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第三話

(……そろそろか)


 予定の時刻が来たと、ヴィットーは馬車に揺られながら一人ほくそ笑む。体面に座っているセシリアはいつもの笑顔で首を傾げているが、その感情を読むようなことはしない。

 ヴィットーにとってセシリアは便利な道具でしかなく、人間として接する対象ではない。これから起きる茶番劇で一生消えないトラウマが残るかもしれないが、癒やしの奇跡さえあればセシリア自身の心などどうでもいいのだから。


「止まりな!」

「な、なんだあんたらは!?」


 御者を務める男が叫び声を上げた。御者は計画のことを何も知らないただの平民であり、誘拐計画のリアリティを高めるための生け贄として適当に雇った男だ。

 御者以外にも何も知らない世話役などを複数雇って同行させている。彼らもまたここで殺す予定だ。


(精々私の輝かしい未来のための礎となってくれたまえ)


 ヴィットーは悲鳴を上げる御者や使用人達の声を聞きながらほくそ笑む。もし手元にあれば、ワインでも傾けたい気分だ。

 ここでヴィットーは死亡したという扱いにするわけだが、当たり前だが死体は残らない。そこで、実際に人死にが出る事件だったのだとアピールすると同時に、多数の死体の中にヴィットーもいたのだと情報操作する算段なのだ。

 そう――彼らはヴィットーの死亡偽装に使うためだけにここで命を落とす。そのことに、ヴィットーは少しの罪悪感も持たない。愚民の命など、自分の役に立てたことに感謝して欲しいくらいだとしか神に仕える男は思わないのであった。


「へへへ……金目のものを置いていってもらおうか?」

「逆らうなら皆殺しよぉ」


 エリックに雇われた犯罪組織の構成員は、物取りに偽装していた。

 これは最初から聖女誘拐を明言してしまうと『何故こいつらは聖女がここにいることを知っているのか?』という疑問を持たれてしまうことを懸念しての小細工であり、万が一誰か一人でも逃げられてしまった場合の保険だ。


「よ、よしてくれ! この馬車に乗っているのは――」

「うるせぇ!」

「ギャッ!?」


 御者の男は精一杯抵抗しようと声を張り上げたが、賊の放った矢で肩を射貫かれた。致命傷ではないが重傷に違いはなく、早く治療しなければ命にも関わるだろう。


「ご、護衛の、騎士様……!」


 御者の男は馬車の周囲を固めている『聖女の護衛』に助けを求める。

 当然ながら、聖女セシリアには護衛の騎士がついている。神殿が独自に持つ戦力――神殿騎士が。

 本来ならば、こういった事態には彼らが真っ先に動くべきなのだ。なのに何も言わずに突っ立っている姿に疑問を持ちながらも、もう縋るほかないのだろう。

 それは他の生け贄達も同じだ。何故助けてくれないのかと、怒りと恐怖が入り交じった目で神殿騎士達を見ているが……彼らがその願いを聞き届けることなどない。


「フン……」

「ヘヘ……」


 神殿騎士達は性根の汚さが透けて見える笑みを浮かべて縋る民衆を見下す。

 実のところ、彼らは本物の神殿騎士ではない。ヴィットーの手により護衛の手配をすり替えており、犯罪組織の男が成り代わっていたのだ。

 もちろん、その痕跡が後々バレるようなチンケな細工ではない。反エリック派――エリック以外の王子を支持している政敵がやったように見せかけてある。

 シナリオとしては、政敵がヴィットーを消すために犯罪組織を使い聖女諸共始末した……というところだ。


「な、なんだ……?」

「コレが答えだよ!」

「グフッ!?」


 神殿騎士になりすました男は、剣を抜いて世話役の一人を切り裂いた。肩口からバッサリと斬られたその男はそのまま倒れ伏し、大量の血液を地面にまき散らす。このまま放置すれば、もう数分と持たない致命傷であった。


