自分の家かのように屋敷に上がる。ため息をついた青紫は、やれやれというように優子への抱擁を解くと、薊の後に続いた。

「ふぅ……」

 青紫が離れ、優子はようやく一息つけた。

 胸に片手を置く。まだ心臓がバクバクしてる。あれで吐息でも吐かれてしまったら、自分はどうなっていたことか。ミステリアスな雰囲気を持つ青紫だが、その核には儚げな妖艶さがある。それは妖怪特有なのか、生まれ持ったものなのかは分からないが、本人に自覚はないようだ。

 異性にこんな風に翻弄されるにも、優子は初めてだった。

「優子さん」

 廊下の角を曲がろうとしていた青紫が優子に振り向く。

「あっ、は、はい……!」

 返事をすると、優子は足早に青紫の後を追う。

 客間に入ると、薊はどかっとソファに腰を下ろし、背もたれに両腕を伸ばしながら足を組み偉そうにする。

「おい女、茶を淹れろ」

 優子が薊を見ると、目が合う。

「……それ、私に言ってます?」

「お前以外に女がどこにいるんだよ」

 召使いとでも思っているのか。客人のおもてなしはちゃんとしたいが、相手がこれではやる気にならない。

 優子は不満げな顔で薊を睨んだ。

「すいません、私の分もお願いできますか」

 そんな優子の気持ちを察したのか、青紫は申し訳なさそうにそうに言う。

(これは彼のためよ)

 優子は自分にそう言い聞かせると、客間を出て台所へ向かう。

 台所でやかんに水を入れ火にかけると、お湯が沸くのを待つ間に、棚から急須と茶葉を取り出す。お湯が沸騰すると、急須に茶葉を入れお湯を注ぐ。茶葉は煎茶にした。青紫は煎茶が好きなのか、よくこのお茶を飲んでいるのだ。

 おぼんに急須と湯呑みを二つ乗せると、客間に戻る。扉の前に来て足を止めると、扉を三回叩いた。

「失礼します」

 優子は床に両膝をつくと、テーブルの上におぼんを置く。湯呑みにお茶を淹れると薊の正面のソファに腰を下ろしていた青紫の前に湯呑みを置いた。

「おいおい、まずは客人からだろうが。そんなことも知らないのか?」

 薊の馬鹿にするような言い方に、優子は腹が立ったが堪える。

(彼のため……彼のため)

「申し訳ありません」

 優子は淡々とそう言うと、薊の前に湯呑みを置いた。薊は湯呑みを持つと、満足げにお茶を口にする。

(……ほんと嫌な人)

 おぼんを持つと、優子はそのまま客間を出ようするが。

「優子さんにも、彼を紹介しておきます」

 青紫に隣に座るように手で促され、優子は青紫の隣に腰を下ろした。

「改めて、彼は九条薊。これでも一応、旧家の九条家の当主です」

「一応ってな……」

 青紫の言葉に、気に食わなさそうに顔を顰める薊。

「こちらは、私の妻の優子さんです」

 優子は薊に会釈をする。

(今、妻って言った……)

 夫婦なのだから当たり前だが、改めて口にされると、なんだか恥ずかしいものだ。

(でも、嬉しい、かも……)

 思わず、口元に笑みを浮かべる優子。そんな優子の心を見透かしてか、薊は口の端を上げ、ニヤニヤとした顔で優子を見る。その視線に気づいた優子は小さく咳払いをすると、スッと笑顔を引っ込めた。

