茶々編 〜全てを奪い、与える者よ〜
茶々の生涯の北ノ庄城落城~鶴松の懐妊までを描いた作品です。
「嫌だ! 義父上! 母上!」
「浅井のために……頼みました」
「お主らだけは……生きよ」
義父上は、配下の者に目配せした。
それを合図に、配下の者は私たちの腕を掴んだ。
半ば無理矢理外に繋がる門に引っ張られる。
「嫌だ! 離して! お願いだから一緒に来てください!」
義父上と母上は何も言わなかった。
ただ、私たちを静かに見送るだけ。
「嫌だ!」
私の名は浅井茶々。
浅井長政と市の娘だ。
二人の間に生まれ、暫くは平穏に暮らしていたが、父上が織田を裏切ったことで居城である小谷城と共に父上は亡くなった。
父上を失った母上と私たちは、伯父上の織田信包様のところに匿われた。
その後、母上は柴田勝家様と再婚。勝家様は私たちの義父上となった。
しかし、すぐに義父上は本能寺で自害なされた織田信長伯父上の後継者争いで羽柴秀吉と対立。
それに敗れた義父上は私たちの母上と共に北ノ庄城で……
私たちは北ノ庄城から義父上からの命で脱出させられ、ただ燃え上がるそれを眺めているしかなかった。
ただ、そこで――
私は、二人の妹を腕の中に抱き、自分の無力さと親を失った悲しみに涙をこらえるしかなかった。
妹の名は初と江。
共に母上の娘だ。
腕の中から時折聞こえる鼻をすする音、嗚咽の声がさらにそれを煽った。
「義父上……母上……」
「う……うぅ……っ、姉上……」
「初……江……っ」
二人の妹が泣く様子を見ると、やはり私も辛い。
初を抱いていた手で目尻に滲んだ涙を拭うと、誓った。
父上、母上。
私は必ず妹たちを守り抜きます。
必ず浅井の血は絶やさせません。
そして、私たちの全てを奪った織田……そして、羽柴秀吉に復讐します。
秀吉だけは……絶対に……ッ!
それから私たちは秀吉に保護され、大坂城に送られ、丁重に扱われることとなった。
ただ、父、母、義父の仇の城の為、私たちは完全に気を抜くことはできなかった。
親兄弟を殺した張本人に恨みが無いわけがない。
それは、妹たち二人も同じだろう。
「姫様方」
ある日、私たちは廊下から女中に声を掛けられ、振り返った。
「何でしょう?」
「殿がお見えになり、姫様方との謁見を望まれております」
「……秀吉!」
最初に反応したのは私だった。
「姉上……いかがなさいますか?」
初が心配そうに私の顔を覗き込んできた。
妹二人は、私が「妹たちを守らねば」という責により、秀吉を自分たちより一層恨んでいることを知っているのか、秀吉の話題は慎んでいる。
そして、秀吉の話題になった時には決まって私の反応を伺う。
貴女たちは私が守る……だからそんな心配しなくていいのに……
声には出さなかった。
初の声に答えるように素早く立ち上がると、妹たちに言った。
「ここに住まわせてもらっている以上、謁見くらいには応えなければなりません。行きますよ」
「承知いたしました」
「こちらです」
私たちはその部屋に着くと、横に並び、ゆっくりと頭を下げた。
その先には、家族の仇。秀吉。
……私たちの全てを奪った上、私たちに頭を下げさせるとは……
私の頭は苛立ちと恨みの感情でいっぱいだった。
顔を上げる時、顔は動かさずに私の右隣に座る妹二人をちらりと見た。
二人とも少し不安げな表情だ。
それを見ると、私は睨みつけるようにして秀吉を見据えた。
「御三方とも、息災そうで何よりです」
秀吉の言葉一つ一つが、私にとっては煽りのように聞こえた。
会うだけでこれほど不快感を味わわせるとは……貴方が私に与えた傷は相当大きいようだな。秀吉。
江が恐る恐る口を開いた。
「して……何用でいらっしゃったのですか?」
秀吉は、その問いに人懐こい笑みを浮かべながら答えた。
「久々に御三方の顔を見たく。健やかでいらっしゃるか確認するために」
その言葉に江はひゅっと喉を鳴らした。
想定内ではあるようだが、想像した通りすぎて逆に想定外といった感じだ。
私は吐き気がした。
貴方が私たちの全てを奪っておいて、息災で何より? 健やかでいらっしゃるか確認する?