「そ、そんな!? 騎士様がなんで!?」

「わりぃな。俺たちは、騎士様、なんて高尚な身分じゃないんだよ」


 神殿騎士に扮した男達は本来の下劣さを前面に出した、人を殺すことへの快感を隠そうともしない罪人の本性を露わにする。

 もはや、彼らの運命は決したと言っても過言ではあるまい。


(フフフ……後は小娘を眠らせるだけだ)


 外の様子に気がつき、不思議そうに馬車の中から声のする方を見ているセシリアは眠らせて運ぶ。

 それ自体はヴィットーがやっても外の悪党にやらせてもいいのだが、さてどうするかと舌舐めずりをしていると――


「そこまでだ!」

「全員動くな!」


 ヴィットーの計画にはない、覇気のある叫びが聞こえてきた。


「何事だ!?」


 初めて焦りを見せるヴィットー。立場上、最初の襲撃でこそ上げるべき声なのだが……そんなツッコミを入れるものは存在しない。


「我らは国王陛下直属の王国騎士団である!」

「悪漢共、大人しく縛に付くがよい!!」


 声の主は、王国騎士団。このイーペン王国最強の称号を欲しいままにする精鋭集団であり、国王リチャードの命令以外では動かすことのできない国の切り札だ。

 何故そんな奴らがここに、とヴィットーの頭は真っ白になる。しかし、そんな隙を許してくれるほど精鋭騎士団は甘くはない。


「こ、この野郎!」

「制圧せよ!」


 王国騎士団が動き出すと、雇われた犯罪組織の構成員達は皆抵抗しようと武器を構える。

 しかし、実力が違いすぎた。真っ向勝負を望んだ者は一撃で斬り捨てられ、人質を取ろうと動いた者は正確無比な射撃で無力化される。

 一人一人が精鋭で構成される騎士団を前に、所詮裏社会に落ちぶれることしかできなかった三流のチンピラができることなど何もないのであった。


(ど、どうする? 何故王国騎士団が? どうするのが正解だ……?)


