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はじめてのおつかい

作者: 近藤京

 玄関にはお線香の香りが漂っています。

 ゆうなちゃんは今日はじめてのおつかいに行きます。おばあちゃんに頼まれたお昼のお野菜を買いに行くのです。

 ゆうなちゃんは玄関の階段に腰をかけて靴を履きます。マジックテープを剥がす音が、ベリベリ、と響き渡ります。

「本当に一人で行ける?」

 おばちゃんはゆうなちゃんに聞きました。お母さんは何も言わずただただ微笑んでいます。

「だいじょうぶ!」

 彼女は元気よく答えました。

「はい、これ」とおばあちゃんはゆうなちゃんにスマホを渡しました。「何かあったら電話するんだよ」

「おばあちゃん、心配しすぎだよー。ゆうな、もう小学一年生だよ?」

 ゆうなちゃんは胸を張っていいます。たしかに、おばあちゃんは心配しすぎなようです。大切な大切な一人孫だからでしょうか。

「行ってきます!」

 ゆうなちゃんは元気に玄関のドアを開けて出かけて行ったのでした。

 その姿を見ておばあちゃんはいっそう不安げな顔をしましたが、お母さんは、やはり、ただただ微笑んでいるだけでした。

 

 おつかい、と言っても家から十分程度の八百屋に行くだけなのでした。

 ゆうなは(カンタン、カンタン♪)と、手提げをブンブン振ってルンルン歩いてゆきます。電線に三羽のスズメが止まっていて「チュンチュン」と鳴いていました。

 ゆうなは小学校に行くときの公園を横切ります。公園は緑で生い茂った木に囲まれていて夏を感じさせます。その様子を見て、ゆうなは、途端にじめっとした日差しの暑さを覚えました。

 公園には二歳くらいの男の子がお父さんと遊んでいて元気に走り回っています。男の子の右手には新幹線のおもちゃが固く握りしめられています。朱色に輝くその新幹線を男の子はときおり空に掲げ、「うー!」と叫んでいました。

 ゆうなはその姿を見てとても微笑ましくなりました。自然と笑みが溢れてきます。

(ゆうなに弟がいたら何をして遊んでいたんだろう)

 ゆうなは顔のわからない弟と原っぱでかけっこをする想像をしました。


 公園を過ぎると十字路に直面します。ここは車が多く、その上、道路が狭いために毎朝緑のおじさんが立ってくれています。黄色い旗を振りながら緑のおじさんは「おはよう」と挨拶してくれるのでした。

 ゆうなはおじさんのにっこり笑う笑顔が大好きでした。

 でも、今日は緑のおじさんはいません。ゆうなは少し寂しくなりました。

 いつも真っ直ぐ進むところを、ゆうなは左に曲がります。右側には車がビュンビュン行き交い、ゆうなは少し怖くなりました。けれども、ぐっと堪えてぐんぐん進んでゆきます。手には自然と力が入り、その足取りは小学一年生とは思えないほどとても力強いものでした。


 八百屋に着くと、いつものおばあさんが出迎えてくれました。

「今日は一人で来たの!」

 ゆうなは自信満々に言いました。

「あら、偉いわねえ」

と、おばあさんはゆうなの頭を力一杯撫でてやりました。

「大根とほうれん草をください」

 ゆうなはおばあちゃんから渡されたメモを見ながら言いました。

「大根とほうれん草だね。ちょっと待ってて」

 おばあさんはそう言うと、大きくて真っ白な大根と、大きな葉っぱをつけた青々しいほうれん草を袋に入れてくれました。

「サービスして大きいの入れたけど、ゆうなちゃん持てるかねえ」

「ゆうな、もう小学一年生だもん!これくらいできるようにならないと!」

 ゆうなは両手で大きな野菜たちを抱え込みました。

 おばあさんは感心して、そしてゆうなを店先まで見送ってくれたのでした。


 ゆうなはヨタヨタと歩きます。お日様がちょうど真上にあって、か弱い女の子の、小さい頭を照り付けます。ゆうなの額から一筋の汗が頬を伝い、丸いアゴから滴りました。

「ちょっと休憩」

と、ゆうなは荷物を電柱の足元におきました。ふうと深く息を吐きます。

「あれ?」

ゆうなは電柱の足元に花束が置いてあるのに気がつきました。

(これじゃあお花がかわいそう)

