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火曜日

 雨だ。


 今日もまた雨……このまま永遠に雨じゃないかと疑うほどに雨が止まない。まぁ、スーザ教のご神体である太陽が見えないから、溝鼠スージリアンどもが嘆いているのは喜ばしい……ん? あいつらの国の天気はまた別か、残念。


 自宅から直行で、銀行に行こうと路面電車に乗ったが、車両のバッテリーが故障したらしい。駅でもないのに下車させられてしまい、雨のなか、オルタビウス&マークナーのベオルード支店まで一駅分を歩くはめになってしまった……。


 支店に到着した時、開店から一時間ほど経過していたので、店内はすでに客でにぎわっている。


 回転扉を押して入ると、初老の男性に声をかけられた。


「いらっしゃいませ。ご案内いたします」

「ああ……俺は――」


 身分証を相手に見せ、説明を続ける。


「レイルズ・ラドクリフ。役職は捜査官、階級は少尉、身分は騎士だ。口座情報に関して問い合わせをしたくて来た」

「こちらにどうぞ」


 広い店内を突っ切るように案内され、一室に通された。そこは対面式のソファセットがあり、テーブルには陶器の灰皿がドンと置いてある。


 俺は内ポケットから煙草ケースを取り出し、巻き煙草をくわえて火炎フレイムの魔法……といっても、極々小さな、指先に火がともるくらいの魔法で火を点け、煙を吸い込んだ。


 戦場に出て、煙草と酒を覚えてしまってから、ずっとこいつらとの付き合いが続いている。


 扉が叩かれ、紳士が現れた。俺よりも少し年上と見える男性は、白人とも黒人とも黄色系とも違う肌の色は、様々な血がまじりあった結果と思えて、逆にそれが彼の洗練されたものに見せている。


 俺は煙草を灰皿に押し付けて消して、立ち上がることで相手を迎えた。


「いらっしゃいませ。支店長のエデルソン・フィリップスです」


 差し出された手を握って握手をし、俺も名乗った。


「レイルズ・ラドクリフです。役職は捜査官、階級は少尉、身分は騎士。身分証を……」


 空いた手で身分証に触れようとした時、相手が笑った。


「係の者が拝見しました。大丈夫、どうぞ。それに、お名前をうかがいもしやと思いましたが、リュゼの英雄と呼ばれておられるレイルズ卿でいらっしゃる?」


 正直、照れくさい。


「英雄は過去のことです。今は分署の捜査員ですから」

「おお! ご本人とお会いできるなんて! 実は、私の弟が戦場から帰ってこられた時、貴方に助けられたと。命の恩人だとうかがっておりますよ」


 過去の自分を、少しくらいは褒めてやってもいいかなと思えるが、その後に調子にのって転落したこととセットで思い出すものだから、やはりいい気分はしない。


 ただ、過去の行いで、この支店長は協力的な態度となったのは間違いない。


「しかしながら、口座情報は、はいどうぞ、と簡単にお出しできるものではございません。見たところ、開示請求類の書類もお持ちではないでしょう? せめて書類をご用意いただかないと、私どもは手続きを重視いたしますので……あ、どうぞお掛けください」


 勧められるがまま、再びソファに腰掛ける。


 言われるまでもなく、軍が発行する文書が必要だってことは理解しているが、申請から発行まで七日ほど必要なので面倒だなと思った。それに、口座情報をなにも見せろというわけではなく、質問がしたかったのだ。


 俺は、ここで扉を叩いて現れた美女が、紅茶とジャムを置いて退室するまで沈黙した。


 彼女が姿を消した後、ジャムをスプーンですくいながらフィリップスに言う。


「書類手続きにとても時間がかかるので……口座情報を見たいというよりも、いろいろと教えていただきたいことがあり、それをまずご協力いただけないかと思って……口座情報そのものは、きちんと書類をそろえてからお願いすることになります」