偽善に反吐が出る。
所詮は……
「所詮は織田の血でしょう?」
私は頭の中に浮かんだ言葉を吐き出すように秀吉に向けて断言した。
「私たちが貴方の仕えた殿の姪だからでしょう?」
秀吉はゆっくりとその視線を私に移した。
しかし、その顔には私の発言への苛立ちや怒りと云うのは見てとれなかった。
それが逆に神経を逆撫でた。
妹二人は、驚いた目線を私に向けた。
秀吉への恨みが募っているとはいえ、まさかそこまで言ってしまうとは。
構わず続けた。
「貴方が何か命じれば、それに従わなければならない。私たちも例外なくそうです。しかし、貴方は私たちの両親を殺した。それは戦国の世の常であり、仕方がないと言ってしまわれればそれまでです。しかし、それによって空いた傷は今も、これからも、遺り続けます。貴方がいくら私たちを丁重に扱おうと」
秀吉は黙って私を見つめた。
「私が貴方と話すことはありません」
素早く立ち上がると、部屋の戸の前に立った。
「お帰り下さい」
そう厳しく言うと、襖を開け、わざと音を立てて閉めた。
「「姉上!」」
妹たちの止める声が聞こえた気がしたが、無視を決め込んだ。
秀吉の偽善をいつまでも聞きたくはない。
その部屋から離れると、部屋にいた時の吐き気が少し収まったことが自分でも分かった。
ほんの少し安堵すると、そのまま私たちの居室に向かった。
少しすると、妹二人が部屋に戻ってきた。
「姉上、流石にあの態度はないでしょう!?」
「そうですよ! 仮にも私たちを保護して生活させてくれる方に、あの態度は……」
妹たちの言うことは分かる。
私の態度がありえないことだということも知っている。
だがどうしても、父上、母上、義父上の顔を忘れることはできなかった。
「分かっています。ですが……」
妹たちは私の心情を分かっていたため強く責めることはなかったが、心底呆れたような表情を見せた。
私は一つ咳払いをすると、少し気になることを妹たちに問いかけた。
「私が部屋に戻ってから少し時間がありましたが、その間、秀吉とどんな会話をしていたのですか?」
初が躊躇いがちに話し始めた。
「姉上……」
姉上が行ってしまわれると、その部屋は気まずい雰囲気となりました。
江と頭を下げながら、姉上の非礼を謝罪すると、秀吉殿は笑って許されました。
そして、私たちに改めて話し始めました。
「茶々殿はつれないですな。強情姫、と言ってしまえば本人に怒られるでしょうな。しかし、茶々殿のその顔は美しいですな。お市殿と比べても、鏡写しと思うくらいです」
急に姉上を母上と比べられて褒められたため、どう反応すればよいのか戸惑いました。
戸惑いながらも、私たちは黙って軽く頭を下げました。
秀吉殿はその反応に満足したのか、続けられました。
「ここだけの話、実は一時期お市殿に惚れていた時期もあったのです。急にお市殿と比べてしまって申し訳なかったですな。自害とはいえ、自分が殺してしまったようなものですからな」
秀吉殿の話し方は、どこか人を包み込むような雰囲気を持っていました。
秀吉殿は百姓の出らしいですが、ここまでのし上がった理由はその雰囲気にあったのかもしれません。
「そうですか……」
私は、そう返事だけして黙りこくってしまいました。
江は、亡き母の顔が姉上と重なったのか、顔を少し顰めていました。
部屋に沈黙が訪れると、秀吉殿がそれを破るかのように「では」と切り出されました。
「御三方とも健やかでありそうだということが分かりましたので、私はここで」
「はい、わざわざ来ていただいて、ありがとうございました」
私たちが出ていこうとすると、秀吉殿が突然何かを思い出されたかのように、「あぁっと、もう一つ、よろしかったか」と私たちを呼び止められました。
「茶々殿が『所詮は織田の血』と仰っておりましたが、あれは半分正しいです。ですが、今はそれ以上にお市殿と権六殿を、娘三人を逃がして自害するほどまでに追い詰めてしまったことを反省しています。例えそれが戦国の世の常だとしても。貴女方をここに保護しておりますのはそのような理由もありますので、以後、頭の片隅にでもそのことを置いて下さると幸いです」
秀吉殿は驚くほど真摯にそう語ってくださいました。
「承知致しました。姉にも伝えます」
私たちはそう秀吉殿に告げ、部屋から出ていく秀吉殿を見送りました。
「……以上になります」
「……そうですか」
秀吉……戯言ばかり並べて、それで私たちの心を揺るがせたつもりか!
ちゃっかり私のことも強情姫呼ばわりして……
それに、自分で殺しておいて何故母のことを語る……!
