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日曜日

「ラドクリフ少尉!」


 肩を揺さぶられて、眠気に抗いながらベッドの上で上半身を起こしたが、瞼が重すぎて開けられない……。


「少尉! 起きてください、事件です」


 なんとか目を開くと、夜勤組の兵士――トレントに肩を揺さぶられた。彼は俺を急かすように「早く、早く」と繰り返す……わかっているけど、すぐには無理なんだよ。


「起きるよ、起きますよ……事件なんだろ?」


 平和が欲しい。


「事件です、事件。死体が、ひどい死体があるとレイクレイ街区第二詰所から報せです。馬を厩舎に用意しました。早く支度を……ひどい汗ですよ」

「ひどい夢で」

「悪夢ですか?」

「ああ、戦場で殺した奴らが襲いかかってくるんだ……今、何時だ?」

「午前……四時半過ぎ。現場には詰所の分隊がつめているそうです」


 俺は、トレントがハンカチを差し出してきたので、意味がわからず尋ねた。


「なんだ?」

「汗、ふいてください。シャワーを浴びる時間はないと思いますよ」

「……おまえ、こんなもの持ち歩いているのか?」

「妻が持たせてくれるんですよ」


 仲がいいのは結婚一年目だけって、みんなが言ってるぞ。とは口にしない。


 眠い……二時間も寝ていないのか。


 俺はひどい眠気を誤魔化すように目頭をもみ、受け取ったハンカチで首と顔を拭いた。そしてメモを差し出すトレントへ、「ハンカチは洗って返す」と言いながらベッドから出て、メモを受け取る。


『西区ルガール三番街五の八、ホテル、三階、女性、死体、他殺』と書いてある。やれやれ、他所の管轄じゃないか……忙しいからってこちらに回されたな? 俺たちだって忙しいってのに……少女失踪事件や連続強盗事件が片付いていないのに……ん? 女性って、俺が捜している少女じゃなければいいがな……嫌なことばかり想像してしまうな。


 うんざりとしつつ、質問をした。


「他殺とわかる死体だったのか?」


 上下の下着を着替えながら問うと、トレントは「どうでしょう?」と答え、すぐに「そう報告されています」と続ける。


 彼に尋ねたところでわかるはずもない。彼が見たわけではないから……。


 着替えを終えて、分署建物から隣接する厩舎まで向かおうと外へ出ると、まだ雨が降っていた。面倒だったが、一度、俺は自分の仮眠室へと戻り、雨よけのフード付きマントを掴み、再び建物玄関から外へと出る。


 トレントと厩舎に行くと、用意されていた馬がなかった……深夜、というより早朝で、路面電車は動いておらず、自動車なんて高級品がこの分署にあるはずがなく、どうしたものかと困惑するトレントに尋ねる。


「他の馬は?」

「それが……今夜は他にも事件があって、他の捜査員の方々が……おい! ラドクリフ少尉に用意していた馬はどうした!?」


 トレントが、厩舎の裏から現れた彼の同僚に声を発する。


 その同僚は、「ああ」と答え、「グラムドゥテル少尉が乗って行ったよ。ルガール三番街の事件だろ?」と続けた。


 俺は、睡眠の邪魔をされたうえに、苦手な奴の名前を聞かされて溜息をついていた。


「トレント、いい。歩いていく」


 俺は言い、雨の中を事件現場まで向かう。


 いろんな意味で、気が重かった。




 -・-・-・-




 フードの狭い視界から見える街は、ひどく暗く感じた。


 夜明け前の街には、雨音のみが響いている。


 外灯が等間隔で並ぶ大通りへと出て、目的の住所に向かって進んだ。捜査官となって五年が経つ。担当エリアの地図は、脳裏にいつでも描けるほどになっている。


 詰所の分隊に所属しているらしい兵士たちが路地を塞ぐように立っているのを見つけたので、そこに向かって歩みを速めた。現場の住所も、ちょうどその路地の奥だとわかる。


 兵士たちが、近づく俺に気づいてこちらを向いた。


 こんな時間に、まっすぐに向かってくる男を見て、彼らが俺を無関係な者とは思わないことなどわかっている。だが、おそらく他所の分署からの応援であろう彼らと俺では、お互いに顔と名前が一致しない間柄だ。


