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殿下と男爵令嬢は只ならぬ仲⁉

 十歳の時。

 私、モリス公爵の娘セリーナは、同年で、王太子のブライアン殿下と婚約した。


 初めて庭園で対面したブライアン殿下は、王子教育の賜物か、礼儀正しく紳士的で、年齢よりも大人びて見えた。


 風で(なび)く、色素の薄い金色の髪は、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。

 私を映す青い瞳は、透明度の高い湖のように美しく、整った顔立ちは、まるで絵画に描かれている天使のよう。


 同じ人間とは思えない程、美しい容姿から放たれる微笑みの破壊力は、凄まじかった。


 ブライアン殿下に必要とされたい。


 一目惚れした私は、王太子妃になる覚悟を決めたのだった。


 婚約してから始まった妃教育は膨大で、教育係は思ったよりも厳しかった。

 自室で一人になった時は、辛くて何度も涙を流していた。


 それでも人前では、淑女として微笑みを絶やさず、王太子の婚約者として相応しい振る舞いを心がけた。


「セリーナはよく頑張っていると、教育係が褒めていた。私も負けていられないな」


 いつだったか、私の努力をブライアン殿下が認めてくれた時は、とても嬉しくて、思わず涙が零れてしまった。


 ブライアン殿下との仲は良好で、十五歳になり、王都の学園に入学してからも、ブライアン殿下との関係は良好なまま、穏やかな学園生活を送っていた。


 一年後、キース男爵令嬢こと、クインシア様が首席で入学してくるまでは……。


 ある日の放課後。

 楽し気に話す声がして、ふと中庭に目を向けた。


「ブライアン殿下、今日は町に出掛けましょう!素敵なカフェがあると、彼らが教えてくれたのです。皆で行きましょう!」

「カール公爵令息に、グロウ侯爵令息、テヘラ伯爵令息もか。良いだろう」


 クインシア様が、ブライアン殿下の腕に自らの腕を絡ませて、三人の令息達と楽しそうに話している。

 その様子を二階の渡り廊下から眺めつつ、思わず首を傾げた。


 妃教育で貴族年鑑を丸暗記した私の記憶では、子沢山で有名なキース男爵家の子供は、上からメリソン、マルセン、ミミリー、ロベント、シューマー、セブラム、ジェミーの七名で、クインシアという娘はいない。


 それに、赤色の髪と瞳をした男爵、茶色の髪と青色の瞳をした男爵婦人の子供達は皆、両親の色を受け継いでいる。


 一方、クインシア様は、ピンク色の髪と美しい翡翠色の瞳で、キース男爵家には無い色をしている。とは言え、養子の可能性もある。


 けれど、男爵令嬢にしては、ブライアン殿下や他の高位貴族に対する態度が、気安過ぎる。


 学園の教育方針は『身分を越えた交流により視野を広げ、柔軟な考えを持った優秀な人材を育てる』と募集要項に記されていた。

 だからと言って、貴族社会や紳士淑女としてのマナーを無視して良い訳ではない。


 婚約者がいる相手に対して、過度な身体接触をするべきではないし、婚約者を差し置いてデートに誘うなんて、言語道断。だと言うのに、入学してから一週間の間に何があったのか、クインシア様は婚約者がいる令息達に頬を染められ、ただならぬ仲になっていた。


