金曜日
深夜……日付が変わった。
歓楽街の奥……劉一家の拠点に到着した。
ドアをガンガンと叩く。
小窓が開き、男が顔を見せるも、俺を見るなり小窓を閉めた。
「おい! 蹴破られたいか?!」
「ラドクリフさん……勘弁してください」
「開けろ」
「姐さんは留守なんです」
「ジュリナを出せ! リナって名前だ」
ドアは開かない。
俺はヴィラに目で合図をして、後退してからドアに向かって火炎の魔法をぶっ放した。
爆発音と破壊音がまじりあい、どこかで悲鳴があがった。家々の窓が開き、何事かと人々が顔をのぞかせ始めた頃には、俺たちは屋内に突入している。
エンタンは流石に裏社会の男らしく、短剣を抜いて俺を睨んでいるが、火炎の魔法で吹っ飛んだせいで左腕が折れていた。
「エンタン、死ぬことはない」
「ラドクリフさん! やり過ぎだろ!」
「お前がドアを開けないからだ! リナは? それと、エレーナって子がいるだろ」
「……」
「出せ」
「商品を無料で提供できませんよ」
エンタンは唾を吐く。
彼の後ろから、ぞろぞろと男たちが現れて、彼らの手には武器が握られていた。
これは……ちょっと派手なことになるかもしれない。
ここで、唐突に、背後からその問いが発せられた。
「宋人の末裔?」
ヴィラの場違いな質問に、俺も彼らも驚いて彼女を見た。
彼女は、丸腰のまま俺の前に出ると、彼らに向かって口を開く。
「宋人の方々ですか?」
「そうだ、わるいか? 手足の腱をきっておもちゃとして売っちまうぞ!」
エンタンの怒声に、ヴィラは右手をあげた。
俺は、その瞬間、動けなくなってしまう。
なぜなら、俺の喉元にいつの間にか、短剣の刃があてられていたからだ。
喉を鳴らす。
一瞬で、反転して排除……するには相手が悪いと直感でわかった。
ヴィラは、イヤリングを外して彼らに見せる。
「これは代々、母から娘に譲られるもので、宋人の方々なら意味がわかるはずです。これが何を意味するか……わかりますね?」
何をしているのか、まったくわからないが、彼女の言で彼らは動かない。
エンタンは、折れた腕をかばうように後退すると、膝をついた。
男たちも、次々と膝をつく。
何が? 起きている?
「両親に代わって、礼を言います。皆様のご厚意に、感謝します」
「いえ、大変な失礼をいたしました……古い契約に従い、おおせのままに」
エンタンの言にそろい、男たちが頭をたれた。
ヴィラは、男たちに向かって言う。
「エレーナという子をここに」
「かしこまりました……おい」
エンタンが後方に声をかけ、男たちが動いた。
-・-・-・-
エレーナ・スヴァルチャを、一言で表すなら美少女だろう。
しかし、会話をするとその印象はガタガタと崩れてしまう。
「おっさん、何度も言わせんなよ、親を呼べよ」
「家出をしておいて、困ったら親頼みか?」
劉一家が管理する建物の奥は、商売する女性たちの待機所である。その一室を借りて、俺はエレーナと向かいあっているが、これが少女の言動かと驚いていた。
がさつ、というには乱暴すぎる。
「俺は未成年なんだから、保護者同伴でなければ何も話さないよ」
一人称も、発音が女性っぽくない。
ヴィラに関しての謎、エイタンたちのおかしな態度……そしてこの少女の歪さ……まともなことが何ひとつない状況といえる。
背後で、ドアが叩かれた。
肩越しに見ると、リュウエンが姿を見せる。
「会合に出ていたら……随分と大変だったそうじゃないか?」
「悪かった。エイタンへの詫びは、ちゃんと払う」
「いいさ……それより」
彼女は、俺の脇に立つヴィラへと一礼した。
リュウエンにも、そうさせてしまうってのは、どういうことなんだろう?