 俺は首から革紐でぶらさげている銅板の身分証をつかみ、顔がわかる距離で頭部を雨にさらして、それを見せて名乗った。


 身分証には、俺の名前、役職、階級、身分が記されているが、口に出して伝えるのが習慣である。


「レイルズ・ラドクリフ。役職は捜査官、階級は少尉、身分は騎士」


 兵士たちが敬礼してくれたので、俺も敬礼を返してフードをかぶる。


「少尉、ご苦労様です。この奥です」


 俺から見て左に立つ兵士の言葉に、頷きながら路地奥を眺める。


「どんな様子だ?」


 俺の問いに、兵士たちはそろって顔を歪めた。


 右に立つ兵士が、俺が視線を向ける方向へと体の向きを変えながら口を開いた。


「ひどいですよ。ともかく、ご覧になってください。あ、同僚の方はすでに来られています。すごい美人で羨ましい!」

「……俺は嬉しくない」


 俺は、彼らに道を譲られた。


 路地の奥に、フードを雨よけのフードを被った兵士がいる。


 目的の宿には、裏口から入れということか。


 それにしても、同僚……同僚か。いや、同僚なんだが……五日前から、俺の部署にやってきたそいつは――正式配属前の仮配置で来たそいつは、たしかに役職と階級と身分は俺と一緒なんだが……士官学校出だからと俺に舐めた態度をとる生意気なやつだ……顔がいいから、きっと勘違いしてやがる。


 ひどい死体……正直、確認したくない。仕事でたくさんの死体を見てきたし、戦働きをしていた頃は死体を作っていた側だ。それでも、他人がひどい状態の死体だというものを見たいと思わないのが人のさがだろう。


 自然と、歩みが遅くなる。


 裏口に経つ兵士へと近づきながら、身分証を掲げて見せ、名乗った後に雨の中で大変だなと思い労りを口にする。


「ご苦労さん。ひどい雨だな」

「ご苦労様です、ええ、ずっと雨で嫌になりますよ。こちらの三階です。第一発見者は宿の主人で通報は……二階の宿泊客です。その人……医師が仕事だそうですが、宿の主人に起こされるまでは熟睡していたようで、特に重要な話は聞けておりません。今、グラムドゥテル少尉が宿の主人と話をされていますよ」

「ああ……」

「足元、足跡を踏まないでください」


 おっと……犯人のものか……足跡が赤いのは血を踏んだってことか。


 俺は、無表情で裏口から内部へと入った。そこは厨房で、男性……俺とそう変わらない年齢と思われる男と話をしていた同僚が、視線だけを俺へと向ける。


 同僚――ヴィラ・グラムドゥテルは、俺より十五歳も若いのに、役職と階級と身分が俺と同じという理由で、生意気な言動をする女だ。美神ヴィラと同じ名前で、その名前に負けない顔立ちだからチヤホヤとされて育ったんだろう。だいたい、軍属のくせに派手なエメラルドの耳飾りなんてつけやがって……イミテーションだとしてもデカいんだよ! 嫌味なんだよ! ……いい大人が若い子にムキになるなと俺の連れたちは言うが、一緒に行動をすることが少ない奴らにはわからないんだ。


 馬鹿にしたような笑みを向けられるし、丁寧な口調の裏にある上からの物言いは腹立たしいし、俺をまるで部下のように「あれこれしてください」「こうしてください」みたいに使ってくるので腹がたつしムカつくしで、避けたい相手だ。


 俺はその避けたい同僚に挨拶せず、中年の男に身分証を見せながら名乗った。


「首都警備連隊西区第二分署の捜査官レイルズ・ラドクリフです」

「ハモン・エバーです……ご苦労様です……だいたいのことは、この方に説明しました」

「では、俺の後輩・・――」


 わざと、後輩という言葉を強く発音した。


 後輩なのは間違いない。


「――から、細かいことは聞きましょう。用があれば言いますので、座って休んでいてください」


 厨房にある椅子を見て行った俺に、エバー氏は目の下の隈を指で撫でながら頷き、椅子へと左脚をひきずりながら向かう。


 彼から離れて厨房から食堂へと出た時、ヴィラに声をかけられた。


「遅いです」


 こいつは! お前が俺の馬を乗って行ったからだよ!