 それだけではない。

 人目も気にせず、ブライアン殿下の腕に自らの腕を絡ませて、堂々と学園内を歩く姿を見かけるようになった。


 いくら学園の方針で、『身分を越えた交流』とは(うた)っていても、生徒達はそれなりに弁えている。

 その中で、男爵令嬢のクインシア様は、あまりにも自由で堂々としていた。


 クインシア様が入学してから、十日ほど経ったある日の放課後。

 下校の為、二階の渡り廊下を歩いていると、中庭の方から令嬢の怒声が聞こえた。


 何事かと目を向けると、婚約者に手を出されたと主張する複数の令嬢達が、ご立腹な様子で、クインシア様を囲んでいる。


 よく見れば、令嬢達は男爵家のクインシア様より家格が上だった。


 家格が上の令嬢に囲まれて文句を言われれば、普通は萎縮してしまうのに、クインシア様は萎縮するどころか、余裕の笑みさえ浮かべて、全く動じていない。


 大丈夫そうだけど、仲裁に入ったほうが良いかしら。


 取り敢えず中庭へ向かったけれど、到着してみれば、既にクインシア様や令嬢達の姿は無かった。


 翌日。

 何となく気になって、昨日見かけた令嬢達を観察してみた。

 何があったのか、彼女達はクインシア様を避けて、気まずそうにしている。


 それとは別に、クインシア様に対する、ブライアン殿下の態度にも違和感があった。

 常にクインシア様と一緒にいれば、噂の的になると分かる筈。


 既に学園内では、私達の仲が不仲だとか、婚約破棄間近とか噂されている。


 噂は、ブライアン殿下の耳にも入っている筈なのに、火消しする素振りも無く、クインシア様と堂々と行動を共にしている。


 もしかしてクインシア様は、王太子であるブライアン殿下が気を遣わなければならない身分の方?


 王族がお忍びで遊学するのは珍しく無い。

 入学当初は、クインシア様があまりにも奔放なので、淑女教育を受けていないのかと思っていた。


 けれど、挨拶している時や、ブライアン殿下と二人でランチ……は到底許せないけれど、カトラリーを扱う手つきや、何気なく出る所作は、ブライアン殿下と同じくらい洗練されており、幼い頃から教育され、努力して身に付けたと分かる。


 クインシア様を見ていると、男爵令嬢のふりをした、他国の王女と言われる方がしっくり来る。

 確か、隣国の王族は、クインシア様と同じ、美しい翡翠色の瞳をしていたと記憶している。


 お兄様なら、何か知っているかも。

 昼時の今なら、大丈夫よね。


 ブライアン殿下が、クインシア様と二人でランチをしている隙に、学生寮へ向かった。


 学園は全寮制で、王太子であるブライアン殿下も寮生活をしている。

 部屋は基本的に個室で、使用人や従者の部屋もあり、ブライアン殿下の個室には、側近を勤める私のお兄様が常に待機している。


「クインシア嬢が王女ねぇ……。ブライアン殿下が何も言わないなら、俺から言える事は無いよ」


 お兄様の口振りから、ブライアン殿下は、私に何か隠していると確信した。

 お兄様が教えてくれないなら、今は何か理由があって、言えないのかもしれない。


 ブライアン殿下を信じて、話してくれるまで待っていた。

 けれど、一ヶ月が過ぎても、ブライアン殿下は何も話してくれない。


 私は信用されていない?


 不安に思っている時、友人から言いにくそうに言われた。


「毎晩、クインシア様が、ブライアン殿下の個室に入り浸っているそうよ。見間違いではないかって、何度も確認したのよ。でも、何人も目撃者がいて……」

「そう、ブライアン殿下に直接確認してみるわ」


 ブライアン殿下が、私以外の令嬢を部屋に招くなんて、今まで一度もなかった。


 それについて、お兄様が黙認しているなんて、それだけクインシア様はブライアン殿下にとって、特別な存在ってこと?

