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第七章

 暖かな日差しの中、勇一と那美、そして阿修羅はのんびりとした歩調で武道館に背を向けて、帰路につくため石畳にひかれた道を歩いていた。

 そんな中で大きく背筋を伸ばした勇一の姿に、那美は小さな笑みをこぼしてしまう。

 それを聞き咎め、勇一は不機嫌も露わな声を上げた。

「んだよ」

「運動不足、ってとこかな?」

「大きなお世話だ」

 ぶすりとした顔つきで、勇一はそう切り返す。

 その姿を眺めながら、那美はふと声のトーンを落として呟いた。

「須田君、大丈夫なのかな……」

「……須田にとっては今まだ無理でも、立ち直らざるえねぇんだ。

 それに、あいつの気持ち、分からないわけじゃない。俺だって、覚醒のきっかけがあんなシーンなら、自分自身を恨んで仕方ないからな」

 まるで自分自身に言い聞かせるような勇一の言葉は、父親である健太郎(けんたろう)の事を思い返しているのだと那美は気付く。

 健太郎の死因は、間違いなく勇一自身にある。天界からの刺客である羅刹天(らせつてん)から勇一を守るべく、父親は羅刹天を巻き込んで自爆したのだ。

 それを知った時、勇一は自身の力のなさをどれほど悔やんだだろう。

 そして今、それは忍にも当てはまるかもしれない。

 勇一達の後輩であり、修羅界八部衆の一人、天王である須田忍の覚醒の切っ掛けは、一人の少女の死だ。

 自分の身を守るために取った行動が摩利支天に操られる原因となり、その呪縛から逃れるためだけに、少女は忍や勇一達の前で己の胸を刺し貫いて生命を絶った。

 忍も、そして少女も、互いに淡い恋心を抱いていたのは、聡い那美だけではなくその瞬間に勇一も理解した。お互いに思い合っていたのだ。それ故に、幸せになって欲しいと願いを持ったのに、それは成就される事なく砕け散った。

 少女、成瀬(なるせ)真由美の最後に見せた微笑は、余りにも美しく、そして余りにも透き通りすぎたもの。

 忘れられないその笑みは、忍の心に突き刺さるだけではなく、自分を責めるのは十分すぎる事柄でしかない。

 それは、勇一達も同じだ。あの時、真由美の行動にもっと早くに気付き、それを止めていれば結果は違ったはずなのだから。

 だが、起きた過去は元には戻らない。どれだけ自分に怒りと憎悪を持ったとしても。

 父が死んだ日を思い返し、忍の心境を自分の心と混ざり合わせながら、勇一は小さな吐息を一つつくと、疑問の形を取った核心を口にした。

「あいつは、立ち直る。そうだろう?」

「あぁ」

 二人のやりとりを黙って聞いていた阿修羅に向けて、勇一は確認するかのようにそう切り出した。

 無論、阿修羅もそれには賛同する答えを返す。とはいえ、阿修羅にとっては、真由美の死が忍の覚醒の切っ掛けとなったのだから、勇一達とは違い成瀬真由美という存在が失われたことに対して感謝の念がないわけではない。

 ―感覚の違いなのだろうな。

 人間として転生し、その神力(ちから)を取り戻した勇一達と、転生する事なく人界へと赴いた阿修羅とでは、覚醒するまで人間として生きてきた者達との隔たりが存在する。その違いを感じてしまうのは、阿修羅としては多々感じ取ってはいる事だ。だが、それを口にした所で、それがなくなるとは思わない。