 ヴィットーは、もはや計画の成功は不可能だと即座に察した。王国騎士団をどうにかするような武力も権力もない以上、何とか舌先三寸で誤魔化すしかないだろう。

 自分はこの襲撃には無関係な憐れな被害者……そういうことにして乗り切るしかないと、ヴィットーは僅かな時間で決断するのだった。


「聖女セシリア様!」

「ご無事ですか!」


 瞬く間に賊を制圧した騎士団は、聖女の馬車に乗り込んできた。

 今、馬車の中にいるのはセシリアとヴィットーの二人だけ。騎士達の言葉から察するに、どこからかこの誘拐計画が漏れていたのだとヴィットーは察する。


「お、おお! よく来てくれた! 突然悪漢に襲われどうなることかと思いましたが、助かりましたぞ!」


 ヴィットーは長年の神官(政治)生活で身につけた演技力を駆使し、憐れな被害者の仮面を被る。

 しかし――


「無駄な抵抗をするな、背信者ヴィットー!」

「貴様の悪事は既に露見している!」

「な、なんだと……?」

「聖女誘拐計画の実行犯として、貴様を捕縛する!」


 騎士達は、即座に聖女を庇うように馬車に乗り込みヴィットーへと剣を向けた。

 そう、彼らは既にヴィットーが外の賊と繋がっていることを確信しているのだ。

 一体何故、どうしてこんなことになっているのだと二の句を告げないヴィットー。そんな疑問を見透かしたのか、騎士達は言葉をたたみ掛けた。


「既に首謀者であるエリック王子は捕らえられ、牢獄に入れられた。コレは王命である!」

「ば、ばかな! 王子を捕らえたというのか! 王家の大スキャンダルになるぞ!」

「陛下は全て覚悟の上である。王家の膿は全て出してしまわねばならないとの仰せだ」


 ヴィットーは信じられないと顔を歪める。


 そう――計画の破綻は、発案者であるエリックからであった。

 自分の息子が邪な計画を企んでいることを察した父王リチャードが配下に監視を命じ、それによって一連の計画は全て漏れていた。

 数々の証拠が秘密裏に集められ、それを持って自らの息子を許されざる犯罪者として告発し、捕縛したのだ。

 エリックを未来の王に望んでいた派閥の貴族達も、こうなってしまえば文句を口に出すことはできない。民衆から神の子として尊敬の念を集める聖女を犯罪者を使って暴力で手に入れようとした、なんて不祥事を起こした男の味方をすれば自分達が民衆から私刑(リンチ)を受けかねないのだから、皆こぞって掌を返してエリックを責め立てる側に回ったほどだ。

 彼らは今、神輿を失って慌てて他の王子派閥に自分を売り込むことに大忙しだ。今更鞍替えしても外様扱いには違いないが、少しでも良い立場を得ようとゴマすりに終始しており、エリックのために動こうなどと考えているものは一人もいないのであった。


「既に貴様がエリック王子と繋がっていることも露見し、教会にも捜査の手が入っている。貴様らの悪事の数々は公に晒されることになるだろう」

「なん、だと……?」


 騎士の言葉に、ヴィットーの顔はゾンビと見間違えるほど蒼白になる。


 エリック捕縛の過程で、当然ヴィットーとエリックの間に交わされた契約書も押収された。

 そのことは即座に公開され、教会の信用を大きく落とす武器として最大限に活用された。もはや、僻地へ移動していた当人を除いて街の隅っこに住んでいる貧民ですらヴィットーのことを『聖女を拉致しようとする凶悪犯』と認識しているほどだ。


 こうなってしまえば、いくらヴィットーが教会の有力者であっても関係がない。

 決して許されない犯罪の証拠を手にした国王の行動は早く、電光石火で教会への攻撃を実行に移した。

 教会の上層部であるヴィットーの拭いきれない不祥事を盾に、教会そのものへの強制調査を強行。

 言い訳の利かない不祥事で揺れている中では、いくら教会が信者達に反王家を訴えても誰も聞き入れるはずがない。この状況を作られた時点で教会は既に詰んでおり、逆らう術はなかった。

 今頃は、聖女セシリアを利用して教会ぐるみで行ってきた数え切れない犯罪も芋づる式に明らかになっているはずだ。もちろん、聖女に関わること以外の数々の悪徳の証拠も全て。

 そんな状況では『教会の司教』なんて肩書きには何の力もない。今のヴィットーは、場末の酒場でくだを巻いている酔っ払い親父以下の権限しか持たない一人の犯罪者に過ぎないのであった。


「ばかな、馬鹿なバカな!!」


 ヴィットーは、そんな騎士の言葉が信じられない、信じたくないと叫び声を上げる。

 狂気すら感じさせる、死に際の断末魔と呼ぶべき悲鳴を。


「セシリア様! 申し訳ありませんが、至急治癒をお願いできないでしょうか!! 民間人が二名重傷なのです!」

(っ! これだ!!)


 騎士達がヴィットーを囲んでいると、一人の騎士が馬車に乗り込んでセシリアに頭を下げた。

 彼が言っているのは、襲撃の最初に襲われた二人の民間人のことだ。聖女誘拐未遂が確かに起ったことであると確定させるため、あえて賊を泳がせたために間に合わなかった罪なき犠牲者を救うため、癒やしの奇跡に縋りたいと頭を下げているのだ。


 それを聞いて、ここまでの騒ぎになっても聖女の微笑みのまま動揺すら一切見せずに座っていたセシリアは――ゆっくりと腰を上げるのだった。


「わかりました。私でよろしければお力をお貸しします」

「待つのだセシリア! その奇跡は認めない!! 止まれ!」


 セシリアが立ち上がろうとしたところで、ヴィットーが待ったをかけた。

 今、セシリアが騎士の要望を受け入れたのは騎士が国王陛下直属であるから。教会として恩を売るため、権力者に助けを求められ、それに対して司教の指示を聞くことができない状況では聖女らしく手を差し伸べるように命じられているためだ。