 ムカつく! ……いかん。冷静になろう。事件だ、事件。事件のことを聞こう……ムカつくけど我慢しろ。仕事をさっさと終わらせて、お別れしよう。


 俺は、イライラを表に出さないように努めて尋ねた。


「で、エバー氏からうかがった話を、まとめて教えてもらえるか?」

「彼はこの部屋、彼の自宅として使う部分の一室で寝ていました――」


 食堂から廊下へと出た時、ドアが開いた部屋があり、ヴィラはそこを指して言ったとわかる。


 部屋を覗くと、食堂、居間が連なって見える。その奥にドアがあり、開かれたままになっていてベッドが見えたので、奥が寝室のようだとわかる。狭くない作りだ。


 廊下を進み、階段をのぼり、二階、三階へとあがりながら彼女の説明を聞いた。


 途中、廊下に残る足跡……血のせいで赤い足跡を踏まないように注意する。それを見れば、上から下へと降りてきているように見える……が、駆け下りたってほどの歩幅ではないように感じた。


 エバー氏は、寝ていると叫び声のようなものが聞こえて目を醒ました。そして、本当に叫び声だったのかと耳をすませていると、階段を駆け下りる音を聞いた。そこで慌てて起き上がり、乱れた寝間着を正しながらドアを開けた。すると、階段を駆け下りてきた男とぶつかりそうになり、驚いて尻もちをついた時、その男は厨房へと入り、裏口から逃げていった。


 エバー氏は、三階へとあがり、開け放たれたドアの部屋へと近づき、中を見て、それを発見したのである。それから彼は二階の部屋の医者を起こして、自分は走れないからと、彼に近くの警備連隊詰所へ行ってほしいと依頼し、医者は承知し現在にいたる……。


「彼が脚を怪我したのは、いつの話だ?」

「彼は元軍人で、怪我で退役なさったそうです」

「気の毒に」


 三階に着いた。


 この建物は宿で、二階と三階は客室が三部屋ずつだ。エバー氏は退役した後に、この宿を継いだのだろうと、建物の古さから想像した。


 三階の真ん中の部屋は、ドアが開かれたままになっている。


「もう見たのか?」


 俺の問いに、ヴィラは答えない……無視か。


 ドアの前で立ち止まり、ベッドの上のそれを見た。


 若い女性が、胸から腹にかけて裂かれて、死んでいる。いちいち説明する必要もないほど悲惨な状態だ。犯人は彼女を殺した後に、内蔵を掴みだして、そこらにばらまいていたと見ればわかる。


 中に入るのをためらう俺の背後で、ヴィラが声を出した。


「何してるんです? 早く入ってください」


 ……殴りたい。


 いや、いかん。いかんぞ。我慢だ。


 肉片を踏まないように室内へ入ると、彼女は入口で動かない。


 さすがにビビったんだろうと、肩越しに彼女を見た。すると、俺をジッと見て口を開く。


「どうしたんです? 彼女の持ち物を早く調べてください」


 こいつは! 待て……おちつけ、俺。


 明後日には、彼女は移動となる。それまでの我慢だ。彼女が今、俺の部署にいるのは士官学校出あるあるの、現場経験期間中ってやつだ。この期間で、彼女らは現場の厳しさというやつを学んで、その後に正式な配属先に行かされる。


 だから、今は我慢だ。


 もうすぐ、お別れだ。お別れの際、とびきりの笑顔を見せてやるよ!


 そう決めて、ひどい臭いと、ひどい女に耐えた俺は、ひどい死体が横たわるベッドの奥、サイドラックに置かれたバッグの中を調べる。


 化粧品と化粧道具が入ったポーチ、錠剤が入った小瓶、革財布、鍵……はこの部屋の番号タグがついていた。


 他にも荷物があるはずなので、クローゼットへと足元に注意しながら近づき、開くとやはりあった。


 ただ、予想していた大きさの鞄よりもずいぶんと小さい。


 宿を利用するが、少しの荷物で足りる……俺は鞄を掴み上げ、再びベッドへと近づく。そして血液や贓物の細切れと一緒になって、床に広がっていた衣服を見つけた。触る気にもならないので見ただけで済ませ、鞄の中を見ると女性ものの下着や服が入っている。