ゆうなはそう思いましたが、彼女のちっちゃいおてては花束を持つことができません。

 ゆうなは水筒を取り出し、お花に水をかけてやりました。花びらについた水滴が日の光を照り返し白く輝きます。

(お花さん、ごめんね)

ゆうなは手を合わせて再び歩きはじめました。


 家から十分と言っても、ちっちゃな女の子の体力は確実に削られてゆきます。またここのところ連日した猛暑が続き、環境の適応に不慣れな少女の身体は着実に消耗していたのでした。

 ゆうなはフラフラと道を歩いています。何度も車道にはみ出します。周囲の大人たちはその様子を見てハラハラしつつも誰も声をかけようとしません。可愛い少女が車に轢かれそうになっているのに!

 ゆうなはついに足がもつれて車道に転んでしまいました。後ろからは白のセダンが迫っています。不幸なことに運転手はスマホをいじっていてゆうなに気が付きません。

 このままでは引かれてしまう!その時でした。

 一人の男性がゆうなを抱き抱え間一髪で助け出しました。

 先ほどの車は何事もなく走り去ってゆきました。

 男性はゆうなの汚れを手で払ってやります。

「だいじょうぶかい?」

 男性はゆうなに聞きました。ゆうなはその顔をよく見ようとしたのですが、照りつける日差しが眩しずぎてよく見えませんでした。

 ゆうなは、こくり、うなずきました。

「一人でおつかい?」

 男性はゆうなの目線のまま問いかけます。低くて芯のある声は不思議とゆうなを落ち着かせました。

「もう小学一年生だもん」

 ゆうなは消え入りそうな声で答えました。

 男性は、「一年生なのか、偉いね」と褒めてくれました。ゆうなはなんだかとっても嬉しくなってかけだしたくなりました。

「おうちまで一緒に行ってあげよう」

 男性はゆうなの手を強く握りしめると、歩きはじめました。ゆうなは一人で帰りたかったのですが、どうしてか、男の人と離れたく無いと思いました。


 さっきの公園の前を通ると、すでに男の子とそのお父さんの姿はありませんでした。そよ風が草木を撫でて、サア、サア、という音が公園を覆います。

 静けさを携えた公園。傷だらけになった黄色い滑り台。禿げた鉄棒。

 子どもたちの成長とともに錆びれてしまった公園がそこにはあったのです。

 ゆうなはなぜか悲しくなりました。きっとはじめてのおつかいで疲れたのでしょう。

「おんぶでもするか!」

 男性は言いました。

 ゆうなは繋いでいる手を強く握って「歩くもん!」と言いました。

 男性はにっこり微笑みました。その笑顔は逆光でよく見えませんでしたが、お母さんと似ているなと思いました。


「ただいま〜!」

ゆうなは元気よく玄関のドアを開けました。するとすぐにおばあちゃんが飛び出してきて、ゆうなを強く抱きしめました。

「すごいねえ。何もなかったかい?」

「あのね、男の人がここまで来てくれたの」

「男の人?」

 おばあちゃんが驚いて言います。

「うん。ほら」

 ゆうなが後ろを振り返り指をさします。しかしそこには誰もいませんでした。

「あれえ?さっきまで一緒だったんだけどなあ」

 ゆうなは首を傾げます。「あのね、笑い方がお母さんとそっくりだったんだよ!」

 おばあちゃんは目を丸くして、そして再び強く抱きしめました。

 ポタリ。ゆうなの肩に何かが落ちる感じがしました。

「おばあちゃん暑いの?」

「うん、今日はとっても暑いね」

 庭の木が太陽に照らされて緑色の光を放っています。

 お線香の香りが、ぷんと、ゆうなの鼻を掠めたのでした。

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