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穢れ多くは人に非ざる  作者: 酔いどれ太宰
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幸福とその比較

「人は自分が食べていけるだけのお金を稼がないとならない。何故ならば、人は飯を食べなければ飢えて死ぬからだ。」

 よく当たり前のように言われているが、然して事実である。自分からしたらこんなことにすら疑問なのだが、世間は自分に疑問を抱くだろう。金を稼ぐのはひとえに自分の生存のためなのだ。人はその生物的なところで、子孫を作るように生まれながらにして作られている。つまり、人が金を稼ぐのは子孫を作る機会までの延命措置であるのだと考えられる。この時点で、子供を欲しいと思わない人間は延命する理由がないのだ。逆に言えば、子供を欲しがらないのならば人間では無いのだろう。しかし、子供を欲しがらない人もいるのが事実だ。自分も欲しいとは思わない。子供の世話を見るのは嫌いでは無いのだが、それが自分の子供であると考えると夕立のように嫌気がさしてくる。そんな子孫を望まない人間に対しても、今の社会は理解を示しているのだ。自分にはこれが理解できない。人類種の長い歴史があるのは、これを受け入れてこなかったからでは無いのかと。子孫を作らない幸福を許す社会と、許される人間がいることが理解できないのだ。


 もっと言うと、自分は他人の思考や、価値観が分からないのだ。仮に説明を受けたとしても理解できないのだ。「私の幸福」について説明を受けたところで、それが理解できないのだ。

そもそも、自分にとっての幸福が手に入らないものであるからでもある。理解には比較が必要だが、比較するべき自己に対象をとる事ができない。自分にとっての幸福がわからないからでもあるだろう。わからないということは、手に入らないと同義だからだ。


 自分の今を幸福と捉えられるのは、自分以外の恵まれない人間なのだろうとは思う。しかし、今の自分を幸福とは思わない。むしろ、自分は恵まれているがゆえにこの苦痛に付きまとわれているのだと不幸にさえ感じるのだ。恵まれていない人間たちを目の前にして、彼らの幸福を原稿用紙いっぱいの感情論で説教したい気分だ。長々しい説教を要約するならば、

 「君たちは足りていない、故に自分と違ってあふれる苦痛に悩まなくていいのだ」

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