呪われた公爵に選ばれたのは、見下されていた地味な司書でした
王立図書館の奥、古文書の棚に囲まれた場所。
そこが私――エリアの居場所だった。
眼鏡をかけ、地味な灰色の服を着た私は、誰にも注目されない司書。でも、それでいい。私には本があれば十分だから。
「エリア、またそんな埃っぽいところで仕事してるの?」
先輩司書のセレナが、鼻で笑うように言った。
彼女は美人だ。金色の髪を綺麗に結い、華やかなドレスを着こなしている。貴族の来客があると、いつも彼女が対応する。
「古文書の整理中です」
「ふうん。まあ、あなたみたいな地味な子には、お似合いの仕事よね」
セレナの声には、明らかな嘲りがあった。
「男性に相手にされないでしょうから、本が恋人ってわけ?」
「……別に構いません」
私は小さく答えて、また本に目を戻す。
セレナは鼻を鳴らして、踵を返した。
慣れている。いつものことだ。
前世も今世も、私は地味で目立たない。それが性に合っているのだから。
◇◇◇
ある日の午後、図書館に一人の男性が訪れた。
銀色の髪に、青灰色の瞳。整った顔立ちで、高貴な雰囲気を纏っている。
でも――その顔には、一切の表情がなかった。
「いらっしゃいませ」
セレナが飛ぶように駆け寄る。
「公爵様! お越しいただけるなんて光栄です! どのようなご用件でしょうか?」
公爵?
私は驚いて顔を上げた。
「失礼します」
男性――公爵が、低く落ち着いた声で言う。
「呪い解除に関する文献を探しています」
「呪い、ですか?」
セレナが首を傾げる。
「それでしたら、私が……」
「古文書に詳しい者はいますか」
公爵の声は、感情を欠いていた。
「稀少な呪いのため、通常の文献には記載がないと思われます」
「古文書でしたら……」
セレナが渋々という様子で、私の方を見る。
「あちらのエリアが担当ですが……」
「では、その方に依頼します」
公爵が、まっすぐ私を見た。
無表情だが、その瞳の奥には……何かがある気がした。
「あの、私は古文書の整理を……」
セレナが食い下がる。
「私でも お役に立てるかと……」
「不要です」
公爵の声は冷たかった。
「古文書に詳しい者を求めています」
セレナの顔が、さっと青ざめる。
私は彼女の横を通り過ぎて、公爵の前に立った。
「エリアと申します。どのような呪いでしょうか?」
「感情を失う呪い」
公爵が淡々と答える。
「三年前、政敵に呪いをかけられました。それ以来、喜怒哀楽を感じられなくなったのです」
「それは……」
なんて残酷な呪いだろう。
「お力になります」
私は即答していた。
「本当ですか」
「はい。必ず、呪い解除の方法を見つけてみせます」
公爵の目が、わずかに見開かれる。
「感謝します。私はカイル・アルディス。明日から、ここに通わせていただきます」
背後で、セレナが悔しそうに唇を噛む音が聞こえた気がした。
◇◇◇
翌日から、カイル公爵が毎日図書館を訪れるようになった。
二人で古文書を読み、呪いに関する記述を探す日々。
公爵は無表情だけど、物腰は丁寧で優しい。
「エリア、その本は重いだろう。私が運ぼう」
「あ、ありがとうございます」
高い棚の本を取ろうとすると、すぐに手を貸してくれる。
「遅くまで研究しているが、無理はしないように」
夜遅くなると、心配してくれる。
お茶まで淹れてくれることもあった。
無表情でも、行動は優しい。
そんな公爵に、私は次第に惹かれていった。
でも――
それを邪魔する者がいた。
「公爵様、お茶をお持ちしました」
セレナが、毎日のように私たちの研究を中断させに来る。
「不要だ」
カイル公爵は、無表情のまま拒絶する。
「ですが……」
「仕事の邪魔だ。下がりなさい」
冷たい声に、セレナは顔を真っ赤にして退出する。
廊下で、彼女が私を睨みつける視線を感じた。
ある日の夕方、セレナが私に詰め寄ってきた。
「エリア、あなた、分不相応だと思わない?」
「……何がですか」
「公爵様よ。あなたみたいな地味で冴えない平民が、公爵様と二人きりで過ごすなんて」
彼女の声は、嫉妬に満ちていた。
「仕事です」
「仕事? ふふ、そうやって公爵様に取り入ろうとしてるんでしょう?」
「そんなことは……」
「でも無駄よ。公爵様は感情がないんだから、あなたなんか相手にするわけないじゃない」
セレナは勝ち誇ったように笑って、去っていった。
彼女の言葉が、胸に刺さる。
確かに、公爵は感情がない。
私に対しても、ただ「便利な司書」としか思っていないのかもしれない。
でも――それでも、私は彼の呪いを解きたい。
◇◇◇
研究を始めて一ヶ月が経った頃。
事件が起きた。
「エリア、館長がお呼びだ」
同僚の司書が、慌てた様子で言う。