 俺は、鞄をヴィラへと投げた。


「きゃ!」


 慌てた彼女だったが、ちゃんと受け止めている。


「女性ものだから、確認は君がしてくれ」


 俺はサイドラックのバッグを掴み、ベッドの死体を見た。


 担当している別件の少女失踪事件のほうの少女が、もしかしたらと思ったが、写真で見た少女と顔が違う……しかしこの女性も若い……二十代半ばだったと思われる女性は、驚いたように両目を見開いて固まっていた。


 両手と両足は自由のまま……だ。


 殺されてから、腹を裂かれただろう。


 鞄を調べていたヴィラが、俺に聞こえるように声を発した。


「荷物が少ないですね。旅行目的ではないようです」

「日帰り程度で間違いないか?」

「それよりも少ないような……」

「君が旅行するなら、もっと荷物は多くなる?」

「たぶん」

「たぶん?」

「おそらく」


 たぶん、の意味がわからねーバカじゃねぇんだよ! 


「……いや、君はもしてかして、親御さんにそういう準備もしてもらうってことか。自分に必要な量がわからないのは、そういうことか?」

「……馬鹿にしてますか?」


 してます!


「してない。念の為に訊いただけ」

「自分で準備することはしません。使用人たちがしてくれますので」


 ムカつく! いいとこのお嬢ちゃんかよ! ムカつく理由がいっこ増えたわ! ……こいつは、だから俺にナメた態度なんだな? ん? ……いいとこのお嬢ちゃんが、どうして騎士? 軍?


「荷物の量が、どう事件に関係するんです?」


 ヴィラの問いで、思考を中断した。


 荷物の量が少ない。


 宿を使う。


「この女性の仕事は、夜に客をとる仕事かもしれないってことだ」

「夜に客をとる仕事とは、何です?」

「……だから、ベッドの上でそういうことをするのが仕事ってことだ」

「ベッドの上ですること?」


 お前は馬鹿か? と思わず言いそうになった口のまま固まる。


「何です?」


 こいつは、お嬢ちゃんだから、本当に知らないのか……無理もない。戦争、不景気、いろんな理由でこういう仕事をして家族を養う女性が少なくないことを、こいつは知らないんだな。


 俺は、これも社会勉強だと思い、親切丁寧に教えてやることにした。


「詳しく言うと、この女性は男から金をもら……女かもしれないが、他人から金をもらうことで、その人と性交渉をするのが仕事だったのではないかと――」

「スケベ!」


 ヴィラはそう叫ぶと、俺をひと睨みしてその場を去ってしまった。


 ……俺が、悪いの?


 ふざけんな! と怒りが沸き起こるも、ぶつける相手はもういないのである。




 -・-・-・-




「ヴィラちゃん、美人さんだからお前の味方をする奴はいないよ」


 鑑識官のアーロンに、早朝のことを愚痴るとこう言われてしまった……。


「お前は一緒にいないから、あいつの見てくれに騙されているんだ」

「そうか? 挨拶をしたら返してくれるいい子じゃないか?」

「……挨拶をしてくれる相手なんて、どこにでもいるだろ?」

「若い子に、俺らみたいな中年が、おはよう、なんて声をかけてもチラ見されて終わりだよ」

「……娘さんに、そういう扱いをされてんだな?」


 アーロンはため息をつき、娘にかまってもらえないという愚痴を喋り続けた。


 愚痴ったら、百倍の愚痴を返された気分だ。


 アーロンの愚痴が終わり、仕事の話になる。


「レイルズの読み通り、殺された女性は直前まで誰か……男性で間違いないが、性交渉はしていない。その男との間でどういう交渉があったのかわからんし、彼女がこれを仕事にしていたのかもわからんよ」


 俺は、錠剤が入った瓶を彼に見せ、手渡した。


 死体を運び出そうという係員たちに、道をゆずるように通路の奥へと二人で移動する。三〇三と書かれたドアの前で、アーロンが小瓶の蓋を空けて錠剤を手の平に乗せ、ぼそりと言う。