「まさか、お前が妻を娶るとはな。風の噂で聞いていたが、本当だったとは……しかも、見える側だ」

 その言葉に、優子はドキッとする。

「私が見えること、どうして分かるんですか」

 何も言ってないし、薊の前で、妖怪を見たわけでもない。

「はっ、馬鹿にするなよな、俺だって祓い屋だ」

「えっ……祓い屋って、あやかし祓いですか?」

「そうだ」

 優子が確認するように青紫を見ると、青紫は黙ったままお茶を飲んでいる。

「では、その傷は……」

 シャツを捲った腕には、頬の傷と同様、刀で切られたよう傷がいくつもある。

「これは妖怪を祓う際についた、勝利の勲章だ」

 そう言い、薊は二ヒッと歯を出して笑い、誇らしそうに優子に傷を見せてくる。てっきり、喧嘩でもして負った傷だと思っていた。

「九条家は、元は地主の役割を担っていたが、俺の曽祖父が見える側の人間でな、祓い屋を生業としはじめたのさ」

 あやかし祓いということは、青紫と同業者ということになる。薊も妖怪を見ることができる一人なのだ。

 人生とはおかしなものだ。少し前までは妖怪を見ることで厄介者扱いされていたのに、今では見える人がいることが普通で、それを祓う人間にまで出会っているのだから。

 この世に世界は一つだけ……なんてことはないのかもしれない。

「それで、話とはなんですか」

 テーブルに湯呑みを置いた青紫は薊に問う。

「明日の正子、夜会が開かれる。お前も出席しろとのお達しだ」

「私は結構です」

 青紫は缶発いれず言う。

「主催者は、漆原一門だ」

 その言葉に、伏せられていた青紫の視線が薊に向けられる。

「漆原一門からの誘いとなれば、お前も断れんだろ」

 夜会……? 漆原一門とは、また祓い屋のことを言っているのだろうか。二人の会話についていけず、優子は困惑した表情を浮かべる。

「あの、夜会って……それに、漆原一門って」

 優子の控えめな問いに、薊は目を点にする。

「お前……そんなことも知らないでこいつの嫁やってんのかよ」

 薊は呆れたように大きなため息をつく。

「おい、青紫。こいつに一族のこととか祓い屋のこととか、ちゃんと話してんのか?」

「……必要なことは」

「まったく、どいつもこいつも……」

 薊は無造作に頭を掻くと、めんどくさそうに優子に向き直り説明をする。

「いいか、祓い屋の夜会ってのは、真夜中に開催される秘密の集いだ。まぁ、簡単に言うと交流会みたいなものだな」

「……なるほど」

 祓い屋の世界にも、そういうコミュニケーションを取る場があるらしい。

「んで、漆原一門ってのが、黒羽に次いで二番目に権力のある一門で、異能が大好きでな。これがまた厄介な話で、使役している妖怪のほとんどが異能もちだ」

「異能……それって、何か特殊な術を使うということですか?」

「ああ、系統はさまざまで、強い妖怪ほど異能を持つと言われている。ちなみに、青紫も異能もちなんだぜ」

 自慢げな薊の視線が青紫に向けられる。

「え、そうなのですか?」

 薊の言葉に、優子は思わず青紫を見る。

「もういいでしょう」

 聞かれたくないのか、話を終わらそうとする青紫。そんな青紫を見た薊は真剣な面持ちで言う。

「お前も祓い屋でいたいなら、漆原一門を敵に回すようなことはしない方がいい。お前が祓い屋連中をよく思っていないように、連中もお前をよく思っていないんだ」

「……分かっています」

 顔を俯け、ぶっきらぼうにそう言った青紫。その横顔は大きな重圧に耐えているようだ。

「夜会にはお前も来い」

 そう、薊は優子に目を向け言う。

「え? 私もですか」

「優子さんは関係ありません」

「いいや、漆原家の頭首に結婚の挨拶くらいはした方がいいだろ。何せ、お前は頭首の娘との婚約を破棄しているんだからな」

(えっ……)

 婚約__。薊のその言葉に、優子の心はざわついた。

(黒羽さん、婚約してたんだ……それも、漆原一門の娘さんと……)