憎悪と苛立ちで体が強張った。
無意識に目を見開き、歯を強く食いしばっていた。
許すまじ……秀吉!
「あの……姉上?」
初の心配そうな声で我に返った。
「ごめんなさい。まだ何か?」
「いいえ、申し訳ありません。そこまで本気になるとは……伏せるところは伏せるべきでした……」
「いいえ……そもそも行くと決めたのは私なのに、私が一番早く退場してしまって……少し、気恥ずかしいわ……」
「姉上……そんなこと……」
「私たちだって、秀吉殿に抱く感情は同じですよ……」
「初……江……」
やはり、私の胸の内を真に分かってくれるのは、あの時同じ場所にいた妹たちだけね。
暫く部屋には重い空気が漂い続けた。
それから一年ほど後、私たち三人は城の一室に呼び出された。
「「「はっ?」」」
話を聞いて、私たちのその声は重なった。
「いえ。ですから、お江様と與九郎殿との縁談が……」
「それは分かりました!」
與九郎、と云えば大野城主・佐治一成のことだ。
何故、江が……? 様々な疑問が頭の中に浮かんでは消えた。
しかし、これだけは訊いておきたかった。
「しかし、なぜ、末の妹の江なのですか?」
「と、言われますと?」
「このようなことは大体、歳上の者から話があるのが普通ではないですか?」
「その理由については、私からは……殿が決められたことですので」
「!……」
秀吉。
やはりあの男が決めたのか。何か裏を感じる……
しかし、一成殿に嫁ぐということは、江を私の手から離すということ。
そうなると、直接的に守ってあげられなくなる。
そうすれば、あの時父上と母上に誓った言葉が嘘になる。
だが、そうしなければ江が辛い目に遭わなければならないのなら……
結局、江はそのまま一成殿と祝言を上げ、大野城に送られることとなった。
とは言っても、一成殿は私たちの従兄だし、江が辛い目に遭うことは無いと思うが……幸せを願うしかないか。
「「はい?」」
数月後、私と初のその声が部屋に響き渡った。
「いえ。ですから、お初様と小兵衛殿との縁談が……」
「それは分かりました!」
小兵衛、と云えば従兄の京極高次のことだ。
このくだり……まさか……
「これは……秀吉に命じられて……?」
「ご名答にございます」
その答えに思わずあからさまに肩を落としてしまった。
「姉上!」
隣に座る初に背中をさすりながら呆れた声で注意された。
その注意に「ごめんなさい」と返し、再び姿勢を正した。
「そうですか」
それだけ言うと、そのまま部屋に帰された。
その後、部屋で考えた。
(なぜ、妹から……?)
考えられる可能性を頭の中に巡らせた。
(ただの政略結婚とは思えない……何が目的だ? 妹から結婚させることで何が手に入る? やはり私が関係しているのか? 妹たちを先に結婚させて……手中に収めて手に入るもの……)
その時、ある恐ろしい仮説が頭の中によぎった。
(まさか……! いいえ、ただの私の予想よ……)
落ち着こうとするが、その予想が脳内にこびりついて離れない。
結局、一日中そのことが頭を支配した。
さらに数月後、江が嫁いだ一成殿が秀吉の怒りを買ったらしく、その立場が危うくなり、江も離縁させられたと云う報せが私たちの耳に入った。
「姉上……!」
報せを受け取った少し後、江が泣きそうな顔で私たちの前に現れた。
「「江……!」」
私と初のその声が重なり、二人で駆け寄った。
そのまま二人で江を抱き締めた。
江は私たちの腕の中で声をあげて泣いた。
随分と堪えていたらしく、泣き方は大分激しかった。
「姉上! 私は……私は……っ!」
「江……辛かったでしょう……」
「江……っ」
江を抱き締めて真っ先に思い浮かんだのは秀吉の顔だった。
おのれ秀吉……私たちの親を殺しただけでは飽き足らず、江の幸せまで奪うとは……!
許せぬ……やはり秀吉は私たちからすべてを奪う者……!
いつかは必ず……!
「茶々様」
二年ほど後、部屋にいた私は廊下から聞こえる女中の声に振り返った。
妹二人も一緒だ。
「何でしょう?」
「殿がお呼びです」
秀吉が……?
「それは……私、だけですか?」
「はい。殿からは『茶々殿だけお呼びせよ』と仰せつかっております」
「……分かりました」
私だけ……?
大抵は妹たちも呼ぶはずだ。
何用で……?
