ふくふくは助ける。
王都の外れを流れる古い水路は、昼になると子供たちの遊び場になる。石の縁は長年の風雨で丸く削られ、腰を下ろすのにちょうどよかった。だが前夜に雨が降ったせいで、その日の水路は普段より流れが速く、底も見えにくくなっていた。
その水路の縁に、赤くて丸い生き物が座っていた。
ふくふく鳥である。
羽毛はふわりと膨らみ、体は相変わらず丸く、目は「- -」の形で半分閉じられている。鳥というより、置き物に近い。本人――いや本鳥は、水の流れる音を子守歌代わりに、のんびりと風に当たっていた。
「くふぅ……」
小さく鳴き、動かない。逃げる理由も、食べる理由も、今はなかった。
そこへ、一人の子供が足を止めた。木剣を手にした少年で、視線はすぐにふくふく鳥へ吸い寄せられた。
「……なに、あれ」
少年は近づき、しゃがみ込み、じっと見つめる。ふくふく鳥は視線を返さない。ただ、わずかに羽毛が揺れただけだった。
「……ぴ」
その鳴き声に、少年は息を呑み、なぜか胸が温かくなるのを感じた。理由は分からない。ただ、この鳥は怖くない、そう思った。
そのときだった。
水路の上流側で、別の子供が足を滑らせた。濡れた石に踏み外し、小さな体がそのまま水の中へと落ちていく。流れは想像以上に速く、子供の体はあっという間に引きずられ始めた。
悲鳴が上がる。
大人たちが振り向くが、距離がある。誰も、すぐには動けない。
その光景を、ふくふく鳥は見ていた。
目は相変わらず細く、表情は変わらない。ただ、水の流れだけが、いつもと違って見えていた。
――うるさい。
そう感じたのかもしれない。
ふくふく鳥は、静かに立ち上がった。走らない。跳ばない。ただ、水路の方へ向き直る。
「……まふ」
低く鳴いた瞬間、水が揺れた。
誰も気づかないほど、わずかに。
流れが歪む。速さが落ちる。水面が、盛り上がる。
水に飲まれかけていた子供の体が、不意に持ち上がった。何かに引かれるように、浮かび上がり、ゆっくりと岸の方へ寄せられていく。
「え……?」
子供は混乱したまま、気づけば水路の縁に引き寄せられ、石の上へと転がり出ていた。
水は、元に戻る。
周囲が騒然となる。
「今の……?」
「流れが変わった?」
「偶然だろ!」
大人たちはそう結論づける。水位の変化、石の形、運が良かった――理由はいくらでもあった。
だが、助けられた子供だけは違った。
水に濡れたまま、震えながら顔を上げ、その視線がふくふく鳥に向く。赤くて、丸くて、やる気のなさそうな目をした鳥が、水路の縁に立っている。
目が合った。
ふくふく鳥は、何も言わない。
「……ぴ」
ただ、それだけ。
子供の胸が、ぎゅっと締めつけられた。理由は分からない。でも、分かってしまった気がした。
――この鳥だ。
その瞬間、ふくふく鳥は踵を返した。興味を失ったように、水路から離れ、路地の方へ歩き出す。
「……まふ」
濡れたのが、気に入らなかったらしい。
人々が駆け寄る頃には、もう姿はない。屋根の向こうへ、影の中へ、いつものように消えていた。
その夜。
酒場では、こんな話が流れた。
・子供が水に落ちたが、奇跡的に助かった
・流れが一瞬、緩んだらしい
・王都の水路は昔から不思議だ
朱雀の話は、出なかった。
英雄の話も、出なかった。
ただ一人、肩に残る温もりを思い出しながら、男が小さく呟く。
「……水まで操れるのか」
ふくふく鳥は、肩の上で丸くなり、安心しきった声を漏らす。
「くふぅ……」
誰にも気づかれず、
誰にも感謝されず。
今日も街は平和だった。