 陛下も認めている仲なのかしら。


 ブライアン殿下と二人で話したくても、常にクインシア様と行動を共にしているせいで、話しかけられない。

 結局、話す機会を得られないまま、一学期が終わってしまった。


 明日から夏季休暇に入る。

 寮生は自邸に帰らなければならない。

 ブライアン殿下も既に宮殿へ戻っている。

 幸いにも明日、私は宮殿で妃教育を受ける予定になっている。


 妃教育の後、ブライアン殿下と二人で話せるよう時間を取ってもらおう。


 決意を胸に、翌日、妃教育に臨んだ。


「本日で妃教育は終了です。よく頑張りましたね。さあ、サロンへ行って下さい。頑張ったご褒美に、ブライアン殿下が、お茶とお菓子を用意して待っておりますよ」


 私の為にブライアン殿下が、お茶会の準備をしていたなんて。

 その気持ちが凄く嬉しい。

 ああ、やっと二人きりでお話が出来る。


 教育係に促されて、足早にサロンへ向かった。


「ブライアン殿下、お待たせしました」


 サロンに入室して、目の前の光景に愕然とした。

 ブライアン殿下とクインシア様が、お茶をしている。


 宮殿のサロンで、男爵令嬢が婚約者のいるブライアン殿下と二人きりで、お茶をするなんて、あり得ない。


 やっぱりクインシア様は……でも、気付きたくない。


「お二人は、大変仲が宜しいのですね」


 つい、嫌味を言ってしまった。


「いや」

「そうなの!ブライアンったら、私が他の令息と仲良くしようとするとね、怒って引き止めるのよ。私もやぶさかでは無いから良いのだけど」


 うふっと微笑むクインシア様の笑顔を、直視出来ない。


 だって、私が他の令息と仲良くしても――とは言っても節度ある範囲だけど――ブライアン殿下に引き止められた事等、一度も無いから。


 それに、ブライアン殿下を呼び捨てしたり、話を遮っても許されるなんて、同じ王族か余程親しい間柄に限定される。


 クインシア様が、ブライアン殿下にとって特別な存在だと、嫌でも分かる。

 他国の王女か、公爵令嬢。結婚するならば、王女の方が政略的に考えてメリットは大きい。


 きっと近い内に、私は婚約破棄されてしまう。

 勝ち目は無くても、足掻くくらいはしたい。


 クインシア様の隣にある椅子へ腰掛けて、視線を合わせる為、クインシア様へと体を向けた。


「クインシア様、私はブライアン殿下が好きです。例えブライアン殿下の心が、クインシア様に傾いていて、婚約破棄されるとしても。ですが、まだブライアン殿下の婚約者は私ですから、どうか、ブライアン殿下に触れないで下さいませ。お願いいたします」


 ずっとブライアン殿下を想っていただけに、声が震えて涙で視界が歪む。


「セリーナ、私は――」


 ガタッと席を立つブライアン殿下が気になって、そちらに顔を向けようとしたら、クインシア様の両手に左右の頬を包まれて、阻止されてしまった。


 クインシア様の美しい翡翠色の瞳が、私の顔を観察するように、じっと見つめてくる。無言で。


 気まずい。これは、いつまで続くのかしら。


「あの……」

「ああ、なんて健気で可愛いひと」

「え!?」


 目尻に、口付けされた。

 涙を吸い取るみたいに……。


「お前なぁぁぁ――――本当、いい加減にしろ!!」


 今まで聞いたことも無い、地を這うような低い声がブライアン殿下から発せられて、驚いた。


「わっ!待て待て!唇は避けたでしょ!」

「は?唇を寄せた時点で死刑だ!」


 バッと席を立ち、後退りしているクインシア様の胸倉を、ブライアン殿下が掴んで投げた。


 投げた!?


「ブライアン殿下っ!女性に対して何て事を!大怪我をしてしまいます!」


 無事かを確認する為、クインシア様に駆け寄ろうとしたら、ブライアン殿下に阻まれた。


「大丈夫だ。アレは身体能力が高いし、女じゃない。隣国メイラ王国の第三王子だ」

「え!?」

「も~。ブライアンは、本当に私の扱いが酷いよね~」


 床に転がったクインシア様が、どういう動きをしたのか見逃したけれど、華麗に立ち上がって、制服を整えている。


 学園が終わったのに、何故制服を着ているのか、今更気になり始めたけれど、取り敢えず無傷みたいで、ほっとした。


 それにしても、本当に王子?