「このようなところにお越しいただき、恐縮至極に存じます、姫様」
「いえ、今はラドクリフ少尉の後輩です」
姫? そうか……いいところのお嬢ちゃんというのは、どっかの諸侯のお嬢ってことか。それで、裏社会ともつながりがあるのかもしれない。貴族社会と、裏社会はズブズブと聞くし……。
リュウエンは、エレーナと俺の間にある卓に歩み寄ると、短刀とタンと突き刺した。
エレーナが、ビクリと背筋を伸ばす。
リュウエンが、短刀を握ったまま口を開く。
「ラドクリフさん、こいつはリナの紹介で、うちに入ってきた。こいつがラドクリフさんに迷惑をかけたのかい?」
「殺人の重要参考人だ」
俺の言に、リュウエンは薄く笑うとエレーナを見る。その視線から逃げるように、彼女はうつむく。しかし、それがリュウエンの癇に障ったようで、卓に刺さっていた短刀が素早く抜かれ、一閃された。
エレーナの耳たぶが裂かれ、少し遅れて、少女から脅えた声が漏れる。
「な……なななんで? 俺はなにもやってない」
「何もやってないなら、堂々としな」
エレーナは肩をすくめ、俺はリュウエンと少女を交互に見つつ問う。
「土曜日の夜から日曜日の早朝……どこにいた?」
「知らないしらない……知らない」
エレーナは不知だと繰り返すのみ。
代わりに、リュウエンが答えた。
「こいつが、リナに連れられてうちに来たのがその頃合いだよ」
「変わった様子は?」
「変わった様子? 変わった様子だらけだったさ、両手と顔が血だら――」
「うわー! 黙れ! 黙れババア!」
エレーナが立ち上がった瞬間、リュウエンが短刀で彼女の首を裂くより早く、俺の殴打が彼女を吹っ飛ばした。壁に背中からぶつかった少女は、咳込みながらも立ち上がろうとしているが、リュウエンに殺させるわけにはいかないので、俺がエレーナに馬乗りになり、顔面に拳を撃ちこむ。
気絶した少女を掴み、リュウエンに言う。
「借りは返す。許してくれ」
「……ババア呼ばわりしたガキのことはくれてやるよ……だけど、うちは関わりないないってことにしてほしい」
「承知した」
「でも、どうするのです?」
ヴィラの問いに、俺は迷ったが決めたことを伝える。
「行方不明だった少女を見つけた……これは解決だろ? 行方不明事件の……そうだろ?」
俺の言に、彼女は困ったような表情で首を傾げた。
-・-・-・-
エレーナ・スヴァルチャ発見と大尉には報告をして、手続きを終えて彼女を家……屋敷へと送り届けたのは昼過ぎだった。
「本当によかったのですか?」
ヴィラの問いは、抗議といえなくもない。だが、解決した事件の真犯人が出てきて、それがエレーナ・スヴァルチャだったとすると、そうであっては困る人たちがあれこれと動いて、全てはなかったことにされてしまう。
どちらにせよ、権力者たちが隠したいことは隠されてしまうものなのだ。
しかし、そう思う俺への不満いっぱいのヴィラは、口には出さないが「不満があります」というオーラをまとっている。
居心地が悪い。
書類仕事と格闘し、あともう少しで定時だという頃合いだった。
「ラドクリフ少尉!」
大尉に呼ばれ、顔をあげると奥の署長室のドアから半身をのぞかせた大尉が手招きしている。
……なんだ?
何事かと思いつつ席をたち、署長室に入るとトーマス・ソボスラィ中佐は老眼鏡を外しながら、所作で座れと示してきた。
席に腰掛けると、署長が溜息まじりに口を開く。
「……ったく、次から次へとやっかいなことが起きて、ひとつ解決したと思うとまたやっかいなことが起きたよ、少尉」
「なんでしょう?」
「上から、君の異動がおりてきたよ」
「異動?」
「どうやら、行方不明少女の件、解決してほしくなかった人が、たくさんのお金を積んだみたいだな」
それはもう、エレーナの奇行に参っていた彼女の両親が、軍の上層部にいるお友達に動いたんだろうという想像ができる言い方ですね……。
署長は続ける。
「君のおかげでエレーナは戻ったが、精神がおかしいということでスヴァルチャ家の別荘がある東部の高原に送られるそうだ。そこに座敷牢があり、そこで養生するそうだ……」
「そうですか……俺の異動と関係が?」
「エレーナが例に件に関わっていたことが、スヴァルチャ家から、うちの上のほうに通じてね……そこであれこれと意見交換があり、君に関してのことだ」
「……はぁ」
「北部前線に送るという意見もあったが……ま、君のことをかばう珍しい人がいてな、クローシュ渓谷国立公園の保安官として異動することで落ち着いた」
「……ありがとうございます、と言ったほうがいいんでしょうね?」
「もちろんだ。自然豊かな公園の中で暮らせるぞ」
素晴らしい環境なのかもしれない……それを望む人にとっては。
「いつからでしょうか?」
「引継ぎなど一週間の猶予がある」
一週間後に、大自然か……。
-・-・-・-
定時を少し過ぎて、分署から出たところで声をかけられた。
「少尉、お客様です」
門番の声に立ち止まると、着飾った女性がこちらを見ていた。
記憶にない女性だ。
上等な衣服に身をつつみ、持っている小物も高級品であると見ればわかる。
彼女は俺に目配せすると、歩み寄ってきた。彼女の後方には、黒塗りの自動車が停まっていて、運転手付きとはどこの金持ちだろうと訝しむ。
「娘を見つけてくだすって、ありがとう」
娘? エレーナか……母親?」
「これを」
差し出されたのは、定期送金伝票だった。
見ると、俺の口座に百万リミエが送金されているではないか!
