黒い影
森の奥は、倒したオークの影響でいつもよりさらに静かに感じられた。落ち葉の乾いた音さえ、まるで慎重に踏まなければ破裂しそうなガラスのように思え、俺たちは無言で足を進めた。息を整えようと、互いに距離を取りながらも、視線は倒れたオークの体に向いたまま離せない。金眼の瞳は微かに揺れているように見え、正気を奪われ暴走した姿と、最初に見せていた知性ある眼差しが脳裏で交錯する。
「……やっぱり、操られてたんかな…?」
ニアが小さく呟く。爪先で落ち葉を踏みつつ、視線は倒れたオークに向けられたままだ。
ミカリも深く息を吐く。「あんな魔法陣初めて見た…本当に誰かに操られているようだったよね……」彼女の手はまだ剣にかけたままで、無意識に握り直しているのがわかる。二人の顔には、やるせなさと悔しさが混ざった複雑な表情が浮かんでいた。
「近眼の金眼か…」
「「……」」
俺は森の周囲を見渡す。風で揺れる木々の間に、あの黒いローブの影が微かに見え隠れしている。目を凝らしてもすぐに消えてしまう、まるで森に溶け込むような存在感。確かにここに誰かいる――ただ、確証は得られない。三人にはその気配を話さず、胸の中で記憶することにした。
「……こんな森の奥まで来るクエストだと思わなかったな」ニアがぼそりと呟く。声には少しの緊張と、戦闘の余韻が残っていた。
「静かすぎる……」ミカリも返す。周囲を見回しながら、倒れたオークの体と森の静寂を交互に確認している。倒すことを余儀なくされた罪悪感が、二人の体の動きを少しだけ鈍らせているように見えた。
俺は気配察知を軽くスキャンしながら、倒れたオークの近くに立つ。血の匂いと湿った土の香りが混ざり、頭の奥で戦闘の余韻がまだ響いていた。金眼のオークの視線が最後まで俺を追っていた気がする。いや、追っていたのは理性を失って暴走する前の記憶かもしれない。
「……気を抜くな」俺は声を潜めて二人に言った。森にはまだ、目に見えない脅威が潜んでいると感じる。倒したオークの下に現れた魔法陣の波動は消えたが、残留魔力は確かに空気の中に残っている。誰かが意図的にオークを操った――その痕跡は微かに肌で感じられた。
「このまま特薬草を採取して戻るのが賢明だな」俺は小さく提案する。ニアもミカリも、うなずきながらも視線を倒れたオークに向けたまま動く。森の奥深く、光の少ない足元に注意しながら歩を進める。葉や小枝を踏む音が、かすかに森の静寂を破る。
「……こんな状況でも、仕事は仕事か」ミカリが苦笑交じりに呟く。空気は重いが、クエストを完遂するためには前に進むしかない。
ニアは採取用の小さな籠を取り出し、草を慎重に刈り取る。指先に触れる湿った葉や茎の感触に、戦闘の緊張が少しだけ薄れる瞬間があった。俺も同じように慎重に草を集めながら、森の空気を意識する。倒れたオークと黒いローブの影が、胸の奥に重く残っている。
ふと、俺の視界の端に、木の影で布が揺れる気配が走った。目を凝らすと、そこには微かに黒いローブが見え隠れしている。風に揺れる布の端が、ほんの一瞬だけ光を反射した。振り返るが、森の静寂は相変わらずで、人の姿は見当たらない。
「……誰か、見てるのか?」ニアが小声でつぶやく。俺は無言でうなずき、警戒を少し強める。だが、その気配は確実な攻撃ではなく、ただ静かにこちらを観察しているだけのように感じた。
「もう少し、草を集めて戻ろう」ミカリが静かに提案する。三人は無言で作業を再開した。倒したオークの影と、微かに揺れる黒いローブの気配が、心の奥でずっと重くのしかかる。
森の深奥で、木漏れ日がわずかに足元を照らす。湿った土と落ち葉の香りが混ざる中、三人は静かに歩を進める。やるせない気持ちと戦闘の余韻、そしてまだ正体のわからない黒い影。すべてが混ざり合い、静寂の森に不思議な緊張を生んでいた。