「館長が?」
「ああ。すぐに来いって」
館長室に向かうと、険しい顔をした館長が待っていた。
「エリア、君に重大な報告があった」
「……はい」
「セレナから聞いた。君が公爵に対して、失礼な態度を取っているそうだな」
「え?」
驚いて顔を上げる。
「古文書を雑に扱い、公爵の質問にもいい加減に答えていると」
「そんなこと、ありません!」
「セレナは、公爵が不快に思っているのを見たと言っている」
「それは……」
その時、扉が開いた。
「それは事実ではない」
カイル公爵が、館長室に入ってくる。
「公爵様!」
館長が慌てて立ち上がる。
「エリアは、私の研究に不可欠な人物です」
公爵の声は、いつもより低く、冷たい。
「古文書の扱いも完璧で、知識も豊富。彼女以上に有能な司書は、この図書館にはいないでしょう」
「し、しかし、セレナが……」
「誰かは知らないが、虚偽の報告をした者がいるのなら、それ相応の処分をするべきだ」
公爵の青灰色の瞳が、鋭く館長を見る。
「私の研究を妨害する者は、許さない」
館長の顔が、みるみる青ざめていく。
「も、申し訳ございません。調査いたします」
その後、セレナが呼び出された。
虚偽の報告をした罪で、彼女は降格処分となった。
「あなたのせいで……!」
その日の夕方、セレナが私に詰め寄ってきた。
「私が降格されたのは、あなたが公爵様に取り入ったからよ!」
「それは違います」
「違わないわ! 地味で冴えないくせに、公爵様を誘惑して……」
「嫉妬は醜い」
冷たい声が、背後から響いた。
カイル公爵が、いつの間にか立っている。
「実力で勝負できない者の末路だ。これ以上エリアに危害を加えるなら、図書館からの追放も辞さない」
「……っ!」
セレナは泣きながら、逃げるように去っていった。
数日後、彼女は図書館を辞めたと聞いた。
◇◇◇
研究を始めて二ヶ月。
新たな障害が現れた。
「カイル様」
図書館に、豪華なドレスを着た令嬢が現れた。
栗色の髪を優雅に結い、宝石を散りばめた装飾品を身につけている。
「イザベラ侯爵令嬢……」
カイル公爵が、無表情のまま呟く。
「お父様から伺いました。結婚相手をお探しだとか」
イザベラ令嬢が、優雅に微笑む。
「感情がないのでしたら、誰でも同じでしょう? でしたら、私のような家柄の良い令嬢を選ばれるのが賢明かと」
「お断りします」
公爵の即答に、令嬢の顔が強張る。
「な、なぜですか?」
「結婚相手は自分で選びます」
「では、その地味な平民に研究させているのは?」
イザベラが、私を見下すような目で見る。
「エリアは優秀な司書です」
「平民が公爵の相手など、身の程知らずもいいところですわ」
「お引き取りを」
公爵の声が、一段と冷たくなる。
「これ以上の無礼は許しません」
イザベラは顔を真っ赤にして、
「覚えていらっしゃい」
と捨て台詞を残して去っていった。
「エリア、大丈夫か」
公爵が、私を気遣ってくれる。
「はい……でも、本当に結婚相手を探さなくていいんですか?」
「探さない」
きっぱりと言い切る。
「呪い解除の方法は、他にあるはずだ」
でも、その夜――
重要な古文書が「紛失」する事件が起きた。
「エリア、大変だ! ヴェルハルト王朝の呪術書がない!」
同僚が慌てて駆け込んでくる。
「あの本は、呪い解除の記述がある可能性が高かったのに……」
誰かが、わざと隠したのだ。
私は直感的に分かった。
「大丈夫です」
私は深呼吸する。
「王都第二図書館に、同じ本の写本があるはずです。明日、借りに行きます」
研究を妨害する者がいる。
カイル公爵の政敵――マーカス侯爵だと、噂で聞いていた。
でも、私は諦めない。
必ず、呪いを解いてみせる。
◇◇◇
研究を始めて三ヶ月。
ついに、決定的な文献を見つけた。
「これは……!」
第二図書館から借りた古文書の中に、感情の呪いに関する記述があった。
「カイル様!」
私は公爵のもとへ駆けつける。
「見つかりました。呪い解除の方法です」
「本当か」
公爵の目が、わずかに見開かれる。
「どのような方法だ?」
「それは……」
私は躊躇する。
古文書には、こう書かれていた。
――感情の呪いは、真実の愛によってのみ解ける。
呪われた者が心から誰かを愛した時、または誰かが心から呪われた者を愛した時。
「真実の愛、です」
「真実の愛?」
「はい。呪われた者が誰かを心から愛するか、または誰かが呪われた者を心から愛するか」
カイル公爵は、長い沈黙の後、
「……私には感情がない。誰かを愛することなど、できるのだろうか」
「カイル様……」
「政略結婚をするべきか。それなら、相手も見つかるだろう」
その言葉に、胸が締め付けられる。
公爵が、誰か他の人と結婚する?