「経口避妊薬か……」

「ああ、仕事としていた証拠にはならないかもしれないが、確率は高いと思うね」


 アーロンは、俺の言葉に頷きを返すも無表情を保つ。


 この薬は、夜の商売をする彼女らにとっては必需品だ。副作用が問題視されていて、現在は正規のルートで購入することは難しい薬になるが、彼女らの元締めたちはどうせ裏社会の悪人どもだから、そいつらから購入したのだろうと思われる。


 いや、買わされるわけだ……客を斡旋し、斡旋料をとる。薬を売りつけ、さらに金をまきあげる。


 移民が増えた近年、小規模の組織が乱立していて取締りが追いつかない。また、どういうわけか上層部はこのような売買春の取り締まりに消極的で、人身売買、麻薬犯罪、架空身元取引などなど、グルグルと循環する裏社会の経済活動は活発である……。


 アーロンから小瓶を返してもらった時、彼が言った。


「ただ、あの子は死んでから、裂かれている。せめてもの救いかな」

「殺されて、救いなんて馬鹿げている」

「お前の顔が怖くなったから、言ってみただけだ」

「……」

「昔の顔になってるぞ……殺されてから、裂かれたのは本当だ」

「わかった」


 二人で階段を降りて、一階の通路を進んで表から外に出た。そこには、野次馬たちと記者たちが集まっていて、報道官のギャレス・メイヌー少尉が声を張り上げて対応している。


「――であるから! 捜査内容に関しては話せない! 撮影許可は出してないぞ!」


 フラッシュが、バンバンバンバンとうるさい。雨でカメラが濡れて壊れてしまえ、という悪態を飲み込み彼らに背を向けた。


 少し遅れて歩くアーロンに、仕草で飯に行こうと伝える。


 目立たない俺たちに、野次馬たちと記者たちは注目しない。


 大通りには出ず、小さな店舗が軒を連ねる通りを並んで歩く。


 子供たちが、笑い声をあげながら通りの真ん中を走り、自動車がクラクションを鳴らした。


「自動車、増えたなぁ」


 俺の言葉に、アーロンが笑う。


「金持ちが多くなったんだろうか? あるところに集まるのかねぇ?」

「俺のところに集まってもらいたい……あそこにするか?」


 俺が示した先には、家族経営でやっていると思われる食堂の看板が出ていた。


「うまそうだ」


 アーロンの同意で、二人で店へと入った。雨に濡れたフード付きマントを脱ぎ、店員に預けながら店内を見渡す。食堂は賑わっていて、カウンターテーブルでも良ければと言われたので、二人でカウンターの奥に並んで座った。


 メニューを眺めるアーロンの横で、俺は店員に聞こうと決めている。


 注文を取りにきた店員に、オススメを尋ねると牛頬肉のワイン煮込みと言われた。


「それと水」


 俺が注文すると、アーロンも「同じく」と続けた。


 あんな死体を見た後でも、腹は減るし肉を食べる。


 賑やかな店内で、アーロンは背後を気にしながら口を開いた。


「レイルズ、医者は何も見ていないのは本当だったんだろうな?」


 二階の部屋に、一人で泊まっていた医者は好青年で、俺の印象では嘘をついていないと思われる。彼は本当に、仕事でベオルードに来ていた。宿から少し離れた医院に、臨時の応援で来ていて、明後日にはキアフのほうに戻るそうだ。


 その医院に確認済で、好青年の発言は事実であると証明されている。万が一ということもあるが、この医者の衣服は汚れておらず、荷物にもそれらしいものはなかった。


 あれだけの現場だ。


 犯人、あるいはそいつの所有物には、被害者の血液が付着していて間違いない。


「何も見ていないし、知らなかったのは信用していいだろう。そいつにも、所持品にも彼女の血はついてなかった」

「捨てたのかも?」

「ゴミ捨て場、宿の中、探したけど、何も出てこなかったよ。お前らが到着するまでの間、俺と応援で到着した奴らでしらみつぶしに探したのさ……」

「ヴィラちゃんが手伝わなかったから、ムカついてんだろ?」


 そうだ! あいつは帰ってきていない! 職務放棄とみなす!