 だが、それを司教であるヴィットーならば止められる。司教以上の神官による命令は絶対だと、幼少の頃より徹底的に躾けているのだから。


「貴様、なんのつもりだ?」

「いいか王の犬共! 大人しく私を見逃せ。そうすればそいつらに奇跡をくれてやる!」


 ヴィットーの企み。それは聖女への命令権を交渉材料とし、この場から逃れることであった。

 何とかしてこの場から逃げ出せば、まだ何とかなる。教会の司教としての地位も財産も全て失うことになるだろうが、各地に隠してある個人資産をかき集めて国外に逃げればまだどこかで返り咲くチャンスがあるはずだと。


「貴様……何の権限があってそんなことを言っている?」

「決まっているだろう! 司教の権限だ! 聖女は司教の命令にのみ従う! 聖女を使いたいなら私の許可を得るんだな!!」


 困惑する騎士に対して、ヴィットーは口から泡を吐きながら叫ぶ。

 それを証明して見せようと、自分の命令通りに止まっているセシリアを指さして――


「……あ?」

「もう大丈夫です。傷は完治しました」


 セシリアは、ヴィットーの言葉を無視して重症者二名を治癒していた。

 何故この小娘が自分に逆らうのかと、ヴィットーは驚愕の目を向ける。そして、状況が理解できてくると共に――耐えがたい怒りに支配されるのだった。


「き、きききき、貴様! 何をやっている! 私の命令に逆らうのか!」


 猿のように叫ぶヴィットーだが、そんな男にセシリアは聖女らしく笑みを絶やさずに振り向いた。

 理解できないものを見るように、首を傾げて。


「先ほどのお話から察するに……もう貴方は司教様ではないのですよね?」

「な、なにを、いっている……?」


 セシリアは、子供相手に1足す1を教えるように優しくヴィットーへと語りかけた。

 しかし、ヴィットーは理解できない。理解したくない。


「司教様でないのならば、申し訳ありませんが命令を聞くことはできません。私は聖女としての務めがあるのです」

「ガ……ッ!」


 ぐうの音も出ない、とはこのことだろう。

 まさに教会の教えそのもの。司教では無い人間の命令は聞かず、何か言われれば聖女の勤めがあるとだけ言え。 

 セシリアは、ヴィットーが望んだ人格そのままの行動を取っているだけなのだ。


「愚かな……」

「もはやこれまでだ。大人しくせよ」


 崩れ落ちるヴィットーを見て、虫を見るような目で見下す騎士達。もはや、彼らの目にはヴィットーなど人間としてすら映っていないのだろう。

 そんな地に落ちた虫けらは――最後の悪あがきを見せるべく突然立ち上がり、その肥満体を活かした体当たりを敢行するのだった。


「ム?」

「無駄だ!」


 しかし、屈強な騎士達を運動不足の中年親父が出し抜けるはずもない。あっさりとその体当たりは止められ、地に転がされるのだった。


「セシリア! 貴様は俺のものだ! 俺に従わないなら、死ね!」


 何の意味もない抵抗を抑えられた後は、セシリアに向かって呪詛を吐く。

 四歳の頃才能を見いだし、両親から強引に引き取った少女。それ以来、自分の権力のため徹底的に利用してきた少女へ向けて、感謝など一切持たないことが一目瞭然の憎しみを向けるのだった。


「もう黙れ!」

「猿ぐつわと手錠だ。大人しくしろ!!」


 ヴィットーは拘束され、完全に抵抗を封じられた。

 もはや恨み言を口にすることすらできない。あらゆる抵抗の可能性を奪われ、騎士達に護送されて王都へと逆戻りすることとなるのであった……。

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