騒動の裏で
港町マレイン港の外れ。
潮の匂いが薄れ、代わりに湿った岩肌と藻の臭いが漂う断崖の陰で、黒いローブの男は立ち止まった。
「……金眼は、失ったか」
低く、感情の起伏を感じさせない声。
ローブの奥で、男は片腕を押さえている。表には出さないが、戦闘で負った傷は浅くない。
背後には、数名の配下が膝をついていた。
誰も口を開かない。ただ、結果が失敗に終わったことを理解している。
「実験段階とはいえ、港一つを混乱させるには十分だった」
男は淡々と続ける。
「討伐された原因も把握できた。問題は――」
脳裏に、あの剣がよぎる。
ヴァーダント・エッジ。
特別な魔力を放っていたわけではない。だが、使い手と異様なほど噛み合っていた。
「剣ではない。あの男だ」
金眼のタコは、確かに強化されていた。
操り、誘導し、海を支配するための魔術刻印も施してある。
それでも、想定以上に崩された。
「能力値に忠実に応える武器……いや、それを引き出す“器”か」
配下の一人が恐る恐る口を開く。
「では、次は……?」
男は一瞬だけ沈黙した。
その沈黙の奥に、別の存在の影が差す。
「次の段階へ進む」
それは、港で口にした言葉と同じだった。
「金眼は“可能性”の確認に過ぎない。本命は、別にある」
男は視線を遠くへ向ける。
海ではない。陸でもない。
もっと人の営みの深い場所――人が信じ、頼り、英雄を求める領域。
「……あの方の読み通りだ」
思わず、そう漏れた。
配下の一人が息を呑む。
男はすぐに言葉を切ったが、すでに遅い。
「余計な詮索はするな」
声音がわずかに鋭くなる。
「我々は“駒”だ。それ以上を望むな」
配下たちは一斉に頭を下げた。
忠誠ではない。理解だ。
この組織では、知りすぎた者から消えていく。
男は再び、昇太たちの姿を思い浮かべる。
特に、あの剣を振るう男。
「勇者ではない……だが、厄介だ」
小さく息を吐く。
「交差するのが少し早すぎたな」
本来なら、まだ盤面に上げる予定はなかった。
だが、世界は時折、予定調和を裏切る。
「次は、もっと静かに進める」
「あの男が気づく前に――いや、気づいたとしても」
ローブの奥で、男は笑った。
それは嘲笑でも愉悦でもない。
ただ、確信に近い感情。
「すべては、筋書きの中だ」
潮風が強まり、ローブの裾を揺らす。
男は背を向け、闇の中へと歩き出した。
その先にいる“誰か”の顔を思い浮かべながら。
直接姿を現すことなく、
それでも確実に世界を動かしている存在。
港町で起きた一連の事件は、ただの前奏に過ぎない。
次に波紋が広がる場所は、もっと大きく、もっと深い。
黒いローブの男は、そう確信していた。