そう考え終わる頃には、もう呼ばれた部屋に着いていた。
襖を開けて部屋に入るなり、秀吉が「茶々殿」と口を開いた。
声を聞いて静かに座ると、「何でしょう?」と張りつめた声で聞き返した。
秀吉が続ける。
「ふむ……やはり数年ここにいても儂への警戒心は拭いきれぬか」
秀吉は朝廷から関白の位と豊臣の姓を賜り、天下人となったことで随分と浮かれているようだった。
……まぁ、私にとっては口調が変わろうとなんだろうと親の仇であることは変わらないから気にしてはいないが。
張りつめた声を保ち、その言葉に返した。
「当然でしょう。貴方は私たちにしたことをお忘れで?」
「そうではない。ただ、多少なりとも儂への不信を解いてくれると思っていたが」
その言葉に、全身の血液が沸騰するような錯覚に陥るほど、怒りで体が熱くなった。
今度はさらに厳しい口調に変えた。
「何を仰います。貴方は私たちの親を殺した挙句、江の幸せも奪った方でしょう? 初や江が貴方のことをどう思っているかは知りませんが、私は一切貴方に心を許したことはありません」
通常なら怒りを買って相当な罰を食らう台詞だろう。
だが秀吉は動じなかった。
「無理もない。そのことについては重々承知している」
その言葉を聞きながら私は深く深くため息をついた。
秀吉の偽善には反吐が出る。
「して、何用で私をここへ?」
敢えて本題を私から振った。
早く終わらせたかった。
早くしないと、秀吉の腑抜けた言動を聞きすぎると、吐き気が止まらなくなる。
「あぁ、茶々殿。どうしても聞いてほしい願いがある」
背筋を蛆虫が走ったような怖気が襲った。まさか……
「っ……なんでしょう」
辛うじて声を出すと、秀吉の方を見据えた。
最早その先の言葉の予想はついていた。
「茶々殿」
秀吉は姿勢を正した。
そして、私の前で三つ指をついた。
「頼む。儂の側室となってくれ……ッ!」
そこまで言うと、深々と頭を下げた。
その相手は、誰でもない。この私に。
「なっ……」
続く言葉は予想できていたものの、想定外の行動に喉からどこか素っ頓狂な声が出た。
「なんのおつもりで……?」
秀吉は顔を上げなかった。その声は、今まで一度もその喉から聞いたことのない、懇願するようだった。
「そなたの父、母、そして義父を奪ってしまった罪は重い。そなたの儂への恨みも然り、そうであろう」
秀吉は一度そこで言葉を切って続けた。
「儂がそなたの恨みも憎しみも、全てを受け止めよう。だから、頼む……」
そこまで言い終わると、秀吉はさらに額を畳に押し付けた。
恐らく、そこには紅い痕がついているだろう。
暫くその部屋には静寂が訪れた。
それを破ったのは私だ。
「……秀吉殿」
声をできるだけ落ち着かせて、だが張りつめた声で目の前の男の名を呼んだ。
「顔を上げてください」
秀吉はゆっくりと顔を上げた。
どこか期待のこもった瞳で私を見つめてくる。
その瞳に臆することなく私は口を開いた。
「そう簡単に『受け止める』と言いますが、私たちの苦しみがどれだけか分かって仰っているのですか?」
その問いに、秀吉は暫く黙りこくった。どう答えるか決めかねているらしい。
暫くしてやっと口を開いた。
「その苦しみが如何程のものか、儂には分からぬ。だが、そなたが儂を恨み、憎んでいることは嫌でも分かる。ただ、それがどれほどのものであろうとも、全て受け止めると約束しよう」
言葉が出なくなった。
秀吉が私の織田の血を狙っているのは確実だ。
だが、それ以上の執着を感じる。
普通、自分に反発する者にここまで言い寄るか?
反発すれば、他の者に焦点を移すのが普通だろう。
なぜそうしない?