いやだ。それは、嫌だ。
私は、もう隠せないと悟った。
「カイル様」
眼鏡を外して、まっすぐ見つめる。
「私では……ダメでしょうか」
「君が?」
「私は、カイル様を愛しています」
声が震える。
「この三ヶ月、ずっと一緒に過ごして、私はカイル様に恋をしました」
「エリア……」
「私の愛で、呪いを解きたいんです」
涙が溢れそうになる。
「ダメでしょうか……」
カイル公爵は無表情のまま、でもゆっくりと私に近づく。
「私は、感情がない」
その声は、いつもより低い。
「でも、不思議なことがある」
「……?」
「君と一緒にいると、心が温かくなる気がする」
公爵が私の手を取る。
「君の笑顔を見ると、胸が苦しくなる」
「カイル様……」
「君が悲しそうな顔をすると、私も辛くなる」
その青灰色の瞳が、私だけを見つめる。
「これは……恋なのか?」
「実は」
カイル公爵が、初めて表情を崩す。
それは、苦しそうな顔だった。
「実は、私には感情があった」
「え……?」
「呪いで押さえ込まれていただけだ。心の奥では、ずっと感じていた」
公爵の声が震える。
「君への愛も、マーカスへの怒りも」
「マーカス……侯爵?」
「ああ。三年前、政争で敗れそうになった彼が、卑劣にも呪術師を雇って私に呪いをかけた」
公爵の拳が、わずかに震える。
「感情を失えば、私は失脚する。それが彼の狙いだった」
「そんな……」
「でも、心の奥では覚えている。怒りも、悲しみも、そして……君への愛も」
カイル公爵が、両手で私の顔を包む。
「エリア、私は君を愛している」
「カイル様……!」
「もし私に感情が戻ったなら、君以外の誰も愛さない」
「私も! 私もカイル様を愛しています」
その瞬間、光が溢れた。
カイルと私を包む、暖かな光。
呪いが解ける感覚が、空気を震わせる。
光が消えると――
「あ……」
カイルの顔に、表情が浮かんでいた。
驚き、戸惑い、そして――喜び。
「感じる……感情が……!」
彼の目から、涙が零れる。
「三年ぶりだ……涙が……!」
そして、私を見つめる。
「君が……」
カイルの目が見開かれる。
「君が、こんなに美しかったなんて」
「カイル様……」
「エリア」
彼が私を抱きしめる。
温かい腕の中で、私も泣いた。
「ありがとう。君が、私を救ってくれた」
「私こそ……カイル様の呪いを解けて」
「これからは、名前で呼んでくれ」
優しい声で、彼が囁く。
「エリア、愛している」
「私も! 私もカイルを愛しています」
カイルが私の顎に手を添える。
そして――
初めてのキス。
温かくて、優しくて。
涙と一緒に、幸せが心に満ちていく。
◇◇◇
呪いが解けた翌日。
王宮で大きな事件が起きた。
「マーカス侯爵が逮捕された!」
その噂は、瞬く間に広がった。
カイルから聞いた話では――
「感情がない間も、私は考えることができた」
カイルが、穏やかに語る。
「マーカスが呪いをかけた証拠を、三年間かけて集めていたんだ」
「三年も……」
「感情がなくても、正義は理解できる。悪は裁かれるべきだと」
カイルの瞳に、静かな怒りがある。
「呪術師への報酬の記録、密会の証人、呪いの触媒……全て揃っていた」
「カイル……」
「マーカスは爵位を剥奪され、投獄された。呪詛の罪は重い」
カイルが私を抱き寄せる。
「君が呪いを解いてくれたから、私は感情と共に正義も取り戻せた」
「あなたは、本当に強い方ですね」
「いや」
カイルが優しく微笑む。