 俺が黙っていると、アーロンは苦笑しながら口を開いた。


「じゃあ、宿の主人とぶつかりそうになった男、裏口から逃げたっていうそいつを追うのか?」

「探したところで、このベオルードに住んでる人間がどれだけいるって思ってんだよ? エバー氏に尋ねるさ」


 あっさりと言った俺に、友人は目を丸くした。


 俺は、運ばれてきた水のグラスを手にとり、喉を潤して説明する。


「まず、あの日は医者の他に宿泊客がいなかったし、医者は何も知らなかった。あのエバー氏の言うことが証言の全て……となってしまうが、彼はおかしなことしか言っていない……いいか? あの主人は左脚が悪い。階段を駆け下りる音を聞いてから部屋のドアを開けたら、男とぶつかりそうになった……三階から一階へ、その犯人は急いでいたに違いないし、駆け下りたはずなのに、脚が悪い男がドアを開けるまで、待ってやっていたことになる」

「……あの男、誰かをかばっているわけだな? それとも、エバー氏が犯人ということはないか?」


 俺は、その可能性は否定した。


「いや、あの足跡は、足を引きずっていない。エバー氏がつけた足跡なら、片足の跡は引きずられているはずだ……細工をするのも、あの足では難しい。そもそも、エバー氏が犯人なら、医者を起こして詰所に走らせる必要がない。エバー氏にとっても、昨晩の出来事……今朝かな? どっちでもいいや、この事件は突然の出来事だったんだよ……で、とにかく犯人を逃がして、詰所に知らせた……」


 俺の考えに、アーロンは呆れたように俺を見て口を開いた。


「おいおい……そうなら、エバー氏の知り合いってことになるが……本当にそうか? 急いで逃げていったっていうのが、本当に本当ってことはないか?」

「あの殺害現場だぞ? エバー氏が言った、逃げていった男の行動は辻褄があわないだろう? お前が言ったんだぞ、殺した後に裂いたって……」

「たしかに、殺してから裂いて、撒き散らして……その後に興奮が覚め、我にかえって怖くなったということもあるかな?」

「それならば、やはりエバー氏の証言はおかしい。悲鳴が聞こえてから、エバー氏が階段を駆け下りる音を聞いた時間というのは、変態が死体を裂いていた時間……けっこうな時間が経過しているってことになる……それに、三階から一階へ、階段を駆け下りるのに、どれくらいの時間がかかる? 大人の男が……十秒? 二十秒? エバー氏がベッドから起き上がり、左脚を引きずりながら頑張ってドアにたどりつくまで何秒だ? そもそも、一階のエバー氏が目覚めるほどの悲鳴を、二階の医者が知らないってのがおかしいだろ? 悲鳴は、なかったと思うんだ」

「じゃぁ……犯人はエバー氏……の知り合い……てことになるな?」

「ああ……その筋で調べるのが早いと……きたきた」


 料理が運ばれてきた。


 うまそうな香りだ!


「仕事の話は、食事中はなしにしよう」


 アーロンに、俺も同意見だ。




 -・-・-・-




 午後になり、オフィスに戻ると上司に手招きされた。


 室内に残っていた他の課の捜査員たちが、チラチラと俺を見ている。


 ……これはあれだ。


 ヴィラ・グラムドゥテルが今朝の出来事を、おかしな方向に大きくして、話したことで、俺は彼女に変態じみた発言をしたクズ野郎ってことになっているに違いない……。


 あのクソ女め! と思いつつも表情には出さず、上司――アリ・ヴィダル大尉の前で敬礼した。


 大尉は、背が高く身体はゴツイ人で、この人の前に一般人が立つと、それだけで心拍数があがるだろう。俺たちグラミア人は白色人種が多いが、彼は黒色人種だから、移民の子、あるいは子孫であると思って間違いない。


「休め」


 休めの格好をすると、デスクに前のめりとなった大男である上司が腕を組み、口を開く。


「ヴィラ・グラムドゥテル少尉は、正式に首都警備連隊西区第二分署の捜査一課一係……つまりお前の相棒バディとなる」

「はぁ!?」


 素っ頓狂な声を出してしまった。


 予想とは違うことを言われて、それも楽しみにしていた異動……自分のことではないが、それがなくなったと言われたのだから無理はない。


「ほ! 本当ですか!?」


 慌てた俺は、ヴィダル大尉に睨まれた……。


 咳払いして、直立する。


「休め」


 休めの格好をすると、ヴィダル大尉が言う。


「不都合があるのか?」

「ありません!」

「よろしい。お前には、グラムドゥテル少尉の教育係をしっかり務めてほしいという上の判断だ」

「……発言してもよろしいでしょうか?」

「かまわん」

「私は彼女から嫌われておりますので、教育係にはふさわしくないと思います。他の、ふさわしい優秀な人物に任せるべきと考えますが?」

「お前しかおらん」

「……」

「リュゼの英雄殿に、引き続き、是非とも、彼女を教育してやってほしい……と、先ほど指示を受けた。署長も、ずっと上の決定だと仰っている……リュゼの英雄は、お前しかおらんだろう?」