まるで、私自身を狙っているような……
秀吉への嫌悪感と吐き気は治まっていない。
だが、秀吉のその頭を下げての告白は単なる偽善とは思えなかった。
……私ったら、こんなものに心を揺さぶられるなど、堕ちたものね。
「……分かりました」
その言葉に、秀吉の瞳がさらに輝いた。
「考えましょう」
「「姉上!」」
部屋に戻った私は妹二人に焦った様子で声を掛けられた。
「秀吉殿の側室になるのを認めたなんて、本当ですか!?」
「そうですよ! あの恨みに恨んでいる秀吉殿に……!」
「……もうそちらに伝わっていたのね」
一呼吸置くと、妹たちの言葉に付け足した。
「認めたわけではないですよ。『考える』と言っただけです」
「「だとしても!」」
そのあまりにも可愛らしい反応にほんの少しだけ笑ってしまった。
……でも、前向きな返事をしてしまったことは事実。
来る日に備えて、覚悟をしなければ……
数月後、正式に私は秀吉の側室となった。
秀吉は私のことを、より親しみを込めて「お茶々」と呼ぶようになった。
よく人懐こく私に話しかけてくるが、私は秀吉への恨みを忘れることはできなかった。
秀吉は許してくれるが、やはり側室となったからにはそれなりには慕わないといけないのだろうか……
時々そう考えることもあるが、体がそれを拒否している。
秀吉への吐き気も未だに襲ってくることがある。
そんな時は、私より先に秀吉の側室となった従姉が心配してくれた。
その日も、吐き気が襲ってきた。
そりゃあ、あんなに笑顔で話されたら、親を殺された身としては不快にもなるわ……
その時も一人、吐き気を抑えるために自室で吐息を荒げていた。
「茶々殿」
襖を開けると、そこには心配した顔の従姉がいた。
「また調子が悪そうだと女中から聞いて……心配して来てしまいました」
「あぁ、松の丸殿。ご心配をおかけして、申し訳ありません……」
「いいんです。親の仇に嫁ぐとは、貴女にとって、どれほどの屈辱でしょうか」
「……」
「何か、気に障ってしまいましたか?」
「あ、いえ……」
従姉の松の丸殿とは、親戚同士なのもあって特に仲が良かった。
それ故、自分の弱いところを曝け出してしまうことが多かった。
妹たちは、私に心を許せる人が増えてよかったと言ってくれている。
そういえば、初は縁談があるから良いとして、江はこれからどうなるのだろう……
それから一年ほど後、初が小兵衛殿と祝言を上げた。
「姉上! おめでとうございます!」
「初。そちらでも、元気で」
私は、江と共に初の嫁入りを見送った。
嬉しそうに頬を染める初は、幼いころからの成長を感じられた。
さらに一年ほど経ったころには、秀吉のその人懐こさにも大分慣れてきた。
吐き気が私を襲うことも少なくなり、松の丸殿も安堵のため息をついた。
勿論、秀吉が私たちにしたことを忘れてはいない。
むしろ、秀吉が父上たちのことを悪く言えば、すぐその喉を脇差で掻っ捌くつもりでもいた。
……少なくとも、秀吉の方から「全て受け止める」と言ったのだから、それくらいの覚悟はしてほしいと思っている。
まぁ、そんな風に日々を送っていた。
ある日、私は松の丸殿と共に部屋の一つに居た。
特に何も特別なことをしていなかったのだが……
「うぅっ……!?」
強烈な吐き気が私を襲った。
何故? 今日はまだ秀吉とあまり関わっていないのに……
すると、松の丸殿が何かに気付いたように目を見開いた。
「茶々殿!? 茶々殿! もしかして……」
「儂の子を授かった!?」
「はい。最近体に少し違和感がありましたし……恐らく」
「誠か!? 誠かお茶々!」
「……恐らく」
私に子が宿った。
そのことを報告すると、秀吉は大いに喜んだ。
秀吉には実子がいないようで、その喜びようと言ったら!
「よし。お茶々、待っておれ……」
その秀吉の言葉に首を傾げた。
何かくれるのだろうか。
……別に要らないが。
数月後、腹が大きくなり、自分が秀吉の子を宿したという自覚も大きくなった。
日常生活に支障が出てき始め、(妊婦ってこんなに辛かったのね……)と亡き母に感謝した。
とある日、秀吉に城外に連れられた。
やれやれ、歩くのでさえ一苦労なのに、どこに連れていかれるのやら……
「ここだ。見よ、お茶々」
そう紹介されたものは、城だった。
とは言ってもまだ何やら工事をしていたが。
「ここは……?」
私が訊くと、秀吉は自慢するような口調で問いに答えた。
「淀城だ。ここを、そなたの産所とするために改修しておる」
「なっ……!?」
私の産所とするために改修?
それは実質、私の城と云うことか?
「その通り」
「……勝手に心を読まないでもらえますか?」
「ハハ、すまない」
そんな茶番はどうでもよい。
子を授かって嬉しいとはいえ、秀吉はそこまでするのか。
これが天下人と云うことか?
「……ない」
「どうした?」
「いいえ、何も」
秀吉が私の親の仇だと云うことには変わりない。
だが、その恨みを全て受け止める器量がある。
この人は、ただの仇ではない。
……なぜだろうか。
恨んでいる相手のはずなのに、これほどまでに惹かれてしまう理由は……
もう一度、呟いた。
「……敵わない」
完