剣の覚醒
ギルドから戻った夜、パーティハウスには静かな時間が流れていた。
灯りを落とした室内で、昇太は一人、剣を前に座っていた。
ヴァーダント・エッジ。
飾り気のない片手剣。鈍い銀色の刃は、特別な意匠も紋章も持たない。ただ、静かにそこに在るだけだ。
昇太は無言で剣を手に取る。
握った瞬間、わずかな違和感が指先を掠めた。
――重い。
物理的な重さではない。
まるで剣そのものが、何かを抱え込んでいるような感覚だった。
彼は眉をひそめる。
これまで何度も握ってきた剣だ。だが、今日に限って感触が違う。
室内の奥では、ミカリとニアが眠っている。
二人を起こさぬよう、昇太は静かに立ち上がり、剣を鞘から抜いた。
刃が空気に触れた、その瞬間だった。
――キィン。
微かな金属音。
だが、それは決して、鞘鳴りではなかった。
刃の表面を、淡い光が走った。
ほんの一瞬、脈打つように。
昇太の呼吸が止まる。
「……今のは……」
彼が剣を見つめた、その刃に――かすかな亀裂のような光紋が浮かび上がっていた。
割れではない。模様だ。内部から滲み出るような、淡緑色の輝き。
昇太は息を呑んだ。
(成長……?)
ヴァーダント・エッジの特性。
装備者の成長に比例して力を増す剣。
だが、これは明らかに、今までと違う反応だった。
彼の脳裏に、森での光景が蘇る。
拘束されたミカリ。
血。
黒いローブの男。
怒りに支配され、我を忘れて魔石を噛み砕いた瞬間。
――守りたい。
ただ、その一心だけだった。
昇太の手が、無意識に剣の柄を強く握る。
その瞬間だった。
刃の光紋が、はっきりと形を成した。
植物の蔓のような文様が、刃の根元から先端へと静かに伸びていく。
剣が、呼吸している。
そう錯覚するほど、確かな存在感があった。
昇太のステータスウィンドウが、視界の端に浮かび上がる。
武器:ヴァーダント・エッジ
状態:覚醒(仮)
補足:装備者の能力成長に加え、強烈な感情負荷により一時的進化を確認
昇太は、言葉を失った。
覚醒――仮。
それは、剣自身も初めての変化であることを示しているかのようだった。
「……お前も、必死だったってことか」
誰に向けたとも知れぬ言葉が、静かな部屋に落ちる。
そのとき、背後から気配がした。
「……ショータ?」
ミカリだった。
眠そうな目をこすりながら、廊下に立っている。
「どうしたの……こんな時間に」
昇太は振り返り、慌てて剣を鞘に戻した。
だが、ミカリはすでに、その違和感に気づいていた。
「……剣、光ってた?」
「……見えた?」
ミカリは小さく頷く。
二人は顔を見合わせる。
そこに、恐怖はなかった。ただ、静かな確信があった。
「……この剣、変わり始めてる」
昇太が低く言う。
「ショータが……無茶したから?」
ミカリは、少しだけ視線を伏せた。
昇太は答えなかった。
代わりに、ゆっくりと首を横に振る。
「たぶん……俺が、強くなったからだ」
能力。経験。戦闘。
そして――覚悟。
これまで積み重ねてきたすべてが、あの瞬間、一気に臨界点を越えた。
ヴァーダント・エッジは、それに応えたのだ。
ミカリは、そっと昇太の腕に触れる。
「……無事でよかった」
小さく、震える声だった。
昇太は一瞬だけ目を閉じ、静かに頷いた。
剣は、もうただの武器ではない。
彼の成長を映す鏡であり、共に進む存在だ。
だが同時に、昇太は理解していた。
――この覚醒は、例外だ。
感情によって引き起こされた、特別な成長。
常に起こるものではない。
そして、次に同じ状況が訪れたとき、無事でいられる保証はない。
「……次は、もっと賢く強くなる」
昇太は静かに呟いた。
ヴァーダント・エッジは、答えない。
ただ、その刃は以前よりも、わずかに澄んだ輝きを帯びていた。
暗い影は、確実に近づいている。
だが、それに抗う力もまた、確かに育ち始めていた。