「君がいてくれたから、強くなれたんだ」
◇◇◇
それから三ヶ月後。
アルディス公爵邸で、盛大な婚約パーティーが開かれた。
私は美しい深青のドレスを着て、カイルの隣に立っている。
眼鏡は外した。
カイルが「君の紫の瞳を、ちゃんと見ていたい」と言ったから。
「あれが……あの地味だったエリアが?」
会場のあちこちで、驚きの声が上がる。
かつての同僚たちも、目を見開いて私を見ていた。
「皆様、ご紹介します」
カイルが来賓たちに向かって言う。
彼の顔には、穏やかな笑顔がある。
「私の婚約者、エリアです」
拍手が沸き起こる。
「三年ぶりに笑った公爵様だ」
「呪いが解けたと聞いたが、本当だったのか」
驚きと祝福の声。
カイルは終始笑顔だった。
その時――
会場の扉が勢いよく開いた。
「お待ちください!」
イザベラ侯爵令嬢が、息を切らして現れる。
「カイル様、平民との婚約など、お考え直しを!」
会場が静まり返る。
「公爵家には、もっと相応しい家柄の……」
「黙りなさい」
カイルの声が、冷たく響く。
「君は私の財産が欲しかっただけだ」
会場がざわめく。
「エリアは、何の見返りも求めず私を救ってくれた」
カイルが私を優しく見つめる。
「彼女の内面の美しさこそ、最も高貴なものだ」
「ですが……平民が公爵夫人など……」
「身分は関係ない」
カイルがきっぱりと言い切る。
「私が愛したのは、エリアという一人の女性だ。彼女の知性、優しさ、そして私を信じてくれた心」
カイルが会場を見渡す。
「誰も、私たちの愛を否定することはできない」
イザベラの顔が真っ赤になる。
彼女は何か言おうとしたが、周囲の冷たい視線に気づいて、逃げるように退場した。
他の令嬢たちも、気まずそうに視線を逸らす。
「さあ、続きを」
カイルが私の手を取る。
「エリア、ダンスを」
「はい」
二人で、ゆっくりとステップを踏む。
音楽に合わせて、体が自然と動く。
「君のおかげで、人生を取り戻せた」
「私は、ただ……」
「いや」
カイルが私を見つめる。
「君は私の全てを変えてくれた。暗闇の中に光をもたらしてくれた」
「カイル……」
「これからは、笑顔で過ごそう」
彼が優しく微笑む。
「君と一緒に」
音楽が終わり、二人は見つめ合う。
周りの視線も気にせず、カイルが私を抱きしめる。
「愛している、エリア」
「私も、愛しています」
幸せな時間が、永遠に続きますように。
◇◇◇
後日、私は図書館に戻った。
司書の仕事は続けることにしたのだ。
「エリア様!」
若い司書が駆け寄ってくる。
セレナの後任として入った、真面目な女性だ。
「あ、様付けは……」
「でも、公爵夫人になられるのに……」
「ここでは、ただの司書です」
私は微笑む。
「本が好きですから」
「素敵です! 私も、エリア様のようになりたいです」
カイルも時々、図書館を訪れる。
二人で本を読む時間が、何よりも幸せだ。
「この本、面白いな」
「でしょう?」
静かな図書館で、二人の時間。
呪いも、嫉妬も、打算も、全ては過去のこと。
今は、愛と笑顔に満ちた日々。
地味な司書だった私が、公爵の妻になる。
まるで御伽噺のよう。
でも、これは現実。
真実の愛が、二人を結んでくれた。
カイルが私の手を握る。
「これからも、ずっと一緒だ」
「はい」
永遠に、この人と。
本と愛に囲まれた、幸せな人生を。
(完)
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