……どうやって俺の口座情報……いや、軍部とズブズブなんだ。給料の送金先だから、わからないわけがない。
「毎月、同額を送ります。よろしい?」
「どういう意味の……よろしい? ですか?」
エレーナの母親は、化粧で隠した皮膚は何色なのかわからないといえる顔を歪めて笑うと、やけに白い歯を手で慌てて隠した。
「ほほほほ……そうよね? 言質をとっては無粋というものよね? これは気持ちの問題ですもの」
「気持ち……ですか?」
「ええ、あなたがあの子のことを忘れ続けることができるだけの気持ち……の問題ですもの。ですが……足りないというのであれば、それは今度こそ本当に悲惨な戦場に行くことになるかもしれませんわ」
「なるほど……」
「それに……これはもう支払われていますから、公人としては不適切な収入……かもしれませんわね?」
「よくわかりました」
「お互いに、不幸にならないようにいたしましょう」
女性は、少し顎をあげて目を細めて俺を見ると、薄く笑って背を見せた。
くねくねと歩く姿は、滑稽であるが黙って見送る。
「少尉」
背後からの声は、ヴィラのものだ。
肩越しに彼女を見ると、ヴィラはエレーナの母親が去る様子を眺めながら口を開く。
「彼女は?」
「エレーナの母親さ」
「それは?」
彼女は、俺の手にある伝票を見ていた。
「これ? 気持ちらしい」
「気持ち? ……いえ、今はそうじゃなくて……異動するんですか?」
「聞いた?」
「聞きました。少尉から引き継ぐようにと、大尉から言われました」
「……クローシュ渓谷国立公園の保安官だ」
「少尉は……少尉は本当によかったのですか?」
「いいも悪いも、軍人だから仕方ない」
「仕方なくありません」
「……いや、そうは言って……」
俺は、言葉をとめてしまった。
ヴィラは、わなわなと震えながら、目を真っ赤にしている。
その緑玉の瞳が、涙で大きく揺れた。
「仕方なくありません!」
彼女はそう叫ぶと、驚く俺を無視して、走り去ってしまった。
「少尉……喧嘩ですか? うらやましい」
門番の言葉にも、反応する余裕などなかった。
-・-・-・-
アパートメントに帰ってくると、クロード・ジェリドがエントランスに立っていた。
……俺に用なんだろうが、何だ? 約束は破っていないぞ。
「ラドクリフ少尉、おかえり」
「美人に待ち伏せされるなら嬉しいだけどね」
「おや? 美人といつも一緒にいるくせに」
「……あれは女の対象に入らないよ」
「そうか、安心した」
お前に安心される筋合いはないだろ……。
「少尉、土産だ。入れろ」
酒瓶を見せられ、断れないのはわかっているので部屋へと招く。
爺さんに、テーブルを示して「好きに」と伝えると、隙だらけの様子で椅子におさまり、テーブルの上に置かれていたグラスを洗いもせずに使い始めた。
俺は苦笑し、爺さんに渡す予定だったグラスを自分で使う。
煙草を見せると、手を差し出したので分けてやる。
俺が魔法で火をつけ、二人で煙草を吸い、酒を注ぎあった。
「そういえば……いつの間にか雨はやんでいたな」
クロードの言葉で、俺は窓を見る。
たしかに、雨は降っていない。
おや? 今朝は降っていたっけ? いろいろあって、よくわからない。
爺さんが言う。
「二年ほど、あっちに行ってろ」
「……あんたが、北部に行くのを止めてくれたのか?」
「……儂にも、家族がいる」
答えにもなっていない。
爺さんは、かまわず続ける。