 驚いてクインシア様を凝視してしまう。


「因みに、クインシアは仮の名前で、本名はクインスね」


 クインシア様。ではなく、クインス殿下に可愛らしくウインクされた。


 凄い。どこからどう見ても、令嬢にしか見えない。


「あの、事情を伺っても?」


 ブライアン殿下を見れば、しっかりと頷いてくれた。


 ******


 半年ほど前、私は国王である父上の執務室に呼び出された。


「メイラ王国の第三王子クインスが、我が国の王立学園に、三ヶ月ほど遊学すると決まった」


 隣国メイラ王国の王公貴族は、全て家庭教師から教育され、わが国のような学園制度がない。


 よって、我が国の学園で、様々な身分の生徒と接し、見識を広げる為の遊学らしい。が、それは表向きの理由だろう。


 いつだったか、我が国と友好関係にあるメイラ王国へ外遊した際、第三王子のクインスに会ったが、そんな真面目な考えをする人間ではなかった。


 脳ミソは恋愛で占められており、好みのタイプを見つけると、直ぐに突撃して行く。

 そして、キス魔だ。


「ブライアンの顔も好みだよ」


 なんて言いながら迫って来る始末で、私がいくら冷たい態度をとっても、全く気にしない。

 クインスについて、個性的で暑苦しい厄介な奴、という記憶しかない。


「あと、第三王子は身分を隠して学園生活を送りたいそうだ。学園の生徒に知られないよう、サポートしてやれ」


 父上に命令されれば、従うしかない。

 学園の生徒には、婚約者のセリーナも含まれている。

 つまり、クインスが帰国するまで、セリーナに真実を伝えられない。


 それも三ヶ月の我慢だ。と自分に言い聞かせて、クインスを受け入れる準備に取り掛かった。

 他の生徒が違和感を持たないよう、子沢山で有名なキース男爵家の名前を借りる手筈になった。


 新年度が始まる四月に新入生として入学させ、家庭の事情を理由に、夏季休暇に入ったら学園を辞める設定だ。

 一般生徒と同様に入学試験を受けさせたら、主席で合格していた。


 クインスは、性質に難ありだが、文武両道で、社交性が高い。背は若干低めだが容姿は良い。


 なるべく目立って欲しくないが、入学早々、目立ちそうな予感がする。


 そして、入学式前日。

 クインスが私の滞在している学園寮にやって来た。


 王立学園の生徒は、寮生活が基本となっている。

 学園内で唯一事情を知る理事長の計らいにより、クインスの個室は、私の個室がある寮棟内に用意されていた。


「ブライアン、久しぶり。夏季休暇まで、よろしくね」


 微笑むクインスの姿に面食らった。

 ピンク色の長髪は、三つ編みのハーフアップにアレンジしてあり、顔にはメイクが施されている。

 着用している制服は女生徒用で、明らかに胸元が膨らんでいた。


 どう見ても令嬢にしか見えない王子のクインスが、くねくねしながら、私の腕にまとわり付いてきた。

 押し付けられる胸?の感触に違和感しかない。


「まさか女装して学園に通うつもりか?」

「似合うでしょ?折角だから、普段と違う自分になりたくてね。惚れた?」

「惚れるか」

「そうだ!ブライアンの婚約者、セリーナちゃんだっけ?会わせてよ。是非仲良くなりたいな」

「嫌だ。絶対近寄らせない」


 そこはハッキリ言っておく。

 クインスの恋愛対象は、美形ならば男女どちらでも良いらしく、キス魔な所が最も厄介だ。


 気に入ると男女関係無く、直ぐに口説いて口づけしようとするから、犠牲者が出ないよう、常に監視しなければならない。


「どんな出会いがあるのか、明日から楽しみだよ」


 この自由人が何を仕出かすか、私は気が重くて仕方がなかった。


 取り敢えず入学式が終わり、数日経った。

 クインスとは学年が違うので、常に一緒にいられないものの、寮棟は一緒の為、毎夜呼び出して話を聞いていた。


「学園生活って最高だね。仲良しの人が沢山出来たよ」


 どうやら上手くやっているようだ。

 流石に入学早々は、やらかさないか。


 クインスの報告を聞いて、安心していた矢先、令嬢達の噂話が耳に入ってきた。


「キース男爵令嬢ったら、次々に令息を誘惑して、しかも、婚約者がいる方にまで手を出しているそうよ」


 キース男爵令嬢とは、クインスの事だ。

 まだ入学して十日だぞ。この短期間で噂になるとは、肉食過ぎるだろう。


 放課後。

 事情を聞く為、クインスを探していたところ、中庭で険悪な空気を纏う令嬢数名に囲まれているクインスを発見した。


 婚約者に手を出された令嬢達はご立腹のようだが、令嬢達の容姿が好みなのか、クインスは生き生きした顔をしている。


