港町マレインにて
夜明け前、街道の先に港町マレイン港の輪郭が浮かび上がった。
潮の匂いを含んだ湿った風が流れ込み、遠くから人の声と木材が軋む音が聞こえてくる。係留された商船の帆が朝焼けを受け、港はすでに一日の始まりを迎えていた。
護衛対象を無事に目的地へ届けたことで、依頼は完遂と判断された。
ラーソン商会の使用人から手渡されたのは、冒険者ギルド発行の正式書面だった。エリスの姿はないが、そこには簡潔にこう記されている。
――Dランク試験、合格。
ミカリは小さく息を吐き、肩の力を抜いた。ニアも尻尾を揺らしながら安堵の表情を浮かべる。
昇太は書面を確認しながら、腰に下げた剣へと意識を向けていた。
ヴァーダント・エッジは静かだった。
だが、完全に沈黙しているわけではない。脈動は確かに弱まっているが、芯の奥に微かな“待機”のような感覚が残っている。
特別な成長は終わった。しかし、剣は次の段階を待っている――昇太には、そう感じられた。
⸻
港の一角で、ラーソンは改めて三人の前に立った。
報酬の受け渡しを終えた後、彼は一瞬だけ言葉を選ぶように視線を落とし、そしてはっきりと頭を下げた。
「……助かった。金では測れない価値があった」
彼が差し出したのは、商会の紋章が刻まれた封筒だった。中には紹介状と、実務的な契約書が同封されている。
内容は明確だった。ラーソン商会が扱う武器・防具を、原価に近い条件で優先的に融通する権限。それも口約束ではなく、正式な書面としてだ。
「今後、必要なものがあれば、遠慮なくこの名を使ってくれ」
横で控えていたセリアが補足する。
「取引は、ええと……通常の流通価格ではなく、内部――いえ、商会特別枠として――」
一瞬、言葉に詰まり、咳払いで誤魔化す。
眼鏡を押し上げながら姿勢を正すと、再び完璧な事務的口調に戻った。
「詳細は書面に記載しておりますので、ご確認ください」
ラーソンは最後に昇太へ視線を向け、短く言った。
「……冒険者を見る目を、改めさせてもらった」
それだけ告げると、二人は港の喧騒の中へ消えていった。
⸻
試験終了後、半日の自由時間が与えられた。
ミカリとニアは市場へ向かい、港特有の干物や珍しい果物を物色している。賑やかな声に、ニアの尻尾が楽しげに揺れていた。
一方、昇太は武具店を訪れていた。
店主は年配の鍛冶屋で、ヴァーダント・エッジを一目見た瞬間、言葉を失った。
「……この剣、普通じゃないな」
刃を抜くことはせず、鞘越しに様子を探るだけで、鍛冶屋は眉をひそめる。
周囲に並ぶ武器と比べても、どこか“噛み合わない”。材質でも魔力でも説明できない違和感があるのだという。
「手を入れられん。下手に触れば、こっちが壊される」
それ以上、鍛冶屋は語ろうとしなかった。
昇太は礼を言い、店を後にする。港の風を受けながら、剣の違和感が再び胸に広がっていくのを感じていた。
⸻
マレイン港では、不穏な噂が広がっていた。
護送船の失踪。夜の埠頭で目撃される異様な影。酒場では、声を潜めた会話が交わされている。
冒険者ギルドの掲示板には、Cランク以上限定の依頼が増えていた。
海上調査、護送船の捜索、正体不明の存在への警戒。
ミカリは腕を組み、港を見渡す。
「この街、思ったよりきな臭いね」
昇太は掲示板の一枚に視線を留めた。
海へと続く新たな火種。その先で、剣が何を迎えるのか――まだ、誰にも分からない。