「……」

「おらんだろう!?」

「は! おりません」

「よろしい」

「は!」


 敬礼をして、自分のデスクに戻るも座らず、椅子にかけてあった襷掛け鞄をつかみ、オフィスを出る。


 当直勤務の次の日は休みという決まりなので、昼まで働いた後は明日の午後まで休めるからだが、ヴィダル大尉に声をかけられた。


「グラムドゥテル少尉は、退役軍人支援部に記録を調べに行っているぞ」

「は……ありがとうございます」


 手伝え、ということなんだろう。


 あんまり、寝てないんだけどなぁ。


 げんなりとして、オフィスから出ようとすると二係のウェズレイに声をかけられた。


「うらやましい。代わってほしいよ」

「代わりたいよ」

「テれ隠しか?」

「本心だよ」


 本心だ。


 本当に、代わってやりたい……。




 -・-・-・-




 リュゼの英雄。


 呼ばれ始めた頃は誇らしかったし、嬉しかった。しかし、いつからか煩わしく感じるようになってしまった。


 二十二際の頃、俺はリュゼ地方を巡るスーザ教国との戦争――リュゼ戦争に参加していた。この戦争は、我が国が大きな損害を出しながらも、なんとか防衛に成功し、反転攻勢から占領されていた地域を取り戻すこともできたものだ。


 三年間、戦い続けた。


 俺は金獅子勲章三回、雪豹ユキトパスカル勲章二回を受ける活躍をし、終戦後に名誉睡蓮勲章をいただくに至った。


 名誉睡蓮勲章とは、グラミア・アラゴラ・オルビアン連合王国の王陛下から、直接授与される最高の勲章だ。そして俺は、授与された時二十七歳だったので、史上最年少記録をつくった。


 王陛下から、リュゼの英雄、と呼んで頂いたのがその時で、それを新聞各社が広めた結果、俺は英雄となったのである。当時の式典では、王陛下ご夫妻と並んで記念撮影の後、王子殿下や小さな王女殿下とも挨拶をして、王女殿下からは「大きくなったらお嫁さんにして」と言われて、記者達が喜ぶ記事となった。


 時の人となり、有頂天となり、いい気になった俺はチヤホヤされて……はっきり言って、イヤな奴になっていた。


 多くの人が俺に群がったと同時に、もともとの友人たちはほとんどが離れていったし、恋人も去っていった。


 ひとつ、学んだのは、そういう時に近づいてくる相手は要注意、ということだ。


 活躍して認められて、いい気になって失敗した俺だったが、幸いなことに、リュゼ地方で戦っていた時の上官であるヴィダル大尉が、救いの手を差し伸べてくれたことで、酒と薬に溺れて死なずに済んだと思っている。


 だから大尉には、頭があがらない……。


 楽しみにしていた彼女の異動がなくなっても、直立不動で、はい! と言うしかない……。


 ため息をつきながら、支援部のオフィスが入る合同庁舎――西区第二分署から徒歩数分の距離だ――の三階フロアに入ると、男どもが遠巻きにしている銀髪の後ろ頭があった。


 この国でも、銀髪は珍しいからすぐにわかる。


「グラムドゥテル少尉」


 声をかけると、彼女が肩越しに俺を見て、周囲の男たちも俺を見た。一方でフロアにいる女性たちは、そっぽを向いている。これは、気に入らねぇという意思表示であるが、その気持ちはよぉくわかる!