 支店長は、怪訝な表情となる。


 彼が、俺がテーブルに置いていた煙草ケースを見たので、煙草を勧め、魔法で火を点けてやった。


「……ふう。ありがとうございます。ご質問というものに、お答えできればいいのですが……規則が多いものですから」

「なに、俺も口座を持っていますが、給料が入れば出す程度のことで知識がないもので……質問というのはいくつかありますが、まずは……」


 俺は、上着のポケットからメモを取り出しながら続ける。


「……送金てのは、都度、この支店の窓口に来る必要があるのでしょう? 送金にはどれくらいの時間がかかりますか?」

「そうですね。基本的には窓口に来ていただいて、送金伝票に必要な事項をご記入願っています。それをもとに当行が処理をします。着金確認がとれるのは、ベオルード市内であれば半日もかかりませんが、別の都市……国内の主要都市となると、早いところでキアフやオルビアンの一日、ルイスクが三日で最長でしょうか」

「それは、その送金先の口座の所有者属性に関係なく?」

「ええ、こればかりは連絡に要する時間が……ああ、ただ信用取引口座をお持ちの方の場合、送金伝票を送金者から受け取り、それを窓口に持っていけば口座に入金前でも現金を動かすことはできます。上限金額はもちろんあります」

「偽の伝票だったら、騙されることになるんじゃないです?」

「はい、ですので信用取引口座をお持ちの方だけです。もし、万が一、悪意ある行いをした場合、信用取引口座は凍結し、残高は全て当行が差し押さえます。そのうえで、警備連隊に報告し、捕まえてもらいますね」

「へぇ、そういう口座があるなんて、恥ずかしながら知らなかった」

「一般の、個人の方ならそれが普通です。法人のお客様向けになりますから……法人の活動では着金の確認に時間がかかるってのは、倒産の原因になったりするので、そうならないように信用取引口座をおすすめしていますね。ですから、基本的に信用取引口座を持っているのは、法人ですよ。レイルズ卿のお調べになっている口座は、信用取引口座ですか?」

「いえ、それがどうなのかわかりませんが、名義が個人で、振り込み先も個人なので」


 俺は、送金完了証明書と残高証明を写していたので、それを支店長に見せた。


「拝見します……ああ、これは普通口座ですね。番号を見ればわかります」

「そういうことは、答えて大丈夫なんです?」

「……大丈夫じゃなかった時は、私は何も言っていないことにしておいてください――」


 彼はそう言いつつ笑みのまま、説明を続ける。


「――ただ、これは窓口に来て手続きをするのではなく、定期送金の手続きをしている方ですね。最近、ようやく増えてきたんですよ。私どももおすすめしています」

「そういうのもあるんですか?」

「ありますよ。個人の方でもよくお使いです。軍関係の方はけっこう……戦地の方が、家にお金を送るとか」


 フィリップスは煙草を吸い、紅茶を飲むとまた煙草を吸い、煙を吐き出しながら言う。


「とにかく、この定期送金は最近、よく使われます。昔からあったんですが、宣伝しないと誰も知らないですからね……今は宣伝の効果もあって、利用者が増えています……開始と停止は窓口での手続きが必要で……今のお住まいは借りておられます?」

「ええ」

「それなら、定期送金をおすすめします。最近、多いんですよ。大家のほうも、集金の手間がないし、管理も書類を見ればひと目でわかるということで重宝くださっておりますよ。借りてる方も、いちいち手渡しするのも面倒だし、口座にお金があれば払ってもらえるということで、便利だと言ってくださいます」

「手数料はいかほど?」

「一回あたり、二十リミエです。安いでしょ?」


 たしか、窓口の手数料は三十リミエだから、こちらが安いので親切に見えるが……定期的に必ず入ってくる手数料収入を計算できるというのは、金融機関にとって喜ばしいことに違いない。それに、その二十リミエが、国内全体でたくさん発生して、何千、何万となっていくんだろう。