 何とも言えない沈黙がその場に落ちる。

 それを打ち払うように、那美が少々態とらしかったが、明るい声で話題を変えた。

「それにしても、今日は惜しかったわね」

「お前は見てるだけだったろ。こっちは大変だったんだ」

「見てただけだから、そんな事言えるのよ」

 少しだけ笑みを含ませて、那美は茶目っ気を込めた表情で勇一を見上げる。

 その顔に、むっとしたように勇一は眉を寄せた。

「……日野、崇、か」

 難しげな阿修羅の呟きに、勇一と那美は揃ってそちらへと顔を向ける。

 思慮深げな光を瞳の奥に灯らせる阿修羅の様子に、勇一と那美は顔を見合わせて阿修羅の次の言葉を促すような視線を送りつけた。

「実力の程は分かったが、何者かが分からん」

「それって……」

「今の段階では、奴が厄介な存在であることは実証された。そういうことだ」

「でも、まだ敵だとは言い切れないでしょ?」

 不安を半分だけ詰めこみ、那美は小首を傾げてそう尋ねた。

「そうであっても、だ。

 あやつは、神力の片鱗をみせたのでな。敵か、味方か、それが分からんのは、不安材料でしかない。

 あれだけの神力を持っている人間だ。もしも覚醒すれば、私やお前に匹敵する神力を発揮するだろうな」

 苦々しげにそう口を開き、阿修羅は口調同様の顔つきで緩やかに首を横に振る。

 敵か味方かが全く分からない。そう断言できたのは、八部衆の神力の波長を阿修羅が痛いほどよく知っているからだ。

 だが、崇のあの神力は、そのどれとも違っていた。一体何者なのか、という疑問を抱くのは、仕方のない事だろう。

 そんな阿修羅に向け、勇一は気楽な口調で話しかけた。

「けどよ、何も思い出していないんだろ。なら、今のままでいいじゃねぇか。

 別に、現時点で俺達に敵対意識を持っているわけじゃねぇんだから」

「しかし、な……」

「普通の生活送って、人間として生きてるなら、それでいいじゃねぇか。今の時点で、俺達に敵対意識を持ってるわけじゃねぇんだろ。それに、無理矢理覚醒させれば、俺達にとっても、あいつにとっても、悪い方向に傾く可能性があるしな。

 覚醒させる必要は、現時点ではないだろ」

 そう言って、勇一は小さく笑みを浮かべる。

 その行動を見て取り、那美は心配そうに勇一を見やった。

 無理をしているな。そう感じて仕方のない笑顔。だが、どのような言葉をかけて良いのかが、那美には分からない。

 どれだけ望んでも、何も知らなかった時間に戻る事は出来ない。

 『普通』という単語からはかけ離れた神力を持ってしまい、それでも『普通』の人間として振る舞わざるえない今の状況。それが、どこかで壊れてしまってもおかしくはない事柄なのだ。

 せめて、自分の前で無茶や無理をしてほしくはないのだが、それは淡い期待なのかもしれない。自分を信用してくれているのは、分かっている。それでも、迷惑をかけないために勇一が神力を押さえつけている事が理解出来るからこそ、那美は何も言うことが出来ずにただその背中を見つめるしかない。

 きゅっと唇を噛みしめるが、那美はちろりと後ろを歩く阿修羅を見やり、その姿が纏う雰囲気に歩みを止めた。

「那美?」

「あっと、ごめん。あたし、部室に忘れ物してたんだった。取ってくるから、ちょっとだけ待っててもらってもいいかな」

「あぁ」

「本当にごめん。バス停に先行ってて」

「ゆっくりでいいぞ」

「ありがと」

 そう言って、那美が小走りに部活棟へと走り出す。

 阿修羅が何かを言おうとしている事を察したのだろう。相変わらず勘の鋭い少女だと思いながら、阿修羅は溜息交じりに声を発した。

「……それほど、良いものか?」

「あ?」

「人間として生きていく事が、だ」

 阿修羅の疑問は、勇一にとっては突飛な発言だったのだろう。

 幾分か考え込んだ後、勇一は訥々と語り出した。

「さぁ、な。

 俺だって、まだ十七年しか人間として生きてねぇんだ。良し悪し分からない、と言うべきなんだろうな。それに、そいつしか分かんらねぇんじゃねぇのか。そんな事は。

 けど、な……」

 途中で言葉を切り、勇一は頭上を見上げて眼を細めると、広がる青空を眩しそうに見やる。

 数秒の後、勇一は阿修羅に身体を向けて苦笑じみた笑みを浮かべて見せた。

「けど、怒ったり、笑ったり、泣いたり、喜んだり、それこそ修羅界の者達と人間は変わらない。それどころか、色々な思いを一日の中で詰め込んで、短い生命を一所懸命に生きて暮らしてる。そして、それを抱きながら生命(いのち)を終えるんだ。

 すげぇよな。前世(まえ)はこんな風に考えた事なかったけど、こんな風に思えるようになったんだ。俺は、どこかで馬鹿にしてたのかもしれない……人間って存在を。それが、今まで生きてきた中でそんな事思えなくなった。

 俺は、人間も、人間界も、好きになってたんだ、いつの間にか」

 そう断じた後、勇一は自分の言葉を反芻しつつ、己の中でストンとその事実がはまったような表情をみせた。

 その様子に、阿修羅は眼を細める。どこか羨ましげな光を瞳の奥に灯しながら、ぽつりと無意識のうちに阿修羅は呟く。

「そうか……私も、『穴』を通り抜けたかったものだな」

「穴?」

「あぁ。『大冥道(だいめいどう)』と呼ばれる穴だ。地獄界に直結しつつ、全ての生命を来世へと送り届ける場所だ。

 お前達七人は、そこを通って人界へと転生した」

 阿修羅の言葉の外に、思い出せないのかという含みが感じられる。

 だが、しばらく考え込んでも、勇一の中ではその事を思い出す事は出来ない。小さく舌を打ち付け、勇一は軽く頭を横に振った。

「思い出せねぇよ」

「そのうち、嫌でも分かるだろうさ」

「けどよ、何で、お前はそこを通らなかったんだ?」

 勇一の問いかけに、阿修羅は曖昧な笑みを漏らすだけで答えようとはしない。

 訝しげな勇一の視線を交わすように、阿修羅は遠い目で空を見上げた。

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