「息子がな……軍役に就いていた。リュゼでな……都合をつけてやることもできたが、王族の方でさえそういうことをなされないので、儂も耐えたよ……なんとか無事に、還ってきてほしいと」
「大丈夫……だったのか?」
「おかげ様でな……息子から聞かされた。あんたが敵を蹴散らしてくれたおかげで、生き延びることができたと」
「……そうか」
「そういう親は、軍部に少なくない」
「……」
「だが、かばいきれないこともある」
「……あの時……病院での時も、助けてくれたのか」
それは問いではなく、理解できたというものが声に出ていただけだった。
あの時、この爺さんが現れなければ、俺は何をされていてもわからなかった……はずだ。
爺さんは応えない。
爺さんはグラスを空けると、席をたった。
「帰るのか?」
「ああ、酒は置いていく。では」
「ありがとう」
クロード……自称クロードは、玄関のドアを閉じる前、俺を見た。
「こちらこそ、ありがとう……またな」
ドアが閉じられる。
俺は、視線を窓に転じた。
雨……いつ止んだんだ?
-・-・-・-
夢だ。
もう何度も繰り返される夢だ。
リュゼ……の西部、テルノビリの市街地で発生した戦闘は、民間人の避難が遅れたことで歴史上類をみない残酷な市街地戦となった。
グラミア連合王国西部一帯は、スーザ教国東部一帯ともいえる。両国の地図では、それぞれの領地であると表記されている。
その中心にある炭鉱の町テルノビリに、スーザ教国軍が侵入し、これにグラミア連合王国軍も対抗した。
爆発。
悲鳴。
絶叫。
生ぬるい風に混じって流れてくる腐臭。
鼻で空気を吸いこむことを、脳が拒否するほどの悪臭。
俺は、上官の指示で敵へと突進した。
仲間たちが、俺に続く。
俺は先頭で、グラミア軍人が突撃の時に使う決まり文句を叫んでいた。
「ヴィラの娘を勝たせろ!」
「溝鼠を殺せ!」
長い歴史のなかで、俺たちと溝鼠は戦い続けている。国境を接して三百年以上も経つというのに、協力関係であったのは片手の指で足りる年数だけという間柄だ。
向こうも、俺たちを見れば殺してもいい相手という理解をしているに違いない。
お互いに、殺し合う許可が国から出ている関係なのだ。
俺の長剣が、スーザ人の首を斬り飛ばした。血飛沫を無視して突っ込む俺は、二人目の斬撃を剣で弾き、がら空きの胴に蹴りを入れる。さらに長剣を払い、敵の脇腹を裂くと、内臓を撒き散らしながら次の敵へと加速した。
左方向からの敵に、一瞬で発動した火炎魔法を浴びせ、右の敵には斬撃を見舞う。
敵の魔導士が、広範囲の攻撃魔法を発動させたが、俺は結界で仲間を守りながら、敵軍中へと突っ込み、次々と肉を斬り、骨を砕き、血を溢れさせた。
もっと斬らせろ。
もっと、もっとだ。
簡単に殺せる。
敵を殺すのは簡単だ。
俺は強い。
誰よりも強い。
「ラドクリフ! 突っ込み過ぎだ!」
誰かの声。
うるさい!
俺は今、楽しんでいるんだ。
邪魔をするな!
こんな楽しいことをしているのに!
スーザ人なら、殺しても捕まらない!
いくら殺しても! 罪にはならない!
殺せ!
溝鼠を殺せ!
こいつらは、殺しても問題ない存在だ!
死ね!
死ね!
「死ね!」
叫んで、目覚めた……。
呼吸が荒い。
苦しい……深呼吸だ。
ゆっくり……夢。
夢……夢だ。
何度も……見る夢。
俺は、寝台から起き上がり、爺さんが置いていってくれた酒をグラスに注いだ。
呷るように飲み、二杯目をつぐ。
夢を……見たくない。
夢を見ると、戻ってしまう。
あの頃の俺に、戻ってしまう。
自分が……怖い。
自分が。