 俺は、君らとは違う意味で、この女は気に入らない。


 同僚に近づくと、男たちがごまかすように「さ、仕事だ、しごと」「書類を整理しないと」などと言いながら、離れて行った。


 俺は彼女が陣取るデスクの対面、にも行かず、彼女の隣、にも座らず立ったまま彼女が広げていた資料を眺めた。


 ハモン・エバーの情報が記されている頁だ。


「ヴィダル大尉から、君がここにいると聞いた。手伝いはいるか?」

「必要そうに見えますか?」


 こいつは!


 いや、我慢だ……あと数日の我慢と思っていたのに……俺が異動願いを出すしかないのだろうか。


 彼女は、ハモン・エバーの退役時に支払われた見舞金の額を指さしながら、俺を見上げて口を開く。


「いらしたのであれば、座ってください」

「……」


 無言で、対面に腰掛けた。


 ヴィラが、資料を俺に見せるように向きを変えながら言う。


「この額でどうしてあの宿を買えたのでしょう? あの後、現場近くの不動産屋に確認しましたら、あの建物と土地を買うには想定金額五〇〇〇万リミエはくだらないそうです。見舞金は一〇〇〇万です……たくさんの蓄えができるほど、彼の軍人時代の給与は多くありません」


  座ってください……意外だ。いや、それはどうでもいい。俺は、どうして彼女が、エバー氏が建物を購入したと決めつけているのかと不思議に思った――というのも、俺は相続なりで継いだと思っていたし、古い建物をわざわざ買う気持ちがわからなかったからだが、彼女が広げる資料の隣にあるメモ書きを見て理解できた。


 どうやらヴィラは、不動産屋に行った後に、法務局で謄本を調べたのだ。国内の大都市においては、不動産の所有者は所有権を法務局に登録して初めて権利を得るという法律がある。その記録を保管しているのが法務局で、お金を出せば誰でも見ることができる。


「相続ではなく?」


 俺の問いに、彼女はうなずく。


「はい。西区法務局で調べました。所有権移転理由は売買です。前の所有者は個人で、近くに住んでいたので訪ねましたが、なんら怪しいことはありません。事件のことも、騒ぎになっていた後に知っていました……この売買取引そのものは過去のことですし」


 どうして、あんな古い建物を買った? 退役した後の生計にしようってんなら、もう少しいい建物を買えばいいじゃないか? しかしあの建物が五〇〇〇万とは、ベオルードの不動産は値上がり著しい……不景気なのに、不動産は好調なのか……歪だな。


「もう少しマシな建物を買えばいいのにな」

「ベオルードでは、投資目的の不動産売買が今は盛んです。ご存知ないんですか?」


 悪かったね……。


 彼女は表情を変えず、説明を続ける。


「ベオルードでは古い建物でも利回りで稼ぎつつ、時期をみて売れば利益がでると知っていましたが、不動産業者でそれは間違いないとわかりました。ベオルード、キアフ、オルビアンは不動産価値が下がらないことで有名だそうで……それを狙ったのかは本人に聞くしかありませんが、そういう目的で購入したのであれば、今、売ったとしても利益は出ると思います」

「君は、どうしてエバー氏を調べている?」


 俺の質問に、ヴィラは資料を見つめながら答える。


「逃げていった男を、彼しか見ていません。そして、ドアを開けて見たとはいうものの、追わずに三階に向かっています。普通、追いかけようとしませんか? 脚が悪くて、諦めたとしても……自分の宿に不審者がいたんですから……」

「……」

「周辺の聞き込みを、制服組の方々がしてくださいましたが、早朝のことで……ともかく、逃げた男はいたのだろうか? と疑問に思い、エバー氏を調べてみようと思いました」


 制服組……兵士たちのことを、こう呼ぶのは士官学校出の悪い癖だな。


「男は、いたのか? ということ?」

「はい。どう思いますか?」


 俺は、アーロンに話したことを彼女にも伝えたうえで、考えを述べる。


「逃げた男は本当にいたのか? ……これは足跡がひきずられていないことから、いたのではないかと俺は思う。ただ、逃げた男をエバー氏はかばっているという君の考えには賛成だ……とすれば、どちらにせよ、彼を調べれば答えに近づく」


 ヴィラは、長い睫毛をパチパチとして俺を見ると、微笑んだ。


 微笑んだ!?


 鉄仮面みたいな顔しか、見せてこなかった女が……。


 どういう意図だ?


 よけいに、怖いんだけど……。


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