 青紫に婚約者いたことは初耳だった。契約結婚の相手にわざわざ言うことでもないだろう。だが、気になってしまった。青紫がどんな相手と共に過ごしてきたのかを。


 薊が帰ってからも、青紫の表情は重苦しかった。テーブルの上を片付けながら、優子はその横顔を見ていた。

 結局、夜会に行くことを承諾する以外の選択肢はなく、半ば強引にだが、明日の夜会に参加することになった。

 窓辺に立ち、視線を外に向けながら何かを考え込む青紫。夜会に行くのもそうだが、自分が一緒なのが嫌なのかもしれない。優子はそう思った。自分は青紫や薊のように妖怪を祓うことはできないし、夜会に参加しても足手纏いになるかもしれない。だが、夜会に行けば、自分が持つ力のことが、何か分かるかもしれない。青紫に迷惑をかけたくない気持ちと、自分のことを知りたい気持ち。そんな二つの気持ちが、優子の心の中で混同する。

「優子さん、本当にいいのですか」

 いつの間にか、青紫がこちらを向いていた。

「え?」

「明日、一緒に夜会に来てもらうなんて」

 そう言った青紫は、複雑そうな顔をしている。やはり自分が行くことに反対している。

「勝手なことはしないとお約束します」

 優子の言葉に、青紫は訝し気にすると、少し慌てたように口を開く。

「いえ、そうではなく。あなたを無闇に祓い屋の世界に関わらせたくないのです。それに、またいつ妖怪に襲われるか」

(心配、してくれてる……?)

 てっきり、自分が足手纏いになるのが嫌なのだとばかり思っていたが、そうではなかったらしい。

「私なら平気です。黒羽さんが一緒ですから」

 妖怪に関わること、そこに不安がないわけではない。だが、青紫が一緒なら、きっと大丈夫。優子はそう思えていた。

「では、これを渡しておきます」

 青紫が懐から出したのは、白い札のようなもの。

「これは?」

「私の血を混ぜて作った特別な札です。明日は祓い屋の夜会ですが、あなたの力に興味をもって、何か良からぬことを企む者もいるかもしれない。身を守るためにも、持っていてください」

 優子が札を受け取ると、触れた手に反応するかのように、札に黒い文字が浮かび上がった。その連なった文字に、優子は顔を近づけ目を凝らしてみるも、何が書いてあるのかさっぱり分からない。

 これも、祓い屋になれば分るのだろうか。

「えっ、待って下さい。今、血って言いました……?」

 優子の問いに、青紫は柔らかな笑みを浮かべるだけで、何も答えない。焦った優子は青紫の両手を掴むと、手や腕に傷がないかを確認する。

「心配ありません。私は半妖ですから、傷の治りは人より早いです」

 飄々とする青紫に、優子の不安は増す。

「でも、痛いことには変わりないでしょう……?」

 守ってくれるとはいえ、自分自身を傷つけるようなことはしてほしくない。

 青紫だからこそ、尚更。

「黒羽さんが、私を想ってくれるのは嬉しいです。とても、嬉しい……。でも、あなたが私を想ってくれるように、私もあなたを想っている」

 優子は青紫の冷たい両手を手に取ると、自分の額に寄せる。

「もっとご自分を大切にしてください」

 青紫が強く、賢いことは分かっている。

(それでも、私はこの人を守りたいと思う)

「……今日、ご夫妻にお会いました」

 青紫の言葉に、優子の両手から僅かに力が抜ける。青紫は支えるように、優子の両手を強く握り返した。

「もうこれ以上、あなたが傷つくことはありません。私がそうさせない。これからさき、たとえどんなことが待ち受けようとも、私の一生をかけて、あなたを守ってみせる」

「黒羽さん……」

 一生をかけて守り抜く。その言葉には、揺るぎない決意を感じた。

 分かっている。青紫が自分にそう言ってくれるのは、契約を守ろうとしてくれているから。それでも、この言葉に、優子がどれほど救われ、嬉しかったことか。

 青紫の優しく力強い笑みに、優子の目頭は熱くなる。涙でぼやけた視界の中、優子は複雑な心境を抱えながら、青紫を見つめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