「考えておきます……で、戻しますが、口座をつくる時……俺は身分証を出した覚えがないんですけど、それって最近も変わらず?」

「基本的には不要です。申請くださった情報をもとに作成するだけです」

「偽名、偽の住所、だとどうなります?」

「困るのは本人です」


 なるほど……。


「でも、使われないおかしな口座が増えると、そちらも困るのでは?」

「口座を開設する際、かならず千リミエ以上をお預かりします。使われないままの口座、けっこうありましてね……当行の業務を支えてくださっておりますよ」

「……使われていない口座が、突然、使われるようになることも?」

「あります」

「事件に関係している可能性は?」


 フィリップスは笑みのまま、短くなった煙草を消すと答えてくれた。


「それは、私どもとは関係ないことですから……捜査が始まり、書類がそろっていれば情報を出すだけです」

「なるほど……例えば、偽名で住所も嘘の口座があったとします」

「仮のお話なら、なんでもお答えいたします」


 俺も笑みを浮かべ、煙草を消しながら話を続ける。


「その口座は、送金されてくるお金を受け取る専用口座として使用する場合、その口座の所有者住所に郵送物が届くことは?」

「着金報告の通知がいきますが、郵便物の転送をしていれば問題ないでしょうね……他の書類は……当行にかぎって言えば、ないですが……偽の住所といっても、デタラメの住所では口座は開けません。実際に存在している住所が必要です」

「……その住所に、所有者がいることをそちらで確かめない?」

「確かめないですね……確かめません。ま、将来、そういう必要が生じたら、するようになるかもしれませんね」

「口座からお金を出す時、書類に名前と住所と口座番号を書いて、サインすれば出せる……所有者が誰でもお金を受け取ることができる……」

「他所のことはわかりませんが、私どもでは基本的に百万リミエ以下の金額は身分証などの提示を求めていませんよ」


 百万。


 あの金額は、そういうことかもしれない。


 俺は、フィリップスに感謝を伝えて、銀行を後にした。




 -・-・-・-




 分署に入り、自分のオフィスへと向かっていると、トレントが俺を見つけて声をかけてきた。


「ラドクリフ少尉、よかった。署長がお探しですよ」

「……いやな予感しかない」

「署長室までお願いします」


 俺は重い足取りで、オフィスに寄らず分署三階の所長室へと向かう。


 途中、この分署の報道官をしているギャレス・メイヌー少尉とすれ違い、挨拶をしたが無視された。


 ……あれだ。


 犯人は自殺と発表された事件を、俺がまだ調べていることを署長は知ったわけだ。それを彼は聞かされたので、気を悪くしているのであんな態度なんだろう……ということは、署長室には、署長とヴィダル大尉がいるんだろうと予想した。


「レイルズ・ラドクリフです」


 署長室の前で名乗ると、中から「入れ」というヴィダル大尉の声がした。


 やっぱり……。


 入室し、署長が座るデスクの前に直立した。そこには一脚の椅子があるが、許可なく座ることはできない。


 署長デスクの横に、ヴィダル大尉がいて「やれやれ」という顔をしている。


 署長――トーマス・ソボスラィ中佐は老眼鏡を外すと、睨むように俺を見上げる。彼は座っているので、俺のほうが見降ろす格好になっているのは仕方ないのだから、早く座れと言ってほしい。


「座りたまえ」

「は」


 椅子に腰かけたところで、ヴィダル大尉が口を開く。


「犯人は自殺という決定に、不満があるのか?」

「不満はありません」


 俺は署長に視線を定めたまま答える。


 ソボスラィ中佐は、万年筆を指で弄びながら口を開いた。


「ラドクリフ少尉、君は軍属だ」

「はい」

「上の命令に、下は従う。当たり前のことができんか?」

「……申し訳ございません。他意はありません。ただ……エバー氏が犯人で自殺、という終わり方では終われないような気がしております」

「言ってみろ」


 俺は署長に促されたが、ヴィダル大尉を見た。それは、本当に言っていいですか? という意味の視線だったが、大尉はそっぽを向いてしまった。


 ……言おう。


 俺は、これまでの違和感、推理、送金の件を二人に説明をする。それをさえぎることなく聞き終えた署長は、ちらりとヴィダル大尉を見た。


 ヴィダル大尉は咳払いをすると、少しの間を挟んで口を開く。


「ラドクリフ少尉、だとしても、この事件は終わらせるのだ」

「……上のほうから、言ってきたのですか?」


 署長が、溜息まじりに答えてくれる。


「ったく、どうしようもないことなんだ。私や大尉、君なんかではどうしようもないことなんだよ」


 どうしようも、ないか……つまり、そうとうな上の方々が、この事件を終わらせにきているということだ。つまり、それはこの事件を調べていけば、軍上層部で困る人が出てくるということに繋がる。