 今はまだ令息だけで済んでいるが、今後、令嬢にも手を出し兼ねない。

 全速力で現場へ駆けつけ、呼吸を整えてから偶然を装ってクインス達に近付いた。


「これは済まない。通りかかっただけだから、話を続けて」

「ブライアン殿下!いえ、もう、終わりましたわ。ねぇ」

「ええ。では、失礼致します」


 逃げるように令嬢達は去った。


「あーあ、彼女達とも仲良くなれるチャンスだったのに~」


 残念そうにするクインスを睨んだ。


「だって、この学園、美形が多いから、つい、ね?でも、口づけ以上はしてないよ?」

「当たり前だ。口づけ自体するな。風紀が乱れる」

「口づけなんて挨拶だよ?」

「男爵令嬢は挨拶で唇に口づけしない。今後、お前は私から離れるな」

「何、その口説き文句。素敵!もう、離れない。離してあげない」


 クインスが腕に抱き付いてきた。ウザい。

 どうせなら、セリーナに抱き付かれたい。


 セリーナを恋しく思いながらも、これ以上被害者が増えないよう、監視と風紀の為、出来るだけクインスと過ごさざるを得なくなった。


「ブライアン殿下はキース男爵令嬢に心変わりしたようですわ」

「では、セリーナ様とは、婚約破棄されるのかしら?」

「キース男爵令嬢を側室に迎えるのではないかしら。男爵令嬢が正妃はあり得ないでしょう」

「ブライアン殿下は遊んでいるだけで、直ぐに飽きるさ」

「セリーナ嬢はお堅そうだから、心変わりも仕方がないね」


 令嬢、令息共に言いたい放題だ。


 コイツは男で隣国の第三王子だ!

 お前達の貞操を守る為に、私がセリーナと過ごす貴重な時間を犠牲にして、コイツを見張っているだけで、私は何も疚しくない。


 私が愛するのは、婚約した時から、ただひたすらに私を支えようと努力しているセリーナだけだ。


 何度、心の叫びが口から出そうになったか知れない。

 だが、言うわけにはいかない。


 私の行動は誰が見ても、婚約者に対して不誠実だし、周りから好き放題噂されるだろうと、覚悟はしていた。


 ただ、何も事情を知らないセリーナは、理由も分からず噂の的にされ、辛い思いをしているだろう。

 申し訳ないが、クインスが帰国する夏季休暇まで辛抱して貰うしかない。


 ストレスを抱えつつ、漸く夏季休暇になった。

 やっとクインスから解放される。

 この三ヶ月間は、本当に長かった。


 セリーナに愛想を尽かされたのではないかと、内心気が気じゃない。

 ちょうど明日は、宮殿に妃教育を受けにセリーナが来る。

 労いを兼ねて茶会を開き、事情を話そうと決めていた。


「その茶会、私も参加したい。最後くらい、婚約者のセリーナちゃんに会わせてよ。別れの挨拶位は良いでしょ?」


 気は進まないが、クインスは一応賓客だし、帰国前に挨拶をするくらいなら許してやろう。

 そう思って、クインスとセリーナを茶会で会わせた。が、私の考えが甘かった。


 アイツは最後の最後にやりやがった。

 私もまだなのに、目じりとはいえ、セリーナに唇を寄せるとは!


 私は怒りを抑えられず、思わずクインスの胸倉を掴んで投げ飛ばした。


 穏便にクインスをセリーナに紹介して、ゆっくりと事情を伝えるつもりが、クインスのせいで滅茶苦茶だ。


「あの、事情を伺っても?」


 戸惑うセリーナに頷いて、私は口を開いた。


 ******


「さっきも言ったが、コイツは、メイラ王国の第三王子だ。お忍びで遊学に来たが、キス魔で、好みなら性別問わず手を出す問題児だから、セリーナを近付けたくなかった。クインシアがメイラ王国の第三王子クインスだと、何度叫びたくなったことか」


 余程ストレスがたまっていたのか、ブライアン殿下がクインス殿下を睨んでいる。


「今日帰国するから、セリーナ嬢に一言挨拶させてもらいたくてね。ブライアンが全然会わせてくれないから、仲良くなれなくて、本当に、残念だったよ」


 私に近づくクインス殿下の前に、ブライアン殿下が立ちはだかった。


「お前の仲良くは、いかがわしい。やはりセリーナを近付けるべきではなかった」

「ブライアン、ずっと一緒にいたのに、まだまだ私を分かっていないよね」

「はっ、これ以上、お前の事なんて、分かりたくもない」


 そっぽを向くブライアン殿下の塩対応に、クインス殿下は全く気にしていないのか、楽しそうにニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべ、おもむろにブライアン殿下の胸倉を掴んで引き寄せ、その唇を奪った。


 !?