 私腹を肥やす者……。


 それに、俺は別のことも心に残る。


 あの女性と、エバー氏……はおそらく自殺に見せるように殺されているから、二人を殺害した犯人は野放しってことになる。


「ラドクリフ少尉」


 署長の声で、思考を止めた。


 ソボスラィ中佐は、腕を組むと背もたれに身体を預けるようにして俺を眺め、少し笑う。


「頼むから、従ってくれ」


 珍しい……新しい説得の仕方だ。


 だけど、この方法はたしかに効果がある。


 俺は、復帰などもふくめていろいろと迷惑をかけていたであろう大尉と、その大尉の提案を受けて受け入れてくれたと思う中尉が言うことには、従おうという気持ちが強くなった。


「わかりました……ですが、署長、あの女性をひどい目に遭わせた奴は、うろついています。警戒を」

「そうだな……警邏の連中に、今回のこともあるから怪しい奴には職質を徹底させるようにしよう」

「お願いします」


 俺は、許可を得て二人の前を辞した。


 さて、たまっていた事件の調査に戻るか。




 -・-・-・-




 ヴィラは休みなので、明日、出て来た時に事件から手をひくことを伝えようと思うも、また馬鹿にしたような態度をとられるのだなと想像し、げんなりとした。それでも抱えていた事件を進展させるべく、後回しにしていた少女失踪事件の書類を読みながら――途中で幾度か喫煙と喫茶をはさんだが――事件内容をまとめる作業に没頭した。


「精がでるな、どうだ? つきあわない?」


 二係のウェズレイの誘いで、壁時計をみると午後七時をまわっていた。


 昼飯、食べてない……。


 俺は資料を引き出しに片付けながら、ウェズレイとオフィスを出る。そこで鑑識のアーロンと遭遇し、三人で行きつけのペルシア料理屋に入った。


 鶏と羊シャワルマのサンドイッチ、シシリク、マヒチェ、シラーズサラダなどがテーブルに並び、シングルモルトのソーダ割を飲みながら談笑していたが、しだいに例の事件へと話題が移っていった。


「上の決定なんでね」


 俺の言葉に、ウェズレイは「仕方ない」と同意しつつも、グラスの氷を指でかきまぜながら続ける。


「しかしだな……偉いさんにとっては、百万リミエてのは、そうでもない額だろう?」

「馬鹿、年間だと一〇〇〇万超えるぞ」


 アーロンの指摘に、ウェズレイが「それでも、リスクかけてやるかな?」と首をかしげたところで、俺は銀行でのやりとり……手数料の件を連想した。


 たいした額ではないが、それが同時に多数、発生したら……。


 もしかしたら、これは個人がやっている不正ではないのではないか?


「どうした?」


 アーロンが、黙った俺を見ていた。


「いや、なんでもない」

「なんでもない、顔じゃないぞ」


 苦笑し、グラスをテーブルに起きながらナプキンで口をぬぐい、二人を交互に見て言い訳をする。


「ちょっと思い出したことがあってね。ただ、どうでもいいことだ。小石も積もれば山になるっていうペルシアの諺をさ」

「嘘つけ」


 アーロンは決めつけ……あたっているが、彼は皿にひとつだけ残っていたシシリクを掴みながら言う。


「鑑識として、現場にも行った。無関係じゃない。教えろ」


 俺が別の言い訳を言おうとした時、店のドアが開き、にぎやかな連中が入ってきた。


 彼らが奥のテーブルにつくまで沈黙し、俺を待つ二人の表情を眺める。


 正直に話せ、という顔だが、話せるわけがない。


 軍の組織的な不正を疑っている、というもんだから……。


「いや、劉一家の理事から、ベオルードに怪しい連中が入ったという情報があったんだ。それも最近……金がらみだから、繋がってないかとちょっと思ったんだが、調べるか?」

「反社がらみは、俺には無理」


 アーロンが即答し、ウェズレイが苦笑しつつ俺の尋ねた


「どんな連中なんだ?」

「女ばかりだそうだ」

「なら、身体検査をしたいな」


 ウェズレイの下品な冗談に、アーロンが笑う。


 とにかく、この場をのりきることができた。


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