 殿下二人のキスシーンを目の前で見た私は、驚きすぎて言葉を失った。

 ブライアン殿下の胸倉から手を離したクインス殿下が、勝ち誇った顔で微笑む。


「私はブライアンも好みだと言ったよね」

「クソッ!ずっと躱していたのに!」


 ブライアン殿下が、怒りの形相で唇を拭っている。


「じゃ、またね。お陰で楽しい遊学だったよ」


 クインス殿下は、ペロリと舌を出して、手を振りながら、脱兎の如くサロンを退室した。


「あのキス魔、本当に油断も隙もない。だが、漸く解放された」


 気が抜けたように、ブライアン殿下が椅子に腰かけたので、私も隣の席に座った。

 紅茶はすっかり冷めている。


「侍女に紅茶を入れ直させよう。今日はセリーナとゆっくり過ごす為に準備した茶会だからな」

「ありがとうございます」


 ブライアン殿下が侍女を呼んで、温かい紅茶が提供された。

 テーブルに並ぶスイーツは、私の好きなお菓子ばかりが並んでいる。


 ブライアン殿下の気遣いを嬉しく思いつつ、申し訳ない気持ちで一杯だった。


「私ったら、ブライアン殿下の苦労も知らず、気持ちを疑ってしまいました。ご免なさい」

「謝る必要はない。事実を隠して疑われても仕方のない行動をしていたのは私だ。愛想を尽かされたのではないかと気が気では無かったが、杞憂で良かった」


 久々に穏やかな表情のブライアン殿下を見た気がした。

 今思えば、男爵令嬢に扮したクインス殿下といる時、ブライアン殿下は、常に張り付けたような笑顔をしていた。


 そんな事にも気付けないほど、私は冷静ではなかったのだと思い知らされる。


「私はブライアン殿下の婚約者として、まだまだですね。今回はクインス殿下に、私達の絆を試された気分です」

「確かに。私はセリーナに真実を伝えられなくても、気持ちは伝えるべきだった。会えなくても方法は色々あったのに、それを怠ってしまった。不安にさせて、済まなかった」


 ブライアン殿下の手が頬に伸びて来て、クインス殿下が唇を寄せた目尻を親指で優しく拭われた。


「好きだよ。誰にも触れさせたくないくらいに」


 クインス殿下の痕跡を消すように、私の目尻にブライアン殿下の口づけが落とされた。



 夏季休暇が明けて、二学期が始まった。

 キース男爵令嬢は、家の都合で学園を辞めたと伝えられ、平和な日常が戻る、ほど簡単ではなかった。


 男爵令嬢のクインシア様が、メイラ王国の第三王子クインス殿下とは知らず、唇と心を奪われ、婚約者を放置していた令息達は、手の平を返したように婚約者に謝り倒し、必死にご機嫌取りをする様子が、あちらこちらで見られた。


「ブライアン殿下もあの一件で、セリーナ様のご機嫌取りに必死なご様子。暫くはセリーナ様の尻に敷かれるのでしょうね」


 事情を知らない生徒から見れば、私と一緒に過ごしているブライアン殿下の言動が、他の令息と同様に様変わりして見えるのも仕方がない。


 何故なら、私と接するブライアン殿下の距離が、以前よりも近くて、私への視線や言葉が矢鱈と甘くなっているから。


「私は一度だって心変わりしていないのに、他の令息と一緒にされるのは心外だ。でも、尻に敷かれているのは、あながち間違いではない。ほら」


 放課後の生徒会室で、椅子に座るブライアン殿下は、恥ずかしがる私を抱えて自分の膝に乗せている。


「これは敷いているのではなく、乗せられているのです」

「知ってる」


 ブライアン殿下が悪戯っ子のように、楽しそうな表情をして笑った。

 私にしか見せない、心からの笑顔で……。


最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

楽しんで頂けたなら幸いです。

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